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2012年1月22日 - 2012年1月28日

2012年1月27日 (金)

ホルムズ海峡危機

                       イランの国旗

 イラン政府はいざとなれば実力でホルムズ海峡を封鎖できると世界中にPRしている。これを受けてアメリカは空母機動部隊を展開させ、緊張が高まっている。日本に輸入される石油の実に8割がホルムズ海峡を経由して運ばれており、該当地域で紛争が勃発すれば日本経済への打撃は必至だ。既に噂が流れているだけで影響は生じつつある。

 かつて、イラン・イラク戦争によって世界中でオイル・ショックが起きた時、日本経済も大きな打撃を受けた。あれから三十年が過ぎているのに、日本の中東石油への依存の体質は全く変わっていない。シーレーンを守らなければならないと言う国民的合意は形成されつつあるが、かといって艦隊を派遣して実力でというのも実際には難しい。

 アメリカはイランとの戦端を開くことで「戦争景気」を起こしたいと言われている。確かに、かねてよりアメリカの最大の景気刺激策は戦争であった。戦争によって金が回るようになり、戦争と言う公共事業が失業者を吸収した。第二次世界大戦の勃発で軍需工場に職を得た黒人労働者が「神よ、ヒトラーに感謝します」と祈ったと言う話もある。しかし、911事件以降のテロとの戦いを進めて来たアメリカだが、経済格差と貧困は深刻になるばかりだ。戦争をはじめても、残念ながら金は富裕層に回るだけで中産階級以下には回らなくなった。この傾向は必ずしも戦争景気だけではないのだが、アメリカ経済の構造的な問題と言える。

 アメリカに戦争景気への期待が全くないと言えば嘘になるだろうし、二十世紀の大きな戦争に参加することで経済と民主主義の発展を期してきた民主党政権が過去の成功体験をもとに「奥の手」として考えている可能性は十分にある。しかし、イランと開戦してもイランの軍事力ではアメリカがイラン軍を壊滅させるのにそれほど時間はかからないだろう。無論、イランの国土を占領するのはゲリラ戦もあって難しいだろうが、最新兵器をつぎ込むと言う戦争にならない以上、残念ながら金は回らない。戦争になろうがなるまいが、戦争が激化しようが、実のところアメリカにとってイランとの開戦は経済起爆剤にならない可能性が高いように思われる。それでもなお、過去の成功体験と言うのは恐ろしいもので、なかなか抜け出せない。

 日本としては、アメリカに協力せざるを得ない立場ではあるが、日本にとって何が重要かを第一に考えて行動する必要がある。大切なのはシーレーンの確保であり、それをイランが脅かすならば実力での排除も致し方ない。しかし、アメリカに加担してイランを石器時代に戻すというような行為には加担すべきでない。残念ながら、今の日本の指導者では、シーレーンを守れない一方で石器時代に戻すことに加担してしまう可能性がありそうである。

2012年1月25日 (水)

9月入学制度の是非について

 東京大学が現在の4月入学を欧米諸国にあわせて9月入学にするべきだという報告をまとめた。おおむね旧帝大系の国立大学はこの動きを歓迎しており、古川国家戦略担当相もこれにあわせて国家公務員の採用を9月にしてはどうかという発言をしている。今後、この動きが強まる可能性は高い。

 ただし、9月入学にしたとしても、ただちにそれで留学生が増え或いは日本人学生の留学が増えるとは思われない。既に十数年前に欧米に併せてセメスター制と呼ばれる前期後期の二分割に学期を分けることが定着し、これによって9月からの後期にあわせて留学が増えると見込まれたが、実際には留学生も増えず留学も増えなかった。我が国への留学が敬遠される背景としては研究室が理系を中心に概してギルド的な体質を持ち学位取得も難しいこと(教室の主任教授が学位を持っていないこともまま見受けられる)、日本人留学生が少ない理由は就職に際して留学経験が大した評価を受けないことにある。つまり、将来につながるメリットがないのだ。

 大学入学までの半年間ボランティア活動をしろと言われているが、そもそもそのような義務として設けられたボランティアにどのような意味があるのか。国家公務員や司法試験を目指す者は入試終了後ただちに目的に向かって勉強をはじめたいだろうし(多数の者は、そうやっても受からないのだ)、勉強したいと大学に入ろうとした者が半年間も入学させてもらえないというのではただでも少ないやる気も削がれよう。親の世代の資力が落ちている現在、半年間社会に出ることが遅れると言うのはそれだけでも負担になるし、ボランティアをするくらいならアルバイトを選ぶ者の方が多いのではないか。

 私は9月入学制度はそれはそれであってよいと思う。しかし、9月に統一する必要まではないのではないか。制度移行に際して見込まれる混乱に比して、メリットはそれほど多くない。4月入学を基本としながら、定員の2~3割程度を9月入学に割り振り、9月の2回入学として多様な学生確保を目指してはどうかと考える。

2012年1月23日 (月)

新年快楽!

 今日は農暦の春節であり、かつて日本では「旧正月」と呼ばれていた日である。明治時代に太陽暦を導入して以降、日本では暦上の1月1日を新年として祝うようになったが、台湾や中国では太陽暦導入後の現在も旧暦の1月1日を春節として祝う。

 大陸で「民族移動」と称されるほど大規模な帰省ラッシュが起こるのもこの時期だが、日本留学中の留学生たちにとっては大抵大学の試験時期と重なるから、正月らしくない正月となることが多いようだ。

 台湾の「お年玉」は赤い袋に入れて配られる。90年代の台湾では「500円以下の現金授受は買収にあたらない」ということで、政治家が有権者にお年玉をばら撒いていた。日本では清貧と見られている李登輝総統や金がないと言われていた陳水扁総統も、郷里で数千万円を配っていたと言う話がある。ただ、それも過去のことであり、選挙は買収も供応も減って、候補者同士が政策を戦わせる場に変化しつつあるとの事。ある意味では、格段の進歩であると言える。ただし、「赤い袋」という言葉はは「賄賂」「買収」などの隠語として残ってはいるそうだ。

 

 今年も良い年になることを祈る。

 謝謝大家!

          水野 勝康 拝

地方自治体への権限移譲は本当にいいことだらけか

 「もともと日本は地方に権力があったにもかかわらず、明治維新で中央集権の官僚国家を作った。官僚主導の国から脱却するために、これからは地方に権力を移さなければならない」

 こうした掛け声は1990年代半ばからあったが、地方自治体の長が実際に大幅な権力移譲を求めて実力行使に出るようになったのは2000年代も半ばを過ぎてからの事である。しかし、こうした動きを簡単に「善」」とし、中央集権と官僚を「悪」であると断じるのは早計だ。

 まず、分権国家は国際社会での発言権が間違いなく低下する。国として統一した方向性を示すことが難しくなるし、ロスも増えるからだ。実は、アメリカも各州がかなり自立していた時代には国としてまとまった手をなかなか打つことができず、国際社会での発言権は極めて低かった。それでも建国間もないアメリカと言う国が生き延びることができたのは、当時の欧州列強諸国から離れたアメリカ大陸に建国されたからである。抗争の中心地から遠かったことが利点となった。

 ドイツもウェストファリア条約以降は300余の諸侯国の連合状態が長く続いた。この結果、ドイツの統一はプロイセン王国が強力になってきた19世紀に入ってからとなった。ドイツが産業革命に対応できず、同時代のイギリスやフランスと比べて弱い国力しか持ち得なかった背景には、統一の遅れと中央集権体制=効率の良い意思決定システムの構築ができなかったことがある。この点は、フランク帝国の崩壊以降小国に分裂して近代に至るまで統一されることがなかったイタリアも同じだ。

 強力な権限を持つ自治体と貧弱な中央政府と言う組み合わせが実現した場合、地方が独自色を発揮して発展できると喧伝されているが、そのようなバラ色の未来は期待できないのではないか。むしろ、日本と言う国の解体につながる公算が大であるように思われる。小国の連合体のようになれば、それこそ対外的な発言力は低下する。実際、第二次世界大戦後のモゲンソー・プランでは、ドイツの国力を低下させるために300の小国の寄り合い所帯に戻そうと言う提案がされていたほどである。モーゲンソー・プランが通らなかったのは、ドイツをそのような状態にすればヨーロッパの貧困地帯となり、戦争防止以前の問題として西側東側ともに「お荷物を抱え込む」ことを恐れたからにほかならない。

 既に戦国時代においても、大名の中には外国勢力と結びつき、領土などを「寄進」することによって武器兵力の提供を受けると言うことをしていた者が少なくなかったのだ。有名な長崎も、「教会領」としてローマ・カトリックに寄進されていた過去がある。強力な権力を持った地方自治体が自治体の利益のため他の自治体の不利益や国益など知ったことではないと外国勢力と結びついて、外患誘致のような過激な行動に出るかは別として、好き勝手な行動に走る危険性は非常に大きいのではないか。

 いずれにせよ、今まで国がまとめて行ってきたことができなくなるということは、実はデメリットも大きい。ミスマッチも増えるだろう。また、中央官僚が特権階級化したという非難があてはまるならば、権力を移譲された地方で同じようなことが起こる可能性は否定できない。国会議員に比べて首長・地方議員が広い視野と知識を有していると断じることはとてもできないし、役人に頼らなければならない構図に変化が生じるとは思えないからだ。「地方の時代」を選ぶのは国民の自由意思に委ねられているが、従前の閉塞感が劇的に解消されるわけではないし、負担や自由の制約が増える可能性もあるということを知悉する必要はあるのではないか。いずれにせよ、騙されたと分かった時にはもう遅い。

2012年1月22日 (日)

吉田市長に対する長久手市公開レクチャー

 長久手市の吉田一平市長に対して市の職員がレクチャーを行い、これを一般市民に公開すると言う試みがなされた。これは吉田市長の町長選挙における公約であり、公約が実現したことになる。事実上の政策立案者である職員側の情報公開や政策の立案プロセスを公開すると言う試みは大いに評価されてよい。

 今後は、これを更に発展させていく必要がある。今回のレクチャーは町長就任から四箇月も過ぎて行われている。レクチャーの資料作りに時間もかかるだろうし、土曜日に職員に出勤を命じることになるのだから不払い残業させるわけにもいかないので、そうした調整に時間がかかったであろうことは容易に想像できる。もちろん、非公開で説明を受けてきてはいると思われるので実務上問題はないだろうが、市民への政策立案プロセスの公開を意図しているのであれば、より早い段階で行えるようにすること、またレクチャーも就任時のみではなく定期的に行う事も検討されてよい。

 アメリカでは、選挙前に候補者が求めればレクチャーが行われる。反対党の候補者や新人であっても差別はないことになっている。共和党政権の閣僚が民主党の大統領候補に対してレクチャーを行うことすら珍しくない。アメリカでは当選してから就任までに大抵は数箇月間あるが、この間は大統領当選にんであれば現職大統領と同等のレクチャーを受けることになっている。

 今回のレクチャーの試みは、あくまでもユニークな発想と強烈な個性を持つ吉田市長ゆえに行う事ができたと言える。今後は、一過性のものとならないよう、市政のプロセスの中に組み込んでいけるかが重要となるのではないか。

 

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