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2016年12月

2016年12月18日 (日)

「投資教育」は本当に必要か

 非正規化が進み、正社員といえども定年までの雇用すら怪しくなりつつある。ボーナスにしても15パーセントの労働者には縁がないものになっている。2000年代初頭の閉そく感漂う時期にもあったのだが、こういうときに出てくるのが「投資で儲けよう」というもので、そのために義務教育から「投資教育」を行うべきと言う主張がある。義務ではないにせよ、実はマネー教育というのはそれなりに浸透しつつある。というのも、金融業界が無償での学校教育に力を入れているからだ。

 だが、本当に「投資教育」が必要なのかと言えば、答えは否とするしかない。少なくとも、労働教育や主権者教育に比べると優先順位は低くてしかるべきだ。

 現実問題、株式投資などの投資に手を出した一般人は実のところあまり儲からない。言われてみれば当たり前なのだが、プロの投資家が多額の資金をつぎ込んでも大きな損失を出すのだから、それよりも資金力も情報収集力も劣るような一般人が勝ち抜くのは大変に難しい。それどころか、怪しい儲け話に乗って退職金を全額失ったなどと言う話は毎度のように出てくる。「消費者教育」としてうまい話はないことを教えるならともかく、「投資は儲かる」と刷り込むことになりかねない投資教育はむしろ危険でさえある。

 そもそも、特に義務教育においては様々な「外部教育」が競合するようになっている。労働教育、税教育、年金教育、情報保護教育、主権者教育など、他に優先すべき教育は多い。高校以上になれば義務教育に比べて時間は取りやすくなるとは言え、そもそも講義時間が潤沢に確保できているわけではないため、どうしてもできる教育は限られている。実際、根金教育や労働教育の提案に行っても「既に税教育で時間を押さえてしまった」として断られることも多い。

 まず先にやるべき教育がある。教育関係者はそこのところをはき違えるべきではない。

2016年12月15日 (木)

次の社会保険労務士会・連合会に必要なこと

 社会保険労務士の世界では特殊な例を除き、連合会から単位会まで任期は2年なので、奇数年である来年度が役員改選の時期になる。

 企業相手に労働・社会保険の手続きを行うという性格もあって一般国民の目に触れることが少なく、士業として後発であることもあって、他士業と比較してあまり目立たない存在であったが、ここ10年ほどで社会保険労務士を取り巻く環境は大きく変わった。労働問題や年金問題で認知度が高まる反面、違法行為の指南をはじめとする不適切な言動が労働組合等からたびたび批判を受けるようになり、間もなく制度創設50年を迎える社労士そのものの位置づけや規律について改めて整理しなおす時期に来ているのではないかと思われる。

 私見であるが、今後の社労士に必要な事項について若干検討してみたい。

 まず、第一に挙げられるのは社労士の倫理と処分の制度についてである。

 社労士は専門職として職業倫理は存在している。しかし、「弁護士職務基本規定」のように業務全体を踏まえて体系化されたものは存在していない。また、弁護士では懲戒事由になるが社労士では懲戒事由として挙げられていない事項もある。例えば、依頼人と金銭貸借関係を結ぶことなどである。弁護士の制度を取り入れれば良いというものではないが、弁護士の側には古代ローマ以来長い年月をかけて蓄積された倫理や職務を規律する体系があるので、そこから学ぶことは有益であろう。また、倫理規定を見直すだけでなく、その内容についても具体例の解説を付すなどして、十分な周知を図る必要がある。

 となれば、当然ながらより厳格・厳正な処分を行う以上、会員資格に対するものとは言え処分手続きもより厳格なものを作ることが必要であろう。すなわち、刑事訴訟に類似した三者構造の手続きを整備することが妥当であるように思われる。

 そもそも、現在では処分請求を行う窓口は実質的に都道府県社労士会の事務局となっている。だが、苦情の中からどのようなものが処分として切り分けられるのかが実は明確ではない。証拠も何もなく単なる悪口のようなものが多いようだが、処分を求めるならば処分手続きについて案内するとともに、処分請求の様式や添付証拠など一連の手続きも整備する必要がある。そうなれば、最初は事務局が受けるとしても、処分請求を求めているような場合には、検察官役を行う機関に引き継ぐような体制が必要となる。処分手続きに至らない場合の不服申し立ての手続きや、不服申立先(おそらくは連合会となるだろうが)の整備も必要だ。これはもう単位会でどうなるものでもないので、連合会が重点的に取り組むべきであろう。

 当然、検察官役からの告発を受けて、処分手続きにかけられた社労士の言い分も聞き、処分するかどうか、どのような所分を下すかということについては、理事会からも独立した機関に委ねるのが適当という事なる。その構成についても、例えば労働委員会のように労使及び有識者という構成にするのか、弁護士を加える構成にするのか、社労士が加わることの有無なども検討する必要がある(独立した士業としての規律を他士業に委ねるのは如何なものかと思うので、私としては労使及び有識者を審判役の中核にすべきと思う)。

 社労士の不祥事に際して、社労士の自治組織である社労士会には退会勧告までの権限しかない。このことは、昨年の不祥事に際して多くの社労士を歯ぎしりさせた。自浄作用を発揮しようにも、強制力が実質的に存在していない。会員資格に対する処分を行った上で、厚生労働省に報告するだけである。せめて自浄作用を発揮する場として、厚生労働大臣の懲戒権を害しない範囲に留めた上として、1箇月以内の業務停止処分などの自治権は認められるべきではないか。無論、業務停止の権限を付与することになると、社会保険労務士法の改正作業が必要となるので簡単ではない。しかし、社労士が業務範囲を拡大することを求めていくのであれば、従来以上に強い自律が求められるのであって、その自律を具体的になしていく制度の一環と考えれば、1箇月以内の業務停止程度の処分権限を社労士会が持つことは適切ではないか。

 倫理問題としては、「副業」の問題がある。現行法では社会保険労務士でなくとも、労務コンサルタントや年金コンサルタントとして、相談に応じて報酬を得ることは何の規制もない。このため、社労士としてでなく企業経営者として別事業を立ち上げている例が少なからずみられるが、そうした事例の中には社労士としての非違行為で業務停止の懲戒処分を受けながら、労務コンサルタントとして実質的に従前と変わらない営業を堂々としているものすら見受けられる。これは専門職としての規律や懲戒制度を明らかに逸脱する脱法行為であると言わざるを得ない。となれば、包括的に副業についても規制を加えていくことが必要とされよう。

 次に社労士会としての情報発信の問題である。昨年末に問題となった社労士の不適切な情報発信は文字通り問題外であるが、同時に報道においては一部のNPO関係者の不適切な認識に基づいて解説した社労士の処分制度が流布されてしまい、社労士に対する不満を増幅させる結果となった。

 すなわち、「社労士は社労士会が処分権を持っている」とか「退会したらその県内では社労士業務ができない」などである。社労士の懲戒権を持っているのは厚生労働大臣であり、社労士会が持っているのは会員資格に対する処分権にすぎない。強制加入団体である以上除名はできず退会勧告に留まる(しかも法律上は、そのような状態であっても社労士業務を行う事に制限は設けられていない)。また、社労士の登録は確かに都道府県単位で行われるが、活動範囲に制約はないし、退会すれば別の都道府県会に登録するか、弁護士でない限り全ての社労士業務が当然にできなくなる。そうした誤った認識の報道に対して、社労士会の側からも訂正を求めるような積極的な動きは殆どなかった。

 理由は分からないが、現代の不祥事において「沈黙は金」ではない。むしろ、公的な団体であればあるほど説明責任を求められる。そもそも、どのような報道がなされているのか掴んでいなかったとすれば、これはもう問題外となる。

 ちなみにこのNPO関係者は、その後も「社労士の合格者数は連合会が決めている」(現実は、連合会は社労士試験を運営するだけで、試験問題の作成や採点、合格基準や合格者数に関しては何ら関与することができない)などという情報を流布しているところを見ると、恐らく誰も指摘しなかったのではないか。

 いい加減な情報が流布される前に、積極的に情報開示していくという姿勢がまず必要であろう。

 「ブラック社労士」が目立つ原因は、彼らが企業を捕まえようと意図的に宣伝していることだけに原因を求めることはできない。従来の社労士が行ってきた手続き業務の後退、社労士自身が官製ワーキングプアの被害者となっている事実を含めたうえで考える必要がある。

 もともと税理士は社労士業務のうち租税確定に必要な業務を行うことができたのだが、現状は顧客サービスとして社会保険の手続き業務を行ってしまう例が少なくない。報酬を得なければ誰でも社会保険の手続き業務はできるからだ。この点、税理士会は報酬を得ずに租税業務を行う事を明確に否定している。実際、税理士側もボランティアで引き受けているわけではなく、その背後ではキッチリ税務士業務での見返りを期待している筈である。いわば下心がある経済活動と言わざるを得ず、それならば社労士側もこの点について職域侵害として戦う権利はある筈である。

 かなりの社労士が税理士事務所の下請と化している現状がある。中には「税理士事務所の勤務社労士」という登録をして、税理士事務所の顧客に関する業務を行っている例すらある。本来は勤務社労士はその事業所内部の手続きを行う権利が認められているだけであって、事業所の顧客の手続きを行う権利はない。「税理士事務所が無料で顧客の社会保険手続きを引き受け、税理士の補助者という身分で関与している」という構成は可能だが、倫理的には問題があろう。実際、「ブラック社労士」として問題になっている事例の中には、税理士事務所の勤務社労士が対応していた例が少なからず見受けられ(税理士事務所の封筒で書類が届いていた例すらある)るが、これでは独立士業としての立法趣旨そのものを没却する行為と言わざるを得ない。
 税理士業界と密接な関係を保ってきた社労士業界としては言い出しにくいところもあるし、目の前の利益からは遠のくリスクもある。しかし、倫理的に問題のある現状を漫然と利益のために放置することを是とするならば、そもそも専門職とは言えない。
 同様の問題は行政協力業務にも言える。かつては行政協力業務は片手間で文字通りの「協力」であったようだが、現在は年金事務所窓口業務に代表されるような高度な能力が求められる協力業務が増えている。行政内部の正規職員と同様の問題を同様な能力で処理することを求められているのだが、能力担保の機会はほとんどない。行政内部の手続きなど、そもそも行政外部にいては分からないことも多い。いきおい、社労士側は研鑽に時間と費用を使わねばならない。しかも、行政側からの要求水準は日に日に高まっていく。一方で、報酬は決して高くない。アルバイトや派遣と大して変わらない金額である。
 問題は、こうした「アルバイト生活」から脱却できず、延々と行政協力で食いつないでいる者が増えているという事である。かつては開業後しばらく食いつなぐ方法であった行政協力が、現在は命綱になってしまっている。これでは、行政側から理不尽な要求をされても拒否できるわけもない。それどころか、切られては困るとばかり行政側の心証を良くしようと無理な業務を抱え込んだり、無給無報酬の勤務を周囲に要求するようになる。改善を求めようとしている者を孤立させる。これはもう、「ブラック企業」の被害事例と変わるところは無い。
 実のところ、同様の問題が弁護士の国選業務でも指摘されている。「奉仕」と位置付けられている低報酬の業務でかろうじて生きているのは、決して社労士だけの問題ではない。そして、このような奉仕を前提とした低報酬の制度で働かざるを得ないことから、業務の質の低下が指摘されている。国選弁護で言えば、真面目に接見に行けば行くほど赤字になるそうだ。そのため、国選弁護人として最限度の活動しかせず、結果的に被疑者の利益を損なうことが現場では少なくないという。

 無論、このような問題は公共とにって重大な危機だ。ならば、士業が連帯して行政に対して働きかけを、少なくとも専門職としての生活と体面が保てるくらいの報酬を確保できるように要求していくべきだ。官ワーキングプアを防止すべき立場の士業が、その餌食としていいように利用されているというのは悪い冗談でしかない。

 また、従来から社労士は行政に対する手続き業務中心であったこともあって、行政に対して通るかどうかという視点が実務上極めて重要であった。効率の良い業務遂行としては重要だが、一方で何故このような結論になったのかを説明できない、すなわち論理的思考力や分析力、論証力は重視されてこなかった。これがコンサル業務などに拡大していくと、無理な手続きや強引な要求などという問題を発生させる。表面的な制度については詳しくとも、その制度の理屈や問題を正確に説明できない社労士はあまりにも多い。

 単なる代書屋であればそれでも良いのかもしれないが、それではコンサルティング業務や労務監査業務などの業務拡充は望むべくもない。能力開発を否定するということは、自ら業務拡充への道を閉ざすことになる。

 今後は、労働・社会保険制度の根本的な理屈や理論、歴史、論理的思考力や表現力などを高める努力をする必要があるし、それにあたっては連合会や各都道府県会の研修も充実させていく必要がある。

2016年12月 9日 (金)

年金額の根本的な引き下げは年金不安を増大させるだけ

 従来、我が国の公的年金制度は物価スライド制度と呼ばれる調整機能を持っていた。これは物価によって年金額を変化させるもので、物価は変化しても価値は変わらないという制度だった。これをマクロ経済スライドとして、賃金や寿命などを勘案して物価に比して年金の伸びを押さえようとした。このため、アベノミクスでの物価上昇に年金が追い付かず、多くの受給者の不満を招いている。そして、次はより賃金を反映させた制度に変更するという。そもそも、安倍政権は「賃金は上がっている」と主張していたのに、年金については「将来に備えた給付の抑制のため」に賃金を持ち出しているのだからよく分からない。

 それはともかく、「少子化で年金保険料を払う人が減っている」という認識は間違いだ。確かに人口減少社会に突入はしているが、毎年何百万人も一気に減っているわけではない。「保険料を払える人が減っている」というのが正しいと言える。その最大の要因は雇用の劣化だ。

 また、自営業者も厳しい。バブル時代までは独立すればそこらのサラリーマンの二倍三倍稼げるのが当たり前だったそうだが、今やサラリーマンの半分も稼げれば良いのではないか。例えば社会保険労務士は平均年収500万円と言われているが、これは勤務社労士として正規雇用で相応の扱いを受けている者を含んだ数字なので、実際の開業社労士はせいぜい300万円から400万円程度に留まると思われる。多くの顧問先を抱える古手が平均値を引き上げているであろうことを加味すれば、若手などは200万円程度と考えた方が良いのではないか。

 今や、自営業者の多くは「子供に後を継がせたくない」と言う。自営業から脱却した中小企業の経営者でもそうした声が少なくない。 

 もともと、国民年金第1号被保険者は「定年が無く、家業を子供に継がせられる」「賃金以外に収入源がある」「養ってもらえる」ことが前提の年金制度であるが、これらの前提がほとんど崩壊してしまっている。代わって、下層階級に転落した非正規労働者や無職の者など、被用者年金制度の枠組みから脱落した(させられた)人たちが第1号被保険者の中心になっている。免除や猶予の制度があるとはいえ、生活そのものが厳しい中で、保険料支払いは大変な負担だ。

 ここで年金額を根本的に引き下げられるということは、今でも生活に不足している年金額から更に下落するということになる。こうなると、どの道将来的に年金で生活できないという諦念が蔓延することになる。これでは、年金不安を増大させるだけだ。

 せめて、国民年金の1か月あたりの単価を見直し、生活保護水準まで引き上げることが必要と思われる。納付した分が具体的に生活を支えられるということを担保することは、スウェーデンなどの例を見ても分かる通り、年金制度の信頼と納付状況の改善につながる。年金額の引き下げは欧州においてももっぱらマイナスの効果しか生んでいない。

 「働き方改革」と称して、「雇われない生き方」が持ち上げられているが、我が国の年金制度は働き方によって制度が異なる仕組みを持っている。特に労働者扱いされるかどうかは極めて重要な分岐点だが、そうした議論はほとんどなされていない。現役時代の働き方の変革が、老後はもとより障害や死亡の際にどのようなマイナス効果をもたらすか、もっと目を向けるべきであろう。

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