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2013年2月21日 (木)

主権があるから「TPPに参加しても聖域は守れる」は間違い

 やはりと言うべきか、政府与党はTPP参加の方向で調整していくようだ。自民党内には反対の意見が根強いものの、もっぱら農業団体関係で反対していると見られているだけに、一定の「聖域」さえ設ければ(=保護を明確にすれば)最終的には屈すると踏んだのだろう。加えて、安倍総理は懸念されている社会保障制度が破壊されることについて「主権があるから問題ない」という見解を示している。

 しかし、これは国際法を理解していない話としか言いようがない。まず、「聖域」を政府与党が設定してみたところで、交渉に参加した後に聖域を認めるかどうかは関係各国の合意によらなければならない。日本政府が設定した「聖域」を守れなかったから交渉から脱退するということは形式的には可能かも知れないが、従前の「手口」を見ていると交渉参加した後は「脱退は国際的な信用を失う」という言い分で実質的に脱退はできまい。そもそも、「聖域」なく日本の経済を食い物にできるからこそアメリカはTPPを主導しているのであって、「聖域」の設定など認めないのではないか。

 加えて、その「聖域」が仮に認められるとしても、どのような基準によるのかが曖昧模糊としている。「農家」は伝統的に自民党の票田だが、自分の票田を守るのでは政策を金で売った買ったと非難されるのは必至ではないか。そもそも、政権与党との近さ遠さでそのようなことが決まるのでは、「政治主導」かも知れないが明らかに公平には反する。

 TPPは「条約」であり、「条約」は本来ならばやりたい放題できる「主権国家」の行動を制約する性質を持っている。この点で、究極には「併合条約」を結んで相手国を取り込むこともできるし、逆に相手国に吸収されることもできる。つまり、条約によって国家は「自殺」することすら可能なのである。確かに主権があるから、条約を結ぶかどうか、つまり拘束される合意をするかどうかは基本的に国家の自由意思に委ねられている。しかし、一度合意を結べば、あとは法の原則である「pacta sunt servanda(合意は守られるべし)」だ。つまり、国家は自殺することもできる以上、TPPという主権を制限する条約を締結してしまった以上、条約の方が主権に優先することになる。ゆえに、日本政府が社会保障制度の保持を「主権の問題」と言ってみたところで、日本の社会保障制度が「参入障壁」と判断されてしまえばそれまでだ。別の言い方をすれば、我々は自らを庇護してくれる国家というものを自ら手放すことになりかねない。

 「自由競争」と「市場化」をすれば誰もが幸せになれるとここ二十数年吹聴されてきて、実際に日本はその方向に歩んだが、それで本当に多くの国民が幸せになったのか。TPP推進派の顔ぶれは、まさに今までの日本の主導権を握ってきた顔ぶれに重なる。じっくり考えてみる必要がありそうだ。その上で、国民が自ら首を吊る覚悟があるのであれば、それは国民の選択として尊重されなければなるまい。

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