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2013年5月12日 - 2013年5月18日

2013年5月17日 (金)

琉球民族独立研究学会

 沖縄で沖縄に住む人々を日本人とは異なる「琉球人」として日本から独立しようとする団体は以前からないわけではないかったが、新たに琉球民族独立研究学会が発足した。それによれば、独立後はすべての基地を撤廃して世界中と友好関係を作るという。

 確かに、明治時代に入って決着するまで琉球の帰属は当時の清朝との間で揺れていたことは確かである。その後の沖縄の歴史を見ても、「沖縄県」でありながら本土の島とは異なる取り扱いがされたことも多く、太平洋戦争末期の沖縄戦では沖縄も「日本本土」であるにもかかわらず本土防衛の時間稼ぎのための捨て石と位置づけられ多くの犠牲者を出した。そして戦後は占領したアメリカ軍が東アジアにおいて戦略的価値が高い故に引き続き基地を置き続けて「基地の島」と化している。沖縄の人々が恨むのも信条としては十分に理解することができる。

 しかし、独立してみたところで上手くいくかというと、これは大変甘い見通しであると言わざるを得ない。

 まず、沖縄の独立を日本政府が認めたとする。日本の場合、憲法にもその他の法律にも領土の編入や割譲の規定はないのだが、「沖縄分離法」でも作って認めたとしよう。沖縄独立後は日本との関係は国と国との関係に変わるから、自衛隊の基地撤廃くらいは十分に可能である。しかし、沖縄で問題になっている「米軍基地」が撤廃される見込みはない。沖縄独立にあたりアメリカは「第三国」であり、いくら日本政府と沖縄政府が合意したとしても、アメリカが同意しなければ沖縄政府も従来の日本政府の負ってきた義務を引き継いでアメリカに基地提供の義務を負い続けると考えざるを得ないからだ。特定地域を独立させれば義務が消滅するなどという考え方は国際法の何処を探してもない。そうなると、沖縄が独立したとしてもアメリカ政府が合意しなければ、基地の撤廃は不可能だ。ちなみに、共産化したキューバでも革命政府はアメリカに基地撤廃を要求したものの、アメリカ政府は革命前の政府との間で締結された基地提供義務は継続しているとして撤廃に応じなかったのはよく知られているところだ。

 それに、運よくアメリカが「基地撤廃」に合意してくれたとしても、それで沖縄の地理的特性が消滅するわけではない。太平洋の要衝であり、周辺には資源も多い。既に1980年代末から中国の戦略として沖縄の確保が謳われており、既に沖縄の領有権の主張もはじめられている。当然、沖縄が独立しても中国としてはもともと琉球王国が清朝の「属国」であったことを理由として自国領だと主張するだろう。

 この点、台湾は海空の防衛力としては相応のものを持っているから、半世紀に渡り中国からの侵略を阻止して実質的な独立国として国を維持することができた。しかし、沖縄政府が相応の軍備を持てるとは思えない。米軍基地もなくなるのだから、中国として沖縄を「実力で回収する」ことはかなり容易になる。中国が武力侵攻してこなくとも、経済的に取り込んだ上で得意の宣伝工作で「中国への復帰」論を沖縄でばら撒けば、沖縄の方から中国への併合を求めるようにすることもそう難しいことではないように思われる。

 ただし、中国に併合されるとなれば、条件は香港よりは悪くなるだろう。今は沖縄で日本政府を批判することも米軍基地の前でデモを行うことも自由だ。多少の制約はあっても、まだ自由はある。しかし、中国に併合さされば沖縄の自由は程度の問題ではなく「あるかないか」の問題になってしまうだろう。もろちん、中国政府を公然と非難することも難しくなるだろうし、能天気な連中には「労改」送りが待っている。

 現実には、日本政府は沖縄独立を認めないだろうから、どうしても独立したければ独立後ただちに中国政府と外交交渉を行って国交を結び、同時に安全保障条約を結んで沖縄に中国軍を駐留させ、日本の独立阻止に対抗することだろう。しかし、これでは沖縄は「米軍の島」から「米軍と中国軍の島」になるだけで、もう本末転倒になる。

 独立論は話としては面白いが、実際に独立に踏み出したとしても、沖縄県民の求めているものは恐らく何も得ることができないのではないか。

2013年5月15日 (水)

韓国大統領府報道官セクハラ事件

 訪米中に在米韓国大使館の実習生に「セクハラ」を行ったとして更迭された尹元大統領府報道官だが、釈明で「文化的な差があった」と発言して更に顰蹙を買っている。

 確かに「セクハラ」に文化的な差が無いわけではない。フランスでは職場でのボディタッチは一般的な親愛の行為として拒否されない限り許されるが、アメリカではセクハラにあたるとされる。アメリカでは女性の部下を食事に誘うことであってもセクハラとされてしまうため、特に厳格と言えそうだ。

 元報道官は実習生の「腰を叩いて激励した」と主張しているが、見方によっては尻を触ったと言えるのではないか。ささいかなボディ・タッチすら厳しく糾弾される国で政府高官として疑われる行為をしたこと自体、認識不足であり高官失格であったと言わなければならない。

 韓国でボディタッチがどこまで許されているのかはよく分からないが、男尊女卑の儒教文化が国民生活に深く根付いている国であるところから見て、邪なるボディタッチが横行しているのではないかと思われてならない。先の大統領選挙でも独身女性である朴大統領に対して「欠陥品」というような品位を欠く攻撃が対立候補陣営からされたという報道もあった。アメリカのように厳格すぎる基準もどうかと思わないではないが、政府高官なり政党幹部は許容されているとしてもしないくらいの厳格さ、硬さがあってしかるべきなのではないか。

2013年5月13日 (月)

「女性手帳」は必要か

 政府与党は女性に対して結婚や出産のための体調管理や動機づけのため「女性手帳」を配布したいという意向を示した。果たして、これが手段として適切なのであろうか。

 確かに、女性の生殖のタイミングは男性以上にデリケートであるし、その時期も短い。男性の場合は五十代六十代になっても父親になる人が珍しくないのに対し、女性ではほぼ不可能に近く自然妊娠はまず望めない。そうでなくても「卵子の老化」は三十代半ばから顕著になるそうだから、それまでに出産をしておいた方が母子ともに命を救える可能性は高くなる。日本ではかつてほど出産のリスクは高くなくなってはいるものの、それでも命を落とすことが皆無になったわけではない。

 「産まない」という選択肢も当然あるわけだが、それも含めて人生設計に検討の機会を与えるためには啓発は必要なことであろう。今の女性は忙しい。学生生活は最早かつてのような「花嫁修業」や「相手探し」の場ではなく、就職してからも基本的にはフルタイムで働くことが当たり前になっている。恋愛の機会そのものは多くなっているにしろ、日々の忙しさによって結婚や出産のタイミングが忘れがちになるのは致し方ないところがある。

 しかしながら、全女性に手帳を交付するという手間に比べて、現実に結婚や出産が増えるのは別問題であろう。手帳の交付で「自覚」されるのであれば、年金手帳を交付すれば国民年金の納付率が上がってもよさそうなものだが、下がり続けているのは周知の事実だ。母子手帳のように、手帳の保持者に対して何らかの保護が具体的に与えられるわけでもない。官公庁で手帳の交付や管理の手間が増えるだけに終わるのではないか。

 そもそも、妊娠出産に有利な時期の「自覚」だけで解決するような問題であろうか。男性も含めた働き方や収入の動き、生活など全体的に見なければ解決への糸口は見いだせないのではないか。公的機関による啓発活動は大事だろうが、だからといって「女性手帳」を交付する意義は薄いと言わざるを得ない。

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