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2013年1月27日 - 2013年2月2日

2013年2月 1日 (金)

韓国がロケット打ち上げに成功

 韓国が初の人工衛星搭載ロケット「羅老」の打ち上げに成功した。今や韓国製品は世界中で使われており「技術国家」としてはいささか遅い感もあり、実際にはヨーロッパや日本の技術を導入してようやく打ち上げに成功したと言われているが、少なくとも韓国が宇宙開発の分野で歩を進めたことは確かだ。衛星打ち上げビジネスはアメリカ、ロシア、ヨーロッパに続いて日本もH2Aロケットで参入を進めているところだが、韓国が国ぐるみでバックアップして衛星打ち上げビジネスに参入してくる日が来るかもしれない。

 ロケット技術はそのままミサイル技術につながる。もともと、ロケットと大陸間弾道ミサイルは共通の祖先から進化した「双子」と言うべき存在であり、だからこそ北朝鮮が「ロケット」と言い張ってもミサイル実験として警戒せざるを得ないわけだが、これで韓国も弾道ミサイルとは無縁の国ではないということになった。既に巡航ミサイルや対空ミサイルの開発実績もあり、大々的に世界中にセールスしている国である。さすがに「大量破壊兵器」扱いされる弾道ミサイルをセールスして歩くような真似はしないだろうが、武器開発の面でも技術力をPRする機会にはなる。

 今回の発射にあたってはロシアから技術者を招いて開発にあたっている。まだまだ消化して「自国の技術」にするには時間がかかるだろうが、ともかくも自国開発のロケットを打ち上げることができるようになったという政治的意義は大きいと言えるのではないか。

2013年1月31日 (木)

国家安全・治安部門の人員増強は急務である

 自民党が政権に復帰して初の予算編成が行われた。色々な意見があるところだが、国家安全・治安部門の予算増強は素直に評価して良いのではないか。

 特に防衛関係の予算はここ十年来圧縮措置が取られてきた。このため、組織の「高齢化」や海外派兵に伴う人員配置に無理が生じ、特に国内部隊の負担が増えていた。自衛隊関係の自殺やハラスメントなどの事件は、こうした負担と無関係とは言えまい。厳密には自衛隊関係の予算を減らしてきたのは従来の民主党政権ではなくその前の自民党政権時代からなのだが、海上保安庁関係の人員拡充も含め、従来の「人をとにかく減らせ」の資政から方針を転換したことは評価されてよい。

 もっとも、人員増強は急務だが、単に予算を増やしたからと言ってただちに問題が解消されるわけではないことは頭に入れておく必要がある。一般企業でもそうだが、新人は教育しなければ使い物にならない。その教育は机上の教育と現場の教育の双方を施す必要がある。つまり、いきなり人員拡充したとしても「即戦力」などということはありえないばかりか、現在の隊員に新人教育と言う負担が増えることになる。そして、使い物にするためには一定の時間も必要だし、相応に雇用の見通しが立たなければならない。教育が終わって一人前になった頃には予算削減でお辞めいただくというようなことになっては、資源の無駄遣いのみならず士気も落とすことになる。

 アメリカでは「冷戦終結の対価」を求めた結果、冷戦後に大幅な軍備縮小が行われた。この過程で専門家が軍外に流出し、「民間警備会社」など傭兵まがいの組織が生まれ、紛争情勢を更に複雑なものにしている。仮想敵国にノウハウが流れていないとも限らない。

 また、先のアルジェリア人質事件でもそうだったが、自国民を守るためのどのような行動ができるかは、国際法・国際政治の詳細な分析と検討が必要であり、銃を持って戦う兵士を増やすだけでは駄目である。我が国は明治期はともかくとして、現在では国際法は大学や大学院でも「日陰」の分野になってしまっており、学んでいる者は少ない。私は大学院時代に国際法を学んだことがあるが、知的財産法や破産法などに比べて閑古鳥が鳴いていた。人員拡充をするならば、こうした理論面でのバックアップを行う人材も登用する必要がある。

 国家安全・治安部門の人員増強は急務である。同時に、単に頭数だけ増やすのではなく、総合的に組織の能力を向上させることをしなければ、国家に対して何の意味ももたたらさないものになるのではないか。

2013年1月29日 (火)

本当に52名だけか?

 愛知県教育委員会は体罰について調査を行い、県立高校では今年度52名の教員が体罰を行っていたことを明らかにした。この数を多いか少ないかと捉え方は人それぞれだろうが、私は氷山の一角ではないかと思えてならない。

 愛知県はかつて「管理教育のメッカ」と言われていたものだ。この言葉自体、労務管理を専門とする者として言わせてもらえば「管理」の名に値せず、メッカと言うのはムスリムに対する侮辱ではないかと考えるが、それはともかくとして後遺症は未だに残っているのではないか。全般的に自由になってきたとは言っても、依然としてトップレベルの偏差値を誇る進学校は自由でもそれ以外では制約が多いし、県立と名古屋市立との差異もある。

 私は偏差値で言えば極めて下位校の出身だった。ゆえに、締め付けは厳しかった。真面目に守ろうとしたが、今もその後遺症から心理的に完全に立ち直ったとは言い難いものがある。一方で、大学と大学院で私は愛知を離れていたが、ここで他の都道府県出身者や愛知県でも進学校出身者と接する機会を持って、その余りの格差に愕然としたものだ。青春時代に締め付け教育を受けるか、そうでない教育を受けるかは、その後の人格形成にきわめて大きな影響を与える。

 私が中高生の頃は既に体罰は表面上はなくなっていたが、それでも運動部では体罰なり暴言なりが行われているという噂は常にあったし、学校の体質が学生生徒を個人として尊重するよりも集団の規律を重んじ総じて威圧的であったことは否定し難い。体罰は「肉体に与える罰」というよりは、むしろ指導者のコミュニケーション能力不足から口頭や書面や態度による訓戒ができず有形力の行使に出るものと言えるから、いくら通達で禁止したとしても教員や風土も変わらなければ根絶できるものではなかろう。愛知県はもともと地元志向が強いから、教員になるのもまた愛知以外の地を知らない「管理教育の優等生」であったものが多かったように感じられる。逆に言えば、私自身の視野を広げ成長の機会を与えてくださった中学時代の森先生と高校時代の谷口先生は、ともにこうした教員養成の枠外から教員になられた方であった。この点では私はかなり運が良かったと言うしかない。

 小学校の頃は体罰がまだまかり通っていた時代であったが、今から思い返すと明らかにコミュニケーション能力未熟な教員ほど体罰に訴えていた記憶がある。まして、その体罰の基準にしてもデュープロセスすなわち悪事に対して適正手続きを踏んだうえでの懲戒行為ではなく、短絡的にいい悪いを決めつけて懲罰を与えるきわめて恣意的なものであった。私は日本人の法意識のレベルが人権保障上危険だと考えているが、このあたりが原体験である。

 県立高校でも氷山の一角と思うが、公立中学校や小学校ではこんな数ではないのではないか。加えて、愛知県は他の都道府県に比して体罰を 肯定する者が一般にも多いように思われる。もともと、体罰を伴う環境下で育ち地元志向が強い中でそのまま愛知で親になるのだから無理もないのかもしれないが、親の側が体罰を肯定してしまえば追い込まれる子供の側としては家庭にすら逃げ場がなくなる。思えば、いじめの自殺が多かったのも愛知県だが、これも教員側が威圧や暴力と言う方法を取り、子供がまともなコミュニケーションを磨く機会を失い短絡的な暴力に走った結果とも考えられ、無縁とは思われない。

 大阪での自殺から体罰の問題がクローズアップされているが、体罰やいじめというコミュニケーション能力の欠落した社会を取り巻く問題は短期間騒いだから解消するというものではない。体罰を行う教員やいじめを行う子供たちは、ある意味では不完全な教育の犠牲者と言える。長期的な体質改善を行っていくことが必要だ。一過性に終わらせては、また同じ事件を忘れた頃に引き起こすことになるだろう。

2013年1月27日 (日)

公務員の駆込退職は非難に値するのか

 各地で教員を含む公務員の退職金削減がはじまるのを前に、駆込み退職が相次いでいることが問題になっている。学級担任を持つ教員までが退職する事態となり、こうした欠員に対しては非正規の教員を臨時採用して充てるそうだ。こうした駆込み退職について、非難の声が挙がっている。自民党の片山さつき参議院議員などは「公務員の矜持はどうしたのか」などと痛烈な非難を浴びせている。たしかに、担任教員が年の途中で交代するのは子供にとっては問題が多いことは事実だ。

 一方で、公務員の側にも言い分があろう。公務員は特権階級だと思われがちだが、現在退職の時期を迎えている公務員は好景気の時代には民間に比べて決して高い報酬を得ていたわけではなく、公務員であることを馬鹿にされることも少なくなかったという。また、「天下り」を繰り返して退職金をたんまりせしめることができる公務員などたかが知れており、大多数は退職金と年金で老後を過ごすことになる。そうした人々が一転して特権階級だと非難されるようになった。退職金が削減されるのは退職後の生活にも大きな影響を与えるものであり、公務員といえども生活者である以上、一方的に矜持が足りない云々と非難することはいかがなものであろうか。

 そもそも、「官吏減俸」は昭和時代から行われてきたことだが、それで財政が好転することもなければ公務員の士気が上がることもなかった。むしろ、官僚組織を組織防衛に走らせるだけの結果に終わったとさえ言える。最近叫ばれている公務員の待遇切り下げも、同じような結果に終わるのではないか。どんな世界でもそうだが、使命感をいくら植えつけようとしても待遇の悪化まで受容するよう「洗脳」するのは非常に困難なことだ。

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