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2013年12月

2013年12月31日 (火)

平成25年大晦日

 平成25年が間もなく暮れようとしている。この一年を振り返ってみると「アベノミクスにはじまり、アベノミクスに終わった」感がある。良くも悪くも、安倍総理の独自性が表に出た一年間だったと言えよう。

 長年続いてきた「決められない政治」に対する国民の不満が昨年の衆院選と今夏の参院選で自民党に多数を与え、安定政権をつくる原動力になったと言われている。少なくとも安倍政権は安定した国会運営を行っており、昨年まで与党だった民主党を含めて野党の存在感は極めて希薄だ。したがって、与党としては「野党が反対しているからできなかった」という言い訳は最早使えない。現在の日本の状況そのものが、与党の成果だと言える。

 少なくとも、経済の数字は上向いてきている。これをもって、政府与党は「アベノミクスは成功した」と喧伝している。しかしながら、労働者の賃金はアベノミクスでも一貫して下がっている。確かに、大企業の正社員クラスはボーナスも増えてアベノミクスの恩恵を「実感している」と言っていたが、非正規労働者には景気回復の実感は全くない。それどころか、消費税の増税や物価の上昇が生活を直撃している。更に、安倍政権は労働規制緩和をやりたくて仕方がないが、現在でも青息吐息の労働者は更なる激烈な競争に晒されることが予定されている。そして、セーフティーネットは下がる一方だ。これでは、彼らに「消費せよ」と言っても無理である。より安いものを求め、少しでも余財ができれば貯蓄に回さざるを得ない。

 来年は東京都知事選挙はあるが、国政選挙の予定はない。秘密保護法の審議を通して、政府与党は強行突破を辞さず、野党は弁舌ですらそれに対抗する力を持たないことが明らかになっている。来年は安倍政権の動き方によっては、中間層以下の国民にとっては更に厳しい一年が待っているのではないか。

2013年12月29日 (日)

リニア中央新幹線着工へ

 いよいよ来年にはJR東海がリニア中央新幹線を着工するが、東海道新幹線と違って先行きは厳しそうな予感がする。何しろ、行先が開業当初は名古屋までと明らかに「中途半端」な上、運行本数やチケットの取り易さ(原則ネット予約)などを考えると、「普通に新幹線を使った方がいい」と考える人が多いのではないか。
 出張でも今や経費節減で、長距離移動は長距離を走る在来線が消滅してしまったから新幹線の利用が認められていても、「自由席」利用が原則と言う会社が珍しくない。一方、エグゼクティブは飛行機を使うのがステイタスである。滋賀県に住んでいる某教授は東京での会議のため、わざわざ大阪空港まで行って飛行機に乗っていたくらいである。

 「防災」という観点からは、東海道新幹線のバイパスとなる新たな高速鉄道の敷設そのものは正しい判断であると言える。しかし、今のリニア新幹線は飛行機と新幹線の間の中途半端な存在を巨費を投じて建設するということになるのではないか。

2013年12月27日 (金)

安倍総理の靖国神社参拝に思う

 靖国神社参拝に意欲を見せていた安倍総理が、ついに参拝に踏み切った。もちろん、中韓は激怒しているが、このあたりまでは誰もが想定の範囲内であっただろう。しかし、アメリカやEUが露骨に不快感を示している。これは今までの靖国神社参拝には見られなかった現象だ。

 言うまでもなく、戦没者追悼の姿勢は各国共通のものである。だからこそ、政治的にこの問題を利用したかった中韓はともかく、それ以外の国では「靖国神社は日本式の戦没者追悼施設である」という理解がなされており、格別の問題視はされてこなかった。中東情勢に振り回されているアメリカが中韓との関係を損なうようなことを日本にさせたくないという意図は分かるが、EUの不快感はただごとではない。

 中韓特に韓国は「日本はナチスと同じ」と喧伝を続けてきた。大統領以下、その執念は凄まじいものがある。靖国神社がアーリントンと同じ位置づけならば問題視されないだろうが、日本はナチスと同じで靖国神社の英霊は親衛隊と同じと言うことならば話は違ってくる。特に反ナチスでなければならないEU諸国としてみれば、日本を擁護することでナチス擁護者とされてしまえば社会的に抹殺されてしまうから、過剰な反応になったのだろう。

 諸外国への宣伝と言う点において、特定アジア諸国の方が一枚も二枚も上手であったと言える。これで「日本=ナチス」「旧日本軍=ナチス親衛隊」が欧米諸国で常識になってしまえば、安倍総理の靖国神社参拝はドイツの首相がヒトラーを賛美するのと同じように見られてしまう。中韓の反応よりも、EUの反応を注視すべきではないだろうか。

2013年12月25日 (水)

トルコ中央政界汚職事件

 「賄賂万国共通」と言った友人がいたが、この言葉は真理だ。今なお、賄賂が無ければ国がまともに運営できない国は珍しくない。賄賂を授受しなくとも権力を使って便宜を図ったりする汚職は何処の国でも後を絶たない。それでも、腐敗の程度と言うものはある。

 トルコでは閣僚の親族の大規模汚職事件が摘発され、子供を逮捕された経済相と内相が辞任する事態となった。ともに潔白を訴えてはいるが、長期政権ともなればあちこち腐敗してくるのは何処の国も同じだということだろう。

 特にトルコは公正発展党のエルドアン政権が誕生して以来、急速な経済成長とともにヨーロッパとイスラームの中間という立ち位置を活かして外交的にも存在感を増してきていた。それだけに、与党幹部の元に集まる権力は大きい。経済発展の過程では韓国も台湾も汚職が続発した。意外と思われるかも知れないが、台湾も韓国も軍事政権時代にはあまり大規模な汚職は起きていない。トルコも、経済発展とともに「汚職大国」になりかねないところである。

 もともと、公正発展党は貧富の格差や不正によって苦しむ中低所得者層をバックにしてイスラームを掲げて成長してきた政党である。それだけに、トルコ国民の失望は大きいのではないか。

2013年12月23日 (月)

天皇誕生日

 天皇陛下が80歳の誕生日を迎えられた。誕生日に出されたお言葉は「天皇の立場は孤独」という苦悩とともに、政治に関する権能を有しないとされている立場でどこまで何ができるのかについても試行錯誤をされていることがにじみ出ているものであった。

 国民の一人として、陛下が健康で過ごされることを願ってやまない。

2013年12月21日 (土)

「みんなの党」が分裂

 結党以来着実に議席を伸ばし続けて来たみんなの党が渡辺代表と江田前幹事長の路線対立から分裂し、しかも国会会派としてのみんなの党は離党者のうち比例区選出議員の辞職を求めて会派離脱届を提出せず、混乱が続いている。

 一時はみんなの党は「政党法」など政党内に何らかの統制制度を設けることを提案しており、私も公費をつぎ込まれる政党は相応のガバナンス制度を設けるべきだと思っていたので、これには賛成であった。しかし、今回の分裂劇は「みんなの党」というよりは「俺の党」をめぐる対立であり、政策云々とうよりは野党再編をどうするか、その過程で権力を握れるかどうかと言うところが表に出ているように思えてならない。何しろ、みんなの党は昨年の衆院選では維新と票を食い合ったものの、自民党や民主党にはあきたらない新自由主義思想を掲げることで票を伸ばしてきた。野党再編と言っても、民主党の多数を占める労組出身議員にしてみれば、そもそも労働者の権利を本質的には保護しない思想と同居することはできないだろう。

 新しく結成された「結いの党」も、先が見えている状態ではない。もともと「みんなの党」はその名前とは裏腹に渡辺体表の個人的な組織と言う傾向が強く、オーナー企業と同じような問題を抱えている。先に柿沢議員が党を追い出され、江田前幹事長も幹事長職を追われている。このまま党に留まっていても先がないから独立しようというところだろうが、これでは生活の党の小沢代表がかつては大きな権力を持ちながらも反対派と次々に物別れして言った結果ミニ政党の党首でしかなくなったのと同じことになるのではないか。

 確かに思想や政策は重要である。しかし、すべての党所属の議員や党員が思想や政策が完全に一致しているということはあり得ない。逆に言えば、自民党は議員や党員がそもそも幅があったからこそ、党内議論を活発化させて適宜政策を修正することで政権を維持してきている。このやり方は権力維持のために最終的にはまとまっているという感が無いわけではないが、様々な意見を集約してきたことは確かであり、ここにこそ野党は学ぶべきではないか。

2013年12月19日 (木)

猪瀬東京都知事が辞職

 猪瀬東京都知事が辞職した。至上最高の得票で都知事に当選し、オリンピック招致に成功したことが嘘のようなあっけない辞職表明となった。絶頂に達した後は転落しかないが、そのあまりの早かったのにただ驚くばかりである。

 猪瀬知事は「政策に明るくても政治には疎かった」という趣旨の発言をしているが、そもそも5000万円を受け取ってよく覚えていないということ自体が従来の政治家と変わらないことを自覚していなかったのだろうか。

 また都知事選挙が行われる。東京都知事は首都の首長ということもあって、単なる一自治体の長というだけではない広がりを持っているし、影響力は大きい。知事を決めるのは東京都民だが、国民としても無関心ではいられない。

2013年12月17日 (火)

記憶にございません

 東京都の猪瀬知事の借入金問題は、弁明が二転三転し、ますます疑惑を持たれる結果になっている。そもそも、数千万円をロクな借用書もなく返済期限も定めないで貸し借りするなど常軌を逸しており、一般人の感覚からは考えられないことだ。

 政治家の「記憶にございません」「忘れました」は、ロッキード事件以来すっかり定着してしまった感がある。「またか」と思っている国民は多かろう。

 ただ、民主主義にはどうしても金がかかる。政治活動ビラやポスターは決して安くはないし、選挙ともなれば街宣車や選挙事務所など、最低限の活動をするだけでもそこそこの支出は覚悟しなければならない。しかも、その期間は収入の道を絶たれることが多いから、生活費も必要となる。「選挙に金がかかる」と言うとすぐに買収でもしているのではないかと疑われるが、公費助成制度が少なく選挙ボランティアも公務として認められていない我が国では、政治家の負担は想像以上となる。議員になれば歳費は支給されるので額面的には悪くないように見えるが、政治活動の費用を支出しさらに冠婚葬祭等に顔を出さなければ「地元活動に熱心ではない」と言われるから、そうした支出もバカにならない。残念ながら、それが日本の選挙の現実であって、そうしたことに不熱心では落選することになる。

 猪瀬知事を選んだのは都民である。このような人物を選んだ責任は有権者にあり、本当に政治とは何か、改めて考えてみる必要があるのではないか。猪瀬知事を悪者にして、それで済むという話ではない。

2013年12月15日 (日)

張成沢前国防委員会副委員長を粛清

 金正恩第一書記が、叔父で北朝鮮ナンバーツーの地位にあった張成沢国防副委員長を粛清したことが明らかになった。即決裁判で死刑判決を出し、ただちに公開処刑するといういかにも独裁国家らしいやり方で、北朝鮮が金正恩体制になってむしろ独裁化の傾向に拍車をかけているとさえ思えてくる。

 金正恩第一書記はまだ若く、実務経験は皆無に等しい。デノミや三年前のヨンビョン島砲撃事件に関与したと言われているが、いずれも失敗しており実績にはなっていない。北朝鮮国民の不満も鬱積していると言われており、権力の強化に必死になるあまり、自分の地位を脅かしそうな張成沢を粛清したと見られている。ただし、そうだとすればまことに「浅はか」であったと言うしかない。

 実務経験のないトップにとって、補佐してくれる部下は絶対に欠かせない。張成沢氏は長年金正日総書記の補佐役をつとめ、金王朝の一員でもあった。確かに若いころから遊び好きなところがあり、岳父の金日成によって地方に左遷されたりしているが、金王朝のロイヤルファミリーの中では多くの実務経験を持ち信頼できる人物だった筈である。父親の金正日も張成沢という人物を見極めた上で息子の「後見人」に就けた筈だ。

 確かに、ナンバーツーはトップにとって場合によってはライバルになる。しかし、北朝鮮では既に三代にわたり世襲が行われており、前任者からすんなり権力を継承できるのは実質的には血縁者をおいて他にはないという状態になっている。仮に張成沢が金正恩を葬り去ることができたとしても、権力まで継承するのは難しい。年齢的に見ても、蓄財はともかくとして金正恩を葬ろうという意図はなかったのではないか。

 北朝鮮だけでなく韓国もそうなのだが、朝鮮半島では「身内」しか信用しない傾向がある。だからこそ、韓国では血縁者による「財閥」が経済を支配しているわけだが、これは北朝鮮も同じようなものだ。すなわち、金正日は最も信頼できる「身内」として張成沢を息子の補佐につけたのだろう。同時に、張成沢以外の人物として後見人になれる身内は「いなかった」とも言える。金正日の叔父である金英柱はソ連留学の経験もあり(実は日本軍の通訳として活動していた過去もある)一時は金日成の後継者候補でもあったが、金正日が後継者に決まった後は表舞台にはほとんど出ていない。金正日の兄弟にしても、ほとんどが「お飾り」であるばかりでなく、去勢された上で大使として事実上の海外放逐されている者までいる。

 結果として、金正恩は一番信頼でき実務を任せられる身内を葬ってしまったと言えないだろうか。金正恩は最高指導者となってから粛清を大々的に行っていると伝えられており、公開処刑も機関銃や迫撃砲で行うなど残虐ぶりを極めている。若くして最高指導者となり、相当に疑心暗鬼になっているものと思われる。このような「絶対君主」には大抵おべんちゃらを使う佞臣がついており、実力者の悪口を吹き込んで粛清にもっていくものである。

 金王朝は、まさに「王朝末期」の状態と同じであると言えよう。朝鮮半島では日本と同じくかつては「中国古典」の素養が必須だった筈だが、どうやら三代将軍は読んでいないようだ。

2013年12月13日 (金)

「我が闘争」の出版禁止継続へ

 ヒトラーが口述筆記された「我が闘争」はナチスのバイブルとして有名である。しかし、この本は名前だけは有名だが、「読んだことがある」という人はほとんど見たことがない。というのも、ドイツでは著作権を管理しているバイエルン州がナチスを賛美する危険があるということで出版を認めてこなかったし、日本でもネット書店で日本語訳が販売されるのを差し止めようとする運動があった。要するに、市中にあまり出回っていなかったのである。

 ところが、ドイツでは2015年に著作権が切れてしまう。そうなると、誰でも出版できることになる。ドイツでは実質的な出版禁止を継続するため、「我が闘争」を出版したらナチスを賛美する罪で処罰するのだそうだ。

 いささか、これはやり過ぎではないだろうか。私はナチスを嫌悪する一方、2000年に及ぶディアスポラの苦難の末に祖国を自らの手で作り上げたユダヤ人に敬意を抱いている。しかし、ナチスやヒトラーの思想を批判するためには、当然ながら彼らが何を考えていたのか知る必要がある。「悪いものは悪い」というだけでは、逆にああいう危険なものに対する危機感が薄れてしまうのではないか。やはり、内容を理解した上で批判するのが適切ではないか。

2013年12月11日 (水)

次は共謀罪

 秘密保護法が通過したと思ったら、次は「共謀罪」を制定するための法改正を政府与党は行うつもりらしい。秘密保護法と同じくらい「共謀罪」の考え方には問題が多い。解説については弁護士が色々書いているからそちらを読んだ方が分かり易いと思うが、秘密保護法に加えて共謀罪が成立すれば、後に来るのは「自粛社会」である。

 これは、力による弾圧よりも時間がかかるが、国民を無知無能にするには極めて有効に方法だ。国民がモノを考えなくなれば、権力者が思いのままに操るのはそれほど難し事ではない。古代ギリシアの衆愚制や帝政ローマ末期の混乱状態がそれを証明している。

 ナチスの社会ですら、ドイツ国民は自分たちは自由だと思い込んでいた。ソ連や中国でも、国民は自分たちは自由だと思い込まされていた。それと同じことが日本国民にも起きるのではないかと危惧しているのは私だけではないだろう。もっとも、今の政府を選んだのは国民であり、政府を支持しているのも国民である。普通の国なら反政府デモや暴動が起きるような状態でありながら、我が国は実に静かである。そうすると、やはり国民が自分で自分を抑圧する道を選んでいたのではないかと後世の歴史家は指摘するのではないか。

 「考えないこと」もまた罪であり、不作為は悪事を容認したのと同じことになる。歴史の教訓はあまりにも重い。

2013年12月 9日 (月)

海上自衛隊が内部告発者を懲戒へ

 護衛艦「たちかぜ」は海上自衛隊二隻目のミサイル護衛艦として長年国防の第一線で活躍し、護衛艦隊旗艦もつとめた。就役末期には上官の嫌がらせにより乗組員が自殺するという事件を起こしている。

 この事件をめぐっては、遺族が真相究明と損害賠償を求めて提訴し、この過程で海上自衛隊側が自殺した乗組員の下宿をひそかに整理して証拠のもみ消しを謀った疑いが発覚するなど、組織をあげての隠蔽体質を露呈することとなった。この「いじめを調査した内部文書は無い」と言っていた海上自衛隊に対して文書の存在を内部告発した三等海佐が懲戒処分にかけられるというのだから、呆れるばかりだ。

 この三等海佐は当初は防衛省内で定められた手続きに則って内部通報窓口に申告したが何の対応もしてもらえず、裁判の過程で文書の存在を示す陳述書を提出するというかたちで内部告発を行っている。ある意味、内部告発事件のお定まりの過程だが、これで懲戒処分が許されるとなれば、そのうち労働者が労働組合や我々に労働相談をすることも「職場の内部情報を漏らした」として懲戒処分や契約更新の拒絶などを含む不利益処分がまかり通るようになるのではないかと危惧せざるを得ない。

 秘密保護法が国会を通過したが、この法律では秘密の範囲はもとより秘密文書の保管や破棄は実質的に行政機関の裁量に実質的には委ねられてしまっている。そして、第三者が秘密性について調査することも出来なければ、後世の検証に委ねることも難しい仕組みだ。このタイミングで、早速情報漏えいだと内部告発者を懲戒処分にしようとする海上自衛隊の姿勢は悪い冗談にしか聞こえない。

 隊内のいじめを放置し、自殺者が続出している中でも隠蔽していたのは海上自衛隊である。そのような中で問題を提起するとすれば、文書の持ち出し等厳密には「服務規律違反」の行動をもって対応せざるを得ない。これは、刑事法で言うところの「違法性阻却自由」と考えるべきなのではないか。私は重大な国防上の機密を扱う自衛隊には専門家で作る第三者的な「軍事監察委員会」のようなものを設置して秘密の保護と組織内部の問題のもみ消し防止するべきだと考えているが、残念ながらそのような仕組みは導入されていない。内部の不正を正すべき機能をマヒさせているような状態で、告発した人間を悪者にするというのは許されるべきではない。

 我が国は民主主義国である。そうである以上、民主主義的な軍隊を持たなければならない。一方的に問題提起や告発を抑え込み組織の悪事を隠蔽するようでは、機密保全に名を借りて何をやり出すか分かったものではないと左翼あたりに攻撃されても仕方がないではないか。

 公的機関がこのように内部告発者に不利益な処分を行い、組織の問題を何ら改めないということになれば、民間企業もそれを見習うのは自明の理というものだ。行政ができないことを民間がやるわけはないのである。今回の問題は単なる自衛隊の機密情報の取り扱いの問題と言うだけでなく、企業内部の不正を企業外部の第三者、それは裁判所も含まれるようだが、そうしたところに相談するだけでも懲戒にされるという極めて危険な社会に転換してしまう危険性を孕んだ問題であると言えよう。

2013年12月 7日 (土)

ネルソン・マンデラ元大統領死去

 アパルトヘイトと闘い続け、遂には南アフリカ共和国大統領にまで上り詰めたネルソン・マンデラ元大統領が死去した。人種差別との戦いに人生を捧げた偉大な大統領として、記憶されることになるだろう。

 アパルトヘイトはなくなったが、今なお南アフリカでは貧富の格差は大きい。治安の悪化もあるし、HIV等性感染症の拡大も問題になっている。公的に差別する制度が無くなったからと言って、ただちに社会全体が上手くいくわけではない。

 粘り強く戦いを続けた精神を見習っていく必要があるのではないか。ご冥福をお祈りしたい。

2013年12月 5日 (木)

秘密保護法の成立が確実に

 秘密保護法が参議院を通過し、成立することがほぼ確実になった。これだけ内容について政府内ですら見解の相違が多い法律が簡単に通過してしまうことに、いささか恐怖心を覚えないではない。

 現実には、この法律が適用されて処罰されるということはほとんど起こらないだろう。この手の法律は国民の「抑制」が真の目的であるからだ。「物言えば唇寒し何とやら」という時代になるのではないか。

 既に、大手のマスコミは数十年前から政府与党の問題を暴き立てるということをしなくなっているが、これは沖縄返還密約事件が影響していると言われている。あの事件は毎日新聞の西山太吉記者が国家公務員法の「そそのかし」に問われたのだが、最高裁で有罪となつたこともあって、新聞記者の活動を委縮させる効果はその後も存続していると言われている。

 昨今の秘密保護法の議論の中で西山記者は国家権力と闘った英雄にされてしまっている感があるが、裁判で「ひそかに情をつうじ」と話題になったとおり、人妻である蓮見喜久子外務事務官と性的関係を結んで情報を持ち出させていたのは事実であったから、取材手段の点で問題がなかったとは言えまい。

 今後、実際に秘密保護法違反に問われた被告人の公判でこの法律が「憲法違反」ではないかと争われる可能性は高い。実際には裁判所が違憲として無罪判決を出したとしても、被告人は職を失い長い法廷闘争で消耗し、人生は破たんしていることだろうが、争う人は出てくるのではないか。裁判官の良識が問われることになる。

2013年12月 3日 (火)

訪韓日本人の減少に思う

 あの「韓流ブーム」が嘘のように訪韓日本人は大幅に減少し、韓国の観光業界は悲鳴を上げているそうだ。大統領から国民まで、国を挙げて「反日」にまい進している以上、こうなるのは当然の結果だと言える。

 この点、日中関係は緊迫しているように見えても、両国の首脳は冷静であるように思われる。チキンレースが続いているが、両国とも利益を考えていずれしかるべきところに落ち着くだろう。しかし、韓国との関係はそれより難しい。「利益」以上に「感情」の問題が大きいからだ。感情がメインである以上、妥協するのは簡単ではない。

 日韓ともに、若い世代になると相互交流が盛んだから、世代が変われば関係も変わっていくだろう。現在韓国の中心になっているのは日本と断絶し、反日教育でしか日本を知らない世代である。しかし、まだ時間がかかるに違いない。

 この10年ばかり、日本では韓国は一種の「ブランド」であった。ある意味、韓国の送り出してきたものに乗せられた感がある。韓国観光業界も、それに乗って安易なビジネスをしてきた感は否めない。

2013年12月 1日 (日)

博物館の説明に思う

 最近は博物館も展示方法や説明に工夫を凝らすようになった。無理もない、あの国立科学博物館すら国立から外され、客を集めて稼がなければ存続が覚束なくなっている。地方の博物館の中にはもともとやる気がなかったのが更にやる気がなくなり、展示物が破損してもそのままにして、僅かにプラネタリウムなどエンターテイメント的な施設を稼働させることで家族連れが「遊べる」施設になってしまっているところも少なくない。

 一方、展示方法を工夫して「大人でも楽しめる」博物館になっているところもある。国立科学博物館はこのタイプで、展示方法や展示物はアメリカやイギリスの自然史博物館にも劣らないものになっている。常設展示だけでなく、特別展も魅力のあるものが多く、大人向けの年間パスポートもよく売れているという。

 それなりの規模の博物館の特別展では、音声ガイドが貸し出されているのが一般的だったが、最近ではタブレット型端末を利用して音声だけでないガイドを行うケースも珍しくなくなってきている。確かに、情報量は格段に増えているのだが、実際にそのような展示を見に行くと、ああいう案内装置も考え物だと思う。

 参観者は、当然ながら展示物を見ながら案内を聴きたい。当然だろう。しかし、混んでいるときに添付物の前で何分も説明を聞かされるとどうなるかと言えば、混雑に拍車がかかることになる。イヤホンを耳に入れた人たちが展示物の前から動かないのである。これに加えて、タブレット端末で説明を見るようになると、列は更に伸びることになる。

 加えて、最近ではきちんとした順路や列を博物館側が作らず、「空いているところから見てください」とやっていることも多いが、これはもう展示側の職務放棄だろう。

 博物館には展示や説明の充実だけでなく、きちんと展示物を見ることができるような運営にも気を配ってもらいたいものだ。特に恐竜など、子供が詰めかけるようなネタの時には特にである。

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