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2015年3月15日 - 2015年3月21日

2015年3月20日 (金)

G大学L大学

 大学を一部をG大学とそれ以外のL大学に分け、L大学では例えば経済学部ではケインズやマルクスではなくエクセルを学ばせるという計画が話題になっている。「即戦力」を求める経済界に対する安倍政権の回答だろう。

 大学教育の価値は卒業直後ではなく、相応の地位や部下を持つようになった時に必要になる。大学は専門学校ではないのだから、「大学卒が使えない」というのはある意味当たり前の事だ。

 会計ソフトや機械の使い方は「即戦力」にならないことはないだろうが(実際には、仕事は組織によっても異なるので、実務能力を高める教育を受けたからと言ってただちにその組織で使い物になるとは限らないのだが)、一方で大学でトレーニングすべき思考力や判断力は磨かれないことになる。即ち、卒業後短期間で使い物にならない人材になることは目に見えている。使い物にならなくなって企業から放逐されたら、そこでまた自分の資金と時間を使って能力開発をしろということなのだろうが、果たして現在の労働者にそこまでの体力があるかと言われると怪しい。

 また、エクセルを教えるという事になれば、大学教員も「研究者」でなくても良いという事になる。最近は大学高校の非常勤講師を派遣する会社も増えてきており、そうした人材ビジネス業者が派遣してくる「インストラクター」の方が適任であろう。しかし、大学教員は大学と言う研究の場があってこそ、研究ができる。L大学になってしまえば、多くの研究者からポストが取り上げられることは必至だ。

 田舎の地方大学、学生のレベルが低いと嘆きながらも優れた研究を学会に発表している研究者は少なくない。研究の場が取り上げられてしまえば、我が国の知的レベルが落ちていくことは避けられない。

 G大学L大学の構想は、使い物にならない大学卒を量産し、大学の研究の質を低下させるだけの結果になるのではないか。

2015年3月15日 (日)

旧国鉄生産性運動に思う

 かつて、国労や動労が生産性運動に反対した理由は「生産性が向上すれば、余剰人員が解雇される」というものだった。「生産性運動」を推進した国鉄当局側も生産性運動を持ち出してきた生産性本部も「余剰人員は配置転換により救済する」ことを表明しており、実際に高度成長期の日本企業は生産性向上に伴う余剰人員を配置転換することで事業拡大してきた経緯もあり、この時点では動労国労の生産性向上に対する批判は的外れであったと言える。

 ところが、21世紀になってみると、そもそも使用者側が配置転換の責任を正規雇用に比べて左程負わなくても済む非正規労働者が多用されるようになった。また、企業が事業の拡大よりも株主価値の上昇や時価総額と言った方向の経営に拘るようになってきた。こうした現状は、非正規労働者の側からすれば、生産性を向上させても配置転換ではなく契約終了による人員削減を引き起こすリスクが高まるだけということになる。実際、職場の生産性が向上した結果余剰人員として契約終了を申し渡された非正規労働者の例は非常に多い(非正規労働者側は努力すれば正規雇用になれると思って生産性向上に協力していたというものも多く、これはもう皮肉としか言いようがない)。

 安倍政権は「日本の企業は生産性が低い」と言い張っているが、「生産性運動」で主張された「労使協調、雇用の維持」という観点は政府自民党や大企業からは根本的に欠落している。これでは、生産性向上際して労働者特に非正規労働者の積極的な協力協働を得るのは難しくなったと言えるのではないか。

 企業が人的資源を「負債」とすら見るようになっているこのご時世、皮肉な話だがかつての国労動労と言った「極左過激組合」の主張していたことが「はからずも当てはまるようになってしまった」と感じているのは私だけだろうか。

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