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2015年5月

2015年5月27日 (水)

不適切な行動をとる「ブラック社労士」対策は急務である

 「ブラック士業」という言葉がある。従前は、士業の事務所が徒弟的・封建的で給料も安いことから士業関係者が自嘲気味に言っていたものだが、今は「ブラック企業の手先となる社会保険労務士や弁護士」を指して使われることが多くなった。特に弁護士は別格で「士業」とは一線を画して扱われることも多いので、そうなると「ブラック士業=社会保険労務士」となる。

 確かに、ブラック企業の「手先」となってでたらめな話を労働者にして「あなたには権利は無い」などと言っている者もいないわけではない。弁護士の中には労働弁護団に所属して労働者側に立つ者も多いので、ユニオンの関係者などはもっぱら社会保険労務士を目の敵にしている。しかし、よくよく話を聞いてみると、必ずしも本物の「社会保険労務士」ではないのではないかと疑わしくなるケースが珍しくない。

 例えば、会社側の社会保険労務士から離職票が届いたとの話があったが、その封筒は「会計事務所」のものであった。税理士事務所と合同で開業している社会保険労務士は少なくないが、その場合であっても事務所の区分は税理士と一緒というわけにはいかないので、別に社会保険労務士の事務所を名乗ることが普通である。

 恐らくは、税理士事務所の事務員が勤務社会保険労務士として登録しているのだろう。しかし、勤務社会保険労務士は開業社会保険労務士と異なり、取り扱いができるのは自己の勤務先の手続きに限られる。つまり、税理士事務所に所属して税理士事務所の顧客である企業の社会保険手続きを行ったり、顧客企業の担当者と一緒になって労働者に退職勧奨など行っていれば、社会保険労務士法違反となる。

 そもそも、開業社会保険労務士が幅広い業務を行うことを許されているのは、専門職として独立が保障されているからである。これは税理士や司法書士、弁護士も同じだ。税理士事務所に勤務している勤務社会保険労務士にとって、ボスは税理士となるから、こうなると独立が保障されているとは言い難い。職務範囲が自分の事業所の範囲内のものに限定されるのは、当然であろう。

 こうした社会保険労務士の非違行為については各都道府県社会保険労務士会に設置されている監察綱紀委員会が対応することになるが、専ら開業社会保険労務士が助成金を不正に請求するのに加担したり、社会保険料の申告を誤魔化したという話が中心であり、何故か「勤務社会保険労務士の非違行為」の申し立てはほとんどないようである。被害者である労働者やユニオンに、そもそもこうした「税理士事務所に勤務する勤務社会保険労務士」の行動が違法だという知識が乏しく、そこで単に「社会保険労務士が悪い」ということになっているようだ。

 もっと問題なのは、「ニセ社会保険労務士」の存在である。社会保険労務士は登録しなければ名乗る資格すらないのだが、企業によっては試験に合格しただけで企業内で「社会保険労務士としての資格手当」を支給したり、組織表で「社会保険労務士」と表記したりすることがある。

 このうち、資格手当の支給については道義的にはともかくとして法律上は処罰する規定がないので法的責任を問うことは難しいが、後者は明らかに違法となる。こうした「ニセ社会保険労務士」が企業側の代表者である「社会保険労務士」を名乗って登場し、無責任な発言をして労働者を叩くと、これまた「社会保険労務士が悪い」ということになる。

 従来、監察綱紀委員会は社会保険労務士会内部にばかり目を向けていた。しかし、「社会保険労務士」を名乗って行われる非違行為が多いことに鑑みれば、今後はそちらにもアンテナを張っていくべきであろう。例えば「資格手当」の問題については違法行為を指摘することはできないものの、法の精神を没却するものとして抗議することは可能である。

 ただし、監察綱紀委員会にも限界がある。弁護士会が独自に懲戒処分を行うことができるのに対して、社会保険労務士の懲戒権を持っているのは厚生労働大臣である。監察綱紀委員会が行うことができるのは、現実には「社会保険労務士会会員としての処分」でしかない。会員資格を停止されれば、開業社会保険労務士なら「悪評」となるし、社会保険労務士会の役員からも外れることになるから仲間内での信頼も失われることになり、資格剥奪や停止にならなくても影響は大きい。しかし、勤務社会保険労務士ならば会員資格が停止されたところで「会社の名前で業務を行う」ことができる以上大した痛手にはならないし、「ニセ社会保険労務士」ともなれば、監察綱紀委員会は何の処分も出来ない。

 今後は、監察綱紀委員会の機能を拡充し、非違行為を積極的に調査するとともに、「ニセ社会保険労務士」に対しては抗議や告発も含めて厳正に対処していくべきであろう。また、「身内の処分」と言われないためにも、現実の処分は有識者も含めた「懲戒委員会」のようなものを作ってそちらに委ね、監察綱紀委員会は「検察官役」に徹するべきではなかろうか。

2015年5月25日 (月)

日本版マイスター制度にほとんど意味は無い

 自民党が、ドイツに習って「日本版マイスター制度」を創設する検討をはじめた。十数年前にも同じような議論があったが、どうも「熟練労働者不足」になるとこうした話が出てくるようである。しかし、日本でこのような制度を作ったとしてもほとんど意味をなさないと考える。

 日本では「マイスター制度」は熟練労働者を優遇する制度であると肯定的な評価をされることが多いが、これは裏を返せば「マイスター」の資格がなければ優遇されないということである。マイスター資格を取得できるのはドイツでも若年に限られているので、この時期にマイスター資格取得に失敗すれば、その後どんなに努力したとしても「非熟練工」の枠から抜け出すことができない。実際、マイスターよりも熟練した「非熟練工」の不満が問題になっている。

 そもそも、日本では伝統的に大卒高卒の区分すら諸外国と異なり絶対的な壁ではなかった。以前より減っているとは言え、高卒中卒の取締役や社長は珍しくない。しかし、マイスター制度をはじめとするヨーロッパの考え方は、学歴や資格で厳然たる差を設け、その職業に就いている限り逆転不可能とするものである。

 これは、日本でも大工や寿司職人等伝統的な職人の世界で「親方」と「徒弟」の関係を見れば分かる。親方が黒と言えば白い物でも黒になるし、親方がうんと言わなければ一人前としては扱われない。戦後の日本の労務管理は、こうした不合理で封建的な徒弟制度を「否定」してきた面がある。

 「親方」と「徒弟」の差異は絶対的なものがある。だからこそ、苦労してマイスター資格を取ろうとするわけだが、日本でどのようにして「資格の有無で待遇に逆転不能な格差」を設けるのか。「最低賃金法」ではなく、無資格者にこれ以上の賃金を支払ってはならないという「賃金上限法」でも作るつもりか。賃金や処遇で非マイスターと決定的な差異が生じるように制度設計しなければ、苦労してマイスター資格を取ろうとは思うまい。

 また、そもそも論としてマイスターが必ずしも熟練が必要な職務に従事しているとは限らない。指揮下の労働者がきちんと出勤するか、朝に頭数を数えるのがマイスターの最も重要な仕事だという話もある。

 ドイツでもマイスター制度について矛盾が指摘されており、ドイツの製造業ひとつ見ても必ずしも品質向上に貢献しているとは言い難い。また、日本ではこうした制度の土台となる「学歴差別」「資格差別」がほとんど存在しない。

 マイスター制度導入の利点がもしあるとすれば、「正規労働者と非正規労働者の格差の固定化」の道具にすることだろう。言うまでもなく、マイスター制度では若いうちにしかるべきマイスターの下で長期間働いて実務経験を積み、熟練労働者にならなければマイスターになることができない。つまり、入り口の段階で「派遣」をはしめとする「非正規」労働者は、実務経験を積むことができないことになる。ここでマイスター資格を持つ正規労働者と、持たない非正規労働者という区分けができる。となれば、その後は簡単だ。マイスターだから高い処遇、非マイスターだから低い処遇で何が悪いと言い張れる。「マイスターを取得できなかったのは自己責任」という論法も成り立つ。

2015年5月23日 (土)

社会保険労務士会の業務執行をめぐる問題

 「出世するにあたり、上司の評価が高い方が有利か、それとも同僚や部下の評価が高い方が有利か」

 と問われれば、9割のサラリーマンは上司の評価が高い方が有利だと答えるだろうし、実際にそうである。世間では「いかにして上司から良い評価をもらうか」というビジネス本が売れており、ゴマスリも含めて処世術が事細かに書かれていたりする。

 しかし、県社会保険労務士会の事情は全く異なる。取締役に相当する理事は、原則的に各支部から選出されることになっており、いくら県社会保険労務士会で有為な人材と評価されていても、支部で理事候補に選ばれなければ理事になることはできない。当然、代表取締役にあたる会長が、自分の好きな人間だけで理事を固めることも不可能である。

 この理事の中から数名の副会長が会長によって指名され「執行部」を構成する。しかし、理事の任免を会長が左右できるわけではないので、副会長の適材が常に理事になっているとは限らない。

 更に難しいのは業務執行だ。普通の会社であれば、部長や工場長は取締役である必要はない。むしろそこそこの規模の企業であれば、取締役でないのが普通であろう。しかし、社会保険労務士会の場合、現状では部長・副部長や委員長・副委員長は原則的に理事から選任しなければならない。必然的に適材が重複したり、適材がいないという事態が起きる。

 また、会長選挙終了後、ただちに新たな役員が業務を開始することになるが、いわゆる「組閣」の時間がほとんどない。この点、東京都社会保険労務士会は新任役員の任期が始まるかなり前の3月に会長選挙を行っているそうだから、この点は愛知県社会保険労務士会も参考にするべきであろう(ただし、「政権交代」が起きる場合は現職会長がレームダック状態になることが考えられるが)。

 「企業組織」に対して助言を行うべき社会保険労務士が、自分たちの自治組織についてはあまり効率的ともいえない状態になっているのは皮肉である。

 もっとも、社会保険労務士会は会長が総会で選出されるようになり、組織改革は過渡期である。今後は、例えば会長と筆頭副会長をセットで立候補させるとか、業務執行を担う人材を理事以外からも選任できるようにするなどが考えられる。引き続き組織改革を行っていくことが必要であろう。

2015年5月19日 (火)

KDDIの日用品販売事業に思う

 KDDIが携帯ショップで八百屋まがいのことを始めるようだ。携帯電話販売だけでは利益が増えないので、日用品も販売すると言う。これは「コンビニ」における問題と同様の問題を引き起こすだろう。
 消費者としては、携帯ショップでわざわざ買い物をしなければならない必要性は何処にもない。携帯ショップがあるようなところであれば、近くにスーパーもコンビニもあるだろう。品数やサービスなどでは、携帯ショップが対抗できるわけもない。
 しかし、このような場合には往々に「売れないのはショップが悪い」ということになりがちだ。コンビニ業界と同じく、加盟店が多いとなれば尚更だ。本部はいくらでも理不尽な指示が出せるし、その責任を現場に押し付けることができる。
 加えて、コンビニではアルバイトの「自爆」や、オーナーが不可能な目標を従業員に押し付けることが問題になっている。
 ここで注目しなければならないのは、携帯ショップの店員のかなりの数が立場の弱い「派遣」で占められているという事である。つまり、直接雇用ではない分だけ、コンビニ店員よりも立場が弱い。派遣契約更新のため、彼女らが「自爆」を強いられるようになる可能性が高いのではないか。派遣会社も、大企業であるKDDIと喧嘩する度胸のあるようなところはほとんどないだろう。むしろ、「自爆」を自社の派遣労働者に勧めたり、営業社員が率先して自爆するなどということは容易に想定される。
 通信業者は単なる私企業ではなく、電波割当等をめぐって国から優遇措置を受けている特別な企業である。これは通信の重要性故だが、ここが悪事を働くことになれば、国としてもしかるべき対応をすべきだろう。

2015年5月15日 (金)

愛知県社会保険労務士会会長選挙に思う

 今年は愛知県社会保険労務士会にとって役員改選の年である。各支部の支部会が終わり、いよいよ会長選挙が迫ってきた。会長選挙の選挙権は各支部から選出される総会代議員と、新任の理事に与えられている。昨日、その案内が私の手元にも届いた。

 愛知会は会員数も多く、その会長は中部地方はもとより全国社会保険労務士会連合会においてもリーダーとなる責務を負っている。どうしても社会保険労務士は他士業に比べると独自の情報発信が少ないように思われるので、新会長には愛知会のみならず連合会をリードしていただきたいと思う。

 私がとりわけ情けないと感じているのは、現在問題になっている労働者派遣法の改正、労働基準法改正の問題について、社会保険労務士会として制度設計にほとんど関与できていないということだ。

 いずれの法改正も「働き方」に大きな影響を生ずることは必至である。経済界は労働規制の緩和を、労働界は規制緩和におおむね反対している。そして、双方が相手を非難するとともに、自分たちの言い分を通せばバラ色になると言い続けている。では、「事業の健全な発達と労働者の福祉」をともに考えなければならない社会保険労務士としては、どう考えるのか。政策的な提言が重要になるのは言うまでもない。

 しかし、残念ながらこの数箇月の社会保険労務士業界の状況は、派遣法改正ひとつをとっても「派遣会社のリスク回避」などの話ばかりが話題になっている。単に「法的に逃げる」ことを考えて指導するなら、残念ながら社会保険労務士よりも弁護士の方がブランド力があるのだから、法的リスクな話ばかりに目を向けてしまえば、その時点で業界として負けていると言わざるを得ない。

 愛知県社会保険労務士会には「法務・業務改革委員会」という政策について検討する委員会が置かれており、必要に応じて連合会に意見具申するとされているが、調べたところそのような実績はないという。「意見を連合会に具申する」という委員会の目的から考えると、社労士会の日常業務や新分野への開拓を行っている業務・企画・勤務等・労働条件審査の各委員会との情報交換・一体的な活動が必要ではないだろうか。私は法務・業務改革委員会の副委員長・委員を、これらの部会・委員会の副部長・副委員長に兼任させるなどして、議論にさんかさせるべきだと考える。

 我々は学者でもなく、官僚でもなく、政治家でもない。実務家である。実務レベルで入ってくる情報を検討し、政策立案ができるだけの土台はある。しかし、従来の社労士会がそれをしてきたのかというと、そうではない。政策的な話が「遠い世界の事」というのは、社会一般について言える事ではある。しかし、自分たちの専門分野について十分な発信ができていないということになると、やはり問題だ。

2015年5月 8日 (金)

若年性認知症と労働

 若年認知症を発症した場合、8割が職を失うと言う。だが、従前の労働条件を維持せよと要求するのは使用者側にとってあまりにも酷だし、企業の規模によっては配置転換先がないということもある(特に中小企業ではその傾向が強いだろう)。また、認知症の場合はどこまで重要な仕事を任せて良いか、使用者側として判断が付きかねる。
 配慮することを口実として労働者に「認知症の診断書を出せ」と強制もし難い。一方で、若年性認知症の労働者を使用した場合、認知症を原因とする損失を労働者に賠償させることができるわけではないので、これも使用者側のリスクになる。それもまた雇用を継続する恐怖心につながっている。
 雇用に対して補助金を支給する、或いは使用者側の負担すべき社会保険料を軽減する、障害年金と併せて生計を維持できるようにするというのが現実的な手であろう。少なくとも「社会とのかかわり」を失わせないことは、単に生活の糧を得るというだけでなく、認知症の症状を食い止めることにつながる。

2015年5月 2日 (土)

航空自衛隊新型戦闘機F-3

 現在、日本では純国産戦闘機の開発が進められている。と言っても、あくまで「実験機」を作るという話である。ところが、これを「F-3」戦闘機として実用化しようとの話が出てきているようだ。
 第一線級の戦闘機を自国開発できる国は世界でも五指に満たない。日本が開発できると言う事は素晴らしいことだ。日本の技術力は高い。多少の困難はあるだろうが、世界でも最強クラスの戦闘機を作り上げることができるだろう。
 問題は、生産コストと維持費である。F-2戦闘機は一機150億円で、性能にかなりの差があるとは言えベースになったF-16が1990年代に30億から40億で調達できたことを考えるとかなり割高だ。もともと航空自衛隊の戦闘機は周辺諸国の配備数と比較すると数は少ない方であり、戦闘機を増やしてもパイロットの増員という問題が出てくる。
 海外に売ろうにも高性能機を買える国は先進国の中でもかなり限られている。ステルス機は電子機器に加えてコーティング剤などのメインテナンス費用も高くなる。そして、無理をして生産・配備すれば他の装備調達に悪影響を及ぼしかねない。
 無論、戦闘機を自国開発できる能力があると証明することは、武器輸入の際に有利になる。市場を失わないようにとの配慮から、高性能の戦闘機を売ってもらえる可能性が出てくる。
 例えば、台湾は1980年代にF-16をアメリカから輸入しようとしたが、対中関係を重く見たアメリカは、F-16のスペックダウン型か、旧式のF-5戦闘機を再設計したF-20を提示し、これに怒った台湾は自国開発に着手した。これが「経国号戦闘機」で、電子機器はともかくエンジンは民生品を活用したので能力的には大したことはなかったが、台湾が戦闘機開発能力を示したことでアメリカは通常タイプのF-16の輸出を認めるに至っている。
 日本の場合、自国開発できる能力を示すことでアメリカからより高性能な戦闘機を導入できる可能性が生じるのみならず、アメリカの生産に下請として参入する道も開かれてくる。おそらく、このような目算もあるのだろう。
 いずれにせよ、戦闘機は高い買い物である。注目していく必要があるだろう。

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