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2013年4月17日 (水)

学校教員准免許制度の利点と問題点

 自民党は学校教員について大学卒業時は「准免許」という仮免許を与え、数年間は講師待遇の試用状態とし、その後に正規教員として採用するか准免許のままの非正規教員に留めるかという制度改正の方針を示している。民主党政権化で推し進められた「原則修士号取得者」という制度改正よりはマシと言えないこともないが、問題も少なくない。

 教員の資質は大学や大学院での学問や短期間の教育実習だけで身に着くものでも推し量ることができるものでもない。それでも大学教員の場合はあくまで学識を教授するもので学生の方も相応の学力がある(ということになっている)から教え方が悪かったとしても仕方がないし、学生の方が教員の学識に追いつくための自己研鑽も当然求められているからそう大きな問題にはならない。学者としては一流でも教え方としては二流三流という教授は沢山見てきたが、講義そのものは下手でも自分で勉強したことと併せれば大きく生きる講義は少なくなかった。大学や大学院ではその境地まで到達できない学生の方がむしろ悪いとも言える。しかし、高校以下の学校現場では教員の指導の比重は大学の比ではないから、当然その資質をどう保持するかが問題になる。

 一定の「仮免期間」を定めて教員たる資質を確認した後正規教員に登用するという流れそのものは、不適切な教員を抱え込むリスクを排除できるから、それなりに有効な方法になることは間違いない。

 一方で、そもそも「仮免」を「本免」にするに当たり、実質的に何の評価基準もなく大過なく仮免期間さえつとめればいいということになれば、仮免中の教員は挑戦や工夫をするよりも評価だけを気にするようになることは避けられそうにない。他の教員や生徒や保護者とぶつかって教員として成長する一番いい時期に「大人しくしている」ことの方が保身のために有効になるとなれば、その後の教員生活も同じような手法で「乗り切る」ようになつてしまうのは推して知るべしであろう。そうした教員の姿が子供にとって模範となるかと問われると、首を捻らざるを得なくなる。

 加えて、現在の学校教育の現場では教員の非正規化が進んでいる。派遣労働者の教員すら珍しくない。「仮免」制度を隠れ蓑にして、正規教員への登用を限定することで仮免教員を使い捨てにする現象が生まれないとも限らない。そもそも、長期間安定した雇用を与えない職場というものは全般的に方針が場当たり的になり人材育成についてもまともな資本投下をしなくなる傾向がある。教員というのは常に勉強し続けなければやっていけないもので、それも含めて賃金や労働時間が設定されている筈だが、その部分のコストを労働者個人に帰結させて支出しないということになれば、非正規化している教員は資質を磨く機会を失い、それが能力不足と評価されるようになって労働市場から排除されるという流れが作られかねない。既に非正規の教員の中には採用試験に挑戦し続けるうちに年を取り、心身を病み、そうこうしているうちに非正規教員にも採用してもらえなくなって消えていく者が珍しくない状態にある。学校現場そのものが、サービス業で見られるのと同様の「ブラック企業」化してしまうリスクは現状でも既にあるのであり、准免許制度が更にこの流れを推し進めてしまうことは危惧せざるを得ない。

 非正規労働者の正規労働者への転換や派遣労働者の間接雇用から直接雇用への転換の際に重要となっているのは能力よりも上司や派遣先に「気に入られるかどうか」というところが大きいのは事実だ。これと同じことが学校現場で起きるとすれば、子供たちにとって世渡りを教え込むことはできようが正義や努力を説いたとしても誰もまともに聞かなくなってしまうのではないか。

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