« 2013年1月27日 - 2013年2月2日 | トップページ | 2013年2月10日 - 2013年2月16日 »

2013年2月3日 - 2013年2月9日

2013年2月 9日 (土)

今度はロシア空軍機が領空侵犯

 東シナ海で中国艦艇から護衛艦が射撃レーダーの照射を受けて大騒ぎしていたところ、今度はロシア空軍機の領空侵犯事件が発生し、航空自衛隊がスクランブルをかけるという騒ぎが起きた。

 残念ながら、「国際法」は違反行為に対して救済を申し立てることはできないことはないが、それを守らせる強制力は各国家に委ねられているというのが実情だ。力がなければ「やられっぱなし」にならざるを得ない。この厳然たる事実に苦しんできたのが、他ならぬ中国と韓国であった。彼らにしてみれば、かつて自国にやられたことと同じことを日本に対してやっているだけの認識ではなかろうか。

 外交・安全保障は民主党政権で大幅に弱体化した感があるが、自民党が政権に復帰しても実態はあまり変わっていないように思われる。確かに、防衛予算の増額はある程度実現したが、それ以外の安全保障を確保する組織づくり制度作りは実質的に手つかずのままだ。また、外交面でも国内向けのPRは別にして強硬姿勢は控えられる傾向にある。自民党政権になったとしても、支援を受けている財界と連立を組む公明党の意向は無視できないのであろう。

 日本周辺の諸外国が一気に日本に対して厳しい姿勢を取り始め、日本の政権交代後もそれが続いている。民主党政権と自公政権で「大きな違いはない」と見たからこそ、強硬姿勢を継続しているのではないか。だとすれば、日本の今後もいばらの道とならざるを得ない。「強い日本」というのも幻想でしかなかったということになる。

2013年2月 7日 (木)

中国艦艇射撃レーダー照射事件

 トム・クルーズ主演で大ヒットした映画「トップ・ガン」の冒頭で、主人公の僚機が「ミグ」にレーダーでロックされるシーンがある。今から見ると「冷戦時代」の緊迫感を感じさせる内容の映画そのものなのだが、日本近海で起きていることはこの映画の冒頭シーンを髣髴とさせるものだった。北東アジアでは、冷戦はまだ集結していないと考えるべきだろう。

 尖閣諸島周辺で哨戒中の海上自衛隊の護衛艦に対し、中国海軍の艦艇(フリゲイトと報じられている)が射撃用レーダーを照射したことが報じられた。レーダーでロックすることは発砲したときに正確に目標に命中させることができることを示すもので、これは中国海軍側の「威嚇射撃」と考えて差支えないのではないか。無論、威嚇でも実際に砲やミサイルを発射すると後々面倒だから、射撃レーダー照射と言う手を使ったのだろう。

 普通の国ならレーダー照射を受ければレーダー照射をやり返すだろうし、アメリカなら「自らへの攻撃と判断して反撃する」だろうが、日本ではそれは「ない」と見て中国側もこのようなことをやらかしたと思われるが、これを容認してしまえば「中国のやりたい放題」を容認することになりかねない。いつ攻撃されるか分からないのでは、出動する自衛官や海上保安官もたまるまい。

 言うまでもなく、与党でも公明党は親中政党であり、公明党に恩義のある自民党としては対中強硬政策を進めるのは簡単ではない。日本政府が「身動きできない」状態にあるうちに、中国としては既成事実を積み重ねておきたい意図があるものと思われる。日本政府は窮地にあるが、ここで相応の対応をしなければ、ますます日本は転落の道を歩むことになるのは必至であろう。

2013年2月 5日 (火)

体育に体罰はつきものなのか?

 大阪で体罰を原因として自殺者を出した高校は普通科ではなく体育科であった。そして、オリンピック女子柔道の監督が選手に体罰を加えていたことが集団告発によって発覚し、辞任に追い込まれている。体罰関係の告発で目に付くのは、明らかに運動部を含む体育会系の組織で体罰が長年黙認されてきたこと、及び体罰によって成長したと主張する者が多いことだ。

 もし「競争心」を「体罰」によって植えつけることができる、或いは「体罰」が「懲戒」であるならば、当然ながら文科系の部活でも大々的に行われたことが糾弾されてもいい筈だ。確かに、体罰として告発されるのは体育会系ばかりではないし部活関係だけでもないのだが、それにしても明らかに体育会系の比重が重いことは明らかに異常である。

 我が国では体育会系を尊重する気風が強く、体罰と言う名の暴力が問題視されない温床となってきたことは否定し難い。また、こうした気風は就職活動で「優遇」される体育会系とともに企業社会にも持ち込まれ、過労死や過労自殺の苗床ともなってきた。実際、過労死や過労自殺が争われた事件の事実関係を読むと、過労自殺のリーディングケースとなった電通事件など体育会系的な気質の組織が問題を起こす傾向が顕著に見られる。

 体育会系の組織や指導者の精神構造に重大な欠陥があるのではないかと考えているのは私だけではないのではないか。これを苦い教訓として、一過性の事件に終わらせるのではなく、こうした問題を長年黙認或いは放置してきた我が国の社会構造そのものについても見直す必要がある。加害者を処罰したり損害賠償請求だけで済ませるような程度の問題ではない。

2013年2月 3日 (日)

在トルコ米国大使館爆弾テロ事件

 トルコの米国大使館で爆弾テロが発生し、トルコ人の警備員が死亡する事件が起きた。いつものイスラム原理主義勢力による自爆テロかと思ったが、左翼過激派である「革命人民解放戦線」の犯行であるという。この団体は極端な反米欧・反資本主義を掲げているが、現状に不満を持つ若者の支持も集めていたという。

 エルドアン政権のもとトルコ経済は上向きだが、やはり恩恵はトルコ西部と都市部に集まり、東部アナトリアと農村部はなかなか恩恵に与れない。この構図はトルコ革命後にムスタファ・ケマル大統領指導の下でトルコが近代化に進んだ時と同じ構図だ。この時に近代化の恩恵を受けられなかった人々は多く、これらが1960年代以降にトルコの世俗主義が緩和されるとイスラム系政党の支持基盤となり、現在のイスラム系政党である公正発展党政権につながっている。

 何処の国でもそうだが、経済が上向いているという数字が出ていても、国民に広く恩恵が行き渡っているとは限らない。いくら「自己責任」「自助努力」を吹き込んでも、それを敗残者が理屈の上では納得していても、不満というものは簡単には消えるものではない。トルコの経済は順調に発展しているが、取り残される者たちが不満を抱くのはもっともな話であり、過激派が付け込む隙は十分にある。まして、イスラムは本質的に「富の再分配」を行ってきた組織であり、不公正発展に対するイスラムの怒りと結びつく親和性は十分にある。

 トルコが左翼革命やイスラム革命によって転覆される可能性は少ないものの、「富の不平等」に対する不満が噴出しつつあるのは事実だ。そして、イラン等「イスラム革命」は名目上はイスラムの怒りだが、その背後には欧米資本に経済を牛耳られ富の偏在が続くことに対する不満があった。現在の「イスラム原理主義勢力」伸長の苗床になってきたのも、単なる宗教上の「不信心者」ではなく富の不平等に対する不満であった。

 もともと、現在の公正発展党政権は富の偏在に対する不満を背景にして成立した政権と言える。この問題にどう取り組むか、エルドアン政権の大きな課題と言えるのではないか。

« 2013年1月27日 - 2013年2月2日 | トップページ | 2013年2月10日 - 2013年2月16日 »