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2014年3月 3日 (月)

ウクライナ動乱

 冷戦後のウクライナの歴史は親ロシア派と親欧米派の対立の歴史となっている。これはウクライナだけでなく、伝統的に文明の十字路に位置するグルジアなども同じだ。ソチオリンピックが終わると同時にプーチン大統領は事実上の軍事介入に踏み出した。

 ウクライナ人にしてみれば、心情的にロシアには加担したくない。これは、ソ連の一部としてロシアに主導権を握られて酷い目に遭わされたというだけではないようだ。

 ウクライナ人に言わせれば、現在のロシア・スラブ世界の源流はロシアではなくウクライナである。スラブ世界の「文明開化」は現在のウクライナにあったキエフ公国がコンスタンティノープルを首都とする東ローマ帝国から皇女を公妃として迎え、正教や文字などを導入したことにはじまる。モンゴル帝国の侵入を受けるまでは、キエフこそがスラブ世界の中心であった。

 しかし、モンゴル帝国の侵入によってキエフをはじめとするルーシの世界は徹底的な破壊を受ける。ロシアでは「モンゴル・タタールの軛」と呼ばれる時代だが、この時代にハーンから免税の特権を受けて勢力を拡大したのがモスクワ大公国であった。モスクワ大公国は東ローマ帝国の滅亡によって「第三のローマ」を名乗ってロシア帝国となり、現在のロシア共和国に繋がる。つまり、ウクライナ人にしてみればロシアはモンゴルと結託してキエフの占めていた地位を乗っ取った人々であり、ロシア人をタタールとの混血であると蔑視する意見すらある。

 ウクライナ人はかつてのルーシの正当な後継者は自分たちだと思っている。「ロシア・タタールの軛」は御免だと思っているわけだ。それでもロシアが武力で支配する時代が長く続いたが、冷戦の終結によって名実ともに独立を果たすと、どうしても欧米に接近することになる。一方、ロシアは自国の覇権が脅かされるうえ、ロシア帝国の時代からウクライナには多くのロシア系住民が移住している。「同じ民族の保護」という大義名分を掲げる理由ともなる。

 今回のウクライナ動乱では、ロシア系住民の多い地域がウクライナから分離してロシアへの併合を要求するなど、混迷が深まっている。その背後には数百年に及ぶ怨念の歴史があるのだから、解決は容易なことではない。

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