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2012年9月9日 - 2012年9月15日

2012年9月15日 (土)

尖閣をめぐり日中関係悪化

 日本政府の尖閣国有化宣言を引き金に、日中関係が悪化している。中国の大都市では週末に大規模なデモが各地で予定されており、上海では日本人であるという理由だけで暴行されるという事件まで発生した。

 言うまでもなく、国と国との関係とは言っても個人を暴行することは許されない。尖閣諸島国有化宣言に対して文句があるのなら日本政府相手に意見を述べるべきだ。これは日本人の側も同様で、中国政府が横暴だとしても文句は中国政府と中国共産党にいうべきであり、個人の中国人を蔑視したり、ましてや不利益や暴行を加えるようなことがあってはならない。

 国交正常化40周年を迎えたが、あの頃には想像も出来なかったほど世界情勢も変化し、日本と中国の関係も変わっている。客観的に見て、現在の日中関係は国交正常化後最悪と言ってよい。百年前だったら戦争に訴えることもできたし、中国の農村部などでは情報が限定的であるということもあって最早対日開戦しかないなどという物騒な話もあるらしいが、現実問題としてそれは不可能だ。口先では勇ましいことをいくらでも言えるが、武力侵攻などすればやった側が非難されるのは必至である。

 隣国である以上、不満があるのが当たり前である。この40年余、どちらかと言えば日本は中国に遠慮し続けていたところがあった。それが今回のような事態を招いてしまっていると言える。中国古典に「宋襄の仁」という話があるが、日本の従来の対中政策も「宋襄の仁」ではなかったか。

 中国では「喧嘩をしてこそはじめて仲良くなれる」という諺もある。戦争までする必要はないが、今回の「喧嘩」は日本にとっても対中関係を見直す良い機会だ。そして、日中関係の将来につながるものとなることを祈りたい。

2012年9月13日 (木)

日本維新の会

 大阪市の橋下市長をトップとする「大阪維新の会」が発展し「日本維新の会」が発足した。言うまでもなく、近く行われる総選挙において台風の目となるものと思われる。各党とも、この「維新勢力」と「近い関係」にあることを強調するのに懸命だ。民主党は地域主権で近いといい、自民党は保守思想で近いといい、みんなの党は新自由主義的政策で近いという。カメレオンを連想させるが、いずれなせよフリーハンドは橋下市長の手にあると言ってよい。

 問題は、彼らの言う「道州制」や「民営化」が本当に日本にとって有益なものであるかということだ。例えば、特定の都市に特権を与えることは、他の自治体を相対的に不利に扱うことになる。大阪でやりたい放題ができないことについてもそれなりの理由があったわけで、特定の都市のやりたい放題を容認するようになれば日本という国そのものが一体性を失うことになるであろう。政治的権力があれば特別扱いしてもらえるというのはよく聞く話ではあるが、公然と行われればこれはもうモラル・ハザードだ。

 「維新八策」が極論であることは橋下市長のブレーンすら認めていることだが、極論を突き付け二者択一を迫り、反対勢力をまとめて政治的に葬る手法は小泉総理の「抵抗勢力」や「郵政民営化」を連想させる。そして、それらはあまり物事を深く考えなければ、極めて心地よく聞こえるのだ。何より、極論だから分かりやすい。この分かりやすさは選挙で大きな武器となる。

 権力闘争の上では極論も宜しかろうが、実際に国家のトップに立った時にそれを貫くことは、毛沢東やポル・ポトを見るまでもなく国家の悲劇となる。妥協することは権力を失うことだからだ。いきおい、闘争は激烈なものとならざるを得ない。勝者総取りになる一方で、敗者は徹底的に殲滅される。もともと、橋下市長はこの考え方の持ち主だから、敗者に加担した者も含めて大きな不利益を負わされることは免れまい。彼の言い分では反対するのも自己責任だから報いを受けてしかるべきなのである。橋下市長は大阪の名門高校から早稲田大学、司法試験合格、弁護士開業、タレント活動、府知事、市長と猛スピードで進んできた人であり、その能力と手腕にはいささか自負もあろう。こうした場合、敗者に対しては苛烈になりやすい。自分が努力してきたという自負心は、庶民層に特に強いものだ。台湾の陳水扁前総統とよく似ている。

 総選挙になるのは少なくとも民主党代表選と自民党総裁選挙が終わってからになるだろう。それまでに、この新興勢力の思想をじっくりと吟味する必要がありそうである。

2012年9月12日 (水)

新司法試験合格発表

 11日に新司法試験の合格発表が行われた。法科大学院設置初期に入学した人にとっては「5年以内に3回」という受験制限を使い切る時期でもあり、今回が最後と挑戦した人も多かった。実際、受験者数は三振法務博士の増加や受け控えによって減少に転じている。

 鳴り物入りで発足した新司法試験と法科大学院だが、今年の合格者は2102人と新司法試験では過去最高の人数となったが、目標としていた3000人には遠く及ばなかった。それでも、弁護士の就職難が問題となるに及んで合格者数の絞り込みが日弁連を中心に提唱されている。今後、法曹への道はますます厳しいものとなるだろう。

 弁護士の数ばかりが取り上げられることが多いが、実は裁判官や検察官は法曹人口が急増したここ10年余りの間でもそれほど増えてはいない。どちらも国家公務員ということで定員があるためだが、弁護士が2万余人に対して裁判官の総数は3000人、検察官もほぼ同数である。言うまでもなく、これでは裁判や刑事手続きがボトルネック化するのは避けられないわけで、司法制度改革が行われたにもかかわらず裁判がさして迅速化していない原因のひとつとなっている。無責任な悪人がやりたい放題やって起訴すらされないのも、検察が手不足の状態にあるからだ(無論『優秀』な検察官の皆様は手不足などとは認めないだろうが)。

 阪大以来の友人である某君も最後の挑戦で合格された。苦節十数年を経ての合格、本当におめでとうと言いたい(これを書いている段階では電話が繋がらない。恐らく祝杯を挙げているのだろう)。

2012年9月11日 (火)

911テロから11年

                   

 911同時多発テロから11年が過ぎようとしている。テロとの戦いは今も続いているが、強大な軍事力を有するアメリカも手を焼き続ける完全な泥沼と化しており終わりは見えていない。最近になってアメリカとタリバンが和平交渉のために水面下で接触していることが明らかとなったが、タリバンとて簡単にアメリカと妥協するわけもない。仮に妥協が成立しても、妥協の「おこぼれ」を受けられない人々を中心として争いは続くだろう。宗教的な「信念」というものも見過ごせない。タリバンがテロ組織でなくなっても友党のアルカイダまですんなりアメリカと妥協するわけもないし、妥協すれば新たなタリバンやアルカイダが生まれてくるだろう。

 アメリカとしても、今までイスラム原理主義組織を攻撃し続けてきた手前簡単には妥協できない。アメリカは依然としてキリスト教保守的価値観の支配する国であり、都市部はともかくとして農村部に行けば生活においてキリスト教の占める重みは日本における仏教の比ではない。また、戦争によって「利益」を挙げている人々がおり、これらが簡単に金のなる木を手放すとも考え難い。

 憎しみの連鎖を断ち切るのは簡単ではない。イエスは寛容を説き、ムハンマドもまた寛容を説いた筈だった。しかし、そうした過去は忘れ去られているようだ。残念である。

 

2012年9月 9日 (日)

山口福祉文化大学事件

 山口福祉文化大学が東京のサテライト・キャンパスに中国人を中心とする600名の留学生を通わせていることが判明した。不法就労の受け皿になっているのではないかとの疑念が持たれている。この大学の「本校」に通っているのが171名というのだから、サテライト・キャンパスの方がメインであり疑われても仕方がなかろう。

 日本の大学が中国人の不法就労の隠れ蓑に使われているというのはかねてより指摘がされてきたところである。政府や自治体の留学生増員策もあって、経営難に苦しむ大学側も留学生を積極的に受け入れてきた。しかし、言うまでもなく留学生のすべてが真面目に勉強するつもりで日本に来るとは限らない。日本の学位は欧米での学位に比べると低く扱われている上、そもそも日本の大学では学位が取り難い。

 私自身が接してきた中国人留学生は皆優秀であり、日本人学生以上に勉学には熱心だった。ただ、これは私が大阪大学や同志社大学という昔から外国人留学生を受け入れそれなりに研究者を輩出してきた大学にいたからであって、研究者養成の伝統もなく就職等に対する実績もないような大学の場合、そもそも留学してくるメリットは乏しい。そうなると、優秀な留学生を集めるのも難しく、その分質の低い留学生が入り込む余地が大きくなる。

 政府は留学生受け入れを強力に推進してきたし、これからもその気である。しかし、留学生の質にはかなりのばらつきがあり、まともに中国で学んだこともなく日本語の能力も皆無という者が相当来ていることは教員側からも指摘されてきた。同志社時代にお世話になった中国語の于耀明先生はご自身も西安出身の中国人留学生であったが、その先生ですら1998年当時の留学生の質の低下を嘆いておられたくらいである。

 于先生の意見は、一番良いのは中国の大学で既に学位を取得した者に留学を限定すること。それが無理ならば、せめて大学を卒業するか、最低でも教養課程を終えていることが望ましい。日本で一から大学に入りたい者は、中国でも十分に日本語を学ぶチャンスはあるのだから、留学前にまず日本語能力試験を課して一定水準以外の者の留学は認めないようにすべきだというもので、これは私も全く同感である。

 留学生は単に日本に来て学問を学ぶだけの存在ではない。日本人学生とも交わって、双方が人間的学問的に視野を広げる機会にならなくては困る。真面目に学んでいる留学生たちも、これでは肩身が狭かろう。大学が不法就労の温床になるような現行制度は、早急に是正されることが望ましい。

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