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2013年4月28日 - 2013年5月4日

2013年5月 3日 (金)

憲法記念日

 憲法記念日である。にわかに「96条改正」が注目されるようになってきたが、そもそも憲法をどのように位置づけるかと言うところから考えてみる必要がある。

 近代立憲主義では憲法は人権保障のための規定であり、統治機構は人権保障のための機械、装置という位置づけがなされている。これに対して、憲法をもっぱら統治規定と捉える考え方もある。ざっくりと分類すれば、憲法理解として護憲派が専ら前者の考え方を取るのに対して、改憲派は後者の立場を取る。もっとも、私は9条を中心に改憲には賛成の立場だが、憲法理解そのものは憲法を人権保障規定と捉える前者の立場である。「改憲派」と言っても、その態様は同一ではない(だから、私はJC等改憲派の集会に出席してもどうしても違和感が残る)。

 かつては9条が改憲の争点だったが、最近では人権思想そのものが争点になりつつあるように感じる。すなわち、人権思想そのものを日本の伝統と相容れない考え方として否定し、伝統や義理、絆など封建的な価値観を重視する立場で憲法そのものを再編すべきだという主張が増している。近代立憲主義を否定するということになると、中国や北朝鮮の主張する「独自の伝統の上に立つ独自の価値観に基づく憲法」と本質的にどう違うのかと思ってしまうが、日本人そのものが意気消沈している時代に、古い価値観にアイデンティティーを見出そうという気持ちは理解できないでもない。

 憲法論議は、究極には我々が何を重視して生きたいのかということではないか。ただし、少なくとも私は個人の自由が尊重されず、社会保障制度の存立根拠を喪った国家が、例え国防力は有していたとしても長く存続できるとは思われないし、そのような国に誇りを持って生きることはできそうにない。

2013年5月 1日 (水)

メーデー

 本日はメーデーである。国際的には労働者の日となっていて祝日だ。ただし、我が国では労働者の団結や権利向上をことさら強調する日を祝日にすることは抵抗感があったのか祝日にはなっておらず、労働者も含めて勤労者全体に感謝する日として別に勤労感謝の日が設けられている。

 メーデーを祝日にすれば、今年のような「飛び石連休」はなくなるから、まとまった休みとなる。我が国の年次有給休暇の消化率は5割を切っているが、周囲が休まないとどうしても休めないという心理は如何ともし難い。それが職場の団結に繋がっているのなら、あえて有給消化にこだわらず祝日と言うかたちで休みを設けるのもひとつの方法ではないか。

 もっとも、労働者であっても祝日を必ずしも歓迎できないという声もある。正規雇用すなわち月給制の労働者であれば、祝日が増えても収入の面であまり大きな影響は受けない。しかし、非正規労働者は時給制が一般的で、働く日が減ればその分だけ収入も減る。最低賃金ギリギリのような状態の場合、祝日が増えることで月収が大きく落ち込み、生活がままならなくなるという危険性はある。

 この一面だけ見ても、「労働者の利益」というのは一様ではない。今後は労働者間の利害調整も必要になってこようが、今のナショナル・センターである連合は基本的には大企業の正規雇用労働者中心の組織である。いきおい、この層の利益代弁者となるのは避けられない。一方で、非正規労働者の多い企業にはそもそも労働組合が組織されていないことが多いから、何らかの救済を求める場合、労働者が単独で戦えなければ企業外の組合に頼るほかなくなる。

 「万国の労働者よ、団結せよ」というのも、最早幻想でしかないのではないか。そんな感じがするのは私だけではなかろう。

2013年4月29日 (月)

憲法96条改正の先にあるもの

                   

日本国憲法 第九十六条
 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

 間もなく憲法記念日だが、安倍総理が「96条改正」を表に出して改憲勢力の糾合を図ろうとしていることで、夏の参院選で96条改正の是非が議論になりそうだ。

 この96条というのは、憲法改正の手続きを定めた規定だが、読んでみると分かるとおり憲法改正に向けたハードルと言うのはなかなか高い。まさに、この規定が憲法を普通の法律のように簡単に改正できない「硬性憲法」と言われる所以である。もっとも、憲法を普通の法律と同じように簡単に改正できないよう、憲法改正にハードルを設けているのは日本だけに限ったことではなく、そもそも大日本帝国憲法の時代にも憲法改正は普通の法改正よりもハードルは高かった。大日本帝国憲法が改正されたのはたったの一回だけ、それも現行憲法制定を帝国憲法改正という形態を取って行ったためである。

 確かに、憲法改正の手続きが厳しすぎるという指摘はある。だが、同時に憲法改正を簡単にできないものにすることで、一時的な議会の多数派が数に頼んで憲政の根幹を揺るがすことのないよう思慮を及ぼした既定とも考えられる。96条改正の是非は、憲法を硬性憲法が望ましいと考えるか軟性憲法が望ましいと考えるか、そこまで考えを及ぼす必要があるだろう。

 同時に、96条改正の話だけが先行していることにいささか違和感を感じざるを得ない。昨今政府与党から「伝統」とか「天賦人権論の否定」という話が出ていることを考えると、まず96条改正で改憲のハードルを下げておき、その後で数に頼んで基本的人権を否定乃至大幅に制約する改正を行い、人権抑圧がはじまったときにはもう遅いという流れに持ち込みたいのではないかと疑いたくなる。

 私は空想的平和主義では日本の独立も世界の平和も実現できないから、その点では9条は改正されてしかるべきと考えている。当然、国軍の設置も憲法上明記されるべきだという立場に立つ。天皇も元首であると明記して良い。しかし、近代立憲主義の原則と同じく憲法は人権を保障するための手段であるという考え方は変わっていない。統治機構も軍も、すべてが存在する意義はそこにある。すなわち、政府や軍のために国民が存在するわけではないのである。

 96条改正だけを先行させるという考え方には率直に言って反対だ。憲法全体をどのように考えるか、そこをきちんと提示して国民に信を問うべきではないか。

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