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2016年10月9日 - 2016年10月15日

2016年10月 9日 (日)

第二次電通事件

 労働法や労働問題を少しでも学んだことがあれば、「電通事件」の四文字は必ず目にしている筈である。過労自殺の問題が争われた訴訟として、あまりにも有名だからだ。今回はあくまで遺族側の労災申請が認められただけで、電通そのものが過労自殺の責任を認めて損害賠償請求に応じたわけではない。その点では、「電通事件」とは状況は異なる。

 だが、「電通事件」から二十年以上過ぎたにもかかわらず、再び電通で過労自殺事件が起きてしまった。しかも、報道されている内容を見る限りでは、電通が「第一次電通事件」を反省しているとは思われない。いや、そもそも反省するつもりなど「第一次電通事件」の頃からなかったのかも知れない。自殺した労働者個人の責任に帰結させるべく、当時の電通側が裁判で「失恋したのが自殺の原因だ」「まじめだったのが良くない」などと繰り返し主張していたのは有名な話である

 私も色々なところで企業を見てきたが、一度裁判に負けたくらいではなかなか反省しない。大抵の場合、企業経営者はその企業の中で競争を勝ち抜いてきた「勝者」である。出世レースを先行して走っていた人たちが不祥事などで一網打尽にされてしまい、傍流からトップに立つ人がいないわけではないが、稀なケースだ。競争を勝ち抜いてきた人たちが、自分たちの歩んできた道を否定するわけがないのである。

 まして、現在の電通の幹部クラスは、ちょうど「電通事件」が争われていた頃に若手社員だった人々である。企業不祥事の場合、大抵は告発した側や死んだ側が組織内では悪者にされ、「あいつは頭がおかしかった」とか「彼は仕事ができていなかった」など、あることないこと喧伝されるのが普通である。某「引越社」事件で、内部告発した従業員の写真つき「懲戒解雇の告知」を職場に掲示し、さらし者にしていたことは記憶に新しい。恐らく、第一次電通事件も電通の中では電通は悪くなく、死んだ社員と裁判を起こした親が悪いということで意思統一が図られてきたのだろう。となれば、第一次電通事件を反省した労務管理などそもそも取り組みようがない。

 恐ろしいのは、東京オリンピックも含めて、この会社は公的な業務を多数受託しているということである。いわば、国家や自治体が「ブラック企業」を税金を使って儲けさせているわけだ。電通を利用してきた側も、本当に使うべき企業であったのかどうか、反省すべきではないか。

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