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2014年3月 9日 (日)

映画「永遠の0」を観る

 映画「永遠の0」を観てきた。作品そのものは、当時の戦闘機パイロットの葛藤や家族愛を描き、戦後生き残った人々の苦しみも描き、感動できる内容に仕上がっている。

 役者の演技については、主役とその周囲よりも、平幹二郎をはじめ山本学、橋詰功ら日本映画界の古株たちがまことに存在感のある演技をしており、この点では脇役の方が主役とその周辺を圧倒してしまっていた。しかし、「戦争を生き残った」人々が若い人々に語るという点では、このほうが「自然」であると言えるかも知れない。

 特攻隊員を「テロリスト」と同視するような人々にしてみればそれでも十分に軍国主義的と言えるかもしれないが、映画の内容自体は批判されていたように、戦争を賛美したり特攻隊員を英雄視するというつくりではなかった。むしろ、サウンドと相俟って、冒頭から極めて物悲しいというか、悲劇的な印象すら感じられた。

 映画にする以上、原作のエピソードが変わってしまうのは仕方がないことだが、原作では様々な人々の口を使って当時の日本社会や軍の問題点が指摘されているのだが、残念ながら映画ではこうした部分が分からなくなってしまっている。もちろん、知らなくても映画そのものは楽しめるのだが、批判的精神という点においては感心しない。

 例えば、ガダルカナルの戦いでラバウル航空隊に配属されたベテラン・パイロットは次々と戦死していくのだが、原作では詳細に語られていたその背後関係が映画ではほとんど語られていない。物量というような単純な問題ではない。長年労働問題に関心をもってきた私としては、ガダルカナルの戦いから我々が学ばねばならないことが多いように思う。

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