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2013年7月

2013年7月31日 (水)

年金課税強化案に思う

 政府の社会保障制度改革国民会議は高所得者に対する年金の課税強化を報告書に盛り込む方針を決めた。さすがに高額所得者の公的年金を直接引き下げるということはしないようだが、公的年金等控除を縮小することで年金への課税を強化するという。

 確かに、公的年金、世間的にはほぼイコール老齢年金と捉えられているが、その制度趣旨は高齢になった時の所得減少のリスクに対応することにある。高齢になれば一般的に稼得能力は落ち、収入も下がるか全くなくなるだろうからそれに備えるために公的年金制度があるわけで、高齢になっても高額の所得を得られるのであれば、支給は不要であるか縮小させても問題はないという考え方は確かに一定の説得力がある。特に公的年金は私的年金と異なって国費負担分があるため、高額所得者に「国民の税金」をもって年金を支給しているという現在の構図に矛盾を感じない者は少ないのではないか。

 としても、課税強化だけで問題を解決できるわけではない。高額所得者という層は大抵の場合高学歴で相応の社会的地位のある人々である。これらの人々は若年者から高齢者に至るまで、「高所得であるが故に社会的な負担もしなければならない」というノブレス・オブリージュのような義務感を感じている者はほぼ皆無で、むしろ「自分が努力して稼いだのに沢山税金や社会保険料で持って行かれるのはけしからん」とか、「アメリカ『では』こんなに取られない。だから社会主義国の日本は駄目なんだ」という調子でおしべて被害者意識の方が強いのである。年金課税の強化が、これらの被害者意識に更に火をつけることになるのは必至だ。

 金持ちと言うのは往々にしてケチであることが古今東西一般的だが、だからこそ金が集まるのかも知れない。いずれにせよ、「能力に応じた負担」という考え方も、彼らにとってはむしろ不正義に映る。

 現実の統計などを見れば分かることだが、年金から税金を徴収されているのは年金受給者の中でもごく限られた少数派である。ただ、この層の怖いのは社会的影響力を持っていることで、彼らを通して語られる「年金制度の冷酷さ」が年金制度に対する批判や不信につながることは言うまでもない。税金の話がいつの間にか年金制度不信の話にすり替えられている感があるが、実際に今回の主眼はあくまでも「税」の話である。しかしながら、年金を扱う日本年金機構と国税庁、社会保険労務士と税理士の力関係を述べるまでもなく、一般的に税務署はみんな怖いが年金機構など怖くも何ともない。国税庁の悪口は言い難くても、年金制度や機構の悪口は言い易い。年金課税の話が税に対する不満ではなく年金に対する不満にすり替えられることは目に見えている。

 そして、行き付く先が「公的年金制度は破綻しているから廃止しろ」という主張だ。高額所得者にしてみれば、現役時代にも高い保険料を納付してきており、高齢になったら課税という形で手にできる額が減ってしまうことは納得いきかねるところである。彼らの前で年金制度の趣旨など説いてみたところで聞き入れる者はほとんどいない。そして、公的年金制度を廃止または大幅縮小することを狙っている層がいる。保険料負担を減らしたい民間企業はもとより、私的年金制度への参入と市場の拡大を狙っている外資系金融機関にとっても、公的年金制度は邪魔者以外の何物でもない。

 年金課税の強化は、確かに筋の通った話ではある。しかし、年金制度に対する攻撃を招き、制度そのものの不要論を後押しする理屈にもなりかねない。そもそも、高額所得者に対する課税は何も年金から天引きするという方法でなくても行うことができる。確かに徴収しやすいというメリットはあるが、年金制度に対する攻撃と言う連鎖反応を招きかねないところだし、年金以外にも徴収可能な所得はある。わざわざ年金からの徴収と言う手段を取る必要はないのではないか。

2013年7月29日 (月)

「風立ちぬ」

 

 宮崎駿監督の最新作「風立ちぬ」を鑑賞してきた。ジブリの作品としてははじめて「実在の人物」を主人公にして大胆な脚色を加えているが、「大人向け」のいい作品に仕上がっているように思う。

 堀越二郎と言えば零式艦上戦闘機、俗にいうゼロ戦の設計主任者として著名な人物だが、この作品では堀越の青年時代を描いているのでゼロ戦はほとんど登場しないし、登場する「国産機」もまだ欧米列強に比べて劣る水準の時代のものばかりだ。成長期にあった日本の航空技術と若き堀越がオーバーラップして描かれている。

 作品の中で重要な位置を占めているのが今も昔も日本の航空産業の集積地である名古屋だ。戦前の名古屋がアニメ作品でリアルに表現されたのは初めてのことではないだろうか。

 作中でも描かれているが、堀越の勤務する三菱内燃は海の傍にある。これは三菱に限ったことではなく、当時名古屋で三菱と並ぶ航空産業の雄であった愛知時計電機も同じく、熱田の水に面したところに工場を持っていた(愛知時計電機は今も水道メーターの製造会社として存続はしており、熱田の工場が主力である)。これは黎明期の海軍機は専ら「水上機」であったため、水に面したところに工場を作った方が都合がよかったからだが、その後陸上機や艦上機を生産するようになると熱田の周辺に飛行場がないことが問題となった。

 どうしていたのかというと、熱田で組み立てられた当時の最新技術の塊である飛行機は分解して牛車に乗せられ、ノロノロと岐阜県の各務ヶ原にある飛行場まで運んでいたのである。いくら堀越二郎が主人公でもこんな話までは登場しないだろうと思っていたら、ちゃんと牛に曳かれて飛行機が運ばれていくシーンが登場して驚いた。後年戦争が激化して牛が不足してくると航空業界の関係者は「闇」で牛を手に入れるなど涙ぐましい努力を重ね、物価統制令違反で関係者が起訴されるという事件まで起こすことになるのだが、さすがにそこまでは描かれていない。

 普通の国ならば、早々に滑走路の近くに製造工場を建てるか、少なくとも工場から飛行場までの幹線道路を整備するくらいはするのだろうが、日本はどちらも行わなかった。戦争末期まで舗装されていない道を牛車に曳かせて運んだのである。このあたりが、「できないものはできない」という率直な意見を「努力が足りない」「弱音」と切り捨ててしまう日本社会の悪しき体質をはからずも象徴している気がする。

 堀越は96式艦上戦闘機とゼロ戦では成功したが、これは二件とも海軍の「無茶な要求」に何とか応えた結果であって、とりあえず無茶な要求を出して民間企業に努力を求めるというお役所の姿勢は今も昔も変わらない。ある意味では96艦戦とゼロ戦の成功体験がその後のゼロ戦改良や烈風の「大失敗」につながったとも言える。お役所だけでなく、受託業者である三菱も軍の要求を堀越に押し付けはしたが、人をつけてやるという配慮はしていない。私はかねてより「お役所仕事の民間委託をしても、委託された会社がお役所仕事をやり出すだけ」と述べているが、このあたりの「歴史的事実」も踏まえての事である。

 ともかくも、「風立ちぬ」は堀越の設計者としての黎明期を描くと同時に、架空のヒロインとの恋愛、それも悲恋の物語を盛り込むことで、単なる技術者の物語を超えた美しい作品に仕上がった。堀越の遺族はこうしたオリジナル・ストーリーを盛り込むことを快諾していたそうだが、このあたりは描き方によっては故人の名誉を害するようなことになりかねないところだから、宮崎監督も遺族の側も勇気があったと言える。

 作中の服装などの描写も見どころが多い。堀越は地方の旧制中学から旧制一高・東京帝国大学と進んだエリート中のエリートだから当然だが、当時の紳士の格式を守って基本的には夏のシーンでもネクタイを締めてベストの上にジャケットを着用している。当然、帽子も被っている。堀越の同僚たちも同じような服装だが、市井の人々の服装と比較するとその差は歴然としていることが見て取れよう。

 ヒロインも明らかに資産家の娘である。私の父方の祖母は大正半ばの生まれであったが、実家が没落する前の小さい頃に革靴を履いて洋服を着て大変珍しがられたという話を聞いたことがある。ヒロインが散歩と称して家を出ていくシーンもあるが、コートを着てブーツを履き裾の広い帽子を被るというヒロインのような服装は当時の名古屋近郊の農村ではかなり目立ったに違いない。

 ついでに言えば恋愛結婚が一般化するのも戦後の話だから、戦前は「男を追いかけて・・・」というヒロインの行動は「ふしだらな娘」という悪評にはなっても、我々が銀幕を観て感じる「一途」「情熱的」という肯定的な評価はされなかっただろう。名古屋は現在に至るも東京や大阪から馬鹿にされているところがあるが、本質的に「村社会」を引きずっているところにも原因がある。堀越とヒロインの「新居」はどう見ても名古屋近郊の農村地域だから、あんな結ばれ方をしていたら近所の好奇の目は相当なものがあったのではないか(それが堀越たちに好意的なものでないことは論を待たない)。

 従来のジブリの作品とは一線を画した「大人の物語」であり、従来の「大人の鑑賞にも十分耐える」作品ではなく、「大人向け」の作品となつている。キスシーンは既に1992年の「紅の豚」のラストで描かれてはいたが、「風立ちぬ」では主人公とヒロインが情を通じる描写まで登場しているくらいだ。大人に向けた大人の作品であるが故に、大人にとっては感情移入し易いのではないか。

 一方で、子供にとって「風立ちぬ」はかなり理解の難しい作品だろう。宮崎監督の作品は全般的に反資本主義・反権力・反近代文明という説教臭いところがある。「風立ちぬ」の公開にあたって宮崎監督が憲法改正に反対する政治的なメッセージを発信して話題になっているが、宮崎監督は左翼思想に染まって労働組合の書記長まで経験しているくらいの人物だ。としても、「天空の城ラピュタ」や「紅の豚」は冒険活劇として誰もが楽しめるストーリーであったし、「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」も多少難しいにしても子供にとって理解できないレベルのストーリーではなかった。私は逆に「となりのトトロ」や「崖の上のポニョ」など明らかな子供向け作品の方が理解できないのだが(未だに「崖の上のポニョ」は何が面白いのかサッパリ分からない)、こうした作品を期待して「風立ちぬ」を観に子供を連れて行った親御さんはさぞかし失望したのではないか。劇場内でもかなりの親子連れが「?」という表情をしていた。

 ジブリの作品として「話題性」はあるから、興行収入は相応のものを叩き出すだろう。資本主義を批判している宮崎監督だが、その資本主義・商業主義に乗っかっているのはいささか矛盾ではないかと皮肉めいた見方もできようが、少なくとも興行的には成功だろう。しかし、この作品の奥深さを楽しんで観ることのできた人はどれだけいるのだろうか。

2013年7月27日 (土)

祝・英国王室

                                    ファイル:Royal Coat of Arms of the United Kingdom.svg

 英国王室でウィリアム王子の配偶者であるキャサリン妃が無事に男子を出産された。この王子は英国国王継承順位第三位であり、エリザベス女王からの継承が順調に行われれば祖父チャールズ王太子、父ウィリアム王子に続いて王位を継承することになる。継承者がいなければ王統は途絶えることになってしまうから、英国国民としても一安心というところだろう。

 早速王子の名前が色々と取沙汰されていた。いずれは国王になることが見込まれる王子だから、英国伝統の名前が付けられることになるというのが衆目一致した見方だ。祖父「チャールズ」父「ウィリアム」に叔父「ヘンリー」ともに英国王室伝統の名前だが、これらを外すと「ジョージ」「エドワード」「ジェームズ」あたりから選ばれるのではないかと思っていたら「ジョージ・アレクサンダー・ルイ」に決まった。

 健やかな成長をお祈りしたい。

2013年7月25日 (木)

福島除染事業者労働基準法違反事件

 福島労働局が除染事業に携わっている事業者の調査を行ったところ、労働基準法や労働安全衛生法違反が684件見つかったことを発表した。除染に当たり支給される特殊勤務手当などの割増賃金支払いに関するものが108件、労働条件を明示しないものが82件という。

 もともと、除染にあたっては専門知識などを左程持たない業者でも参入が可能であること、かねてより原発労働の現場が多層階層化されたピンハネの横行する世界であったことから除染も同様になるのではないかと危惧されていたが、この危惧は的中してしまったと言える。

 言うまでもなく労働基準法や労働安全衛生法は労働者の健康や生活を守るために「最低の基準」を定めたものであって、「適切な労務管理」「十分な待遇」とは全く別の次元の話である。ただし、往々にして最低基準すら守れないような使用者が労働者に手厚い待遇を与える例などまずないから、除染事業者の労務管理なども相当に杜撰なものになっているのではないかと思われる。

 除染は多額の公的資金をつぎ込むものであり、効果については議論があるものの放射能汚染を除去するものだから放射能障害を負う可能性を否定できない危険な業務だ。民間任せにせず国や自治体が直接雇用して身分保障した上で従事させるという道もあった筈である。しかし、それを民間に全面的に委ねたのはお役所仕事を排し民間の知恵と活力を用いてスピーディーで低コストの除染を行うことにあり、決して中間搾取を行う者を肥え太らせるためではなかった筈だ。

 今回違反を指摘された業者数と違反数は所詮氷山の一角であろうが、このような業者を野放しにしておけば、最終的には民間委託そのものにも国民の懐疑の目が向けられることになるのではないか。国や自治体がこうした問題に知らん顔をしていれば、公的機関についても嘗ての岡っ引きや用心棒宜しく汚れ仕事を民間に投げているとの非難を受けることは免れまい。

2013年7月23日 (火)

自民党圧勝、衆参のねじれ解消

 21日に投開票が行われた参院選は事前の予想通り自民党の圧勝に終わった。これにより、衆参共に与党が多数を獲得することとなって長年の「ねじれ国会」は解消された。「決められない政治」が問題になっていたわけだから、衆参とも多数を与えることでスピーディーな意思決定がなされることを多くの国民が期待しているのではないかと思われる。

 ただし、これにより政府与党の暴走を止めるものは何もなくなった。多数を獲得したということは、言論による反対派の説得を行うまでもなく数で議論を封殺できるということである。国民は確かに決められない政治に対して批判はしていたが、だからといって国会での議論そのものが不要だという意見は少数派であろう(国会での議論そのものが無駄であるという意見が根強くあるのは事実だが)。

 アベノミクスは報道では景気回復につながっているような感があるが、市民生活においては物価は上がり、賃金は下がり続け、雇用も不安定さを増すなど決して明るいものではない。アベノミクスは「漠然とした期待」「ぼんやりとした期待」のレベルに未だ留まっていると言うしかないが、そのイメージは「少なくとも民主党よりはまし」に見えたのではないか。

 ただし、「決められる政治」が実効性のあるものになるという保証は全くない。最早「異議申し立て」は簡単ではなくなる。暴走を始めたら止めるものは誰もいなくなる。ここまで自民党が多数を占めた以上、自民党政権が失政を犯したらその治療は容易なことではない。

 自民党の好調に比べて民主党の没落ぶりは見ていて気の毒になるほどだ。もともと「政権交代」を掲げて勢力を結集しただけに、目標を見失った感がある。かつて民主党を支持しながら失望した人々のうち、ネオリベラリズムを支持する層はみんなの党と維新に流れ、左派層は明らかに共産党に流れている。共産党の議席伸長は単純に投票率低下により組織政党が有利になったからという理屈だけでは説明できない。鉄の結束を誇る共産党も党員は減少し資金源である赤旗は売れず、豪華な党本部を作った一方で専従の間にまで不満の声が出ていると聞いている。こんな状況だから、組織政党の強みで議席を伸ばしたとは考えにくい。民主党は結果的に旗色の判然としない曖昧な政党になってしまったわけで、「分かりやすい政治」を求める層が原理主義的なみんなの党・維新・共産党に流れるのはもっともなところである。

 ともかくも、向こう三年余りの体勢は決まった。今も昔も「選挙前」にはいい顔をしておいて、終わったら本音を出すというのが政治家のやり方で、特に自民党の常套手段である。某県の自民党の候補者は、憲法改正には「賛成」と書いていたが賛成している中身は曖昧の上、年金やTPPや労働問題については軒並み「分からない」「中立」「無回答」であった。新体制がどのような方向に進んでも、これなら公約違反にはなるまい。いずれにせよ、国民は「うっかり一票がっかり3年」にならないことをただ祈るしかない。

2013年7月21日 (日)

夏の約束

 今日は参議院議員選挙の投票日である。今回の参議院選挙は「盛り上がりに欠けている」と言われ、史上最低の投票率になることすら囁かれている。しかしながら、いくら盛り上がりに欠けようが投票率が低かろうが当選者は当選者であり、この当選者によって6年間参議院の議席が占められることになる。後から「訂正」はできないのである。

 「アベノミクス」の是非が主な争点と言われるが、憲法改正、原発、雇用問題、TPP等国民の関心は多岐に渡っている。最近の選挙では「ワンフレーズ・ポリティクス」によって一言で言い表せるような問題が争点化されることが普通になっていた。「郵政民営化」や「政権交代」が好例である。しかし、今回の選挙ではあまりにも争点が多く、そのことが選挙を分かり難いものとし、なかなか国民の関心を集められない原因になっているのではないかと思われる。

 しかし、政治は単一の問題を取り扱っているわけではない。多様な問題に同時に対処することを求められるし、国民の側もそれに併せて候補者や政党を吟味して票を投じる必要がある。「単一争点選挙」では「うっかり一票がっかり6年」になりかねないところだったから、「考えて票を投じる」といういい機会になったのは確かだ。

 既に自民党圧勝が囁かれ、衆議院の残り任期を考えれば3年間は大きな国政選挙は行われず衆参とも自民党の単独過半数で政治が進められると見られている。とすれば、今回の「夏の約束」が与野党ともに当面の国民との約束となり国会での行動指針となるわけだ(ただちに公約を反故にする蛮勇があれば別だが)。「夏の約束」がどうなるか、注視していきたい。 

2013年7月19日 (金)

海上保安庁長官に初の現場出身者

                   Ensign of the Japanese Coast Guard.svg

 海上保安庁長官に佐藤雄二海上保安監の昇格が決まった。あまり知られていないことだが、海上保安庁長官は法的には警察庁長官と同様に「階級制度の対象外」であるものの、冬服の袖に金線4本を巻き格式は国際的に「海軍大将」に相当するのだが、あくまで運輸省・国土交通省キャリアの就くポストであって純粋な海上保安官出身者が長官の椅子に就いたことは一度もなかった。今回、はじめて海上保安官出身者が長官の椅子に就くことになる。

 今回の人事は安倍総理主導のもとで行われたと報じられている。現場出身者でも長官になることができるという道を開いたのは、海上保安官という仕事に対する社会的な承認を更に確固たるものとすることができ、海上保安官の承認欲求を満たすという点を見ても士気向上に有効なのは間違いない。また、実務的にも門外漢の官僚に就かれるよりも、より現場の問題点を把握して指揮することができる点で大いに期待することができよう。

 そもそも、政治任用ポストとして海上保安庁長官を位置づけるならばならばともかくとして、職業公務員の就くポストであれば現場の事の分かる人を就けられるようにするのは当然のことで、今までそれが行われてこなかったことのほうが不自然と言える。賃金面でも海上保安庁長官は陸海空の幕僚長と同じ位置づけであり、「危険任務に就く」という点で均衡ある処遇と評価できよう。

 日本周辺海域の取締や海賊対策において、海上保安庁の重要性は増している。この点は中国も同じで、尖閣などでは海軍を前面に押し立てるよりもドメスティックなコーストガードを出した方が「穏便」にしつつも自国領との主張ができ、海賊対策についても軍事的緊張を回避できるということで活用の幅が広がっている。少し前まで海上保安庁と言えば漁業保護や「海猿」であり体を張った救難活動というイメージがあったが、今後は更に多様な任務に従事することになろう。

 もっとも、現場出身者というものは、ともすれば大局的な視点を失ったり、身内の不祥事をもみ消したりする傾向がある。また、「抜擢」されたタイプに多いのが、期待に応えようとするあまり部下に努力を命じかえって組織を疲弊させてしまうケースだ。初の現場出身者の長官と言うことでプレッシャーは少なくないだろうが、期待したい。

2013年7月17日 (水)

菅元総理が安倍総理を提訴

 菅元総理が安倍総理が2年前に配信したメールマガジンの記事に事実誤認があり名誉を傷つけられたとして記事の削除や謝罪を求めて訴訟を提起した。元総理が現総理を訴えるというのは極めて異例である。

 安倍総理は過去に菅元総理が韓国に逮捕されていた北朝鮮の工作員を「政治犯」として解放するよう求める署名に参加していたことを「間抜け」と評するなど、兎角の対立があったことは確かだ。しかし、片方が一般人ならばともかく、安倍総理は押しも押されもせぬ現職の内閣総理大臣であり、菅元総理もまた隠居老人ではなく現職の衆議院議員である。政治家同士のやり取りに多少の「言葉の行き過ぎ」があるのは普通の事だし、そうした行き過ぎも含めて国会内外の場、すなわち「言論の自由市場」で議論によって真相真意を究明するべきではないか。法廷闘争が馴染むものであるとは思われない。

 かつて、長久手町の加藤梅雄町長は正木祥豊町議(現長久手市議会議長)から「頭の中はカラッポ」と正木議員の広報で評されたことがある。しかし、加藤町長は法的な場で争うことは一切なく、あくまで政治家としてのやり取りに留めた。実際、司法の場で争ってみたところで、政治的政策的判断の妥当性の是非を裁くのは裁判所としても難しい。政治家同士の争いは、言論と行動によってなされるべきであろう。

 しかも、今回の提訴は安倍総理のメールマガジン発行から二年過ぎてなされている。これでは「今更」の感は免れないし、参院選に向けた政治的な思惑があるのではないかと疑われても仕方がない。菅元総理は「説明責任」という言葉を好んでいたが、当然この件についても説明責任を果たしてしかるべきであろう。

2013年7月15日 (月)

離島保全を進めるべき

 政府は領海の基点となる約400の離島について所有者や島の名前などを調べ、所有者不明ならば国有化する意向を固めた。竹島や尖閣諸島の二の舞三の舞を招かないためにも、離島の保全措置に乗り出すのは当然であろう。領海の基点となる島の他にも、他国勢力に占領・浸透されかねない島の保全措置も講ずる必要がある。気が付いてみたら外国資本が土地を買い占めていたなどということがあってはならない。

 ただし、中国のように領有権を主張する島々に櫓を建てて兵を常駐させるというのは我が国では難しい。常駐させることは国家として「保全の意志を示す」こととしては有効な方法であるにしろ、自衛隊や海上保安庁の職員数には限界があるし、離島に常駐するとなれば食料や飲料水からして外から補充しなければならない。かつて海上保安庁には灯台守のための「灯台補給船」というものがあったが悪天候で食料を補給できず、灯台守が餓死に近い状態になっていたこともあったそうだ。

 現実的なのは艦艇や航空機で広範に監視活動を行い、不審な点が見られれば上陸して調査を行うということを繰り返すことではないかと思われる。それでも、政府が離島を保全する意思を明確にすることは好ましいことだ。

2013年7月13日 (土)

宝塚市役所放火事件

 固定資産税を延滞したことによる口座差押に立腹した男が宝塚市役所を訪れ、油を撒いて放火するという事件を起こした。死者が出なかったのが不幸中の幸いだが、身勝手な理由による犯行である。

 それにしても、行政に対する理不尽な暴力やクレームは増えるばかりである。「行政はサービスである」という認識はすっかり一般化したが、一方で行政に対して何を要求しても許されると勘違いしている人も珍しくない。「殺してやる」「火をつけてやる」「家まで乗り込むぞ」・・・など、昔から土建業者ややくざなど役所に対して政治家などをバックに横暴な態度を取る人たちがいなかつたわけではないが、クレーマーになるのは今や主として一般人である。今回の被疑者も、税金は滞納していたがこんな事件を起こすような危険人物とは見られていなかった。窓口業務もこうなると命がけで地雷原を歩くようなものである。

 苦しい自治体の財政事情、生活保護制度の厳格化、貧困化など、トラブルの原因はいくらでもある。成長期・希望の持てる時代であればともかく、坂道を転がり落ちるように転落していく時代には悪い意味でみんな必死にならずさるを得ないし、取れるものは取ろう、出さなくても済むならば出さないようにしようということになる。余裕がない社会になれば、いきおい他者への寛容さや鷹揚さも無くなっていくのは当然のことと言えよう。こうなると、行政側も理不尽な要求や暴力沙汰に対しては断固たる態度を取っていかなければならない。「声の大きな人」が得をするような社会になってはたまったものではない。不当な理を得る者が出てこれば、救済されるべき者が救済されないという結果をもたらすことになる。

 難しいのが窓口対応だ。毎日罵倒に耐え、理不尽な要求を必死に拒否し、丁重な説明をすなければならない生活をしていれば、心身強健な者であったとしても心を病むことは確実だ。実際、民間企業のクレームをアウトソーシングして受けている企業では、精神疾患の患者が続出するブラック企業と化しているという指摘もある。公務員の精神疾患の問題は、こうした行政の窓口対応が難しくなっていることと無縁ではあるまい。

 「公務員は高い給料を貰っているから罵倒されて当たり前」という意見はネット上だけでなく市井のあちこちで見かける。行政に対するクレーマーなどは、明らかにこうした前提に立って行政の窓口で迷惑行為を繰り返している。しかし、この前提はそもそも誤りだ。今や、役所の窓口は何処に行っても非正規の公務員かアウトソーシングである。宝塚市に近い池田市など、自治体によっては正規職員よりも非正規職員の方が多い所すらある。その待遇たるや高給優遇どころか地域最低賃金レベルであることすら珍しくない。現在は中央省庁から地方自治体に至るまで、低賃金労働者を「弾除け」にするのが普通で、公務関連労働は今や使い捨てが当たり前のブラック企業まがいの状態になっている。何しろ、法の番人である筈の法務省が委託していた企業が社会保険に入らず不払い残業の横行する「無法地帯」だったのだから、もう悪い冗談にしか聞こえない。

 「民間にできることは民間に」というアウトソーシングの拡大と公務員削減に伴い、正規公務員の仕事は非正規公務員や外部業者への指揮命令という管理者的業務に移行しつつある。どんな職業でも、現場から離れれば離れるほど「人間性」を喪って数字ばかり追いかけるようになるが、行政でもそれと同じことが起きるのは時間の問題であろう。非正規公務員を含む公務関連労働者の職務を調査したところ、窓口や訪問など市民に身近な部門には非正規労働者が多く配置され、管理部門への配置は極端に少なかったという結果も出ている。

 窓口業務はますます過酷になっていく一方、「使い捨て」前提の人たちがまともな待遇を受けられるわけもなく、応対能力を磨く機会も与えられない。改善提案などしてみたところで、上席にいる正規の公務員は「減点主義」なのだから軋轢を生むことになるのみならずご機嫌を損なって職を失うことにもなりかねない。結果、行政の窓口で働く公務関連労働者達は顧客と管理者の双方から圧迫を受けるという厳しい立場に立ち続けることを余儀なくされる。

 しかも、クレーマーと言えども役所にとっては「お客様」である。サンドバッグ状態になる窓口労働者は「使い捨て」できる一方、下手にお客様を怒らせれば役所が「冷たいお役所」と非難されることになりかねない。管理者的立場に立つ正規公務員にしてみれば、きっぱりと拒否して役所に対する批判を招くより、窓口の非正規労働者を叩かせることでご満足いただければそちらの方がいいわけだから、クレーマーは今回のような事件でも起こさなければ刑事責任を問われることはそれほど多くないというのが実情のようだ。

 今回の事件で行政の窓口は大変にリスクの高い仕事であることが多少は知られることになったわけだが、窓口業務をどのように行っていくのか、自治体は再考する必要があるのではないか。少なくとも、今のような「非正規労働者を弾除けにする」という手口では不正不当な要求に対して行政として断固たる態度を取るなどということはとてもできそうにない。

2013年7月11日 (木)

トルコライス

 長崎市のB級グルメに「トルコライス」というものがあるそうだが、何とこの料理は上にトンカツが乗っているということで、トルコ側が「トルコライス」と呼ぶことに難色を示しているそうだ。無理もない話で、トルコは世俗化していると言っても国民の大半がイスラム教徒。そして、ムスリムにとって豚肉は「食べてはならぬもの」の代表格である。

 「トルコライス」と呼んではいるものの、実際にトルコとの関係は無い料理と見られている。しかしながら、かつて「ソープランド」を「トルコ風呂」と呼んでいたように、誤った呼称から誤ったイメージが拡散してしまうリスクは否定できない。

 長崎は中世以来外国との窓口になってきた都市であり、日本とトルコの友好関係のきっかけとなったエルトゥールル号事件でも、最初にエルトゥールル号が寄港したのも長崎であれば生存者が発ったのも長崎だった。そういうわけで、長崎市では「トルコとのつながりを築きたい」と、エルトゥールル号事件の起きた日を「トルコライスの日」にしているそうだ。志はいいことだと思うが、トンカツの乗った料理はさすがにトルコに対してはまずい。せめて、牛肉か羊肉にしてはどうか。チキンカツでもかまわない。

2013年7月 9日 (火)

すっかり年中行事になった中国艦船の尖閣出没

 中国艦船の尖閣出没はすっかり慣例行事になりつつある。1980年代から出没を繰り返してはいたが、長く一般のマスコミが報道することは少なかった。最近では出没するたびに報道するようになってはいるが、いつの間にやら異常事態は常態化、一般市民の関心はどんどん低下している感がある。

 としても、中国側の「浸食」を放置しておくわけにはいかない。日本側が三十年近く漫然と放置していた結果が中国の領有権主張であり、具体的な浸透活動を招いたとも言えるからである。尖閣周辺では海空の自衛隊や海上保安庁が二十四時間の監視任務に就いている。単に攻撃されないよう監視を続けるだけでなく、日本側が誤った有形力の行使をすれば相手側に口実を与えてしまうから、そのあたりも注意する必要がある。緊張を強いられる任務であろうことは想像に難くない。

 一番恐ろしいのは中国よりも、日本国民の無関心ではないか。国民が無関心になれば、前線にいる関係者の士気の低下は免れまい。今は目立たないと予算や人員を削減しろの大合唱がはじまるから、そのようなことになれば待遇面の維持もできなくなることすら想像される。そうなれば、前線部隊の崩壊ということになりかねない。

 一番恐ろしいのは、異常事態の常態化から来る「慣れ」なのではないか。

2013年7月 7日 (日)

イージス艦8隻体制

                   

 防衛省は現在6隻のイージス艦を8隻に増強する方針を固めた。弾道ミサイル防衛の体制強化の一環だという。イージス艦と言っても全ての艦に弾道ミサイル防衛能力が付与されているわけではなく、現在の「こんごう」型「あたご」型も就役後の改造で弾道ミサイル防衛能力が付与されておりいわば「オプション」なのだが、この改装が一段落したから、新たな艦を導入しようということだろう。

 ミサイル防衛に出動するとしても艦はともかく乗組員には疲労と練度の問題があって、6隻全部を前線に展開できるわけではない。北朝鮮はいつも「突然」にミサイル実験や核実験を行うから、即応できるイージス艦が増えるというのは望ましいことではある。

 加えて、中国海軍空軍の増強にも警戒する必要がある。空母を持たず空中給油機も少なく、沖縄周辺に大規模な航空自衛隊基地もない日本にとって、海上部隊のエアカバーは容易ではない。イージス艦が艦隊防空を担うことになるわけだが、イージス艦が増強されればこの面でも前線部隊の負担は軽減できるだろう。

 問題は、一隻2000億円を超えると言われる取得費と、300名の人員を配置しなければならないということで、安倍政権になってから国防関係の予算は優遇されているとは言えこの負担は容易ではない。イギリス海軍の場合は旧式艦はもとより比較的新しい艦まで片っ端から退役させて国防コストを削減したのだが、現在周辺諸国と目立った緊張関係のないイギリスと、そうでない日本とは取り得る手法も当然異なる。また、社会保障関係の予算は削減圧縮が叫ばれている中で、そもそも一体イージス艦は「何を守るのか」という根本的な問いもされなければならないのではないか。

2013年7月 5日 (金)

参議院議員通常選挙公示

 参議院議員通常選挙が公示された。安倍政権に対して信任するか不信任とするか占う選挙と言われている。各候補者・各党の政策や見識を見定めて7月21日の投票日までには一票を投じたいところだ。

 私が残念に思うのは、自民党優勢で場合によっては単独過半数、いずれにせよ「ねじれ国会」が解消になる可能性が高まっていることだ。何も、自民党の勝利を歓迎していないわけではない。だが、1989年以降続いてきた参議院は一体何だったのか、そのことは問い直されなければならないと考える。

 衆議院で多数を占めた勢力が首相を出し与党となる。これは議院内閣制の基本だ。では、その場合に第二院はどうなるのか。大統領制の国では大統領と議会の多数派が異なる政治勢力属することもまた珍しくない。アメリカなどは上下両院とも野党が多数派を占めているということすらある。

 こうした場合、与野党或いは行政府と立法府の間で議論やすり合わせを行うことが重要になる。これは「政治の技術」と呼んでもよいものだが、単純な多数派の横暴や行政府と立法府の抗争ではなく、合議の中から結論を導き出していく過程である。

 1989年の参院選から24年になるが、結果的に日本では「衆議院の三分の二の乱発」など「数」が重要であることが最後まで変わらず、妥協点を見出そうとすれば兎角に「変節」扱いされ与野党双方が相手に妥協させて相手を「変節」扱いしようと張り合う姿は変わらず、合議というプロセスは育たなかったという感がある。このまま与野党とも自民党が多数を占める時代に戻れば、再び我が国では合議プロセスはあまり必要とされなくなるわかけだから、この分野で「技術」が育つ時代は再び遠のくことになる。

 多数派の「数の横暴」「決められない政治」は、どの民主国家でも経験してきていることだ。アメリカでもイギリスでもフランスでも同じである。その過程を経て、現在の「合議のシステム」「合議の技術」が育ってきたわけだが、我が国ではまだそれは育ってきたとは言い難い。

 国民の側も「決められない政治」にウンザリしている感はある。一方で合議というプロセスを育てることにどれだけ関心を払ってきたのであろうか。

2013年7月 3日 (水)

新入社員の7割が終身雇用希望

 産業能率大が新入社員に対して行った調査によれば、新入社員の7割が終身雇用を希望しているという。2002年の調査では5割だったから、この十年余で経済界やコンサルタントが吹聴してきたメッキが剥がれ「現実」が見えてきたということだろう。挑戦していった上の世代が結果的には成功したごく一部の者を除けば人生の先行きを失い、経済的に困窮している姿を見ていれば、多数の者がより安定した人生を望むようになるのは至極当然の事であろう。

 同時に、終身雇用を希望したとしても、その恩恵を受けられる層はますます少なくなっている。ますます「手に入らないもの」になりつつあるからこそ、希望する若者が増えているとも考えられる。

 使用者側としては、最早一部の幹部社員を除けば「終身雇用」どころか期間の定めのない雇用すなわち「正社員」たる身分すら維持したくないというのが本音である。「准正社員」という考え方が提示されているのもその一環で、従来の非正規労働者の待遇改善をお題目にしてはいるものの、正社員ほどの身分保障はされていないし、賃金についても非正規雇用から上昇するかどうかは「使用者次第」ということになっている。実質的な「義務は正社員並み、権利は非正規労働者」にされると危惧しているのは私だけではないだろう。実際、公務関連労働の現場では「義務は国家公務員と同等、待遇はアルバイト」という労働者が蔓延している。

 新入社員にとって厳しい時代はこれからも続くだろう。何しろ、かつてであれば厳しくも手取り足取り仕事を教えてくれたであろう筈の「経験豊かな先輩社員」はもう存在しない。十数年前から採用抑制がされているから当たり前だ。厳しい就職活動を潜り抜けただけに、「もうあんな屈辱的な就職活動はしたくない」と考えている者も多かろう。必然的に、会社にしがみ付く余り心身を害するような仕事を自ら進んで引き受ける者も多数出てくるものと考えられる。

 「先行き不透明な時代」というのは、ある人々にとっては実に好都合な時代だと言える。脅し文句を並べなくても済むのだから。

2013年7月 1日 (月)

ブラック企業が「ブラック企業」でなくなる日

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 365日24時間死ぬまで働け

                ワタミフードサービス前会長

                       渡辺美樹(1959年10月5日~)

 ワタミの渡辺前会長が自民党から参院前に出馬することが決まり、市井では「ブラック企業」が大きな注目を集めている。渡辺氏はワタミの「数字」を挙げて、他の飲食店業界と比較して問題になるような数字ではなくワタミは「ブラック企業ではない」と主張した。ブラック企業名を公表する措置にも賛成するそうだ。

 ワタミがブラック企業かどうかは、そもそも「ブラック企業」の正確な認定基準があるわけではないから、究極には個人の主観に帰する。としても、労働社会保険諸法令に抵触する違法行為や過労自殺、非人間的な労務管理を肯定する人はそう多くはないだろう。中小企業のオーナー社長や体育会系の出身者にワタミのようなやり方を肯定する人が多いという感触はうるが、無論すべてではない。

 渡辺前会長が国政を担うに相応しい人物か否かはこれから有権者が決めることではあるが、「ブラック企業名公表賛成」という意見には裏があるように思われてならない。

 厚生労働省が「ブラック企業」の認定を行い企業名を公表するということになれば、当然ながら「ブラック企業」の基準が定められることになる。行政機関の行為である以上、基準も無しに恣意的な運用がなされてよい筈はない。では、誰が決めるかと言うと、「有識者」を集めた審議会の意見をもとに厚生労働大臣が決めることになるだろう。

 まず、「有識者」が問題だ。おおむね、有識者としては大学教授や大手企業の経営者が名を連ね、ごくまれにナショナル・センターである連合の関係者が入るくらいだが、組合関係者はもとより大学教授や経営者が「中立」「公平」であるというのは幻想でしかない。経営者にしてみれば自分の首を絞めるような「ルール」には反対するのは当たり前だし、研究者にしても自分の「学説」として信念を持っているものがあるわけだから、その信念が経営者の立場に近いものであれば無論経営側に立った意見を述べることになる。

 加えて厚生労働大臣は与党の政治家だ。つまり、「ブラック企業」を認定する要件を決めていく中で、かなり基準が「骨抜き」「曖昧」にされていく可能性があるということである。渡辺前会長が参議院議員に当選できれば、この過程でより強い「政治権力」をもって介入していくことも十分可能だろう。

 また、恣意的なブラック企業認定が許されない以上、基準は数字化されていくことになる。最近の行政機関は総じて「事業仕分け」などの影響もあってか、やたらと数字にこだわるようになってきている。即ち、数字さえきちんと整合性が取れていれば、実際の中身は二義的なものになってしまうということだ。一例を挙げれば、介護事業者の認定は「頭数」で決まっている。介護労働者のキャリアや労働条件には全くと言っていいほど関心は払われないし、評価対象にもなっていない。

 こうした現状に鑑みれば、仮にワタミがブラック企業であったとしても、「ブラック企業」として認定される数字さえ基準に満たなければ「ブラック企業」にされずに済む。ブラック企業認定ルールを作る側が、渡辺前会長に近い人々になるであろうことを考えると、政治力から現在「ブラック企業」と呼ばれている企業に有利なかたちで基準が定められる可能性も高い。経営者としては非凡な才能を発揮し一代でワタミグループを作り上げたのが渡辺前会長である。政府の審議会の委員の経験も長い。恐らく、このあたりでワタミが「ブラック企業」にされずに済むという見通しがあるからこそ、「ブラック企業認定と公表制度に賛成」と述べたのであろう。そうでなければ、経営者としては自社を危険に晒すような制度を作ろうとする筈もない。

 ブラック企業認定と企業名公表制度が作られたとしても、ブラック企業の「認定基準」さえ逃れることさえできれば、ブラック企業が「ブラック企業」でなくなってしまうことになるばかりか、むしろ厚生労働省という「お上」が「ブラック企業ではないと認めた」というお墨付きすらフララック企業経営者に与えてしまうことになりかねない。制度作りはまさにこれからだが、かえってブラック企業を公認してしまう結果すら考えられるところである。

 また、安倍総理も渡辺前会長も労働規制の緩和論者として有名である。現政権とその周辺には労働規制の緩和論者がずらりと並んでいる。労働者保護の観点から規制強化の必要性を主張している論者など皆無だ。安倍総理の「FB発言」ではないが、規制緩和に反対すれば「左翼」などとレッテルを貼られる。労働法制は政策的な要素が強く、かつては原則禁止されていた労働者派遣が一夜にして原則解禁になったという歴史もある。仮に「労働社会保険諸法令での違法状態」からブラック企業に認定されてしまったとしても、法改正により現在の違法状態を合法化してしまえば問題は起こらない。

 参院選後、「改革」は更にラジカルに進められることになると思われるが、この過程で労働規制の緩和も行われることになるだろう。長時間労働規制や社会保険強制加入要件の緩和などがなされれば、現在の違法行為も合法な行為となる。

 現在においても労働法的に「合法」であったとしても、労務管理上ただちに「適切」とは言えない。最低賃金法を守っていたとしても、それだけで労働者の「やる気」を引き出すのは困難である。だが、人を育てず必要な時に取っては使い捨てればいいと割り切ってしまえば労務管理など大した意味はなく、法的に合法でありさえすればいいという考え方に行き付くのは自然である。

 最近は経営者と話すと「合法だから問題ない」という話をよく聞く。労務管理上適切かどうかなど全く考えていないのだが、こうした思想の蔓延もまたブラック企業「合法化」の後押しとなる。

 ブラック企業が「ブラック企業」でなくなる日はそう遠い日の事ではないのでないか。

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