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2013年5月19日 - 2013年5月25日

2013年5月25日 (土)

社会政策学会

 東京の青山学院大学で行われた社会政策学会に参加した。前回の長野大学で行われたときは土曜日も仕事があったため仕事を済ませてから新幹線に飛び乗り、実質二日目しか参加できなかったのだが、今回は一日目から参加することができた。

 今回のテーマは「ジェンダー」なのだが、どうも私はこれがあまりよく分からないし正直言って興味のあるテーマではないのだが、それでも職場における女性の母性保護は重要な課題であることは確かなので、そうしたところで多少は役に立つのではないかと思って参加した次第である。

 興味深かったのは介護労働をめぐる問題で、国が介護事業者に対して課している「認定」の考え方は表面上の人員の頭数や一定の資格保持者の頭数で、このあたりの国の考え方は公契約受託企業に対して課されている基準の考え方と本質的に大差はないのではないかと思われる。すなわち、基準に適合するように人員を置いたり、基準に合致=金になることは真剣にやるが、それ以外の部分に関してはあまり重要視されない。しかしながら、重要視しないことが職場の問題を放置・拡大させる要因になり得る。国の考え方そのものを問い直す必要があるのではないかと感じた次第である。

 国は介護事業者に金を渡すことで介護労働者の待遇改善を図ってきたものの、現実には介護労働者の待遇改善にはほとんど影響を与えていない。賃金水準のみならず、キャリアの整備についてもほとんど進んでいない。このあたりは、国から介護保険制度で金を受け取る立場にある介護事業者に限定されず、国や地方公共団体等から金を受け取って事業を行っている事業者にほぼ共通した問題であると考えられる。

 いささか疲れているので考えがまとまっていないところはあるのだが、隣接分野の状態について報告を受けることができたのは、自分の取り組んでいる課題をリサーチする多くの示唆を得ることができ、有益であったとは言える。

 青山学院大学は渋谷という都心の真ん中にあるが、以外にも静かな落ち着いた雰囲気のキャンパスであった。同志社程ではないが古い建物もいくつか残っており、趣がある。学食は広く清潔感があり、「おしゃれ」という印象が強く残るものだった。青山学院大学も都心回帰を進めているところだが、単にキャンパスを都心に戻すだけでなく、大学全体の雰囲気作りにも力を入れることで学生を集めたい意向と思われる。ここまでおしゃれなら、若者に対するイメージはかなりよくなることは間違いない。国立の旧帝大もイメージアップに取り組んではいるが雲泥の差だ。あとは、学究が充実することが重要であろう。

2013年5月23日 (木)

公務員に「評価制度」を導入してもお役所は変わらない

 自民党は公務員に評価制度を導入し、三年連続最下位ランクの評価の公務員は免職できる制度を創設することを国家公務員制度改革原案に盛り込むことになった。「ダメ公務員を切れ!」という国民の声は大きいから、それに沿った案であると言えよう。

 しかしながら、そんな制度を導入したとしても官公庁は変わらないと見るべきだ。十数年前から「成果主義」がもてはやされたが、それで導入した企業は良い方向に変わったか。企業社会は良い方向に変わったか。答えは逆である。

 「成果」は一方的に使用者が判断するものだから、労働者は使用者に評価されるように振る舞うが、その中身がただちに会社や業績にプラスになるものとは限らない。上席者の面子を保ったり、組織の保身の方が優先されるから、評価される成果と評価に値する成果はイコールにはならないとみるべきだろう。更に、評価が相対評価である以上、周囲の人間は蹴落とすべき相手でしかなくなる。組織としての強さも失われるし、目立たない仕事を引き受けようという者はいなくなる。殺伐とした組織しか後には残らない。「お役所仕事」は改善されるどころか、むしろ主になっていくとみるべきだ。

 「成果主義」を導入し「悪しき日本型経営」を打破すれば「日本企業は伸びる」と喧伝され、実際多くの企業が成果主義を導入し日本型経営を破壊するようつとめたが、それと軌を一にするようにして日本企業の国際競争力は低下し労働者の待遇は下落するばかりであった。「成果主義」が組織にも社会にも資するものだという前提条件をまず疑ってみる必要がある。

 この十数年間企業社会で起きたことを公務員社会にあてはめれば、官公庁が変わらないことは容易に想像できる。周囲と軋轢を生じ、失敗のリスクを負ってまでお役所仕事を改善しようとしたらどうなるか。決して高い評価はされまい。それどころか、失敗は間違いなくマイナス評価になる。むしろ、やる気のある公務員の創意工夫まで潰すようなことになりかねない。

 いい加減、「成果主義」という幻想から目覚めるべきだ。執政政党である自民党がそのことに全く気が付いていないのであれば、これはもう亡国につながる悲劇としか言いようがない。

2013年5月21日 (火)

橋下市長の所謂「従軍慰安婦」発言

 橋下市長の「慰安婦」発言が波紋を呼んでいる。慰安婦問題は事実関係のみならずその認識をめぐって歴史学者の間でも争いのある微妙な問題であるが、これに加えて米兵の不祥事対策に「風俗」を活用しろと抱き合わせで主張しているのだから、「従軍慰安婦」を日本が国ぐるみでやっていたかどうかの事実関係の争い以前の問題として、橋下市長がそのような存在を積極的に肯定していると見られても致し方ない。

 加えて、維新の会の西村眞悟衆議院議員の「韓国人は慰安婦」発言はもう話にならない。確かに、韓国が買春で外貨を獲得していたのは歴史的事実である。先進工業国の一角を占めるまでになった今の韓国からは想像も出来ないが、朴正煕大統領以前の韓国は北朝鮮以下の経済レベルで、生産性の低い農業に依存するしかない世界の極貧国であった。このため、買春ツアーを受け入れるだけでなく、国外への出稼ぎも多く、この出稼ぎ労働者の中に買春で稼いでいた人々も相当数いたのは確かである。しかし、現在の韓国は最早そのような恥辱の歴史を過去のものとしているし、そもそも韓国人全てが買春をしていたわけではない。韓国人売春婦は確かに我が国でも頻繁に摘発される存在ではあっても、「大阪の繁華街で『お前韓国人、慰安婦』と言うてやったらよろしい」というのは道行く韓国人に「売春婦」と罵声を浴びせよと煽っているのと同じで、もう常軌を逸している。

 色々な歴史認識があることは認められてよい。韓国をはじめとする特定アジア諸国の歴史観が絶対的に正しいとは思わない。しかし、発言を全体的に観察してみると、これはもう歴史観の争い以前の問題ではないか。またぞろ「マスコミが悪い」と言っているところは、発言を「後悔」はしているが「反省」はしていない証左であると言えよう。

 橋下市長はともかくとして西村議員は注目されるはるか以前から拉致問題や領土問題に取り組むなど、決して政治家としての業績は低いものではなかった。注目されない問題に取り組むということは、政治家としては信念がなければできることではない。なぜならば、兎角に後援者というものは目立つものや大衆受けすることを政治家にやるよう求めるものだからである。それだけに、このような発言で品位を害していくのを見るのは残念だ。

2013年5月19日 (日)

映画「リンカーン」を観る

                    ファイル:Abraham Lincoln seated, Feb 9, 1864.jpg

アメリカ合衆国憲法修正第13条

 第1節 奴隷制もしくは自発的でない隷属は、アメリカ合衆国内およびその法が及ぶ如何なる場所でも、存在してはならない。ただし犯罪者であって関連する者が正当と認めた場合の罰とする時を除く。

 第2節 議会はこの修正条項を適切な法律によって実行させる権限を有する。

 ステイーブン・スピルバーグ監督の最新作「リンカーン」を鑑賞してきた。この作品はリンカーン大統領の生涯の中でも最晩年、アメリカ合衆国憲法修正第13条が可決されるまでの駆け引きが描かれている。このアメリカ合衆国憲法修正第13条はその後日本国憲法制定の際に「奴隷的拘束・苦役からの自由むとして影響を与えているもので、人権保障上特に重要な考えのひとつである。

 奴隷解放宣言は出されたものの、南北戦争末期のアメリカ合衆国憲法には「奴隷的拘束・苦役からの自由」は条文としては明記されていなかった。アメリカは州に大きな権限が与えられているが、南部の州が合衆国に復帰した場合、引き続いて州法で奴隷制を存続させる余地がまだ1865年初頭の段階では残されていたのである。そこで、リンカーンは戦争前に奴隷制を廃止する憲法改正を行い、奴隷解放を確固たるものにしたかったのだろう。

 映画は政府内や議会とのやり取りを中心に話が進んでいく。あの時代にはまだ「ロビイスト」という言葉はなかった筈だが、反対派議員を丸め込むためにロビイストが暗躍するシーンなど、現代に繋がるアメリカ政治の特質など見どころ満載だ。服飾等もリンカーン大統領が身に着けていた懐中時計のチェーンに至るまで忠実に再現されているのには驚いた。作品の中で時計が時を刻む音が聞こえてくるシーンがあるが、これは現在も保管されているリンカーン愛用のウォルサムの懐中時計から音を拾ったものだそうである。

 見どころの多い映画だったが、南北戦争はともかくとして修正13条など知らない日本人にはいささか退屈に感じるかもしれない。

 それにしても当時「平等」を謳っていたのが共和党で、奴隷制度を存続させようとしていたのが民主党であったということである。現代のアメリカ政治では共和党の方が保守的・大企業優遇・弱者に冷酷と言われており、民主党の方が人権問題にはやかましいとされている。いつの間にか立ち位置が変わってしまっているなと、いささか皮肉な見方ができないこともない。

 なお歴史的事実として、リンカーン大統領の言う「人民」の中にはインディアンは含まれていなかった。リンカーン自身が民兵としてインディアンと戦っているし、インディアンに対するエスニック・クレンジングはリンカーン政権下で大々的に行われている。我々はともすれば奴隷解放宣言などでリンカーン大統領の「偉大さ」に目を奪われがちだが、リンカーンの人権思想は現代のそれとはまた異なるものだったことは覚えておいてよい。そうすると、あの時代の奴隷制支持者にしても絶対的に悪の存在だったと言い切ることは難しいように思われる。

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