« 2015年4月12日 - 2015年4月18日 | トップページ | 2015年4月26日 - 2015年5月2日 »

2015年4月19日 - 2015年4月25日

2015年4月25日 (土)

JR福知山線脱線事故から10年

 JR福知山線脱線事故から10年の日を迎えた。あの日の事は今もよく覚えている。大阪大学のコンピューター室にいた私のところに、大学時代の友人である高橋先生から電話がかかってきた。

 「同志社大学に行く列車が大変なことになっている」

 大学にはTVはなかったが、コンピューター室にいたのでネットニュースを見ることができた。空撮写真等を見て、とんでもない事が起きていることは直ぐに分かった。

 この事件の原因は、列車停止装置の不整備や、競争によるスピードの出し過ぎ、利益上主義経営、日勤教育等の人事労務上の問題等様々な指摘がされた。どれも「決め手」には欠けているように思われるが、同時にこれらの要素が少しずつ積み重なって事故を起こしたのではないかと考えられる。

 鉄道の安全があってこそ、スピードアップや豪華列車がある。どうしても、事故から日が経つと、企業も国民も忘れていくようになり、安全よりも営利や安さを要求するようになる。航空事故が典型例だが、事故を忘れないこと、利用者として常にスピードや安さよりも安全を企業側に求めていくこと、これが一般国民にできる最大の事故対策であろう。

 改めて、事故で犠牲になられた方々に対してご冥福をお祈り申し上げたい。節目の年であるが、忘れる年になってはならない。

2015年4月24日 (金)

近隣市の市長選挙に思う

 長久手市では市議会議員選挙のみだが、周囲では瀬戸市長選挙と豊明市長選挙が行われ、候補者が乱立して激戦になっている。首長選挙はどうしても「オール与党」になりがちであり、これだけ候補者が出ているのは市民にとっても悩まざるを得まい。

 首長と議員の大きな違いは、首長は執行権を持っていると言う事である。議会はあくまでも立法と行政監視を行うのが仕事であり、直接予算を編制して執行することはできない。つまり、議員が「これは私がやりました!」と言っても、それはあくまで「提案」したに留まり、実際に行っているのは行政である。これに対して、首長は行政の長として自らの手で執行することができる。この違いは大きい。

 としても、首長の仕事は全て首長が決められるわけではない。法律上或いは慣習上、首長のなすべきとされている仕事は多く、裁量の範囲は実はそれほど大きくない。せいぜい、予算の5パーセントとも言われているが、この5パーセントを有効活用することにやりがいを見出せるかどうかが首長の仕事を楽しめるかどうかということだと言われている。無理をして裁量範囲を広げようとすれば、大阪市や名古屋市の例を見るまでもなく行政を混乱させることになる。

 ルーチンワークが多いこと、行政機関を「主導」する役割があることを考えると、単に若くて活きがいいとか、変人奇人ということでは務まらない。この手の人物が首長になった場合、大抵は自分の独自性を出そうとする余り、本来なすべき行政の重要業務を後回しにさせることを憚らず、行政組織を混乱させて市民生活に害を与えしてしまう。市長も「政治家」であるから、政治闘争を勝ち抜くことは必要だ。しかし、議員と異なり、行政を主導しなければならなという立場上「どんな手を使っても、政治闘争に勝てればいい」では困る。

 この点は、若くてもある程度安定性が求められるし、行政組織に対する目配りができることも重要になる。やるべきことに優先順位を付けられるか、自信を持ってそれを説明できるかという能力も必要だ。これは、法的素養云々ではなく、一種の「芸術」のようなものである。大抵は、ある程度の経験が必要だ。

 政党所属がほぼ原則になっている議員と異なり、「全市民の代表」である以上(無論、議員も本来はそうなのだが)、党人として行動するわけにはいかない。反対党の意見も聞かねばならないし、取り入れる柔軟性も必要になる。党で親分子分の関係を結んで親分の言いなりになるなどは論外だ。首長には、それだけの独立性・中立性が求められている。

 議会であれば、例えば長久手では18分の1である。有能な人物を選んでも他の議員の合意が無ければなかなか上手く行かない一方、無知無能な議員がいたとしても合議の中で阻止することは可能だ。しかし、首長特に日本の首長は、1分の1であるというだけでなく、地方自治法の制度上いくらでも独裁的に振る舞うことが可能な仕組みになっている。

 このあたりも考慮しなければならないから、首長を選ぶのは難しい。単に若いからとか、見栄えがいいとかだけでなく、政策で選ぶにしても単一争点で選ぶこともまた危険である。行政府の長たる資質と政治的な意見を両方考慮して決するのが適当ではなかろうか。

2015年4月21日 (火)

国家非常事態と人権

                  Abraham Lincoln head on shoulders photo portrait.jpg

 「選挙を取りやめたり延期したりしていたら、それだけで反乱者たちに敗れ去ったことになる。一大内戦の最中でも人民の政府は全国的選挙を行ってみせることができることを証明した」
                    1864年11月10日

                                   エイブラハム・リンカーン

 安倍総理は「緊急事態には人権を停止するのは当然」という考えのようだ。4年前の311の時には、朝野を問わず「非常事態には意見を言うな」という風潮が広まったものだ。ともすれば、非常事態と人権停止という考えに行きつくのはそう不思議ではない。

 しかし、歴史的に見れば「非常時の人権停止」は結局は国家国民にとってマイナスとなるばかりでなく、戦争遂行に決して有利とは言えない状況を作り出すことになった。また、緊急事態の人権停止規定を悪用する例は珍しくない。

 第二次世界大戦中総動員体制が取られたのは枢軸国も連合国も同じであったが、報道統制や言論統制が厳しかった枢軸国側に比べて、連合国側では相応の自由が認められていた。政府や軍にとって不利な情報が報道されたばかりでなく、総動員体制下にありながら労働者のストライキすら行われていた。

 この戦時下のストライキについて、ストライキを主導した労働組合幹部は「戦争はあくまでも一時的な物。労働者の権利は長年の戦いの末に勝ち取られたものだ」と主張し、ストライキが処罰の対象にならなかったばかりか、賃上げすら実現されている。

 報道統制について興味深いのは、フォークランド紛争におけるイギリスとアルゼンチンの差異である。イギリスは報道統制を行わなかったため、イギリスに不利な情報もマスコミが報道した。その中には、「アルゼンチン軍の投下する爆弾は、投下高度が低すぎるため安全装置が解除される前に着弾してしまう」という、アルゼンチン軍が察知すれば改善が行われ、イギリス軍の被害が拡大しかねないものすら含まれていた。

 これに対して、アルゼンチンは積極的に政府主導で「大本営発表」を行った。その中には「イギリス空母にミサイルを命中させた」と写真付きで発表したが、フォークランド紛争を通してイギリス空母にミサイルが命中した事実はなく、写真はすぐに「偽造」と見破られるレベルの物で、イギリス軍の報道官から「もう少し偽造の技術を勉強したらどうか」と皮肉られる始末であった。

 この結果、イギリスでは「不利な情報も正確に国民に伝えられている」ことになり、国民の政府に対する信頼が高まって戦争遂行に有利になった。フォークランド諸島はイギリスにとって地球の裏側にある孤島であり、莫大な戦費と血を流して確保するには小さく、国民が戦争に反対すればいくら強気のサッチャー政権でも戦争継続は難しかったに違いない。これに対して、アルゼンチンは当時軍事政権下であったこともあって言論統制が行われており、加えてニセ情報を流していたのだから、当然国民は政府に不信感を持つ。敗戦後に軍事政権のトップが失脚する時代になったのは、ある意味当然の事と言える。

 日露戦争当時の日本でも、政府や軍に不利な情報がかなり報道されていた。船舶護衛に失敗して輸送船が撃沈され、多くの陸軍将兵が戦死した「常陸丸事件」などは典型的な例で、激高した国民が船舶護衛の責任者であった第二艦隊司令長官の上村中将の自宅に投石する事態まで起きている。旅順での不利な戦況も報道されていた。しかし、そうしたことで国民が危機意識を持ったことで団結できたのは確かだ。また、政府も犠牲者が出れば手段を再検討せざるを得なかった。このあたりは、報道が統制され、政府や軍の失敗で膨大な犠牲者が出ても国民から非難されず、同じ失敗を繰り返して破滅へと突き進んだ第二次世界大戦とは全く異なる流れとなった。

 一方のロシア帝国では報道が統制され、国民にまともに戦況が伝えられていなかったため、日本海海戦や奉天会戦の大敗を隠しきれなくなって発表に追い込まれた結果、政府と皇帝に対する信頼は失墜した。ロシア革命の遠因となったことは否定できない。

 人権、とりわけ報道の自由や知る権利は、非常事態になれば真っ先に権力者としては「停止させたい」権利であろう。しかし、歴史は停止させるよりも尊重した方が、最終的には国民の団結につながり、危機を乗り切ることができることを証明しているとは言えないか。

 緊急事態が延々と続くというのも問題だ。この問題の好例は台湾で、国共内戦末期から冷戦終結直前までずっと戒厳令下にあった。戒厳令末期にはかなり報道の自由も認められるようになり、美麗島事件では「軍事裁判が公開され、メディアを通じて被告人の政治主張が報道される」という、本当に国民党政府が隠したかったのか怪しいような事にもなっている。しかし、戒厳令下の台湾では多くの人々が秘密裁判すら受けられずに処刑されたり、投獄される事態が長く続いた。

 総統を選出する国民大会も、立法機関である立法院も、非常事態を理由として改選されず(中国大陸が共産党に占領されてしまい選挙が執行できなくなったということもあるが)、「万年国会」「万年議員」で占められるようになったことは良く知られている。

 南北戦争下にあった1864年のアメリカ大統領選挙は執行が危ぶまれた。戦況が不利の為、リンカーン大統領の再選すら危ぶまれていた。しかし、リンカーンは選挙を執行するだけでなく、戦場にいる兵士たちが投票できるよう手配している。最終的には戦況の好転もあってリンカーンは選挙に圧勝し、南北戦争で北部が掲げてきた「民主主義」が価値あるものであることを証明した。

 安倍総理の理屈では、それこそ「私が緊急事態だと思うから緊急事態」という宣言をして、万年非常事態を続ければやりたい放題ができる余地がある。国民が非常事態の解除を求めようにも、人権が停止されていては事実関係は国民に伝えられず、判断することができない。

 国家非常事態が起きることに備えておくことは大切だ。それは、軍備や動員、集団的自衛権の行使を容認するかどうかの検討も必要である。しかし、「人権停止」を当然のこととしてしまえば、それこそ亡国への道である。

2015年4月19日 (日)

大阪府ニセ教員事件に思う

 大阪府で15年に渡り「ニセ教員」として勤務していた教員が、教員免許を取得していなかったことが発覚したため「失職」という扱いになった。これはなかなか興味深い事例だ。
 この「ニセ教員」だが、教員免許無しでも他の教員以上の働きぶりを示し、周囲の評判も良かったと言う。このことから、教員免許の取得と実際の教育実務遂行能力との間に相関関係が本当にあるのか疑念を感ぜざるを得ない。

 しかも、この人物は教員免許は取得していなかったが、教員採用試験には合格している。少なくとも、教員採用試験に合格するだけの教育者としての素養はあったということだろう。

 教員免許を取得しても教員採用試験に合格しなければ教壇に立つことはできない。教員採用試験に合格できず、非正規労働者としての教員を続けながら老いていく人は珍しくない。この二段階方式は逆に二度手間であるのではないか。能力担保は教員採用試験に合格したことで十分と考えることはできないか。

 独立して開業可能な医師免許とは異なり、教員免許は原則的に「採用」されなければ役に立たない。そして、教員免許過程を履修することは、大学生達にとってかなりの負担になっている。現在の大学生は経済的に厳しい。日本の奨学金は実質的にはローンであり、返済が必要となる。かつてのように、「大学生活を謳歌する」ことが難しくなりつつあるというのが実情だ。それならば、大学生に少しでも「負担軽減」策を講じることも必要ではなかろうか。

« 2015年4月12日 - 2015年4月18日 | トップページ | 2015年4月26日 - 2015年5月2日 »