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2012年12月2日 - 2012年12月8日

2012年12月 7日 (金)

時代錯誤な規制だらけの公職選挙法

 日本国憲法で政治活動の自由は保障されているが、政治活動の最も重要な局面である選挙に関しては「自由」よりも「規制」が多い。日本の公職選挙法は「選挙運動は原則禁止、例外的にこれだけを許す」という態度の法律だ。これが、意味不明な「後援会活動」という事実上の選挙事前運動を行わせる原動力となり、政治や選挙を一般国民の目から見て更にわけのわからないものにしている。

 大阪市の橋下市長が総選挙がはじまった後もツイッターを平然と更新していることが話題となっているが、まさにこうしたことが許されないことの方が異常と言うべきだ。インターネットが「文書違反」とされてしまい活用できない。候補者がネットを通して意見を述べることも、質問に応じることも許されない。直接有権者と候補者がコンタクトできるツールを使えないというのは問題だ。もともと、選挙運動とは名前を売ることだけではなく、候補者と有権者の対話の機会ではなかったか。私はネット選挙に関して橋下市長の言い分が正しいと考える。

 確かに、野放しの活動が許されてよいわけはない。買収饗応は論外として、迷惑メールのように大量の投票依頼メールがのべつまくなしに送られるようでは困る。が、政治・選挙に関する規制は「合理的な最小限度のもの」であるべきだ。この点では政策的観点から大幅な規制が許される経済的な規制とは扱いが異なるというのは憲法学を少し学んだ者なら誰でも知っている。最高裁判所は長らく「戸別訪問」の規制など選挙に関するわけのわからない規制も軒並み「合憲」としてきたが、これは裁判官と言う人種が日本では選挙と最も遠いところにいて、選挙の実態をわかっていないから言えることである。

 インターネットでの選挙運動は弊害が多いから駄目で街宣車はいいというのはどう考えても理屈に合わない。街宣車で許されているのは原則的に「名前の連呼」に過ぎないから、政策的なことを訴えるのであればインターネットの方にはるかに理がある。ネットを使えない高齢者に配慮しろと言う意見が自民党を中心に根強かったが、候補者と直接接する機会がほとんどない、つまり地縁血縁と縁のない市民階級が逆に配慮されていないことに頭が及んでいないからこれまた言えることであろう。

 日本の公職選挙法は時代錯誤も甚だしく、先進国の選挙法の中では余りにも旧態依然としている。中国のような選挙のまともに行えない独裁国家よりマシという程度に過ぎない。

 としても、実際のところ公職選挙法を守らなければ当選したところで選挙違反に問われてバッジを失うことになる。そして、いくら公職選挙法が違憲であると騒いでみたところで、日本の憲法訴訟は合憲か違憲かを直接裁判所に問うことは許されておらず、裁判(刑事訴訟では公判)の中で争うより方法がない。

 一番理想的な方法としては、問題提起してくれた橋下市長を警察か検察がとっ捕まえた上で公職選挙法違反で公判にかけ、両者が最高裁まで争うことであろう。確信犯的に橋下市長はツイッターで選挙運動をやったのだから、今回の違反にはそれだけの価値がある。

2012年12月 5日 (水)

第46回衆議院議員総選挙公示

 第46回衆議院議員総選挙が公示された。今回の総選挙は十年来の「二大政党対決」の構図から一転して、二大政党に中小政党が乱立する構造になっている。同時に、自民党も民主党も単独で過半数を制する力はないものと見られており、選挙後の連立交渉では比較第一党であったとしても必ずしも政権与党になり得ないことも考えられ、政権選択という色彩も不透明だ。加えて、マスコミは「郵政民営化」「政権交代」に続き「第三極」のワンフレーズをつけようとしたが浸透したとは言い難く、争点が分かり難いものとなっている。こうしたことから、選挙そのものが「分かり難い」と評されているのは確かだ。

 しかし、これは国民の側にとっては真剣に自分たちの将来を考えて選択し票を投じなければならない選挙になったことを意味する。単に「流れ」を追って投票用紙に漫然と書き込むことができない以上、多くの国民が選択に悩むことであろう。もろちん、それによって棄権が増えるということも考えられるが、マスコミが「流行」を作り出せていない以上、それに流されず票を投じる機会となったという意義は大きい。

 多党乱立になっていることは、小選挙区比例代表並立制という二票制の活用機会でもある。従前、比例代表区は「小選挙区の敗者復活の場」と捉えられ、兎角にいい評価は与えられてこなかった。実際、1993年の総選挙前後では、小選挙区の一票をそのままその小選挙区候補者の属する比例票に読み替える「一票制」が推されていたこともある。比例区を小選挙区の補完とする見方は根強いものがあった。

 しかしながら、今回の選挙では小選挙区に各党とも空白区が多く、自身の支持する政党の候補者が小選挙区に立っていないという例がまま見受けられる。同時に、旧来通り「政党は支持するが選挙区の候補者は支持できない」「政党は支持できないが選挙区の候補者は支持できる」という問題もあるので、有権者が「二票」持っている意義は大きい。二票制とした制度が活用される絶好の機会と言えるのではないか。

 また、単独過半数を制するだけの政党が見られないということは、選挙後の連立交渉や政策合意のプロセスが重要になってくる。単純な「密室の謀議」となり、国民には何が何だかわからないという、1993年総選挙後の流転の歴史の再来となる危険性は無論ある。しかし、国会と言う審議の場を通じて多くの異なる意見を集約する「合意形成」の機会をもつことでもあり、日本政治にとっては試練の時だと言える。

 最近の総選挙では「政権選択」「マニフェスト」がもてはやされ、多数党が強力な主導権を握って政策を遂行することが良しとされてきた。少数党の意見は政権選択の前にはかなりの部分軽んじられてきたのが事実であり、政治学者の中には少数党が害だと主張していた者もいた。そうした考え方の背後には、「勝者総取り」という経済の問題を引き起こした価値観と共通の価値観が潜んでいたように思われる。この流れが次に行く先が「決められる政治」であり、強力な指導者による統治であることは明らかだが、そうなれば敗者や指導者と縁の遠い人々が大いに割を食うことになるわけで、これは民主的な体制とは言い難い。

 小党乱立による議会の混迷が「強力な指導者」を生み出すことによる危険性はナチス・ドイツの例を見ても明らかなところだが、そうした悲劇を回避するためには政治家だけを批判していてはいけないのではないか。合意形成とは一種の妥協による部分もあるのは事実であって、それを「無節操」「公約違反」と短絡的に非難されては政治家にとって政治生命の危機であり、合意形成によって国益を図るよりも政治闘争を貫徹しなければ政治家としてやっていけないという本末転倒の事態に陥る。その点では、国民も公約内容との整合性を単に称賛批判するだけでは問題は解決しない。

 二大政党制論者・勝者総取り論者が大好きなアメリカやイギリスの政治制度にしても、必ずしも二大政党は一枚岩ではないし、大陸法系の民主主義国に比べると範囲は明らかに狭いが多様な意見を取り入れる工夫、合意形成のための慣習がある。しかし、それはアメリカにせよイギリスにせよ昨日今日確立したものではない。長い歴史の上に、混迷の時代も含めて生み出されてきたものだ。その点では、日本はまさに「これから」であると言えよう。新たな民主国家として脱皮できるか、封建制に回帰するかファシズムの台頭を許すかは、まさに国民の選択とその後の責任にかかつていると言える。

2012年12月 3日 (月)

同志社大学が医学部設置を検討

 同志社大学が医学部または医科大学を設置する方向でプロジェクトチームを立ち上げ検討に入ることが明らかになった。新島襄にとって医学部の設置は夢であった。そのために、明治時代に既に同志社病院や看護学校を立ち上げたのだが、新島の死によって医学部設置構想は立ち消えとなり現在に至っている。

 新島と言うと、どうしても「教育家」であり「牧師」の印象が強い。漢詩や揮毫も数多く残っているので「文系」のカテゴリーに入れられそうなのだが、新島がアマースト大学で得た日本人初の学士の学位は理学士であった。日本ではそれほどでもないが、アメリカでは医療・福祉とキリスト教会は今も昔も密接な関係にある。加えて新島は「国のため」に同志社を作って人材を育てようとした。医師養成は新島の歩んできた歴史から見れば、そこに行き付くのは当然であったと私は考えている。

 としても、医学部設置には莫大な資金が必要であるし、何より今は明治時代ではない。決定的に「後発」の医学部としてスタートすることになる。いや、国は医師不足と言いながらも医学部設置は長らく認め来なかったし、認めたとしても伝統的な大学が設置するのではなく地方都市の私立医科大学や公立大学として設置することを認めたに過ぎないものであった。恐らく、この流れがあるため同志社としても京都に「大学医学部」を設置するのではなく、地方都市への医科大学設置も視野に入れているのだろう。

 しかしながら、「総合大学」としての総合的な人材養成を考える以上、医学部・医科大学だけを全く別の土地に分離することは、総合大学としてのメリットを失わせることになり、特に学生に対する教育としては何の同志社らしいこともできなくなる。同志社であることは、チャペルや新島の肖像画がることではない。学部の垣根すらも超えた「リベラル・アーツ」が基礎にあってこそ、高度な人材が育つ。そのためには、医学部や医科大学が地方都市に切り離された状態にあっては、既存学部との交流も学生同士の交流もままならず、はっきり言って設置する意味がない。単に同志社ブランドの医師を出したいということだけなら、それは新島が最も嫌っていたことを同志社がやるいうことになる。

 新島が生きた明治時代はすぐに役立つ教育のため、官公立の学校が次々と設置された時代であった。新島は新興国としてそうした教育機関の必要性は認めていたものの、同時に同志社は「私立大学」を目指す以上、官公立の学校が行っているような「すぐ役立つ」だけの教育とは別のところに価値を置くべきだと考えていたようである。

 また、医学界の構造的な問題がある。新設の医科大学の教員ポストは「植民地」になってしまう傾向が強い。ただ、どうしても京都大学医学部か京都府立医科大学医学部が、或いは大阪大学医学部か、そういうところから教員が来ることになることは避けられない。何しろ同志社大学出身の医学者などそもそも基本的に存在しないからだ。としても、同志社大学医学部がそうした大学の医学者にとっての「キャリア・パス」になってしまっては困る。そうなれば、彼らは学生の教育にしても大学での研究にしても、母校のヒエラルキーを上るだけの道具としか考えなくなるのは必至で、同志社としての教育・研究・診療の充実が図れなくなる。また、そうした位置づけの医学部であれば、優秀な学生を集めるのも難しくなるのではないか。開業医はともかく、将来医学者や高度医療に携わることを目指すような人にとっては魅力のないものとなる。

 少なくとも、同志社らしい独自性を出すためには、できれば京都に設置し教養課程までは今出川キャンパスで他学部特に文系学部の学生と一緒に学べるようにすべきだ。キリスト教主義に基づいて設置された大学が設置する以上、神への畏れはどちらでもいいが、少なくとも人道や生命倫理に関する深い思考を身に着ける機会は他の大学よりも多く提供すべきである。また、アメリカのメディカル・スクールのように、学部卒業か少なくとも教養課程を終えた者に入学者を限定することも検討されてよい(どうせ「植民地」にされるなら、他の医学部と同じようなやり方で学生を集める必要はない)。

 かつて新島が日本の封建社会から脱してアメリカに渡った精神に見習い、既存の日本の医学教育とは異なるアプローチの医学教育の場を提供することが同志社の使命ではないかと思う。

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