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2014年1月12日 - 2014年1月18日

2014年1月17日 (金)

小野田元少尉逝く

 戦後もフィリピンの山中で29年に渡ってゲリラ戦を続いていた小野田元少尉が亡くなった。復員後もブラジルに渡ったり自然塾を開いたりと活躍され、「戦い抜いた」人生であったと言えよう。

 小野田元少尉は戦前の中国勤務の経験もあり、英語も堪能だった。当時の日本人には珍しい「国際的なセンスを持った人物」だったと言える。それが限られた情報を分析して独自に戦いを続ける基礎的な能力となり、これが結果的に29年も戦い続けることになってしまったように思われる。だが、そのセンスは復員後も健在で、ブラジルの農場経営で成功しただけでなく、広く社会活動を行うことにもつながったのだから、小野田元少尉は一貫した人生を歩めたと言えるのではなかろうか。

 戦後の日本に対する問題意識を晩年まで持ち続けておられたが、同時に所謂「右翼」とは一線を画した存在だったような気がする。ご冥福をお祈り申し上げたい。

2014年1月15日 (水)

シャロン元首相の死去に思う

 イスラエルのアリエル・シャロン元首相が死去した。2006年1月以来意識不明の状態であり、8年間の闘病の苦しみは察するに余りある。

 シャロン元首相はイスラエルと言う国家そのものを体現した人物であった。イスラエル建国前にキブツと呼ばれる農業共同体に生まれ育ち、若くして独立革命に身を投じた。ゲリラやテロリストは今やイスラム教徒がイメージされるが、イスラエルが建国された頃は残虐無慈悲なテロリストとはユダヤ人のシオニストのことであった。シャロン元首相もこの闘争の経歴を持っている。

 建国後は軍人の道を歩んだ。イスラエルではアメリカ以上に政治家には軍歴が重視されており、シモン・ペレス大統領が首相・大統領選挙で度々敗れ続けたのも建国直後に29歳の若さで国防省副長官、30歳で国防大臣となりイスラエル軍強化に大きな役割を果たしたとは言っても軍政家であって軍人として活躍した経歴が皆無であったことが指摘されている。ペレス大統領とは逆にシャロン元首相は赫々たる武勲を挙げた英雄であり、この経歴が終生政治家としての求心力の源であったことは確かである。

 一貫してパレスチナに対する強硬姿勢で知られ、パレスチナ人の土地に片っ端からユダヤ人を入植させたり、虐殺事件を起こしたという疑惑もあり、今回のシャロン元首相の死はアラブ諸国では総じて歓迎されているようである(もっとも、既に政界引退して久しく、意識不明になっていたからマスコミなどを通じての求心力も無かったのだが)。

 その恰幅の良さと経歴から強硬派のイメージで語られることが多いが、一方では歴代政権でパレスチナ国家の存在を容認し、ユダヤ人入植地を撤退させたこともある。倒れる直前には右派のリクードを離党して中道政党であるカディマを旗揚げした。カディマという単語はイスラエル国歌の中でも特に印象深い単語として使われており、「前進」を意味する。結党直後に意識不明になってしまったので、シャロン元首相が何をやろうとしていたのか、その意図は永遠に謎のままになってしまった。

 かつてイツハク・ラビン元首相は、シャロン元首相と同じく軍人として参謀総長や国防相をつとめ、パレスチナに対する強硬派として知られていた。しかし、あまりに多くの死者を出してきたことに気が付いて和平を模索するようになり、アラファト議長との歴史的な合意を経てノーベル平和賞を受賞するに至ったことはよく知られている。あくまでも想像だが、シャロン元首相は強硬派であると同時に柔軟性も持っており、パレスチナ政府を認めたのも「落としどころ」を探って和平につなげたいという意図があったのではないか。だからこそ、強硬派の集団であるリクードでは仕事ができないと離党した。首相就任時高齢であったこともあり、自分の在任中に一段落させたいと考えていたように思われてならない。

 イスラエル建国世代の政治家としてはペレス大統領が御年90歳で健在であるが、遠からず現役を退くことになるだろう。イスラエルの大統領は象徴的存在であり実権は首相にある。シャロン元首相は建国世代としては最後の首相になったと言える。

2014年1月13日 (月)

普天間基地の返還を最優先せよ

 普天間基地の辺野古移設がいよいよ本決まりとなったが、沖縄では仲井間知事の不信任の声が高まるなど、批判の声が高まっている。国外の有識者も普天間基地の無条件返還を要求する声明を出すなど、日米両政府は完全に「悪者」扱いだ。

 しかし、残念ながら辺野古移設以外に普天間基地の返還を勝ち取る具体的な手段は何もない。「血を流して奪った土地は返さない」というのが国際社会の常識のようなものであることは残念ながら事実であり、アメリカが血を流して奪った沖縄を「返還」したこと自体が当時としては異例中の異例であった。アメリカが「自国の戦略に支障を来さない範囲での返還」を志向し、日本政府も受け入れざるを得なかったことも、あの状況下では当然であったと言わざるを得ない。もし、あの当時日本政府が基地含めた返還を求めていたら、今なお沖縄はアメリカの統治下にあったことだろう。

 「基地があるから戦争になる」というのは詭弁でしかない。米軍基地が無ければ、沖縄は中国の覇権下にとっくに組み込まれていただろう。台湾が未だに独立を保てているのは、島全体が軍事要塞と言うべき高密度の防衛能力を備えているからに他ならない。普天間返還に関しては、沖縄の防衛・戦略能力を実質的に低下させないという条件がつくのは、当然の事であろう。

 まず優先すべきは普天間基地の返還だ。普天間基地は住宅地のど真ん中に置かれている。後から住宅地が密集するようにできたとは言え、それをもって基地の騒音や危険性を甘受せよと住民に要求するのは酷である。しかし、アメリカは基地機能そのものを沖縄から撤去するつもりはない。移設とセットになるのは蓋し当然の事であった。その移設合意を日本側が履行しない。これでは「合意は守られるべし」という国際法の大原則から、普天間の返還が遅れていることで日本はアメリカを責めることはできないのである。

 沖縄の基地問題は日本のみならず東アジア全体の安全保障に密接した問題であり、日米間だけで合意すれば済むというものでもない。フィリピンや韓国や台湾など沖縄の米軍基地の必要性を認めている国も少なくない。この状態で、空想的平和主義に基づいて無条件返還を要求するのは自分たちだけでなく隣人の安全も危険に晒す愚かな行為である。また、アメリカとしても普天間の無条件返還など受け入れる気は毛頭ない。

 日本政府はできることからはじめるべきであり、そのための辺野古移設である。普天間基地の除去を最優先に考えれば、この選択は間違っていない。安倍総理の決断を支持したい。

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