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2014年3月30日 - 2014年4月5日

2014年4月 5日 (土)

消費税増税

 四月一日から消費税が増税された。消費税導入時や5パーセントへの増税時ほどの騒ぎにはならなかったものの、消費の落ち込みが心配されるところである。社会保険料も増加となるが、その見返りとなる給付は総じて抑制の方針が打ち出されているから、国民の不満は鬱積しているというのが実情である。「賃上げ」にしても、現実には一部の大企業の幹部社員を除けばその恩恵には与れず、多くは賃上げ無しであり、非正規労働者としては良くて現状維持ということころだ。

 国民の不満は鬱積していても、それは表沙汰にはあまりなることはない。何を言っても駄目だろうという諦念が支配しているように感じられる。時として爆発するが、それは専ら下級公務員や窓口に対するクレームであって、体制を揺るがすような動きにはなりそうもない。

2014年4月 1日 (火)

都市と農村の共生に向けて

 今日は吉田市長のお誕生日である。おめでとうございます。

 4月1日は世の中では「エイプリル・フール」であるが、法律の世界ではなかなか興味深い日である。「年齢計算に関する法律」によって、日本では誕生日の前日に年を取るという制度になっているため、4月1日生まれの人は3月31日に年を取る。この関係で、4月1日生まれの人は3月31日に学齢に達するため、前の学年に組み込まれるというわけである。

 さて、吉田市長と言えば「都市と農村の共生」を掲げている人である。ここ三十年余の間に急速に都市化した長久手だが、それまでは「田舎」であった。かつては、今は寂れた感が拭えない瀬戸は陶磁器で我が世の春を謳歌しており、長久手に嫁に行くと聞くと気の毒がられたそうである。  最近、吉田市長と倉本氏が話し合ったという記事が中日新聞に掲載されていた。倉本氏は「懲農制」を吉田市長に勧めていたが、この制度は農業の現状を無視した単なる「軟弱な若者を強制労働させて鍛えよう」というもので、要するに中国で文化大革命の時に知識青年を「下放」したのと本質的には同じ発想に基づく。都市と農村の共生が目的である以上、このような制度の導入は感心しない。

 そもそも、かつての農村社会は決して豊かでもなければ文化的に優れていたわけでもない。作家の塩野七生氏は「文化は都市からしか生まれない」と述べているが、それが歴史の教えるところだ。何より、かつての日本の農村社会は貧しく、「娘を売る」というのは当たり前に見られたものだったし、「次男三男が食っていけないから兵隊になる」ことは今なお自衛隊への入隊と言う形で見られる話である。  先祖代々長久手に住み、長久手の原住民である私にしても受けてきた教育からしても生活様式や思考は完全に都市住民のそれである。そうなると、「農」とは何かと言うことになるのだが、それはノスタルジックであり故郷や先祖との「繋がり」を実感するものでしかない。

 ここで注目したいのは、古代ローマ市民の生き方だ。古代ローマは地中海世界を長年に渡って支配し、法律をはじめとする古代ローマの文化は今なお我々に大きな影響を与えている。この古代ローマは明らかに都市文明であり、高層建築に住み(もっとも、当時は高層階の方が家賃が安かった)、二十四時間営業の居酒屋が普通であるなど、電気がないことを除けばその生活は現代人を見ているようだ。

 しかし、このローマ人が本質的には「農民」であったことはあまり知られていない。都市に住むローマ市民の多くは、ローマ近郊に農地と別荘を持っているのが当たり前であり、時々出かけては農業を行っていた。オリーブやワイン、チーズなどはささやかな自家製の物の方を好んでいたという話も残っている。

 ユリウス・カエサルの時代、既にローマ市民は数百年に渡って「都市に住んで」いたし、ローマ周辺の農業は周辺地域から安く農作物を輸入できた関係から産業としては壊滅状態にあった。にもかかわらず、ローマ市民はその時代でも土に親しんでいる。

 この古代ローマ市民の生き方は、「都市と農村の共生」について参考にする価値が大いにあるのではないか。

2014年3月31日 (月)

袴田事件に動き

 長年冤罪が囁かれていた袴田事件に大きな動きがあった。我が国では冤罪と言われてきた事件は少なくないが、再審はほとんど認められない。

 まず、裁判所として再審は自分たちのやったことを否定することである。法曹は司法修習の期を通じて上下関係が強く、特に裁判官や検察官はこの傾向が強い。両者は人事交流制度もあり、かなり親密な関係にある。そうなると、再審など認められば検察との関係がぎくしゃくする。・・・と言われてきた。

 ここまでの話は在朝法曹というエリートの話になるが、国民感情とて無視できない。「被害者の心情はどうなるのか」という意見は相変わらず今回の話でも目立った。つまり、「誰かを処罰しなければ気が済まない」という素朴な庶民感情である。これもまた、冤罪を作り易い土壌ではある。

 再審制度は今までの手続きの問題を指摘することだから、例えばこういう手続きにこそ裁判員等職業法律家以外の考えを入れるような制度改正が必要ではないか。

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