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2013年8月11日 - 2013年8月17日

2013年8月17日 (土)

「はだしのゲン」

 原爆を扱った漫画「はだしのゲン」の描写が過激だとして、松江市教育委員会が市内の全小中学校で教員の許可がなければ閲覧できない「閉架措置」を要請し、生徒児童への貸し出しも禁止していたことが分かった。市民の一部から「間違った歴史認識を植え付ける」というクレームがあり、教育委員会が改めて内容を確認した際に過激だという判断に至ったものと言う。

 このクレームの内容は、要するに「過激」というよりも「偏向的」というものらしい。確かに、「はだしのゲン」の内容は戦争中の日本と旧日本軍から天皇、また当然と言えようが原爆を投下したアメリカが「悪者」として描かれる一方、共産主義に走った教師や闇市で跋扈していた朝鮮人などは「虐げられてきたいい人たち」として描かれている。思想的に見て、左翼思想にかなり偏った作品であることは疑いようがない。原爆をテーマとしている以上、被爆後の残虐シーンが多いのは当然だが、日本軍が「大陸で行った蛮行」も登場する。残虐であることもまた、疑いようがない。

 しかし、この作品が一貫して訴えてきた「原爆の悲惨さと平和の尊さ」は、思想や立場の違いを超えて多くの内外の人々の心を捉えてきた。麻生太郎副総理兼財務大臣は靖国神社への参拝を欠かさず、出身の麻生財閥が戦争中に中国人朝鮮人を酷使していたことは有名な話で、作中で悪者にされいる吉田茂首相の孫である。作中で「悪者」にされている人々の「関係者」そのものである麻生副総理ですら、首相在任時には諸外国の首脳に積極的に「はだしのゲン」を勧めていた。左翼思想にしても、様々な思想があるのは事実であって、それを是とするか非とするかは一人一人が考えるべきことだ。それは小学生中学生の子供であっても同じことである。

 様々な意見や見方があることに触れ、考える力を養っていくことは平和教育に勝るとも劣らぬ重要なものだ。むしろ、戦争は国民が思考停止になった時に起こりやすい。私は「はだしのゲン」を閉架にして簡単に読ませないようにしていることは、平和教育の後退以上に「思考の低下」を招くものとして由々しき事態と考える。学校や教育委員会が読んでいい本と悪い本を決め、一方的に悪い本だと指定して読ませないようにつとめている姿は、言論統制や検閲すら連想させるものだ。一方的な思想や見方を子供たちに吹き込み、又はシャットアウトすることがどれだけ恐ろしい結果を生んでいるか、これは北朝鮮など国民が奴隷状態にされている国を見ていれば明らかだ。

 私は戦前の日本や太平洋戦争に全く理が無かったとは思っていない。靖国神社に参拝もしている。しかし、一方で小学2年生の頃に「はだしのゲン」を読み(最初は小説版であったが)、以後も長久手町の中央図書館で度々読んで、戦争や原爆の悲惨さ、戦争や原爆に翻弄された民衆の悲惨さについて学ぶことが大きかった。この作品は、できるだけ多くの子供たちにむしろ読んでもらいたいものだ。閉架にして読ませないという松江市教育委員会と小中学校の対応は、大いに問題があると言わざるを得ない。

2013年8月15日 (木)

終戦記念日

 8月15日は終戦記念日である。厳密には、8月14日に日本はポツダム宣言を受諾して終戦は決定しており、日本が降伏文書に調印したのは9月2日だから、8月15日というのは単に国民に対して戦争終結が昭和天皇による「玉音放送」によって伝えられたという日でしかない。としても、この日が日本史に与えた影響の凄まじさは空前絶後のものであり、日本国民がこの日付を忘れることは永遠にないだろう。

 台湾や韓国ではこの日をもって日本の植民地支配から解放されたとしており、「光復」と表現される。両国にとって、戦後の新たな一歩を踏み出した日として意義深い日となっている。

 日本にとって、8月15日は祈りの日だ。全ての戦没者に対して国民の多くが哀悼の意を表する。自宅で静かに祈る人たちもいれば、慰霊祭で、平和集会で、靖国神社で、千鳥ヶ淵で、護国神社で、教会で祈る人たちもいる。太平洋戦争の歴史的意義や、評価や、是非については意見が分かれるけれども、戦没者に対する哀悼の気持ちは共通したものである。そこに流れる恒久平和への想いもまた、私は同じであると思う。

 戦争は遠くなりつつある。戦争経験者は軒並み高齢化している。子供として戦争を経験した人々でも高齢化しているが、軍人として、工員として、妻として、母として戦争を経験した人々となると更に数が限られてくる。若い我々にとって「生きた証言」を聞くことのできる時間はもうほとんど残されていない。遠からず、「語り手」たちに頼ることなく戦争を伝えていかなければならない時代が来る。

 しかし、これは歴史の必然であって、誰にも止めることはできないものだ。また、当事者が去ると言うことは、より客観的に歴史を見つめ、歴史に学ぶ機会ともなる。これからの世代は遺されたものから学び取ることが重要になるだろう。それは同時に、あの戦争で日本が得た教訓をより普遍的なモデルとして後世に残し活用していく機会ともなる。そうしなければ、日本は犠牲を払っただけということになってしまう。これからより重要となるのは冷静な検証と研究であろう。

2013年8月13日 (火)

韓国議員が竹島へ

 韓国国会議員が竹島に上陸しようとしているという。李明博政権末期に引き続き、韓国の対日政策は相変わらずのままである。今回の韓国国会議員の竹島上陸は、国内向けの政治パフォーマンスの色彩が強いものの、韓国政界において今なお「反日」という立ち位置が絶対的な正義であることを実感させられる。

 韓国では日本に妥協することは「親日派」という「売国奴」とイコールのレッテルを貼られることになり、政治家であっても言論人であっても学者であっても職業的な死を意味することになる。ライバルが「反日」を叫ぶ以上、自分もやらざるを得なくなる。かくして、韓国は争って「反日」に突き進むことになる。反日活動がエスカレートするのは推して知るべしであり、今後も更にエスカレートしていくことは容易に想像できることだ。

 問題は、ここで日本が妥協の姿勢を示すことである。確かに、我が国と韓国は東アジアの数少ない自由主義国であり、対北朝鮮政策や南シナ海からインド洋に至るシーレーン防衛策など、現実には多くの共通した利害を抱えている。日韓関係が厳しいとは言っても、こうした日韓共通の問題に取り組む姿勢の火種が両国ともに消えていないことが救いだ。としても、現実主義的な立場で冷静でいられる人はそう多くはない。そして、戦後一貫して日本が妥協する度に韓国は竹島の実効支配を進め、日本海の名称は植民地支配で押し付けられたものと非難し、対日政策でより有利な立ち位置を示し日本から多くのものを引き出してきた。日本の政治家より韓国の政治家の方が一枚上手だったと言える。日本がここで妥協することは、同じことの繰り返しだ。

2013年8月11日 (日)

米がなければDVD?

 北朝鮮の金正恩第一書記が、食糧不足解消のために料理のDVDを作成するよう指示したという報道があった。その趣旨は、北朝鮮国民は米食に固執しており、パンなどを食べてもまたコメを食べてしまうことが原因で食糧不足になっているので、米以外の料理を覚えさせるために料理のDVDを作成するらしい。

 何やら「パンがなければ・・・」という有名な話を思い出してしまうところだ。実は、日本人も終戦直後は米がなくて苦しい思いをした。この時には、アメリカから大量の食糧援助を受けて乗り切った。アメリカ側もこれを機会に日本人をパン食にすれば小麦を安定的に売りつける先ができると思って大々的に食糧援助をしたのだが、学校給食の現場はともかくとして多くの日本国民にはアメリカの思ったほどパン食は浸透しなかった。小麦はうどんやラーメンに姿を変え、戦前に比べて日本人の食生活は豊かになっている。

 しかしながら、北朝鮮にはコメは無いが、代わりに小麦があるわけでもない。肉類もなく、飼料用穀物すら口にしている始末である。こんな餓死寸前の国民がわざわざ「えり好み」して米に執着しているとは思えない。

 DVDを作ったとしても、そもそもテレビとDVDプレイヤーはあるのか。いや、電気はあるのか。さながら、かつての共産圏のアクネドート(政治ジョーク)を聞いているようだ。

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