« 2012年11月18日 - 2012年11月24日 | トップページ | 2012年12月2日 - 2012年12月8日 »

2012年11月25日 - 2012年12月1日

2012年12月 1日 (土)

最低賃金制度の廃止は亡国への一里塚

 驚いたことに、「最低賃金制度」の廃止が日本維新の会の公約として打ち出された。維新の会の公約や思想は関係者も認めるほどの「極論」が多かったのだが、こうなるともう「暴論」ではないか。

 最低賃金制度を廃止すれば人件費を減らせて国際競争力が上がるだろうという理屈だが、そのようなことをしたところで新興国の賃金レベルに適うわけもない。そもそも、先進国の高水準の労働力は労働力として使えるようになるまで労働者側も相応のコストをかけているわけで、だからこそ賃金も高くなる。初等教育すらまともに終えず初歩的な読み書きすらおぼつかない労働者の賃金水準と同列に考えることはできない。 

 賃金を下げればワークシェアリングになるだろういう発想もあるそうだが、今ですら食うだけでも難しいのが最低賃金である。実情を知らないにも程がある。アメリカと同じように、ダブルワークが蔓延し職場を変えた長時間労働が蔓延するようになるのかオチではないか。

 また、最低賃金制度の廃止により日本の賃金の底が抜けるような事態になると、日本国内の景気は冷え込み、内需拡大など望むべくもなくなる。外需に頼る思想であればそれも想定内ではあろうが、それで従来のような高度な社会を維持していくことは困難である。一応のところ、企業が儲かれば労働者に波及するという理屈は掲げられているが、いくら企業が利益を上げたところで労働者に分配されるものは昨今減る一方だ。

 賃金水準が下がるということは、単に労働者が贅沢をできなくなるという問題ではない。言うまでもなく、仕事を遂行する上での知識や技能、あるいは視点というものは職場外の様々な社会生活においても養われるものだ。例えば、読書をするということは間違いなく文書対応の能力を向上させ、プレゼンテーションのスキルを高める。しかし、それには一定の支出が伴う。そうした支出を行う力すら失われつつあるところ、「最低限度の食事ができればいいだろう」位に考えて最低賃金制度を廃止してしまえば、労働者は最早自律的に能力を磨く機会を永遠に失うことになる。もちろん、自発的なQCや勉強などは夢物語となろう。企業側は労働者側の能力を活用する機会そのものも失うことになる。また、社会活動も行う余地がなくなり、都市のスラム化等発展途上国の抱える問題が日本でも生じることになるのは避けられない。

 我が国も労働規制が整備されるようになったのは実質的には戦後の話であり、戦前には労働規制などないに等しい状態であった。今では珍しいものとは言えない「月給制」にしても戦前は官吏などごく一部の人々にしか適用されず、職工にしてみれば「月給取り」は憧れでもあった(この点、最近は時給制の労働者が増えているのは皮肉である)。戦前の日本は「清貧」であったと賛美されることも多いが、この言葉は「清い」が「貧しかった」ということだ。実際、戦前の日本は「列強諸国」であったにせよあまりにも貧しかった。国民の生活レベルも低かった。乳幼児の死亡率も高く、結核等公衆衛生から主に来る病気も多く、国民の平均寿命は還暦に満たなかったのである。

 靖国神社に展示されている特攻隊員の遺書を読むと、大変に高潔で品格があり、文章力のあるものが実に多い。それだけの教育をしていたということだ。しかし、そうした文章を書けるだけの教育を受けられた人は極めて少数だった。特攻隊員になれるだけの教育を受けること自体、戦前の日本では大変に贅沢であったのである。特攻隊員は日本の中では相対的にインテリだったからこそ文章を残せたのであるが、そうでない人々の方が圧倒的多数であったということだ。表面上にだけ出てくるもの、いわば障子の穴から外を覗くよわうにして過去を見ることは大変危険である。

 最低賃金制度の廃止は亡国への一里塚である。戦後日本が築いてきた利点をことごとく喪失させるものだ。企業競争力の強化を掲げたところで、一般国民に左程利益配分されない現状では、むしろ国民の疲弊と国家への信頼の喪失を招くだけである。加えて、合法的に、使用者側に協力するかたちで利益配分を受ける「慣習」を破壊してしまえば、労働者側も先鋭的にならざるを得ない。共産革命はともかく、ベネズエラやアルゼンチンのようなことになったらどうするつもりなのか。

 「目先の数字」を追えば、こういう政策になるのだろうが、目先の数字を追うだけの経営が失敗するのと同じことが国政の場でも起きることになるであろう。その時の惨禍は私企業経営失敗の比ではない。

 もっとも重要なことは、働いて相応の賃金を得るというプロセスそのものが労働者にとって重要な社会参画であり生き甲斐であるということである。いくら金銭的な代替措置として生活保護等の救貧措置が拡充されたところで(生活保護より低い水準になることは当然であると表明されている)、社会参画の承認欲求まで満たせるものではない。働き甲斐を失えばどのようなことになるかはニート等を見ていれば誰でもわかることだ。

2012年11月29日 (木)

沖縄近海に中国艦艇

 日本政府の尖閣諸島国有化宣言以降尖閣諸島沖に中国の巡視船が交代で出続けていることは周知の事実だが、今度は中国海軍の艦艇も頻繁に出現するようになった。日本が政治的混乱を続けている中で、有利な立ち位置を占めたい中国側の思惑が伺える。

 日本では海上保安庁の巡視船と海上自衛隊の護衛艦では攻撃・防御力に天と地ほどの差があるが、差異は表面上のそれだけではない。巡視船はあくまでも国内的な役割にとどまるものだが、海軍の艦艇は実質的に「領土の延長」であり、艦艇を押し出してくるということはまさに実効支配を狙う断固たる態度を示すことである。それだけに、中国海軍の動向を無視するわけにはいかない。

 中国の狙いは尖閣諸島をめぐる「国際紛争」を日本側に認知させ、国際的にも紛争状態にあることを認めさせることにある。その上で、「過去の反省」と「経済」とをもって日本側から引き出すという戦略を取るものと思われる。いきなり尖閣諸島の実効支配ができなくとも、それをダシに日本からさまざまなものを引き出せれば中国の勝ちと言うことだ。そのためにも、国際的に尖閣諸島で日中が「紛争状態」にあることを世界に印象付けたいわけで、艦艇を繰り出しているのはそのための手段と見るのが妥当だろう。

 日本としても、海上自衛隊の艦艇を張り付けて中国海軍の動向を警戒せざるを得ないが、同時にそれだけで安心しているわけにはいかない。中国がかつて日本をはじめとする列強にされたのと同じように、政治的混乱と弱体化の隙を突いて外交的攻勢をかけてくる可能性は高い。日本としては、今まで以上に国際的な発信力が求められることになる。

 これら中国の攻勢に関して自衛隊の武器使用を緩和すべきだという意見がある。それはそれとして大いに検討されなければならないが、武器使用基準の緩和だけで解決するものではないことは確かで、粘り強い対応が求められることになるのではないか。ワンフレーズはやはりここでも危険だということだ。

2012年11月27日 (火)

じゃんけん選抜

 日本維新の会とみんなの党の候補者調整をめぐり、橋下市長は「じゃんけんで決めればいい」という発言をしたが、これは余りにも候補者をないがしろにした発言だ。維新の会の実質的な指導者である橋下市長に忠誠を誓っている維新の候補者はともかく、みんなの党の候補者はたまるまい。

 立候補を決めるというのは重大事だ。候補者にとっても人生の重大事だが、家族や友人を含む周辺の人々に対しても大きな影響を与えるもので、それは往々にして忍従を強いられることを意味する。橋下市長ははじめて臨んだ大阪府知事選でギリギリになって出馬表明し、知名度と自民党の組織によって地滑り的に大勝利を収めたがこれは選挙としては例外中の例外だ。大抵は立候補を決めてから政治活動をはじめ、選挙まで「たどり着く」のである。

 日本の選挙制度も選挙に関する慣習も、候補者にとっては過酷である。ドイツと異なり公務員はおろか会社員の身分を兼帯したまま選挙に臨むことは基本的にできない(組合専従者の立候補など全く例外がないわけではない)。アメリカのように選挙に落ちたからただちに次のポストへ切り替えができるほど世間も寛容ではない。

 確かに、最近の選挙では比例区でたなぼた式にバッジを得られるケースが散見され、左程重大な決意なしに政治家になる者がいないわけではないが、マスコミに注目されるだけで候補者全体から見れば例外中の例外だ。残念ながら、政策と政治に対する「志」だけでは選挙には出られない。あらゆるリスクを背負って候補者は戦いを挑むことを決意する。その決意はじゃんけんで翻意できるほど軽いものではない。

 アメリカのような「スポイルズ・システム」の国であれば、候補者を一本化する代わりに政府や党の役職を割り振ることもできるだろうが、日本では議員であることが大前提の制度になっている以上、候補者を降りればその段階で政策決定に参加する機会も失うことになる。じゃんけんで「降りる」ことになれば、本当に何も残らない。戯れで立候補しようとしたような人を別にして、一般的な候補者を馬鹿にする話で、飲めるわけもない。橋下市長の認識は余りにも軽すぎる。

2012年11月25日 (日)

弾道ミサイル発射準備

 北朝鮮が弾道ミサイル実験のため、発射の準備を整えたという報道がされている。北朝鮮は過去に何度も弾道ミサイル実験や核実験を繰り返し、日韓はもとよりアメリカにも一泡吹かる体制作りにまい進している。そう簡単にこれらの大量破壊兵器開発を放棄するわけもない。ここ数年は各国とも北朝鮮に対してかなり厳しい姿勢で対峙してきたが、「世襲王朝」に対しては致命的な効果を与えるまでには時間が足りなかったようだ。

 北朝鮮では昨年一足早く金正日が死亡し後継に金正恩が収まった。正恩将軍にとって幸運だったのは、日本の政界は混乱状態にあり、アメリカ、中国、韓国は2012年に選挙乃至最高指導部の交代が予定されていて、少なからず対峙する相手に混乱が生じることを期待することができたことである。そして、実際にも韓国では大統領選挙の恒例行事である「反日PR」の過程で与党候補を有利にしたい李大統領がそれまでの対日融和策をかなぐり捨てるかたちで竹島を訪問するなどしたため、日米韓で少なからぬ足並みの乱れが起きている。

 これに加えて日米間は沖縄の基地問題やTPP問題を抱えており、アメリカ政府の日増しに強まる対中外交重視姿勢と相俟って先が見通せないばかりか双方の不信を招きつつある。北朝鮮にとっては、まことにありがたい状態が生まれたわけだ。

 このように周辺諸国や大国が動きが取れない状態にある中で、北朝鮮が大量破壊兵器の開発と保有を「既成事実」とするための手段としてミサイル実験や核実験を行うことは十分に考えられることである。そして、今のところ周辺諸国にしても日米或いは米韓にしても、同盟関係を強化して北朝鮮を封じ込めるには各国の体制が不安定だ。北朝鮮にとっては、大変有利な状況が生まれてしまったと言えるし、その状況を活用することについて、正恩将軍は父親から才覚は引き継いでいるようだ。日本は「選挙」も「幹部交代」もない、血筋によって権力基盤が根拠づけられるこうした世襲君主と対峙していかなければならないのである。融和策に走ることだけは間違いなく避けたい。

« 2012年11月18日 - 2012年11月24日 | トップページ | 2012年12月2日 - 2012年12月8日 »