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2013年4月

2013年4月29日 (月)

憲法96条改正の先にあるもの

                   

日本国憲法 第九十六条
 この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
 憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。

 間もなく憲法記念日だが、安倍総理が「96条改正」を表に出して改憲勢力の糾合を図ろうとしていることで、夏の参院選で96条改正の是非が議論になりそうだ。

 この96条というのは、憲法改正の手続きを定めた規定だが、読んでみると分かるとおり憲法改正に向けたハードルと言うのはなかなか高い。まさに、この規定が憲法を普通の法律のように簡単に改正できない「硬性憲法」と言われる所以である。もっとも、憲法を普通の法律と同じように簡単に改正できないよう、憲法改正にハードルを設けているのは日本だけに限ったことではなく、そもそも大日本帝国憲法の時代にも憲法改正は普通の法改正よりもハードルは高かった。大日本帝国憲法が改正されたのはたったの一回だけ、それも現行憲法制定を帝国憲法改正という形態を取って行ったためである。

 確かに、憲法改正の手続きが厳しすぎるという指摘はある。だが、同時に憲法改正を簡単にできないものにすることで、一時的な議会の多数派が数に頼んで憲政の根幹を揺るがすことのないよう思慮を及ぼした既定とも考えられる。96条改正の是非は、憲法を硬性憲法が望ましいと考えるか軟性憲法が望ましいと考えるか、そこまで考えを及ぼす必要があるだろう。

 同時に、96条改正の話だけが先行していることにいささか違和感を感じざるを得ない。昨今政府与党から「伝統」とか「天賦人権論の否定」という話が出ていることを考えると、まず96条改正で改憲のハードルを下げておき、その後で数に頼んで基本的人権を否定乃至大幅に制約する改正を行い、人権抑圧がはじまったときにはもう遅いという流れに持ち込みたいのではないかと疑いたくなる。

 私は空想的平和主義では日本の独立も世界の平和も実現できないから、その点では9条は改正されてしかるべきと考えている。当然、国軍の設置も憲法上明記されるべきだという立場に立つ。天皇も元首であると明記して良い。しかし、近代立憲主義の原則と同じく憲法は人権を保障するための手段であるという考え方は変わっていない。統治機構も軍も、すべてが存在する意義はそこにある。すなわち、政府や軍のために国民が存在するわけではないのである。

 96条改正だけを先行させるという考え方には率直に言って反対だ。憲法全体をどのように考えるか、そこをきちんと提示して国民に信を問うべきではないか。

2013年4月27日 (土)

ミス・コリア候補が話題に

 ミス・コリア候補の顔が「みんな同じに見える」ということが欧米メディアで話題になっているそうだ。そもそも、欧米人は黄色人種の顔を「みんな同じに見える」ということがあるくらいなのだが(我々も中東出身者の見分けがつかないことがある)、それに加えて韓国が「整形大国」であることが話を大きくしている。何しろ、盧武鉉大統領まで在任中に整形していたほど整形が一般的な国なのだ。

 ただ、狙っているのがミスコンである。ミス・コリアを狙うに当たってもっとも「ウケのいい顔」でいたいということになれば、整形へのハードルはただでも低いのだから抵抗感はなかろう。結果的に、審査員にウケる顔が並ぶようになるのは致し方あるまい。我が国だって、バブル時代にはソバージュ頭が並んでいたではないか。

 ミス・コリア候補の顔について、韓国国内のネットユーザーの中には「よく見れば微妙に違う」というような擁護の声もあるそうだが、別の見方をすれば「ばっと見て、見分けがつかないほど似せられる」技術があるということになると、それはそれで凄いことなのではないか。

2013年4月25日 (木)

火星への片道切符

                   Mars Valles Marineris.jpeg

 オランダの非営利企業が火星に向かう人材を募集している。ただし、「火星旅行」という生半可なものではなく「火星移住」が目的であり、ゆえに帰還を考慮しない「片道切符」なのだそうだ。

 確かに、人類の歴史上「片道切符」で移住した例は多い。むしろ、移民などは基本的に片道切符だったと言っていい。ピルグリム・ファザーズもそうだったし、残す故国に未練がない方が植民先をより住みやすいところにしようと努力する傾向すらある。

 しかしながら、それでもヨーロッパ人から見る「新大陸」は既に先住民であるネイティブ・アメリカンがおり、人が住んでいない土地ではなかった。今や人類は極寒のシベリアから灼熱の砂漠地帯まで幅広い土地に住んでいるが、最低でも空気はある。しかし、火星の場合その空気すらない。密閉した建物を作らなければそこに留まることすらできない。空気にはじまり、地球上の生態系をそのまま移植する必要がある。それは現在の技術と、ロケット打ち上げにかかる費用から考えて容易なことではない。

 一時滞在ならば可能だろうが、地球の生態系を移植し火星にあるものだけで自活するのはかなり難しいのではないか。加えて、大人数を送ることもできないし、仲たがいが起きたらどうするのか。病気が発生したらどうするのか。子供が生まれる場合(むしろ、産むことを前提にせねば「植民」は成り立たない)妊娠出産から教育はどうするのか。人間は社会的動物であり、完全な自給自足は最早不可能だ。

 確かに人類は常に未踏の地を求めてきた。それは人類の本質であり本能であったと言ってもよい。それで片道切符なのだ。躓けば即刻死に至ることになる。

 かつてアメリカ、次いでオーストラリアには囚人が送り込まれたものだ。送る途上や現地で死んでも仕方がないという考え方に基づくものである。オーストラリアの名家は由緒正しい囚人の子孫だという笑い話があるが、某首相の先祖などは下着ドロで流刑にされた人物だったらしい。しかしながら、火星に莫大な費用をかけて「遠島」申し付けるのもいささか非効率な話だ。

 そもそも、NASAが計画しているような一時的な滞在に留まる「火星探検」ならばともかく、こうした植民計画が倫理上も許されるかどうか、考えてみる必要がありそうである。

 

2013年4月23日 (火)

大学生のおバカ騒ぎに思う

 大阪のUSJで大学生が品位を欠く「おバカ行為」をしたことが話題になっている。私の母校である同志社大学の学生も騒ぎを起こしたというのだから、「良心」を基礎としている学校としては情けない限りである。地元の学校である愛知淑徳大学では中指を立てた写真を掲載した女子学生を懲戒処分にしているが、共学になったとはいえ名門女子大の面目丸つぶれといったところだ。

 確かに、昔からバカ騒ぎは大学生の特権ではあった。日本だけの話ではなく、ドイツやイタリアの大学生は中世の時代からバカ騒ぎをしてきた伝統がある。としても、それらは酒を飲んでは高歌放吟する類のものであった。アミューズメント・パークで他の来客に迷惑になるようなことをやらかしたとなると、さすがにまずい。

 誰しも「若いころはいろいろある」ものだが、後から顧みて「青春の祭り」ではなく単なる迷惑行為だったと赤面するような想い出づくりは決して本人のためにはなるまい。

2013年4月21日 (日)

四川大地震

 中国の四川省で地震が発生し、報道されているところでは死者も100人を超えている。かなりの被害が出たことになる。お見舞いを申し上げたい。

 四川省は日本と同じく地震が多い。数年前にも四川省で地震が発生し、航空自衛隊機で救援物資を届けるかどうかでもめたことは記憶に新しい。中国の奥地は貧富の格差も激しく、そうでなくとも中国の建物は「手抜き」が多いというから、被害が拡大するのももっともだろう。

 日本は未だ東日本大震災復興の途上にある中で、中国での震災にまことに同情を禁じ得ないところである。東日本大震災での原発被害は人災の側面が大きいが、中国の地震被害も同じようなところがある。新体制となった中国政府が被災者の救援だけでなく今後の防災対策としてどのような措置を講じていくのか、注目していきたいところだ。

2013年4月19日 (金)

尖閣周辺に出没する中国艦船

 最近ではあまり大きなニュースにはならなくなったが、尖閣諸島周辺に中国艦船が出没するのは最早非常事態ではなく日常事態になりつつある。尖閣諸島の領有権を主張する中国政府としては、恒常的に自国艦船を出没させることで諦めも妥協もしない姿勢を示し、「紛争状態」に持ち込みたい意向だろう。日本の実効支配をいきなり崩すのは難しいとしても「紛争状態」にあることを国際社会にPRしていけば、日本から有利な譲歩を引き出せると踏んでいる。そして残念ながら、日本政府の従来の動きを見ていれば、最終的に譲歩することになるのではないか。日本企業を人質に取られているし、経済界は中国政府との摩擦を嫌っている。

 日中関係は一時期に比べて落ち着いてきたとは言え、空自のスクランブルも頻発するなど、海空ともに緊迫した状態は変わっていない。日本の国益を守るためには、この状態が当面は続くことを覚悟する必要がある。中国と同レベルの軍拡を行うことは到底無理だが、相応の実力をもって対峙を続けなければならない。その度胸を見せてこそ、日中ははじめて手を取り合うことができるのである。

 中国人は面子を重んじる。そして、強者は強者との話し合いを好むものである。当たり前だが、ライバルにならないような相手は憐みの対象にはなり得ても対等な友情は生まれない。日本が中国を友にしたければ、良きライバルになることを考えるべきだ。一方的に譲歩を示すだけでは、永遠に信頼関係は作れない。

2013年4月17日 (水)

学校教員准免許制度の利点と問題点

 自民党は学校教員について大学卒業時は「准免許」という仮免許を与え、数年間は講師待遇の試用状態とし、その後に正規教員として採用するか准免許のままの非正規教員に留めるかという制度改正の方針を示している。民主党政権化で推し進められた「原則修士号取得者」という制度改正よりはマシと言えないこともないが、問題も少なくない。

 教員の資質は大学や大学院での学問や短期間の教育実習だけで身に着くものでも推し量ることができるものでもない。それでも大学教員の場合はあくまで学識を教授するもので学生の方も相応の学力がある(ということになっている)から教え方が悪かったとしても仕方がないし、学生の方が教員の学識に追いつくための自己研鑽も当然求められているからそう大きな問題にはならない。学者としては一流でも教え方としては二流三流という教授は沢山見てきたが、講義そのものは下手でも自分で勉強したことと併せれば大きく生きる講義は少なくなかった。大学や大学院ではその境地まで到達できない学生の方がむしろ悪いとも言える。しかし、高校以下の学校現場では教員の指導の比重は大学の比ではないから、当然その資質をどう保持するかが問題になる。

 一定の「仮免期間」を定めて教員たる資質を確認した後正規教員に登用するという流れそのものは、不適切な教員を抱え込むリスクを排除できるから、それなりに有効な方法になることは間違いない。

 一方で、そもそも「仮免」を「本免」にするに当たり、実質的に何の評価基準もなく大過なく仮免期間さえつとめればいいということになれば、仮免中の教員は挑戦や工夫をするよりも評価だけを気にするようになることは避けられそうにない。他の教員や生徒や保護者とぶつかって教員として成長する一番いい時期に「大人しくしている」ことの方が保身のために有効になるとなれば、その後の教員生活も同じような手法で「乗り切る」ようになつてしまうのは推して知るべしであろう。そうした教員の姿が子供にとって模範となるかと問われると、首を捻らざるを得なくなる。

 加えて、現在の学校教育の現場では教員の非正規化が進んでいる。派遣労働者の教員すら珍しくない。「仮免」制度を隠れ蓑にして、正規教員への登用を限定することで仮免教員を使い捨てにする現象が生まれないとも限らない。そもそも、長期間安定した雇用を与えない職場というものは全般的に方針が場当たり的になり人材育成についてもまともな資本投下をしなくなる傾向がある。教員というのは常に勉強し続けなければやっていけないもので、それも含めて賃金や労働時間が設定されている筈だが、その部分のコストを労働者個人に帰結させて支出しないということになれば、非正規化している教員は資質を磨く機会を失い、それが能力不足と評価されるようになって労働市場から排除されるという流れが作られかねない。既に非正規の教員の中には採用試験に挑戦し続けるうちに年を取り、心身を病み、そうこうしているうちに非正規教員にも採用してもらえなくなって消えていく者が珍しくない状態にある。学校現場そのものが、サービス業で見られるのと同様の「ブラック企業」化してしまうリスクは現状でも既にあるのであり、准免許制度が更にこの流れを推し進めてしまうことは危惧せざるを得ない。

 非正規労働者の正規労働者への転換や派遣労働者の間接雇用から直接雇用への転換の際に重要となっているのは能力よりも上司や派遣先に「気に入られるかどうか」というところが大きいのは事実だ。これと同じことが学校現場で起きるとすれば、子供たちにとって世渡りを教え込むことはできようが正義や努力を説いたとしても誰もまともに聞かなくなってしまうのではないか。

2013年4月15日 (月)

さようなら200系

         ファイル:Shinkansen 200 Series - Tsunageyou Nippon.JPG

 東北新幹線開業以来走り続けてきた200系が14日の特別列車をもって完全に引退した。これをもって、0系以来見慣れていただんご鼻の新幹線もまた消滅することになる。私が東北新幹線に乗るようになったのはこの一年半ばかりのことだが、東京駅のホームで時折見かける200系に懐かしさを覚えたものだ。

 もともと、この「だんご鼻」は旧海軍の攻撃機だった「銀河」に由来すると言われている。旧海軍の技術者を戦後になって国鉄が受け入れたため、設計のノウハウが国鉄に引き継がれ新幹線の設計に生かされたとされている。

 200系新幹線は豪雪地帯を高速で走行し、大地震で脱線しても乗員乗客が無事だったなど、高速鉄道の歴史に残る車両であったことは言うまでもない。

 東海道新幹線と東北新幹線の姿かたちは今では随分と変わったものになった。これも民営化による差別化であろう。実は東海道新幹線のIC乗車券で東北新幹線に乗り継ごうとするといささか不便で、このあたりは民営化によって一本化できない問題と見ることもできる。

 いずれにせよ、日本全国でほぼ同じデザインの列車を走らせていた国鉄から引き継がれてきた新幹線車両もこれで消滅したことになる。 

2013年4月13日 (土)

日本の公的機関HPでの「東海」表記に思う

 日本にとって日本海は日本海あって韓国の言う「東海」ではない。にもかかわらず、日本の公的機関のHP等で日本海を「東海」と併記してあるものが見つかって問題になっている。これは韓国が「日本がやましいことがあるから併記している」などと突っ込んできかねないところだ。

 地図表示などでグーグルを使っているところでは、グーグル自体が併記していたためそのまま併記されてしまったということもあるようだが、行政機関の言い分が「民間業者に任せていたから気が付かなかった」というものではいささか不安になる。最近は行政の業務を民間委託することが増えてきているが、兎角に不祥事が起きるとチェック体制を作らなかったり機能不全にしていることを棚に上げて民間業者が悪いという弁解で乗り切ろうとしているケースが目立つ。

 民間業者の側がひそかに韓国の意を受けて併記したなどと言う政治的な意図はないだろうが、民間業者任せにした挙句問題が起きると業者の責任にするという昨今の風潮は公的機関の更なるモラル低下を招くのではないか。少なくとも「お役所様」の態度は改まりそうにもない。民間委託という手法そのものが国家の安全に重大な問題を生じさせる原因にもなりかねないところだから、この手法が正しいのかどうかに立ち返って吟味する必要があるのではないか。

2013年4月11日 (木)

暴走を続ける北朝鮮

 北朝鮮が国内駐箚の外交官に安全の保障ができないとして退去を勧告し核戦争が起きると喧伝を続けている。のみならず、ミサイル発射実験が間違とのことで、日米韓政府と軍はミサイル探知と迎撃のため待機を続けている。

 北朝鮮の暴走行為は今に始まったことではないが、核兵器やミサイルについて着実に進歩を続けていることは確かで、日本に対する脅威だけは確実に高まっている。非常事態が半ば常態化していることを認識する必要がある。

 迎撃態勢については政府側から公表されていないことも多いが、それはやむを得ない。公表しないことがいいこともあるのは確かだ。

2013年4月 9日 (火)

マーガレット・サッチャー元英国首相が死去

                      マーガレット・サッチャー

 マーガレット・サッチャー元英国首相が4月8日に亡くなった。サッチャリズムは盟友であったアメリカのレーガン大統領の掲げたレーガノミックスと並んで1980年代以降の日本政治にも大きな影響を与えており、今も日本政治はその流れの中にあると言ってもよい。実際にはイギリスにおいては1990年代に労働党政権によってサッチャリズムで行われた一連の「改革」にはかなり問題があるとして揺り戻しが行われたが、一方の日本では今もなおサッチャリズムと変わらないような路線が「改革派」としてもてはやされる傾向がある。本人が亡くなり、これから歴史的な評価が定まることになるのだろう。

 日本が学ぶべきは、フォークランド=マルビナス紛争において見せたサッチャー元首相の毅然とした態度であろう。もともとフォークランド=マルビナス諸島の領有権はイギリスが実効支配しているもののスペインの領有権主張を引き継ぐアルゼンチンの領有権主張にも一定の説得力があった。そして、英国本土から遠く離れた寒村に過ぎない島々を維持する必要性はないのではないかということはイギリスですら言われていたことである。当時のアルゼンチンのガルチエリ政権も、イギリスが出てこないと踏んでフォークランド諸島の武力制圧に踏み切った。

 ところが、サッチャー首相は断固としてフォークランド諸島を取り返すことを表明し、空母二隻からなる機動部隊は地球を半周してフォークランド諸島の奪回作戦を敢行している。現在、フォークランド諸島周辺の海域の海底資源が注目されており、資源獲得において奪回作戦は後付けにしても国益に適っていたと言える。当時のイギリスは香港だけでなく英領ジブラルタルなどの帰属をめぐって揺れていた時期だったから、本土から遠く離れた場所であって断固として守るという姿勢を示せたことで領土問題について強力なメッセージを国際社会に示すことに成功したと言える。代償は決して小さなものではなかったのだが。

 ご冥福をお祈りしたい。

2013年4月 7日 (日)

名古屋市長選挙

 名古屋市長選挙がはじまった。名古屋市政は大阪市政と同様に個性的な市長による「反中央」「反既成政党」が掲げられたポピュリズムが蔓延したところだが、名古屋の有権者が大阪より一足先にその結果を有権者がどのように評価するのかが注目される。

 もっとも、過去二回の市長選挙の時に比べると注目も盛り上がりも下がっていることは否めない。無論、名古屋市長は名古屋市民が決めるもので周辺自治体として何か口を出せるわけではないのだが、名古屋市長がどのような姿勢で市政に臨むかで周辺自治体も大きな影響を受けることになる。「無関心」を決め込むことだけは避けたいものだ。

2013年4月 5日 (金)

道徳の成績評価は行わないのが当然

 安倍政権の「目玉」政策のひとつである道徳の教科化だが、道徳を教科とするものの成績評価は行わない方向で調整に入るようだ。これは当然の事であろう。

 何をもって「道徳的」と言えるかは多様な価値観がある現在では簡単なことではない。戦前の「修身」のような道徳を押し付けてみたところで、現代社会の規範とは所詮一致するわけもないし、実際に安倍政権を支持している経済的に成功した人たちの中には「道徳的」とは言い難い経営手法でのし上がってきたと囁かれている人たちも少なくないのだ。経営者まで行かなくとも、組織の中で出世する人の中には他人の事をなんとも思わないような冷酷、傲岸、不遜な者が少なくない。そんな組織の中で「道徳」を守ってみたところで、むしろかい離から大きな不利益を被ることは必至だ。

 必要なのは「自分が何のために生きるのか」を自分自身に考えさせることではないか。日本の教育では答えの出ない問題を子ども自身にじっくり考えさせるプロセスと言うのは伝統的に重視されてこなかった。教員側もそんなことはほとんど考えたこともなかったであろう。それならば、「道徳」の授業時間をそのために充てることができる。としても、当然ながら答えは一つではないし、それは成績評価になじむものとは到底言えないであろう。

2013年4月 3日 (水)

北朝鮮が黒鉛炉再稼働

 北朝鮮がヨンビョンにある核開発用の黒鉛炉を再稼働すると発表した。六か国協議により2007年に稼動を停止していたのだが、これだけでも北朝鮮にとって「交渉」は所詮外国からの援助を引き出すための一時しのぎに過ぎないことが分かる。

 そもそも、北朝鮮に対しては核開発停止の「見返り」として金品が支払われてきた。北朝鮮は何かあると核やミサイルで周辺諸国を脅し、僅かな開発の停止などと引き換えに援助を受けることに成功している。ここ二十年ばかり、北朝鮮にとっては国家延命のためのモデルになってきた。独裁体制を続ける限り、北朝鮮がこれ以外の手法を取ることは難しいのではないか。

 いずれにせよ、北朝鮮に「甘い態度」を取れば付け込まれるだけであることだけは確実であると言える。北朝鮮を延命させてきた責任の一旦は北朝鮮に甘い政策を取り続けてきた日本政府にもあると言わざるを得ない。最近の日本政府は北朝鮮に対して割合に厳しい態度を取り続けてきたものの、野党内のみならず政府与党内にも北朝鮮と近い関係者が根強く存在していることは否定し難いところだ。

 日本政府としては従来の経済制裁をより強化するだけでなく、北朝鮮本土への阻止任務についても検討する必要があるだろう。イスラエルの「オシラク・オプション」のような作戦を実施するかはともかくとして、その能力は持っていて悪いことではない。

2013年4月 1日 (月)

品位を害する抗議は好ましくない

 「在日特権を許さない市民の会」が大阪のコリアタウンで抗議行動を行った際、「駆除するぞ」などと申し向け、在日韓国朝鮮人をあたかも「害虫」であるかの如き暴言を浴びせたことがニュースになっている。中国の反日デモに対抗にした反中デモでも同じような暴言が浴びらせられていた。私は反日デモの真っただ中(である筈の時期)に中国にいたのだが、ニュースは別にして国民生活は平常そのものであった。恐らく、これが大多数の国民の姿であろう。

 としても、一部の者であつたとしても暴れる内容を間違えると全国民の品位そのものが疑われることになってしまうのは否定し難い。私自身は外国人参政権にも反対だし、韓国の竹島占拠も北朝鮮の軍事的恫喝も許されないと思っているし、北朝鮮に対しては更に厳しい制裁を加えるべきだと思っている。朝鮮学校への公金出にも反対だ。在日外国人に特権があるという噂も全く嘘ではないように思われてならない。としても、それで当該国民を恫喝したり、人間としての尊厳を否定するような文句を連発して抗議を行うことは許されてはならないと考える。結果的に、日本国民そのものの品位を貶める行為になるからだ。

 韓国では日章旗を燃やしたり、日本の国鳥である雉を惨殺(そもそも、多くの日本国民はあまり国鳥だと自覚はしていないのだが・・・)するパフォーマンスが行われていた。日本人を「ウェノム」とか「チョツパリ」とか、マスコミや学校教育などで日常的に日本を罵倒して使われていることも承知している。しかし、彼らへの抗議として同じレベルの事をやっていいということにはならない筈だ。

 抗議をする自由はある。しかし、日本国民としての品位を疑われないような方法で抗議を行うべきだ。自国の品位を貶めるような抗議を行うことは、愛国者の取るべき態度ではない。

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