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2013年9月

2013年9月29日 (日)

消費税増税法人税減税

 消費税増税はいよいよ「本決まり」だが、ここに来て安倍総理は法人税の減税に意欲を見せている。もともと消費税という制度そのものが法人税や所得税の減税とセットになって創設されたものだが、幾らなんでも法人優遇は露骨すぎるのではないか。

 もともと現在の消費税増税論議は増え続ける社会保障費を国民全体で支えようという趣旨に基づくものであった筈だ。そのために消費税を増税し、同時に給付についても引き下げる。特に年金については小渕内閣の時代に物価が下がったにもかかわらず物価スライドによる引き下げを行わなかったため「特例水準」と呼ばれる高い割合での支給が続いており、2.5%を段階的に引き下げていく予定である。その第一弾は10月分よりの1%削減である。

 ところが、消費税増税に併せて法人税を減税するのでは、結局のところ法人税を減税するために消費税を増税したのかと言われかねないものだ。そして、法人税減税は幾度となく行われてきたが、近年では現実的にそれが雇用や賃金の増加には結びつかず、結果的な内部留保に回される結果となっている。政府与党は馬鹿の一つ覚えのように「法人税を減税すれば企業活動が活発になり、賃金や雇用が増える筈」と説明しているが、法人税を減税されたとしても企業側にそんなことをする「義務」まで課すものではないことは言うまでもないことだ。

 賃金が下がれば消費は落ち込む。雇用が流動化したり社会保障が後退すれば、これまた将来不安からため込もうといういう意識が働き消費が落ち込むのは道理である。既に物価は上昇し電気ガス郵便料金等軒並み値上げされ、それに対して賃金はアベノミクスでも更に下落傾向にある。つまり、「実質的な賃下げ」が実現してしまっている。企業側の負担を減らせば企業活動が活発になると言われてきたが、そもそも吸い取るべき労働者や消費者が骨と皮と筋ばかりになってしまっては利益など上がるはずもない。

 大企業であれば「富の海外移転」は比較的容易にできる。これに対して一般国民はそのようなことを制度的に禁止されているわけではないが、現実的には難しい。自民党を支えている中小企業主や農家にしても同じことだ。特殊な技術や技能を持つ中小企業はごく僅かであり、ほとんどの中小企業はオーナーの「顔」によって仕事を取ってきて命をつないでいる。農家にしてもその土地で営農しているからこそノウハウもある。何れも、容易に海外移転させられる性質のものではない。何処に投資をすれば社会にカネが回るようになるのかは、小学生でも分かる話ではないか。

 特に復興関係の増税は国民全体で被災地を支えようという性質のものと説明されてきた。法人は被災地を支える必要はないというのだろうか。

2013年9月27日 (金)

優勝おめでとう!東北楽天ゴールデンイーグルス

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 東北楽天ゴールデンイーグルスがパリーグ優勝を果たした。球団創設から9年、震災に打ちひしがれた東北を勇気付けた。たまたま私は仙台駅構内を歩いていて、駅の中にある楽天ショップに入ってみたところ、ちょうど8回あたりで盛り上がっている最中であり、気が付いたら後から入ってきた人で出られなくなってしまった。折角なのでそのまま優勝を楽天ファンの皆様と一緒に見届けて喜んだ次第である。愛知県の人間としては星野監督はどうしても「中日」というイメージがあって、楽天のユニホームにいささか違和感を覚えないではなかったが、「やはり星野監督」という感じがしたものである。

 思えば、近鉄バッファローズが立ち行かなくなり「1リーク制」をはじめとするプロ野球の再編問題が起きたのは2004年であった。あの騒動がなければゴールデンイーグルスは生まれなかった。2005年の大阪大学大学院の口頭試問で「少子高齢化問題」と並んで「1リーク制の問題」が出題された記憶がある。幸い私は少子高齢化問題に当たったのだが、1リーグ制に当たっていたらどうなったか分からない。

 2004年のプロ野球再編問題では12球団でストライキも行われ、労働問題や労働法の観点からは、プロ野球選手が労働者にあたるか、選手会が労働組合にあたるかなど興味深い問題が生じている。結果的に近鉄バファローズはオリックスに吸収され、新たにゴールデンイーグルスが創設されたが、バファローズの職員や選手はオリックスと並んで一部がゴールデンイーグルスに引き継がれているから、今回の優勝は彼らにとって感無量の事であろう。

 ゴールデンイーグルスを運営している楽天は医薬品販売問題で政府を動かして自分たちに有利なルールを作らせ、オリックスは宮内会長が小泉改革で同じようなことをやっている。日本ハムは偽装、西武に至っては伝統的なブラック企業と言われており、運営母体がみんな一癖二癖あると皮肉な見方ができなくもない。

 引き続きクライマックス・シリーズがあり、そして日本シリーズが控えている。あの一連の騒動で交流戦なども行われるようになり、日本の野球がよりハラハラしながら観られるものになったことは確かである。プロ野球はスポーツであるとともに興行だから、この方向性は間違っていなかったと言えるだろう。引き続き、国民を楽しませてくれることを期待したい。

 最後になるが、大阪では阪神が優勝するとファンが道頓堀のドブ川に飛び込むという奇行があり、ソフトバンクも優勝するとファンが中洲に飛び込んでいた。楽天の優勝は今回がはじめてだが、これを機会に広瀬川や名取川に飛び込むという馬鹿な風習が生まれないことを祈りたい。

2013年9月25日 (水)

ムスリム同胞団の非合法化は逆効果

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 エジプト行政裁判所はイスラム原理主義組織と言われる「ムスリム同胞団」とその政党部門である自由公正党に対して解散を命じる判決を言い渡した。エジプトの行政裁判所の手続きについては詳しくないが、解散判決を求める勢力が出訴し、それに応じて行政裁判所が解散を命じる判決を出したということである。

 ムバラク政権崩壊後高まったイスラムの潮流の中で、従来は地下に潜っていたムスリム同胞団が勢力を伸ばし、一時はモルシ大統領を擁して政権の座に就いた。しかし、イスラム色が強まったことを警戒する軍部のクーデターによって引きずりおろされたのは記憶に新しい。

 エジプト政府としては反政府勢力となっているムスリム同胞団を解体することで政権基盤を強化したい狙いがあるものと思われる。加えて、エジプトは欧米諸国の援助を必要としているが、911テロ以来欧米諸国は「イスラム原理主義勢力=テロリスト」であり、欧米諸国の信頼を得ることによってスムーズな援助を引き出そうという意図があるのだろう。

 確かに、モルシ政権下では「イスラム国家樹立」を叫ぶムスリム同胞団が大きな力を握り、「イスラム法に基づく国づくり」を掲げた憲法を作ろうとしたり、少数派のコプト教徒を圧迫していた。もともとエジプトはイスラム諸国の中ではトルコほど徹底はしていないが世俗的な国であり、世俗的なエジプトを望むのであれば、イスラム原理主義を掲げたムスリム同胞団は脅威そのものだっただろう。規制をかけていこうというのも理由がないわけではない。

 しかし、ムスリム同胞団は単にイスラムを掲げたからエジプト国民の支持を得られたわけではない。エジプトという国は日本では知名度が高い国だが、その国内実態はあまり知られていない。私はエジプトを訪れたことがあるが、「中国奥地より酷い」という感想を抱いた。外国人旅行者の立ち寄る一部を除けばインフラは貧弱で不衛生、国民の教育程度は低く奥の国民が読み書きができない、貧富の格差は大きく、警察官が公然と賄賂を求めるなど、一言でいえば国全体から腐敗臭が漂っているという印象であった。このような国では、弱者に対する保護を政府機関に求めることは難しく、実際にエジプトの政府機関は貧困層に対してまともな対応をしてこなかった。

 エジプトの貧困層に対する福祉、教育を担っていたのがムスリム同胞団をはじめとするイスラム団体であった。もともとイスラム教には「喜捨」という考え方があり、金持ちになってもそれはアッラーのお恵みであって社会に還元することが貴い行いとされている。政府の福祉からこぼれた人々に対して救いの手を差し伸べてきたのがイスラム・ネットワークに属する団体であり、ムスリム同胞団もその一つであった。ムスリム同胞団は単なる宗教団体ではなく、社会活動団体としての色合いも強い。医師や弁護士など社会的地位の高い人々が参加していたこともあるから、これでは影響力を持たない方がおかしい。福祉や教育を担うことでイスラム原理主義団体が貧困社会に浸透・蔓延しているのはエジプトに限った話ではなく、パレスチナでもイスラム原理主義組織「ヒズボラ」が勢力を持っているが、自爆テロを行う一方で福祉教育部門を持ち、パレスチナでの福祉教育に無視できない地位を占めている。

 残念ながら、エジプトにしろパレスチナにしろ、経済が即座に好転する要素は見当たらない。そもそも、教育程度の低い国民ばかりでは高度な産業を興すこともできないから、当然の事だろう。その僅かな利益にしても、財閥や役人と結託した政商が暗躍している。エジプトの政変も見方を変えれば「革命の利益をしゃぶりつくす」争いであった。ムバラク政権の残党はもとより、ムスリム同胞団も政権与党になった時にやっていたことは左程違わない。いずれにせよ、政府から見放された人々の教育・福祉はイスラム団体が担わざるを得ない。非合法化されたところで、地下活動やダミー団体を使って市民に浸透することは難しいことではない。

 非合法化してしまうということは、政府与党と対話や交渉を行うこともできなくなるということである。彼らが自分たちの意見を通そうとすれば、非合法闘争に走ることは目に見えている。交渉窓口がないまま相手が非合法闘争に走り出せば、それこそ本当に殺すか殺されるかの闘争をやるしかない。それが泥沼化していくのは紛争地を見ていれば誰でもわかることだ。

 かつて、日本共産党は「武力革命」を掲げて非合法闘争を行っていた。あまり詳しいことは判明していないが、毛沢東を真似して山奥に籠り、軍事訓練を行っていたらしい。幸いなことに国民が共産党の武力革命路線を支持しなかったので議会選挙を通して合法的な戦いを進める方向に転換したのだが、それを潔しとしないで共産党を去って行った人々も少なくなかった。中国共産党からは武力革命を求められ、日本共産党と中国共産党が長らく対立状態にあったことはよく知られている。

 歴代自民党政権は共産党に対して最大の警戒をもって接していたのは確かだった。1950年代から60年代にかけて、西側諸国では「反共」の嵐が吹き荒れた。台湾や韓国では共産主義者は片っ端から逮捕されて秘密裏に投獄された。日本でも共産党を「非合法化」しようとすれば、全く不可能ではなかつただろう。しかし、それをやっていれば、議会闘争と言う手段を失った共産党は再び武力革命路線に走ったかもしれず、そうなっていれば日本はどうなったか分からない。ネパールやタイやフィリピンの共産ゲリラに対してと同じように、中国やソ連が資金や武器の供与を行った可能性は高い。共産革命が成就したり一定の実効支配地域を確保できなかったとしてもゲリラ戦でも続けられればネパールのような政情不安の原因となった可能性もある。しかし、議会選挙を通じた合法闘争までは排除されなかったことで、共産党は時の政権与党に対する警鐘乱打の政党として一定の地位を占め続けている。これは長い目で見れば、日本の政治にとって非合法化するよりも良い結果をもたらしたと考えられる。

 議会闘争を通じて合法的な論争を行うことができれば、対話や妥協も考えられる。反対派の意見も尊重し、ある程度取り込むことで全体として丸く収めることは民主主義国では当たり前の政治の風景だ。しかし、ムスリム同胞団とその関連団体を一網打尽にして活動を禁止してしまったら、こうした対話や妥協はもう不可能になってしまう。そして、対話の場を喪ったムスリム同胞団を狂暴なテロ集団に変貌させる引き金になるのではないか。

 無論、ムスリム同胞団の扇動する暴力的な行動についてはエジプト政府が厳格な制裁措置を取るのは当然の事であろう。一定の活動の制約を行うことも必要だ。しかし、全ての活動を完全に非合法化してしまうことは、むしろ逆効果になりかねない。

2013年9月23日 (月)

JR北海道事件

 JR北海道で事故が続いている。ディーゼル特急から出火する事故に加えて、今度は貨物列車の脱線事故をきっかけに線路の異常を報告されていながら補修を「失念」していたいう呆れた実態が明らかになった。死人が出ていないのは不幸中の幸いと言うべきで、死者が出ていたとしても何の不思議もない。

 民間企業では、残念ながら安全対策は後回しになりがちである。華やかに実績をPRできるところではないし、昨今の「成果主義」の風潮では簡単に目に見える「成果」を出しにくいところは軽視される傾向にある。安全対策の予算を求めたとしても、「その予算でどの程度の収益になるのか目に見えるかたちで出せ」と言われてしまえば納得させられる数字を出すのは容易なことではない。

 国鉄の分割民営化は成功したと言われている。しかしながら、新幹線というドル箱を抱えているJR東海の管内で暮らしているとあまり実感できないのだが、ローカルな不採算路線を簡単に切ることができないJR北海道やJR四国の経営は厳しい。その中でも札幌と函館の間は特急列車が行き交う「最重要路線」の筈なのだが、そこすら不備が続発していたということは、JR北海道ではそもそも安全対策に対する認識そのものが欠落しているのではないかと疑わざるを得ないところだ。

 「北海道には大手私鉄がなく、競争がないから駄目になったのではないか」という意見もあるが、大手私鉄との競争に晒されているJR西日本が福知山線で重大な事故を起こしたのを忘れているらしい。競争をすればよくなるという短絡的な思考からそろそろ脱却した方が良い。JR西日本でも大手私鉄との競争のため目に見える新型車両の投入や時間短縮には積極的だったが、自動列車停止装置の設置や労務管理については後回しにし続けた。その結果、2005年4月に大惨事を起こしたのである。

 安全対策については、民間企業の良識に頼るのは現実問題として難しいのではないか。少なくとも「安全を啓発」するだけでは不十分で、積極的な立ち入り調査や内部告発の受付などを行うことが公的機関としては必要なのではないか。「市場原理」に照らせば、事故や事件を起こして人が死ねば市場競争に負けて淘汰されるということになる。しかし、死んでも「自己責任」では浮かばれない。

2013年9月21日 (土)

中秋の名月

 去る19日は「中秋の名月」であった。毎年「仲秋」は巡ってくるが、この日に満月といつも決まっているわけではなく、次に満月で迎えるのは8年後になるそうである。

 日本では「お団子」だが、中国と台湾では「月餅」という菓子を食べる。私が中国と台湾を訪れたのは全て秋口だったから、ちょうどデパートは月餅セールで、贈答用の高いものから安いものまで色々売っていた。私もこの月餅は好物である。オーソドックスな餡子の入ったタイプが好きだが、台湾の月餅には卵の黄身が入ったものやナッツが入ったものもあって、バラエティーに富んでいる。

 中国では経済発展とともに、仲秋の名月を愛でる風習も復活した。月餅を贈り合う風習も復活したのだが、問題になっているのは月餅の箱の中に「紅包」という赤い封筒、これは日本で言うところの「お年玉袋」に相当するが、そこに現金を入れて月餅とともに渡すという「悪しき風習」が蔓延して問題になっている。日本で言えば「小判の入った菓子折り」と言ったところで、これが「賄賂」なのは言うまでもない。

 習近平政権では「月餅の贈答を禁止する」という通達を出したところ、中国各地で「月餅が売れない」という不満の声が出ている。無論、賄賂はいざとなれば直接渡せばいいわけだし、月餅以外にも贈答品はあるのだから、中国政府の月餅贈答禁止令は汚職と腐敗にはあまり防止効果は無さそうだ。

2013年9月19日 (木)

ワシントン海軍工廠銃乱射事件

 ワシントンにある海軍工廠(ネイビー・ヤード)で出入り業者の従業員が銃を乱射し多数の犠牲者が出る事件が起きた。銃の所持が原則的に許されているアメリカではこの手の事件が後を絶たないが、人民が武装するのが建国以来の伝統であり権利という意識が上下ともに強いこともあって、銃規制は遅々として進んでいない。

 ワシントン海軍工廠は私も訪れたことがある。ワシントンの中心部からは少し外れたところにあり、赤レンガの塀や建物は古き良き時代のアメリカを感じさせてくれた。かつて、幕府使節団もここを訪れ、ここを見た小栗上野介が後の横須賀海軍工廠建設の参考にしたのだから、近現代の日本とも縁は深い。

 もちろん米軍施設だから工廠の入口は物々しく、テロリストが爆弾を積んだ車で突っ込んできてもいいようにとの配慮からか、正門には分厚いバリケードが築かれていた。どうも正門は関係者しか使用できないようで、私は裏門から入ったのだが、入る際には別段荷物検査や身体検査をされたわけではなく、番兵にパスポートを提示すればそれで済んだ。米軍施設に入ったのははじめてだったが、愛知万博の入場ゲートの方が警戒厳重だと思ったものである。

 内部の建物はもろちん関係者以外立ち入り禁止のようなところはあることはあったが、工廠内部を歩き回ることは何の制限もなかった。厳密には望んで歩き回ったのではなく目指す建物を見つけられずにウロウロしていたのだが、それで監視が付くということもなかった。

 海軍工廠と言ってもかつてのような工場の集まりではなく、システム開発部門などが置かれているらしく、ぱっと見は住宅街のようだった。法務官の職種徽章を付けた士官たちがデスクまわりの用品などを持ってぞろぞろ建物を移動しているところも見た。アメリカは弁護士が多く日本の自衛隊に比べて法務部門は充実していると言われているが、多くの法務科士官がいたところを見ると、アメリカ海軍の法務部門のオフィスもあったのかも知れない。

 あの閑静な基地で銃撃事件とはただただ驚いている。しかし、最近のアメリカ軍の動きを考えると、この事件は決して頭のおかしい男が起こしたと言い切ることは難しいし、日本としても無縁ではない。

 日本でも公務関連の「民間委託」が進められているが、広く「戦争の民営化」を進めてきたのがアメリカである。かつては現役軍人をもって充てられてきたポストに民間業者の従業員が就いている。特に後方支援部門にその傾向が強い。現役軍人から民間人に移行する場合、目的となっているのがコスト・カットである。軍人に対しては何処の国でも手厚い保障がなされるが、民間人にすることでその保障を免れようというのが本音だ。

 今回の加害者も、もともとは海軍の軍人であったが、辞めた後に軍の業務を受託する民間会社に就職して引き続き海軍施設へ出入りしていたそうだ。精神的に問題があったとも言われている。軍人ならば厳格に管理されるし、アルコールや薬物中毒にでもなれば軍が作った矯正施設で治療が行われる(このため、日本の基地にも日本の「思いやり予算」で薬物矯正施設まで作られている)。しかし、民間人に対してはそのような配慮は基本的になされていない。精神を病んでいたとしても、自己責任で処理される。

 「責任は公務員並み、待遇は非正規の下」というのは日本の公務関連労働でも言われていることだが、これはアメリカでも同じである。被疑者が死んでしまったので真相解明は難しいだろうが、民間委託によって①本来高度な軍の関連業務に従事するのに相応しくない者がシャットアウトされずに入り込めた、②軍人ならば対処できた心身の問題に民間業者が配慮しなかったという二点の問題はあったのではないか。だとすれば、銃の所持を規制するというような単純な問題ではないということになる。

2013年9月17日 (火)

秘密保全法ジョークww

 安倍総理 「秘密保全法が制定されると、どんなことになるのかね。どうもよく理解できないのだが」

 官僚「総理の頭がその程度でしかないことが、国民にバレずに済みますです」

2013年9月15日 (日)

映画「リンカーン」を観せる

 スピルバーグ監督の「リンカーン」は素晴らしい作品であったので、私は映画館で二回観た。我が国の憲法にも記されている「奴隷的拘束・苦役からの自由」という規定がアメリカ合衆国憲法に追加された過程の物語である。最近DVDが発売されたので早速購入し、ついでに家族にも見せてみたが、やはりというべきか理解できなかったようだ。

 あの時代のアメリカと、アメリカ法・アメリカ政治の知識がないと、何故この人物はこの場にいてこんな発言をするのか、それすら分からないだろう。十字軍国家末期を描いた「キングダム・オブ・ヘブン」のDVDには字幕で時代背景を解説してくれるオプションがあったが、残念ながら「リンカーン」のDVDにはそのような機能は無かった。

 改めてDVDを観ると、映画館で観たときとは違ったことに気づかされる。劇中でリンカーンが色々な冗談を言うシーンがあるが、良く考えたらリンカーンは若い頃から冗談が好きな人物であった。

 また、リンカーンを含めた登場人物の服装や、建物や馬車などは決して豪華ではない。ヨーロッパではまだまだ王侯貴族が闊歩していた時代である。オーストリアのエリザベート皇后はリンカーンと同じ時代の人物(リンカーンが暗殺された1865年当時皇后になって10年目の27歳)だが、残されているあの時代のオーストリア・ハプスブルクの宮廷と比較すればホワイトハウスとその周辺は一言で言って「みすぼらしい」と言うしかない。あの時代のアメリカはまだまだ「新興国」でしかなかった。

 スピルバーグ作品は「ジュラシック・パーク」や「ET」など娯楽向けの作品と、「シンドラーのリスト」「プライベート・ライアン」など重いテーマを扱った作品の落差が激しいという感じがする。興行的には娯楽向けの作品の方が勝っているのだろうが、作りこみは重いテーマを扱った作品の方が素晴らしい。しかし、理解するのは簡単ではない。それでも「リンカーン」はアメリカでは興行的に成功したそうだが、やはり日本では難しかった。TV放映されることもないか、あったとしてかなりの部分がカットされてしまうだろうから、作品の重厚さを味わうならば一通り予習をした上か、解説してくれる人を傍に置いてDVDを観た方がよさそうだ。

2013年9月13日 (金)

13日の金曜日

 今日は13日の金曜日である。伝説ではイエスが十字架にかけられたのが13日の金曜日なのだそうで、西欧世界では昔から不吉な日と言われている。もっとも、このあたりは中世のカトリック教会が言い出したことのようで、イエスの誕生日を12月25日としているのと同じく歴史的な信憑性は乏しい。

 それでも、イエスの誕生日はクリスマスとして日本でも誰もが知っているし、誕生の物語についても全く知らない人は少ない。一方、イエスの磔刑の物語はキリスト教では重要な物語だが、日本ではイエスが十字架に磔になったくらいは知っていても、その物語はそれほど身近ではない。

 メル・ギブソン監督による「パッション」はイエスの最期をかなり忠実に再現した映画として有名で、晩年のヨハネ・パウロ二世も鑑賞して「真実」と言ったと伝えられている(バチカンは鑑賞したことは認めているが、感想については否定)。実際には反ユダヤ的なエピソードが盛り込まれているそうだが、私にはその部分が何処であるのかあまり良く分からなかった。

 それでも、「パッション」は当時の服飾や磔刑だけでなく、登場人物の言葉まで可能な限り忠実な復元を試みている。例えば、イエスはユダヤ人だが日常用語はヘブライ語ではなくアラム語であったと言われており、役者にもアラム語を喋らせている。ヘブライ語は一時は宗教祭祀のみに使われる言語になっていたが、イスラエル建国と同時に復活し今では公用語になった珍しい言葉である。一方、アラム語に現代でも話者がいるということ自体、私はこの映画で知って大変驚いた。イエスを磔にしたローマ総督ピラトゥスらローマ人は言うまでもなくラテン語である。

 史的イエスについての最近の研究もなかなか興味深いものがある。カトリックや正教では伝統的に聖職者は独身であり、イエスもまた独身で童貞であったことになっている。しかし、当時のユダヤ教社会では「産めよ、増やせよ、地に満ちよ」の言葉にもあるとおり、聖職者も含めて妻帯が当然とされていた。キリスト教の解釈通り、イエスが三十過ぎまで独身で女性とも接触せず、聖書ばかり読んでいる人物だったら「聖人」ではなく「変人」扱いされたのではないか。ローマ側だかユダヤ教側の記録ではイエスは背が低く浅黒く風采のあがらない男だったそうだから、そもそもモテなかったのかも知れない。

 最近の考古学的発見により、初期キリスト教のものとされるパピルスの断片に「キリストが『私の妻は・・・』」と言っている記述も見つかっており、妻帯していた可能性も考えられている。その一方で、当時のユダヤ社会には独身男性だけの異様な集団があったことも墓地などの調査から判明しており、イエスの身の回りのことだけ考えていても信仰上は重大問題になるのだろうが、歴史好きとしては面白い。

2013年9月11日 (水)

911テロから12年

 911同時多発テロから12年になる。あの日から始まった「テロとの戦い」は未だ終わりが見えないままで、非常事態であった筈の戦争が平和な日本ですら常態化しつつある。この「慣れ」はかなり危険だ。

 「テロリスト」として敵とされたのがアルカイダをはじめするイスラム過激派集団である。この恐怖心の裏返しと言うべきか、市井に流布されるイスラームについての知識そのものはこの十数年間で大きく増えたように思う。しかし、日本人のムスリムはほとんどおらず、外国人ムスリムと日常的に接する機会も欧米社会と比べると極めて少ないこともあって、相互理解が市民レベルで進んでいるかと言われれば疑問だ。イスラム教徒をただちに「テロリスト」「原理主義者」という目で見る者も少なくない。

 今でこそテロリストはイスラム過激派の専売特許のようなところがあるが、半世紀前には無慈悲なテロリストであったのはユダヤ教徒であった。イスラエル「建国の父たち」の中にはテロリストの出自を持つ者が少なくなく、中には後に首相まで登った人物もいる。頼れる祖国がないこと、十分な教育が受けられないか受けられない同胞を観ていること、生業で食えないこと、このあたりは宗教や民族に関係なくテロリストを培養する土壌だ。宗教はむしろ後付けの理屈に過ぎない。

 日本はアメリカとともにこの十余年テロとの戦いを進めてきた。しかしながら、テロの土壌となる貧困や富の偏在、民衆の無知に対してどれほどの手を打てたのであろうか。むしろ、新自由主義的な思考の元自由競争や市場主義の名のもと、格差や富の偏在を増幅させ、日本国民の中間層を没落させ、むしろテロリストを醸成する土壌を作っていたのではないか。昨今の中国人韓国人に対する「ヘイトスピーチ」や「あからさまな憎悪」は単純に日本人の民族意識が高まったというだけではないように思われてならない。

 テロリストがテロに走る所以は、定められた手続きでは意見を表明できないか、表明できても富の配分に与れないところにある。日本共産党はかつて武装闘争に走っていた時代があったが、現在では議会を通じて意見を表明する手法を取っている。IRAやファタハも同じで、かつては武装闘争を行っていたが、和平や選挙制度の整備によって合法的な手法に移行してきた。しかし、これとは逆に意見表明の機会が奪われ、合法的に貧困に陥れられるような制度が機能し始めたらどうなるか。従来穏健な人々が武装闘争やそれに近いことを通じて実力で願望を実現させようとするのではないか。

 例えば、労働規制緩和によりブラック企業が合法化されたとする。合法であり貧困や過労死は自己責任だと説明されたとしても、それで納得できるわけもない。かといって、法廷闘争で勝てる見込みがなく、団体交渉においても少数組合や個人加盟組合の団体交渉権が剥奪されたとしたらどうなるか。非合法的な手法に訴える人々が出てきても不思議ではない。

 現在、シリア情勢が緊縛の度を増している。アメリカは武力行使に踏み切るべく地中海に艦隊を終結させ、シリア現政権と密接な関係にあるロシアも艦艇を派遣してアメリカを牽制するなど、シリア内戦は当初の民主化の是非という争点を超えて、大国同士の勢力争いに部族や宗教宗派の対立が混ざるというカオス状態になりつつある。こうなると、誰が軍事的勝者になったとしても、その後の政権運営は厳しい。勝った側は独占しようとするだろうし、勝者に与した側は配分を求める。敗者に寛容になれば分け前が減るから、勝者の指導者とて安泰ではない。「貧しくとも絆があれば助け合える」というのは幻想に過ぎない。むしろ、貧しいからこそ僅かな富の配分に必死になるのである。貧困国として出発したイスラエルとパレスチナが寸土の開拓地を争ったのは農地を確保するしか生きていく方法がなかったからである。一方、冷戦後に分離したチェコとスロバキアは双方とも西欧には遥かに劣るものの東側世界ではそれなりの経済を持っていたこともあって「合法的な離婚」に例えられるほど円満に分離し、今や両国の結びつきはかつてのチェコスロバキア時代より密であるとさえ言われている。

 まだまだ、テロとの戦いは続くだろう。憎悪を煽れば、テロとの戦いへの支持を得ることはそれほど難しいことではなかった。しかし、世界は確実に戦いに疲れてきている。何処に落としどころを求めていくか、これからは更に難しいかじ取りが必要になるのではないか。

 

2013年9月 9日 (月)

2020年東京オリンピック

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 2020年夏季オリンピックの開催地が東京に決まった。日本での夏季オリンピックは1964年の東京大会以来2回目、夏冬併せて4回目の日本開催となる。

 少し前まではイスタンブールが圧倒的に有利と見られていた。何と言っても長い歴史と伝統のある都市であり、紀元前の昔から東西の架け橋となってきた都市である。イスラム国初のオリンピック、それは相応の経済力を持つだけでなく世俗国家でなければ難しいという条件もあったから、最初に射止めるのは間違いなくトルコだろうと私も思っていた。しかし、隣国のシリア内戦が全てを狂わせてしまった。国内の経済問題を巡るデモと言う問題はあったが、これはスペインも日本も無縁のものではなかったから致命傷になったとは言い難い。

 イスタンブールはこれが5度目の立候補であった。EU加盟問題もそうだが、トルコの前には常にハードルが作られ、後から来た国に先を越されていく。こうした境遇がトルコを再びイスラムに向けていることは確かだ。トルコを「世俗国家」「東西の架け橋」たらしめることは国際情勢の安定化に資するものだが、そのためにはトルコに西欧世界と組んだことによる利を実感させられる場を設ける必要がある。オリンピック開催は何よりの「場」となろう。

 もともと、トルコ沿岸部は紀元前のギリシア人の植民活動による起源を持つ都市が少なくない。一方で、ギリシアとトルコは神話の時代から抗争を繰り広げてきた。トロイ戦争は最も有名なところだ。ギリシアもトルコもその地の民族や宗教が入れ替わっているにせよ、現在に至るまで緊張状態が続いており、両国はともに西側世界に属しながら仲は悪い。このあたりは、日韓関係を思い起こさせるところがある。オリンピックはもともとギリシア発祥であるが、そのオリンピックをギリシアの宿敵トルコが開催するということもまた、歴史的な出来事になった筈である。

 東京が開催地に決まった時、真っ先に我が国の安倍総理の元に駆け寄って祝意を表したのはトルコのエルドアン首相であった。2024年又は2028年の開催に向けてイスタンブールはまた歩き始めるだろうが、私としては2020年東京オリンピックの最後に五輪旗がイスタンブールに引き継がれるのを見たいと思っている。

 さて、日本は開催を獲得したが課題は多い。日本の汚染水問題は簡単に解決できない問題ではあるが、国際社会は泥沼紛争と化しているシリアよりは「マシ」と考えたのではないかと思われる。いずれにせよ、オリンピック誘致=安全という図式は成り立たない。日本人の性質として「問題を解決」するよりも「めでたいことがあるのだから、不景気なことは言うな」と封じ込めてしまうことがあるので、汚染水問題もオリンピックの陰に隠れて誤魔化されてしまうのではないかとの危惧を抱いている人は少なくないのではないか。

 経済財政面でも問題は少なくない。オリンピック開催は施設建設だけでも金がかかる。また、選手の強化にも資金を投入する方針であるという。財政が潤沢ならばともかく、増税に社会保障費の圧縮を行ってもまだ足りないというのが現実なのだ。当然、煽りを食う分野が出てくることになる。オリンピック開催も相俟って、スポーツ関連の予算は拡大されるだろうが、資金を投ずべき教育はスポーツだけではない。義務教育では体育は優遇されているが音楽や演劇は明らかに割を食わされている。これが拡大することは文化国家として好ましいことではない。

 「子供たちに夢を」というのは決まり文句だが、はっきり言って射撃や馬術ならともかく、それ以外の競技では「夢」を持つくらいの年になってから競技をはじめてもメダルには届かない。メダリストの量産のためには、かつて共産圏がやっていたような純粋培養は無理にしても、幼稚園くらいで競技一筋の生活をさせなければおぼつかない。

 オリンピックが経済の起爆剤になるという理屈も眉唾物だ。愛知万博もそうだったが、多層構造の中で地元業者や中小企業に回ってくる時はほとんど利益など出ない仕事になってしまう。今回も大企業が内部留保としてため込むのがせいぜいではないか。むしろ、物価高等に庶民は苦しむことになる可能性の方が高い。先のロンドンオリンピックでも市民層は経済効果を実感できなかったというし、先進国ではそんなものであろう。

 それでも「夢」のためにやるというのだから、決まってしまった以上やらざるを得ない。幸い、東京が選ばれたひとつの理由は会場となる施設がある程度整備されていること、狭い範囲内に競技施設が集中していることである。コンパクトなオリンピックという先の中国がやった北京オリンピックとは違うコンセプトのオリンピックを打ち出すことはできるのではないか。

2013年9月 7日 (土)

宮崎駿監督が引退

 ジブリの宮崎駿監督が公開中の「風立ちぬ」をもって引退することを表明した。70代に入っているとはいえ、「風立ちぬ」の評価も高く、まだまだ長編を作り続けると思っていた人が多かっただけに、引退表明に驚いた人は多かったのではないか。

 「風の谷のナウシカ」以来、ほぼ30年に渡って日本のアニメーションはもとより映画を牽引してきた役割は大きい。アニメ作品は映画テレビを問わず多数が毎年公開されているが、国民一般にこれほど親しまれる作品を作り続けた監督は他にいない(宣伝が功を奏したという点は否定できないにせよ)。もともと児童文学に親しんできた、すなわち宮崎監督がアニメーションや漫画に拘らない広い教養や趣味を持っていたことが大きいのではないかと思われるが、必然的にそうした人材は一般社会でもかなり限られている。なかなか後継者となる人材が育たなかったのは、やはり宮崎監督が色々な意味で「偉大過ぎた」ところが大きかったのではないかと考えられる。

 思えば、手塚治虫も「漫画の神様」と言われつつも漫画だけに生きた人ではなかった。戦争中の「理転」の側面があったにせよ、大阪帝国大学医学専門部を卒業した外科医であり、音楽や映画などの造形も深かった。宮崎は手塚の「神格化」を否定していたそうだが、この二人は漫画・アニメとは別の玄人並みの(手塚の場合はBJと違って本物の医者でもある)「引き出し」を大量に持っていた。このことが、二人の作品に深みを与えていることは否定できない。

 ジブリは今後もジブリブランドで映画を作り続けるだろうが、「ゲド戦記」で内外から酷評されたようにジブリというブランドだけでは早晩立ち行かなくなることは確実であろう。ジブリがどのような才能を発掘し活躍の場を与えるか、そして引退した宮崎監督が引退後どのような活動をしていくか、宮崎監督「復帰」の可能性も含めて、生み出される「作品」に期待したい。

2013年9月 5日 (木)

婚外子相続差別に違憲判決

 最高裁判所は民法の婚外子相続差別既定に対して違憲判決を下した。もともと憲法学の世界では違憲説が通説的な立場であり、最高裁判所が保守的であるとしても違憲判決が出るのは時間の問題であるという見方が支配的であった。

 今回の違憲判決では15名の裁判官が全員違憲判決に賛成したという。このような場合、判事の中でも特に保守的な官僚出身の判事が反対意見を書きそうなものだ。婚姻障害のある事実婚の妻に遺族厚生年金の受給を認めた最高裁判決でも保守的な家族観を持つ判事が反対意見を書いている。しかし、今回は反対意見もなかったようだ。全面的に最高裁が考えを改めたということになる。

 これで政府与党は民法の改正に着手することになりそうだが、婚外子に嫡出子と同等の権利を認めれば伝統的な家族関係が破壊されるという危惧から反対意見も根強い。実際、今回の被告(嫡出子)側は介護などで面倒を見続けて来たにもかかわらず、何もしなかった非嫡出子に同じ権利を認められるのは納得できないというコメントを出している。こうした点からも、平等にすることに違和感がないと言うのはいささか嘘になる。非嫡出子の存在を早い段階で嫡出子側が認識していれば問題も少なくなるだろうが、こういうドラマは昼ドラ宜しく死んだ後に「突然現れる」ということが多いようだから、そうなるともう泥沼である。安定性ということから、法改正ではある程度申し出る範囲や期間などを限定した方が良いのではないかとも思えてくる。

 伝統的な家族関係が変わりつつあるというのは確かだ。例えば、現在は恋愛結婚が一般的であり、紹介や婚活であったとしても結婚の前には「恋愛」というプロセスがほぼ確実に挿入されることになっており、恋愛ができない人は結婚できないというのは常識である。しかし、「風立ちぬ」で描かれた昭和初期には恋愛というものはふしだらな男女がするものとされており、決して褒められる行動ではなかった。核家族化など、家族関係が大きく変容してきていることは否定できない。

 しかしながら、伝統的な家族観は消えていないし一般市民の間では全面的に否定はされていないこともまた認識する必要がある。特に進歩派の学者の中には伝統的な家族関係は「粉砕」されるべきものだと言わんばかりに「相続制度の否定」や「養子制度の廃止」を主張している者もいるが、一般国民はまだまだ伝統的な家族制度を否定していないことを認識しておくべきだ。例えば、婚前交渉が一般化した今日においても、交際中に子供ができた場合に婚外子にするというのはまだまだ少数派だ。多くが「できちゃった結婚」を選んでいるのは、家族関係が変容しつつも婚姻関係にある男女間で子供が育てられるべきと言う伝統的な価値観が根強く支持されていることを意味している。

 伝統的な家族関係が破壊されることを警戒する立場に立つのであれば、例えば婚外子の生まれる要因である婚外恋愛を刑事罰をもって制限するなど他に方法を取る必要があるのではないか。また、伝統的な家族関係を吹聴している人たちが、一方では若者世代を追い詰めて伝統的な家族を持つことすら不可能な経済状態に追い込んでいる。私は仮に今回の違憲判決がなかったとしても、現在の家族政策・経済政策では早晩我が国の伝統的な家族観は維持できなくなるのではないかと考えている。

 家族観は「何が正しい」ということを言い切ることのできない難しいものだ。何が正しい間違っていると憲法の答案を書くことはできても、納得するのは容易なことではない。

2013年9月 3日 (火)

シリアへの軍事介入

 シリア政府が反政府勢力に対してサリンと考えられる化学兵器を使用して大量殺戮を行ったことに対して、アメリカが軍事加入の方向で動き始めた。シリアと縁浅からぬフランスも軍事介入には積極的なようだが、イギリスはキャメロン首相が軍事介入の意向であったものの下院の投票では保守党議員の造反もあって軍事介入は否決されてしまった。

 意外なことだが、イスラム教徒の中には欧米の介入を歓迎する声も少なくない。かねてより欧米はアサド政権を批判はしてもシリア市民を助けるための介入には全く消極的で、結局彼らの言う「人権」は口先ばかりだと非難されてきた。

 もっとも、軍事介入後の見通しは不透明だ。シリア政府を打倒してみたところで、反政府勢力も一枚岩ではないし、中にはイスラム過激派も含まれている。シリア政府を転覆させたらかわってアルカイダの影響下にある新政府が誕生したのでは、シリアの自由は実現されないばかりか泥沼化は確実だ。アメリカは日本での「成功体験」からイラクでも同じことをやろうとして失敗したが、そもそも第二次大戦後の日本は憲法こそ「八月革命説」が通説であるものの、中央政府は存続しており無政府状態にはなっていない。シリアではアサド政権を倒せば無政府状態になりかねないし、イラクでもフセイン政権を倒したら一時は無政府状態になってしまった。

 19世紀ならば武力で強奪した領土に軍隊と植民を送り込むことができたが、今やそれも不可能だ。そうなると、軍事介入の方法によっては実質的に混乱に拍車をかけることになりかねない。これからしばらく、各国の動きに目が離せない。もっとも、日本としては現実的にはアメリカのやり方を支持するくらいしか選択肢はないだろう。それが幸か不幸か軍事力を持たない国の現実である。

2013年9月 1日 (日)

汚染水の方が重要ではないのか

 福島第一原子力発電所の汚染水問題について、国会は閉会中審査を行わないという。その理由が「東京オリンピック招致に不利にならないようにするため」というもので、これを与野党が合意したというのだから呆れるほかない。オリンピックよりも汚染水対策の方が重要ではないのか。

 福島の原発事故は世界各国から注目されている。汚染水の問題に「蓋をしている」事の方が、むしろオリンピック招致にとってマイナスの影響をもたらすのではないか。北京オリンピックの際、中国政府は国内の様々な問題に蓋をしてオリンピックと言う国際的なイベントの成功に国の威信をかけ、世界中からの批判に晒された。このままでは、仮に招致に成功したとしても我が国が同じように見られることになるのではないか。

 日本人は伝統的に議論を嫌う傾向にある。議論を「文句」と混同し、議論の内容よりも口に出したことで「顔を潰した潰さない」の話になってしまう。しかし、汚染水対策の国会審議をしなかったからといって、汚染水が安全であるという論拠にはならないし、そのような説得をしたところで信じる国は無かろう。

 国会は議論を行い、その過程で安全と認められれば問題は無いし、汚染水が重大な問題であるとしてもその対処を的確に行うことで国際的な信用に繋げていけば長期的には我が国の利益になるのではないか。オリンピック招致のために汚染水について国会審議をしないという話は、腑に落ちない。

 

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