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2013年6月16日 - 2013年6月22日

2013年6月21日 (金)

インターネット選挙解禁

 ようやく、参院選からインターネット選挙が解禁される。私はかねてよりインターネットを選挙運動に使えるようにすることが必要だと考えてきた一人であるので、今回の法改正を歓迎したい。としても、課題もまた少なくない。

 政治家の「成りすましツイッター」などは既に問題になっているが、一方で何処までを「成りすまし」として取り締まるか難しいところだ。例えば、かつてネット上に「ニセ首相官邸」というホームページが存在し、政府与党の政策をパロデイにしていた。パロデイとして書かれた「商品券を国民に配布します」というニセ首相の政策がいつの間にやら本当に「地域振興券」として実現されてしまい、「ニセ首相」が謝罪するという一幕もあったのはご愛嬌である。「成りすまし」の取締範囲を広げると、こうした政治に対する皮肉やパロデイも封殺されてしまうことになりかねない。

 未成年者や外国人は選挙運動はできないことになっているので、候補者のツイッターをリツイートすると公職選挙法違反になってしまう可能性がある。一方で、意見表明したりネット上の討論に参加する自由はあるわけだが、発言の中身を「選挙運動でない」とどのように線引きするかも難しいところで、なんでも駄目だということになれぱ言論活動全体が委縮することになりかねない。

 既に各党・各陣営ともにネット対策を進めているようだが、どうも見ているとメディア対策と同じく、良いイメージを売り込むという「イメージ戦略」の方向に進んでいるような感がある。インターネットと言う政治家と候補者が直接やり取りすることで政策や識見をより知る機会になるかというと、どうもそのような方向には行かないのではないかと思われる。私もかつて「政策や識見よりもどう見られているかを考えた方がいい」と言われたもので、実際にあまりそれを実践しなかったから駄目だったと言えるが、別の見方をすれば上手く見せればそれはいいわけだ。インターネットがそのツールとして利用されることになるのではないか。そうすると、結局のところ政治家と有権者の距離は離れたままになる。

 義理人情かイメージかという二者択一ではあまりにも情けない。としても、アメリカでも事情は同じで「あのしょぼくれたリンカーンが大統領になれた時代が懐かしい」などと言われる始末で、かつての名政治家の多くが現代の選挙では「勝てない候補者」になつてしまうようだ。

 いずれにせよ、インターネット選挙は解禁される。有権者の側としても積極的な情報発信を行い、政治家に情報発信を促すことが先ずは必要なのではないか。双方が委縮し、イメージ戦略に走るだけでは何のために解禁するのか分からなくなってしまう。街宣車の二の枚で「敵陣営もやるから、とりあえずうちもやる」「中身のないネットの宣伝だけが蔓延する」ということになりかねない。

2013年6月19日 (水)

若者の自殺問題は労働問題である

 長らく3万人を超えていた年間自殺者数が若干減ったものの、二十代三十代の若者の自殺は高い水準が続いている。

 無理もない。若者を取り巻く環境は年々過酷になるばかりだ。正規雇用の職に就くのは簡単ではないし、正規雇用に就いたところで「ブラック企業」であれば心身を病んで使い捨てられる。非正規労働ならば尚更のことで、派遣労働者ともなれば派遣先では使い捨て可能な資材か備品扱いで人事部門が人間として管理することすらなかったりする。。無論、そうした職場でのし上がっていく者がいないわけではないがごく少数だし、しかもそのような人物は往々にして能力よりも世渡り、慈愛よりも恫喝力に長け、他人を踏み台にすることを厭わないタイプが多い。こうした連中が出世して「指揮命令者」に就くわけだから、普通の若者にとっては過酷な職場のままで続くことになる。

 規制緩和や競争力の強化によって、確かにチャンスを得た若者がいないわけではないが、むしろその「煽り」を食らい不利益を「自己責任」として甘受せざるを得ない立場に追い込まれた若者の方が圧倒的多数ではないか。高齢者雇用や女性の社会進出と言えば聞こえがいいのだが、格別保護の対象にならない若い男性にとって世の中は年々住みにくくなるばかりだ。

 いくら「発展途上国よりいい生活」「飢え死にしないだけまし」と言われたところで、将来の見えない状態が延々と続くことをそれで納得させられるわけもない。実際に先の見えない状態の中で非正規労働に従事し続けている若者を自分の立場が「恵まれている」と経営側が納得させるのはまず不可能に近い。無論、表面上は「立場」として納得し感謝する「ふり」はせざるを得ないだろうが、大抵の場合腸は煮えくり返っている。それが多くの場合反発にならないのは何をしても自分の前途やまして社会などは変わるわけもないという諦念であろう。

 若者の自殺問題は労働問題である。家庭生活や恋愛、結婚などの問題も最終的には職業生活を中心に組み立てられるものである。決して、「絆」などという言葉を使ってヤンキー的な人間関係の中に放り込みそれで人間関係が密になれば自殺は起きないなどという安直な考えで解決できる問題ではない。残念ながら、我が国の労働問題への取り組みは後退するばかりだ。政治や官公庁のみならず、労働組合すら決して十分な取り組みを行っているとは言えない。学者の世界でも労働問題の分野は年々人材が先細りしている感があり、労働現場を見る労働問題の研究者は軒並み高齢者で、若い学者は経済学的な数字を追って満足する傾向にある。これでは問題の改善のための「提言」すら学識経験者の間ですら出てこなくなるのは時間の問題ではないかと思えてならない。

 残念ながら政権担当能力のある各党の政策はより規制緩和と競争を激化させることを意図した内容のものが中心であり、自民党などは来る参院選に自社で過労自殺を起こしたことを何ら反省していない人物を公認候補として擁立する始末である。こうなると、むしろ若者の自殺は適者生存や敗者退場のダーウィニズムに基づく市場原理の帰結として「問題ではない」と考えているのではないかと疑いたくなってくる。この考え方自体はそれはそれで一つの筋は通っているが、さすがにそれは心の中で思っていても口には出せまい。

 いずれにせよ、見通しは暗いと言わざるを得ないし、若者の自殺はこれからもどんどん増えていくだろう。しかしながら、それは政治家や企業だけが悪いのではない。そうした国家体制・社会体制を選択したのは国民であるし、ブラック企業をマーケットで存続させているのも消費者たる国民である。私自身、自殺や過労死防止は政策として「暗すぎる」と打ち出すことを止められたものだ。周囲に屈した私自身も深く反省しなければならないが、一般有権者も自殺や労働問題に対して自分自身の問題としてもっと目を向けてもらいたいものだ。

 今や若年層の「転落」は一般国民であっても無縁ではない。自分の子供は大丈夫だと思っている人が一番危ない。優秀で人格識見とも問題ないような人物が、何故か定職に就けなかったり企業内で酷い目に遭わされるのが珍しくないのである。かつてなら、それでも「窓際族」などと出世には縁がなくとも組織の中で生きる道があったが、今やそれも難しい時代だ。多くの非正規労働者と接してきたが、自分が非正規労働者に転落したことに戸惑いを感じている者も少なくないし、親が嘆いているという話もよく聞くことだ。崖っぷちは常に身近にあるものである。 

2013年6月17日 (月)

大阪でのオスプレイ訓練は妥当か

 大阪市の橋下市長と大阪府の松井知事がオスプレイの訓練を大阪に誘致することを表明している。橋下市長の「魅力」は誰も思いつかないような突拍子もないことを表明して世間の耳目を集めることだが、またもや来たかという感がある。

 沖縄の基地問題では、常に沖縄と反基地派は「そんなに日米同盟が重要なら本土に基地を受け入れろ」と言い続けてきた。実際には地理的問題もあって本土に同じ機能の基地を用意すれば済むという問題ではないこともあって、岩国等若干の例外はあっても依然として沖縄の基地負担は大きい。大阪のオスプレイ訓練受け入れ表明は、「維新」として沖縄の心証を良くしようという狙いがあるものと思われる。

 実際にはオスプレイは海兵隊機である以上海兵隊員の陸戦訓練と一体でなければ意味はないだろうが、離着陸訓練や飛行訓練などは別段沖縄で行わなくてもいいわけだから、大阪でもできないことはない。もっとも、受け入れる側の大阪のリスクは非常に高い。

 私が大阪大学の大学院にいた頃は池田市に下宿していたが、毎朝頭の上を飛ぶ飛行機の音で目が覚めたものだ。私が下宿したアパートは新しい建物でかなりきちんとした防音がなされていたが、それでも音は響いてきた。伊丹空港騒音訴訟は法律を学ぶならば一度は読まされるが、訴訟に訴えざるを得なかった住民の心情は私自身体験としてよく理解できる。加えて、大阪大学豊中キャンパスの最寄駅は阪急では「石橋」になる。その一つ手前の「蛍池」で阪急と大阪モノレールが接続しているのだが、阪急電車の車窓からは住宅街スレスレに伊丹空港へ降下していくジェット機を見ることができた。なかなか迫力がある眺めではあるが、騒音に加えて飛行機事故は離着陸時に多発している。危険極まりない。

 都市部に隣接した空港はもともとリスクを孕んでいるものだ。普天間基地にしても、もともと基地があった周辺に住宅地が押し寄せてきて「世界一危険な基地」になってしまった。民間機の離着陸でも十分リスクがある中で、更にリスクを加えるというのはいささか無茶なのではないか。

 更に、橋下市長と松井知事は訓練誘致に積極的だが、訓練地として挙げられている八尾市の田中市長は反対している。何の検討もせずに即座に反対表明したことを橋下市長から早速非難されているが、訓練の代替地は検討されなければならないとしてもこれでは維新勢力が牛耳る「府」が基礎自治体に強権を発動しているようにも見えてしまう。かねてより「維新」の主張する「道州制」は、強力な道州政府に権力が集中しやりたい放題になりかねないという指摘がされてきたが、今回の動きだけ見てもそれを杞憂であるとは言えないのではないか。

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