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2012年9月30日 - 2012年10月6日

2012年10月 5日 (金)

外国人からの政治献金

 田中法相の政治資金管理団体が台湾人から献金を受けていたことが明らかになり、自民党の安倍総裁が早々に辞任要求を出すなど、余波が拡大しつつある。日本では外国人の政治活動そのものはかなりのレベルまで認められており、ここが全面禁止されている韓国や台湾、自国民の政治活動すら保障されていない中国と異なるところだ。としても、やはり制限はあって、外国人が献金をすることや選挙活動に参加することは許されていない。発言する自由は保障するが、国の方向を決める権利や、決める人々に対して圧力をかけることは許さないということだろう。何処の国でも、献金は政治家に影響力を与える効果的な方法であるからだ。

 外国人であることを知りながら献金を受け取っていたとなればこれはもう確信犯だが、難しいのは外国人が外国人であることを隠している場合もあり、通名を使っていれば見破るのは難しい。かつては帰化する際に日本式の名前を付けていたが、最近では外国籍の時のままの名前で帰化することもある。中台や朝鮮半島などの場合外見も似ているから、判別するのは困難である。

 外国人であることを隠して献金された場合、政治家の側で見分けることは簡単なことではない。献金の際の添付書類に戸籍謄本や住民票でも義務付けておけば宜しかろうが、献金する側にそこまで用意させるのも酷である。 

 2011年には前原外務大臣が外国人からの献金によって辞任に追い込まれ、当時の菅総理も辞任寸前まで追い詰められていた。震災によって立ち消えになったが、改めてこの問題が浮上してきたことは、外国人からの献金の是非も含めて検討する必要が大いにある。ちなみに、自民党も例外ではなく、福田元首相が受け取っていたことが判明している。

 

2012年10月 3日 (水)

「自信」が他者への「強圧」になりかねないことを自覚しているのか?

 新任の田中文部科学大臣が早くも政府方針と異なる意見を述べるなど、注目を集めている。記者会見では第一に取り組むのはエネルギー問題、第二に取り組むのは人づくりだそうだ。

 自殺問題は数年ごとに大きく取り上げられ、大騒ぎされると忘れられるというサイクルはあまり変わっていない。田中大臣はいじめ問題について、「自信を持つことでいじめを防げる」という趣旨のことを述べているが、根本的な考え方がこれでは、有効な対策は打てないのではないかと思われる。

 いじめの「加害者」を見てみると、自分に自信が全くないような者は加害者になることはまずない。人生に迷走し徒党を組んでいじめに走るものでも、いくばくかの自信は持っているし、むしろ小さな自信を守るために「弱い者いじめ」に踏み込む。まして、自分自身に強烈な自信がある者は、往々にして周囲を見下すようになるし、冷酷になりがちなものだ。強烈な自信家であって人徳者という例がもちろんないわけではないが、やはり少ない。

 私自身も反省をしなければならない点だが、自信のある分野で助言・指導を行うほど、弱者の側ではその姿が冷酷に見え強権的・強圧的に感じるものらしい。無論、私は言わなければならないし言うべき立場だから言うのであって、個々人を嫌っていたり恨んでいたりということではないのだが、そう感じてしまう者が皆無とは言えないだろう。自信を持つことはもちろん大切なことだが、「自信」は常に他者に対する「強圧」になりかねない。そこから、人間関係の軋轢が生まれれば、これはもういじめの苗床となる。

 現代社会において、自分に自信を持って生きることのできる者は幸いである。流動化する社会の中で、自分の立ち位置を得られている者は決して多くない。若年層ほど、自信を失って生きている者が多いし、実際にその方が楽に思えることもないではない。使命感も責任感も負う必要はないからだ。いじめはどの年代であっても、どの階層であっても起こり得る。エリート社員だからと言って社内のハラスメントと無縁ではいられないし、学究の徒であってもアカデミック・ハラスメントに脅えている者は少なくない。自信を持つ生き方のできるようにするということ自体、非常に難しいものだ。

 いじめ問題において精神論は毎度のように持ち出される。しかし、重要なのは組織の問題ではないか。いじめを起こし、被害を見過ごし、隠蔽しているのは組織に何らかの問題があるからである。被害を食い止めるためには、冷静な分析と判断こそが重要だ。「自信」云々という精神論だけで何とかなるような問題ではないのではないか。

2012年10月 1日 (月)

改憲は次期衆院選の争点となるか?

 自民党の安倍総裁が、次期衆院選の争点は憲法改正であるという考えを示した。安倍総裁は総理時代から「戦後レジュームからの脱却」を要求し復古的政策を掲げてきたから、自分の得意分野に引っ張り込んで戦いたいところだろう。

 しかし、安倍総裁は過去に同じ方法で失敗した。国民が憲法改正を遠い世界のように感じていることはもろちんのこと、「戦後レジューム」として糾弾の対象にされていたのが専ら国民の人権であった。これでは、いくら現在の憲法に不備があるとしても共感を得るのは難しかっただろう。支配層はともかくとして、中間層以下の人々にとっては現在の権利を放棄して戦前の体制に戻るメリットは何もないからである。

 ただし、安倍政権時代と異なって竹島や尖閣の問題に関連して日本に対する直接の脅威が迫っており、その点では憲法改正の必要性を感じている国民は増えているから、国の安全を守るという点において、改憲の共感を得られる余地はある。ただし、それと「抱き合わせ」になっているものが人権思想の否定であるとすれば、恐ろしい結果を招くことになりかねない。

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