« 2016年10月 | トップページ | 2016年12月 »

2016年11月

2016年11月20日 (日)

奨学金という名称そのものの問題

 夏の参院選では与野党ともに給付型奨学金制度の充実を公約としていた。自民党の場合、長らく財源や「大学がすべてではない」という声が強いことから給付型奨学金制度には非常に消極的であったのが、選挙直前一転して導入を推進することになった。ただ、選挙が終わってもなお範囲や給付額については案が浮かんでは消えるという状態である。
 今なお、高等教育に価値を認めない人たちを中心に、給付型奨学金に対する反対意見は強い。奨学金が実質的には「ローン」に過ぎず、若い世代の貧困やブラック企業に就職しても容易に辞められないという問題につながっていることについても、同様に「餓死するレベルではない」とか「忍耐が足りない」として「若者の甘え」と切り捨てる意見が保守層には根強いものがある。
 私は国民全体の能力開発と、リスクを若年世代に押し付けないようにするために、早急に給付型奨学金を原則とすべきという立場だ。なお、給付型奨学金導入支持者の中には給付型奨学金を導入しないと「経済徴兵制」になると主張している者もいる。ここから「給付型奨学金を要求するのは左翼だ」という的外れな批判になるわけだが、そもそも自衛隊にしても誰でもいいというわけではない。どうしても、一定の能力や素養を持つ者から採用せざるを得ないから、人手不足の状態になっている。経済徴兵制と奨学金は、学歴社会でない我が国ではアメリカのようにはなるまい。
 さて、給付型奨学金を大々的に導入できるかどうはともかく、問題なのは「奨学金」という名称そのものにある。そもそも、世間一般で考えられている「奨学金」は「給付型奨学金」ではないか。
 現在の奨学金の本流である「有利子奨学金」は奨学金という名前を付けた単なる「貸金」「ローン」でしかない。しかも、厳しい取り立てに加えて保証人までが追い詰められる「奨学金連鎖破産」と言うべき問題も生じている。気軽に借りるのが問題という一面はあるが、そもそも「奨学金」という名称を使う事で、借金を借金でないもののように見せてしまっているという事路がある。
 つまり、「有利子奨学金」までが「奨学金」という文言を用いているのは、明らかに誤解を招いている。給付型奨学金の拡大だけでなく、「奨学金」という名称の使用を制限する必要があるのではないか。無利子奨学金はともかく、少なくとも「有利子奨学金」については、奨学金の名称を文言に使わせるべきではない。

2016年11月 4日 (金)

日比健太郎さんを悼む

 名古屋市議会議員の日比健太郎さんが逝去された。

 急性混合性白血病という骨髄性白血病と、リンパ性白血病が両方併発する白血病を患って、臍帯血移植を受けたことは知っていたが、経過は良好という話であり、年内には退院され遠からず復帰されると思っていただけに、残念でならない。

 30代は若い。若いが、徐々に病気が増えてくる。一方で、仕事ではもはや新人ではなく、重要な仕事を任されるようになる頃だ。それだけに、病気との向き合い方を考えなければならない世代でもある。

 病気治療と言っても簡単な話ではない。一般的な労働者の場合、私傷病では「休職」という扱いになることが多く、その間の生活は健康保険法の傷病手当金で賄うことになる。ただ、社会保険が適用されている労働者でなければ傷病手当金を受けることはできない。社会保険が適用されていない事業所に雇用されている労働者はもとより、社保逃れの企業、社保に入れないように労働時間等が調整されている労働者の生活は厳しいものになる。

 休職制度は法律で決められているものではないため、制度を設けるかどうかは労使の話し合い次第(実質的には使用者の裁量)ということになる。このため、休職制度が適用されるのは正社員のみになっている企業が多く、社保とも関連して非正規労働者には特に過酷な状態になっている。

 今や癌は治療技術の向上に伴って生存率が伸びた結果、治癒はしなくとも治療を受けながら社会生活を営むことができるようになった。一方、いかに就労とのバランスを保っていくかが今まで以上に重要になっている。国もがんの就労支援に力を入れているが、これを突破口として広く慢性疾患を抱えながら働く者に対する支援制度を構築していくべきだ。

 政治家にとって自分の病気を公開するというのは重い決断である。日比さんは、自分がここで終わるとは思っていなかっただろう。一定期間仕事を休まなければならない骨髄移植ドナーの支援体制の整備など、病気を境に気が付いた様々な問題に取り組んでいくつもりで闘病そのものを学びの場と考えつつ闘病されていたに違いない。日比さん本人が一番無念であろう。

 私自身も社会保険労務士として、難病や慢性疾患に対する就労支援に取り組んでいる。引き続き取り組むことが一番の供養になると思う。それにしても本当に残念だ。

2016年11月 1日 (火)

海賊対処部隊を縮小して大丈夫か

 稲田防衛大臣はソマリア沖の海賊対処部隊を護衛艦1隻程度に縮小すると発表した。海賊の認知件数が激減していることと、北朝鮮への備えに回すためという。
 いささか、考えが甘いのではないかと危惧せざるを得ない。確かに、ソマリア沖で暴れまわる海賊は激減した。としても、海賊の根拠地そのものを徹底的に叩いたわけではない。海賊に走る土壌そのものを改善できたわけでもない。歴史的に見ても、海賊を根絶するためには海賊の根拠地を徹底的に叩いて壊滅させ、海賊に乗り出していく人々が多い地域に交易船の船員などのまっとうな雇用を与える必要がある。残念ながら、ソマリア沖ではそのどちらも十分に行われたわけではない。
 そもそも、財宝やロマンを求めて海賊になるのは映画の中だけで、現実の海賊は全うに食っていける道がなく、仕方がないので海賊になる。一方で海賊はビジネスだから、軍艦で護衛されている船団を襲って玉砕するような馬鹿な真似はしない。
 海賊を生み出す社会状況を改善できなければ、海賊予備軍は相変わらず存在するという事になる。今はあくまでも、算盤勘定で海賊行為に及ぶのが損になっているから大人しくなっているに過ぎない。船団護衛が手薄になれば、すくに海賊は息を吹き返す。ビジネスである以上、儲かるとなれば必ず戻ってくる。
 海賊対策は確かに海上自衛隊にとっても負担であった。艦艇複数を常時中東に張り付けておくのは、国内に残る部隊を含めて人員のやりくりは厳しい。しかし、それでもなお陸上部隊がアフリカで慣れない駆け付け警護を行うのと比較すれば、日本の能力を発揮した国際貢献と言ってよい。我が国は有力な海上部隊をもって貢献した方がよい。

« 2016年10月 | トップページ | 2016年12月 »