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2016年11月20日 (日)

奨学金という名称そのものの問題

 夏の参院選では与野党ともに給付型奨学金制度の充実を公約としていた。自民党の場合、長らく財源や「大学がすべてではない」という声が強いことから給付型奨学金制度には非常に消極的であったのが、選挙直前一転して導入を推進することになった。ただ、選挙が終わってもなお範囲や給付額については案が浮かんでは消えるという状態である。
 今なお、高等教育に価値を認めない人たちを中心に、給付型奨学金に対する反対意見は強い。奨学金が実質的には「ローン」に過ぎず、若い世代の貧困やブラック企業に就職しても容易に辞められないという問題につながっていることについても、同様に「餓死するレベルではない」とか「忍耐が足りない」として「若者の甘え」と切り捨てる意見が保守層には根強いものがある。
 私は国民全体の能力開発と、リスクを若年世代に押し付けないようにするために、早急に給付型奨学金を原則とすべきという立場だ。なお、給付型奨学金導入支持者の中には給付型奨学金を導入しないと「経済徴兵制」になると主張している者もいる。ここから「給付型奨学金を要求するのは左翼だ」という的外れな批判になるわけだが、そもそも自衛隊にしても誰でもいいというわけではない。どうしても、一定の能力や素養を持つ者から採用せざるを得ないから、人手不足の状態になっている。経済徴兵制と奨学金は、学歴社会でない我が国ではアメリカのようにはなるまい。
 さて、給付型奨学金を大々的に導入できるかどうはともかく、問題なのは「奨学金」という名称そのものにある。そもそも、世間一般で考えられている「奨学金」は「給付型奨学金」ではないか。
 現在の奨学金の本流である「有利子奨学金」は奨学金という名前を付けた単なる「貸金」「ローン」でしかない。しかも、厳しい取り立てに加えて保証人までが追い詰められる「奨学金連鎖破産」と言うべき問題も生じている。気軽に借りるのが問題という一面はあるが、そもそも「奨学金」という名称を使う事で、借金を借金でないもののように見せてしまっているという事路がある。
 つまり、「有利子奨学金」までが「奨学金」という文言を用いているのは、明らかに誤解を招いている。給付型奨学金の拡大だけでなく、「奨学金」という名称の使用を制限する必要があるのではないか。無利子奨学金はともかく、少なくとも「有利子奨学金」については、奨学金の名称を文言に使わせるべきではない。

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