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2013年7月28日 - 2013年8月3日

2013年8月 3日 (土)

天空の城ラピュタ

 昨晩は「天空の城ラピュタ」がTV放映された。公開されて二十年以上になる作品だが、テンポの良い冒険活劇と分かり易いストーリーに加え、主人公やヒロインはもとよりムスカ大佐など深みのある悪役キャラクターまで揃っており、今なお人気は高い。私が最初にこの作品を観たのは公開翌年にTV放映された1987年の夏だった。瀬戸市にある母の実家に遊びに行ったときに曾祖母と見ていたが、余りの面白さに引き込まれ曾祖母が寝てしまった後も最後まで観た記憶がある。

 「ラピュタ」の作品としての完成度をより一層高めているのが久石譲の音楽で、特にラピュタで使われたサウンドは其々の場面と相俟って印象的なものが多い。

 もちろん、宮崎作品だけに単なる「冒険活劇」では終わらない。物語のクライマックスでシータの口を通して語られるラピュタへの批判は宮崎監督による現代文明への批判そのものである。

 最近のジブリ作品ではこのような冒険活劇は製作されていないが、それだけにこの作品の完成度が高かったということではないか。

2013年8月 1日 (木)

ナチスに学べ?

 麻生太郎副総理兼財務大臣が憲法改正について「ナチスに学べ」という趣旨の発言をしたことが問題になっている。麻生副総理としては「大騒ぎせず冷静な議論をしていくべきだ」という趣旨で喋ったと思うのだが、いささか例えが悪すぎるのではないか。

 意外に思われるかも知れないが、ナチス時代のドイツにはそれなりの言論の自由があったと回想されている。これは、ドイツ国民が知らず知らずのうちに服従と自粛を叩き込まれたためで、客観的に見れば独裁国家そのものだったのだが、ドイツ国民は「自分たちは自由だ」と思い込んでいたのである。

 ナチスの手法は巧妙だった。ヒトラーの「経済改革」に「反ユダヤ主義」など、巧みに国民の目を逸らしておいて権力掌握を進めていったのである。この点は、確かに独裁者になって国民を好き勝手にしたい者には魅力的であろう。しかし、反対意見を封殺して知らないうちに国民自ら牢獄に入っているようなやり方が自由主義民主主義を標榜する国に相応しいやり方でないことは言うまでもない。

 憲法改正は日本国民の問題である。周辺諸国は肯定否定言うことはもちろん自由だが、日本がそれに従わなければならない義務はない。特定アジア諸国は日本が弱体化してくれた方が色々と好ましいから、日本が弱体化するように誘導する発言をする。一方、フィリピンなどは日本の再軍備を北東アジアの平和と安定のために好ましいとすら言っている。しかし、だからといって特定アジア諸国の言いなりに改憲作業をする義務はないし、フィリピンなどが期待するように再軍備する義務もない。どうするかは日本国民が決めることだ。しかし、騒がれることが嫌だからこっそり改憲作業を進めるというのは、近代立憲主義的てな意味合いの憲法そのものの意義を喪わせることになる。

 どうも自民党関係者が改憲について語るとき、そこには人間の尊厳や基本的人権の尊重と言う憲法の根本的な部分が語られず、むしろ近代立憲主義としての憲法の意味を理解していないのではないかと疑わざるを得ない文句が並んでいることに不安を抱かざるを得ない。私は国軍明文化も集団的自衛権の行使も賛成しているが、人権思想を放棄することには絶対に反対である。

 戦後のドイツはナチス時代の反省から「戦う民主主義」など新たな価値を基本法に盛り込み、民主主義を破壊する者に対する抵抗の姿勢を示している。麻生副総理の発言は、ある意味では権力者の側の「本音」だったのかも知れないが、そうだとすれば民主主義国の改憲にあたる姿勢として相応しいものとは言えない。

2013年7月31日 (水)

年金課税強化案に思う

 政府の社会保障制度改革国民会議は高所得者に対する年金の課税強化を報告書に盛り込む方針を決めた。さすがに高額所得者の公的年金を直接引き下げるということはしないようだが、公的年金等控除を縮小することで年金への課税を強化するという。

 確かに、公的年金、世間的にはほぼイコール老齢年金と捉えられているが、その制度趣旨は高齢になった時の所得減少のリスクに対応することにある。高齢になれば一般的に稼得能力は落ち、収入も下がるか全くなくなるだろうからそれに備えるために公的年金制度があるわけで、高齢になっても高額の所得を得られるのであれば、支給は不要であるか縮小させても問題はないという考え方は確かに一定の説得力がある。特に公的年金は私的年金と異なって国費負担分があるため、高額所得者に「国民の税金」をもって年金を支給しているという現在の構図に矛盾を感じない者は少ないのではないか。

 としても、課税強化だけで問題を解決できるわけではない。高額所得者という層は大抵の場合高学歴で相応の社会的地位のある人々である。これらの人々は若年者から高齢者に至るまで、「高所得であるが故に社会的な負担もしなければならない」というノブレス・オブリージュのような義務感を感じている者はほぼ皆無で、むしろ「自分が努力して稼いだのに沢山税金や社会保険料で持って行かれるのはけしからん」とか、「アメリカ『では』こんなに取られない。だから社会主義国の日本は駄目なんだ」という調子でおしべて被害者意識の方が強いのである。年金課税の強化が、これらの被害者意識に更に火をつけることになるのは必至だ。

 金持ちと言うのは往々にしてケチであることが古今東西一般的だが、だからこそ金が集まるのかも知れない。いずれにせよ、「能力に応じた負担」という考え方も、彼らにとってはむしろ不正義に映る。

 現実の統計などを見れば分かることだが、年金から税金を徴収されているのは年金受給者の中でもごく限られた少数派である。ただ、この層の怖いのは社会的影響力を持っていることで、彼らを通して語られる「年金制度の冷酷さ」が年金制度に対する批判や不信につながることは言うまでもない。税金の話がいつの間にか年金制度不信の話にすり替えられている感があるが、実際に今回の主眼はあくまでも「税」の話である。しかしながら、年金を扱う日本年金機構と国税庁、社会保険労務士と税理士の力関係を述べるまでもなく、一般的に税務署はみんな怖いが年金機構など怖くも何ともない。国税庁の悪口は言い難くても、年金制度や機構の悪口は言い易い。年金課税の話が税に対する不満ではなく年金に対する不満にすり替えられることは目に見えている。

 そして、行き付く先が「公的年金制度は破綻しているから廃止しろ」という主張だ。高額所得者にしてみれば、現役時代にも高い保険料を納付してきており、高齢になったら課税という形で手にできる額が減ってしまうことは納得いきかねるところである。彼らの前で年金制度の趣旨など説いてみたところで聞き入れる者はほとんどいない。そして、公的年金制度を廃止または大幅縮小することを狙っている層がいる。保険料負担を減らしたい民間企業はもとより、私的年金制度への参入と市場の拡大を狙っている外資系金融機関にとっても、公的年金制度は邪魔者以外の何物でもない。

 年金課税の強化は、確かに筋の通った話ではある。しかし、年金制度に対する攻撃を招き、制度そのものの不要論を後押しする理屈にもなりかねない。そもそも、高額所得者に対する課税は何も年金から天引きするという方法でなくても行うことができる。確かに徴収しやすいというメリットはあるが、年金制度に対する攻撃と言う連鎖反応を招きかねないところだし、年金以外にも徴収可能な所得はある。わざわざ年金からの徴収と言う手段を取る必要はないのではないか。

2013年7月29日 (月)

「風立ちぬ」

 

 宮崎駿監督の最新作「風立ちぬ」を鑑賞してきた。ジブリの作品としてははじめて「実在の人物」を主人公にして大胆な脚色を加えているが、「大人向け」のいい作品に仕上がっているように思う。

 堀越二郎と言えば零式艦上戦闘機、俗にいうゼロ戦の設計主任者として著名な人物だが、この作品では堀越の青年時代を描いているのでゼロ戦はほとんど登場しないし、登場する「国産機」もまだ欧米列強に比べて劣る水準の時代のものばかりだ。成長期にあった日本の航空技術と若き堀越がオーバーラップして描かれている。

 作品の中で重要な位置を占めているのが今も昔も日本の航空産業の集積地である名古屋だ。戦前の名古屋がアニメ作品でリアルに表現されたのは初めてのことではないだろうか。

 作中でも描かれているが、堀越の勤務する三菱内燃は海の傍にある。これは三菱に限ったことではなく、当時名古屋で三菱と並ぶ航空産業の雄であった愛知時計電機も同じく、熱田の水に面したところに工場を持っていた(愛知時計電機は今も水道メーターの製造会社として存続はしており、熱田の工場が主力である)。これは黎明期の海軍機は専ら「水上機」であったため、水に面したところに工場を作った方が都合がよかったからだが、その後陸上機や艦上機を生産するようになると熱田の周辺に飛行場がないことが問題となった。

 どうしていたのかというと、熱田で組み立てられた当時の最新技術の塊である飛行機は分解して牛車に乗せられ、ノロノロと岐阜県の各務ヶ原にある飛行場まで運んでいたのである。いくら堀越二郎が主人公でもこんな話までは登場しないだろうと思っていたら、ちゃんと牛に曳かれて飛行機が運ばれていくシーンが登場して驚いた。後年戦争が激化して牛が不足してくると航空業界の関係者は「闇」で牛を手に入れるなど涙ぐましい努力を重ね、物価統制令違反で関係者が起訴されるという事件まで起こすことになるのだが、さすがにそこまでは描かれていない。

 普通の国ならば、早々に滑走路の近くに製造工場を建てるか、少なくとも工場から飛行場までの幹線道路を整備するくらいはするのだろうが、日本はどちらも行わなかった。戦争末期まで舗装されていない道を牛車に曳かせて運んだのである。このあたりが、「できないものはできない」という率直な意見を「努力が足りない」「弱音」と切り捨ててしまう日本社会の悪しき体質をはからずも象徴している気がする。

 堀越は96式艦上戦闘機とゼロ戦では成功したが、これは二件とも海軍の「無茶な要求」に何とか応えた結果であって、とりあえず無茶な要求を出して民間企業に努力を求めるというお役所の姿勢は今も昔も変わらない。ある意味では96艦戦とゼロ戦の成功体験がその後のゼロ戦改良や烈風の「大失敗」につながったとも言える。お役所だけでなく、受託業者である三菱も軍の要求を堀越に押し付けはしたが、人をつけてやるという配慮はしていない。私はかねてより「お役所仕事の民間委託をしても、委託された会社がお役所仕事をやり出すだけ」と述べているが、このあたりの「歴史的事実」も踏まえての事である。

 ともかくも、「風立ちぬ」は堀越の設計者としての黎明期を描くと同時に、架空のヒロインとの恋愛、それも悲恋の物語を盛り込むことで、単なる技術者の物語を超えた美しい作品に仕上がった。堀越の遺族はこうしたオリジナル・ストーリーを盛り込むことを快諾していたそうだが、このあたりは描き方によっては故人の名誉を害するようなことになりかねないところだから、宮崎監督も遺族の側も勇気があったと言える。

 作中の服装などの描写も見どころが多い。堀越は地方の旧制中学から旧制一高・東京帝国大学と進んだエリート中のエリートだから当然だが、当時の紳士の格式を守って基本的には夏のシーンでもネクタイを締めてベストの上にジャケットを着用している。当然、帽子も被っている。堀越の同僚たちも同じような服装だが、市井の人々の服装と比較するとその差は歴然としていることが見て取れよう。

 ヒロインも明らかに資産家の娘である。私の父方の祖母は大正半ばの生まれであったが、実家が没落する前の小さい頃に革靴を履いて洋服を着て大変珍しがられたという話を聞いたことがある。ヒロインが散歩と称して家を出ていくシーンもあるが、コートを着てブーツを履き裾の広い帽子を被るというヒロインのような服装は当時の名古屋近郊の農村ではかなり目立ったに違いない。

 ついでに言えば恋愛結婚が一般化するのも戦後の話だから、戦前は「男を追いかけて・・・」というヒロインの行動は「ふしだらな娘」という悪評にはなっても、我々が銀幕を観て感じる「一途」「情熱的」という肯定的な評価はされなかっただろう。名古屋は現在に至るも東京や大阪から馬鹿にされているところがあるが、本質的に「村社会」を引きずっているところにも原因がある。堀越とヒロインの「新居」はどう見ても名古屋近郊の農村地域だから、あんな結ばれ方をしていたら近所の好奇の目は相当なものがあったのではないか(それが堀越たちに好意的なものでないことは論を待たない)。

 従来のジブリの作品とは一線を画した「大人の物語」であり、従来の「大人の鑑賞にも十分耐える」作品ではなく、「大人向け」の作品となつている。キスシーンは既に1992年の「紅の豚」のラストで描かれてはいたが、「風立ちぬ」では主人公とヒロインが情を通じる描写まで登場しているくらいだ。大人に向けた大人の作品であるが故に、大人にとっては感情移入し易いのではないか。

 一方で、子供にとって「風立ちぬ」はかなり理解の難しい作品だろう。宮崎監督の作品は全般的に反資本主義・反権力・反近代文明という説教臭いところがある。「風立ちぬ」の公開にあたって宮崎監督が憲法改正に反対する政治的なメッセージを発信して話題になっているが、宮崎監督は左翼思想に染まって労働組合の書記長まで経験しているくらいの人物だ。としても、「天空の城ラピュタ」や「紅の豚」は冒険活劇として誰もが楽しめるストーリーであったし、「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」も多少難しいにしても子供にとって理解できないレベルのストーリーではなかった。私は逆に「となりのトトロ」や「崖の上のポニョ」など明らかな子供向け作品の方が理解できないのだが(未だに「崖の上のポニョ」は何が面白いのかサッパリ分からない)、こうした作品を期待して「風立ちぬ」を観に子供を連れて行った親御さんはさぞかし失望したのではないか。劇場内でもかなりの親子連れが「?」という表情をしていた。

 ジブリの作品として「話題性」はあるから、興行収入は相応のものを叩き出すだろう。資本主義を批判している宮崎監督だが、その資本主義・商業主義に乗っかっているのはいささか矛盾ではないかと皮肉めいた見方もできようが、少なくとも興行的には成功だろう。しかし、この作品の奥深さを楽しんで観ることのできた人はどれだけいるのだろうか。

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