« 2012年10月21日 - 2012年10月27日 | トップページ | 2012年11月4日 - 2012年11月10日 »

2012年10月28日 - 2012年11月3日

2012年11月 3日 (土)

野田総理の健康状態

 野田総理が国会で何度か呂律の回らない答弁を行ったことがニュースになっている。疲労だと言われているが、これはいささか危険な兆候ではないと思われてならない。

 このニュースを聞いて多くの人の脳裏に浮かんだのは12年前の小渕恵三総理の姿ではないか。倒れる前日に当時の自由党の連立離脱を食い止めようと小沢党首と会談したものの決裂し、その時のインタビューでは記者の言うことがよくわからないなど明らかに変だった。

 一般的にどこの国でも政治家は激務だが、一国の総理大臣ともなれば猶更だ。国のために命がけで取り組むのは当然だが、心身の不調のままで職務に就いているというのは使命感はともかくとして、間違った判断にもつながりかねない。日本では健康状態に関して総理を辞めさせたり一時的な職務停止にする制度はないから、本人が大丈夫だと言い張る限りやらせるしかない。

 いずれにせよ、野田総理の健康状態は心身ともに悪化していると考えるのが妥当ではないか。ある程度職務を副総理に委ねるなどして、健康を取り戻することを優先させるべきだ。それができないならば、辞めた方が国と本人のためである。

2012年11月 1日 (木)

アメリカ大統領選挙終盤

 間もなく投票を迎えるアメリカ大統領選挙だが、民主党のオバマ大統領と共和党のロムニー候補が接戦となっている。両陣営ともに地盤となっている州はほぼ固め終わり、あとは中間的なところをどれだけ取れるかで決まる。日本人が憧れてやまないアメリカとイギリスの「二大政党制」だが、実のところほとんどの選挙区は二大政党どちらかの指定席となっている実質的な「無風区」であり、中間的なところを取れるかどうかが勝敗を分けている。したがって、意外にも投票率は低い。同時に、無風区では党の公認候補になれば当選したも同然だから、アメリカでは党内予備選にも力が入る。イギリスでは政党が候補者をストックしておいて落下傘で立てることが多いので、いかに有利な区に降りることができるかで議席を得られるかが決まる仕組みになっている。

 当初は現職のオバマ大統領が優勢と思われていたが、テレビ討論でロムニー健闘し、選挙情勢はどちらが勝つかわからない状態になりつつある。これを受けて、選挙後の法廷闘争のために両候補とも弁護士の確保をはじめたという報道もある。頻繁に起こるわけではないが、選挙結果をめぐる争いは19世紀からあって、選挙結果が覆ったこともある。票が開いても選挙は続いていることもあるわけで、共和党のブッシュ候補が勝利した2000年の大統領選挙では確定までに一箇月を要している。

 宗教問題や人工妊娠中絶、レイプ、薬物、銃規制など、日本ではまず話題にならない話が大きな争点になるのもアメリカ大統領選挙の特徴だ。キリスト教保守派が推すロムニー候補は同性愛に厳しい見解を示しており、高校時代には同性愛者を襲撃したこともあることが暴露されている。一方でオバマ大統領は先の選挙以来同性愛者には寛容だが、これはキリスト教保守派を敵に回すことになる。

 おおむね、日本の保守派は共和党に親近感を抱いているようだが、アメリカの「保守」と日本の「保守」の中身はかなり異なる。共通点は「大企業重視」と「反中」くらいだろうか。思想的バックボーンはもう完全に別物と言ってもよい。また、民主党共和党と言っても、実際には選挙互助会程度の意味しかないので、政策や思想は候補者や議員によってもかなり異なる。先の大統領選挙で共和党の候補者であったマケイン上院議員は共和党の中ではかなりリベラルな人物だが、ゆえに「一匹狼」であった。

 日本の保守層は中国に対峙する共和党政権の誕生を望んでいるように見える。これは、民主党のオバマ大統領が不十分にせよ社会保障を重視するという政策を打ち出したこともあって、日本に対して波及することを恐れている面は確実にある。だが、はっきりしているのはどちらが勝っても、アメリカの政界は「自国の国益」のために行動するということだ。つまり、日本は自己主張しなければ容赦なく食い物にされる。アメリカの雇用を守ろうと日本にTPPへの参加を呼び掛けているのが民主党政権下のアメリカ政府だが、アメリカで雇用を生むために日本の雇用はどうなろうが知ったことではない。共和党政権が誕生したとしても、日本に対して負担を求める姿勢に何らの変化も生じないだろう(実際、日本でアメリカの要求に応じた構造改革が加速したのは共和党政権時代だが、外圧そのものはその前の民主党政権時代から続けられている)。

 自己主張できない日本は、同盟国からも見捨てられることになる。どちらが勝ったとしても、それだけははっきりしていると言える。

2012年10月31日 (水)

刑務所まで「民間委託」で大丈夫か?

 法務省が刑務所や拘置所の民間委託を拡大する方針を固めた。コスト削減や受刑者の処遇改善が目的とされているが、受刑者の処遇改善は兎角に「悪いことをしたのだから悪い処遇で当然」という考え方が世間に蔓延している以上法務省もそれほど重視はすまい。主眼はあくまでコスト削減と見るのが妥当だろう。

 しかしながら、法務省には危うさを感ぜざるを得ない。法務省は法務行政の元締めであり、その幹部は単なる官僚ではなく司法試験に合格して法曹としての専門教育を受けてきた検察官だ。にもかかわらず、法務省が「民間委託」した現場が悲惨な末路を迎えたという事実がある。

 そもそも、「民間委託」というものは甘いものではない。コスト削減が求められる一方、お役所時代の煩雑な手続き等はほぼそのまま守らなければならないし、むしろ受託業者側と官庁側の指揮命令(大抵表向きそんなものは「ない」ことになっているが)というのが加わるから、民間業者の方までが「お役所仕事」をやりだす。「お役所仕事」を改善することでコスト削減を図ろうというのが、こうした「改革」の目的だった筈なのだが、制度設計した人々の想いとは逆に、現実は「お役所仕事」が民間にまで拡大していく結果になっている。

 なぜ、このようなことになるのかと言えば、理由は簡単だ。役所時代の手続き上の事はそのまま民間委託の現場に持ち込まれるが、民間業者側にそれを「変える」力はない。民間業者にとって法務省や刑務所は「法務省様」「刑務所様」であり、職員は「職員様」である。つまり、「お客様」なのだから、お客様の面子を潰すようなマネはサービス業としてそもそもできない。それどころか、変にご機嫌を損ねようものなら、受託業者としては仕事ができなくなる。民間に官公庁業務のノウハウはないので、「職員様」の「ご指導」がなければできないものはできない。

 「お役所仕事」を見直すことでコスト削減を図るのは、口で言うほど簡単ではない。役所との間で事を荒立てずに利益を上げたい民間企業としては、仕事の進め方を変えるよりも、もっと安直な方法で利益を出す道を選ぶのは当然の事であろう。それが、民間委託で働く者の大半を1箇月から3箇月、せいぜい長くとも委託期間まで契約とする非正規労働者で固めることである。

 人的コストを圧縮するわけだが、大した規制もないのだから、いきおいここでは民間企業も本領を発揮できる。不払い残業は可愛いもので、酷い例では厚生年金の保険料折半を惜しんで全員を最低ランクの標準報酬で届け出ていたということもあった。こうした処遇では人の入れ替わりも激しくなるのが当たり前であろう。

 非正規労働者を使っている経営者と話すと、よく出てくるのが「権利ばかり主張しやがって・・・」という文句だ。決まり文句と言ってもよい。労働時間や残業代の事で文句ばかりだと嘆くのである。そして、「低賃金でも忠誠心をもって働いてきた人は多い」とか、長時間労働を受け入れる公務員や正規労働者を称賛して、「だから非正規は駄目だ」という結論に至る。

 しかしながら、正規労働者や正規の公務員の場合、金銭的には相応の処遇が保障されているし、将来の見通しもある。一方で、官公庁受託企業で働く非正規労働者の賃金は自給ベースで最低賃金ギリギリという者がむしろ普通なのである。残業代の10円20円にこだわるのは、それが入ってこなければ生活に直結するからだ。 労働時間をあまり直視しないで仕事の中に満足を求める余裕などないといってもよいし、与えられる仕事も数字をこなすことが求められて現場では大して顔の見えないものだ。そろいもそろって、仕事に「執着されない」状況が生まれる。必然的に、離職が多くなる職場の条件と一致する。

 これが刑務所で働く労働者の姿になるわけである。現在の正規の国家公務員身分の刑務官ですら、受刑者に買収されたり、或いは緊張状態のストレスを受刑者への暴行で晴らす事件が珍しくない。これが猫の目のように変わる非正規労働者となれば、もう何が起きるかわかったものではない。加えて、刑務所は「密室」である。

 法務省は民間業者に委託することで、「思いやりを持たせる」云々と言っているが、これも期待はできまい。反骨精神が旺盛な人でも存在が許されるのは、官公庁では上司の気分くらいでは簡単に解雇などはできないからだ。左遷されたとしても、それなりの処遇はなされる。しかし、民間では上司に逆らえば身分が失われることは珍しいことではない。何より、日精労働者を集めた職場では頭目も非正規労働者出身ということが多く、往々にして普通の企業で新卒の正規労働者として入って組織内で出世する者より元同僚に対して冷酷になるのが普通だ。これは、ひとつはほとんど数字で判断される非正規の現場でのしあがるのだから、他人を踏み台にして利用することに良心の呵責など感じていては心身が持たない。また、自分がのし上がってきた自負もあるから、部下が怠け者に見えて仕方がない。陳水扁前総統がタイプとしては近いが、いずれにせよ「思いやり」などとは程遠い人々ではある。民間らしい「要領」や「ごまかし」を覚えさせるためには宜しかろう(現実問題として、塀の外へ出た後のことを考えると、そうした能力はむしろ身につけさせておいた方が良いのかもしれない)。しかし、「思いやり」なぞ期待はしない方がいい。

 「民間委託」すれば済むと考えるのは間違っている。コスト削減が目的であるにせよ、民間委託は終わりではなく始まりにすぎない。法務省が表面的なコストに一喜一憂するようになれば(もうなっているのかもしれないが)もうおしまいだ。発展途上国の刑務所のように、不正蔓延の温床ともなりかねない。(無論、そのスキャンダルも含めて抑え込める自信があるのならば話は別かもしれないが)

 有識者会議で民間委託の推進を決めているが、本当に有識者の人たちは官公庁委託の現場を見ているのだろうか。今はちょっと調べればいくらでも情報は手に入る。述べたとおり非正規労働者で成り立っている職場だから、実際に働いてみることすら難しいことではない。事件は会議室ではなく、現場で起きている。いくら理想をもって民間委託を推進するにしても、その精神が現場まで行き渡るほど甘くはない。

2012年10月29日 (月)

展示内容は良いが方法に問題の多かった「ツタンカーメン展」

 東京の上野の森美術館で「ツタンカーメン展」を参観する機会があった。私は古代エジプト史は好きだから、こういう機会は有難かった。インターネットでも映像でもいくらでも見られる機会はあるが、やはり実物を見るというのは違う。

 ただし、今回の展示は内容的には貴重なものが多く素晴らしいものだったのだが、展示方法と言うと問題が多かった。

 驚いたのは、参観客が殺到しているにもかかわらず、明確な「順路」を作っていなかったことだ。係員があちらこちらに配置され、「自由に見てください」「空いているところから見てください」と言うが、空いていないのだから困る。人の流れを作らないとかえって混乱するということを、どう考えていたのだろうか。

 

« 2012年10月21日 - 2012年10月27日 | トップページ | 2012年11月4日 - 2012年11月10日 »