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2012年8月26日 - 2012年9月1日

2012年9月 1日 (土)

防災の日

 今日は防災の日だが、言うまでもなく1923年に関東大震災の起きた日である。この関東大震災については、一部の学者が予測していたものの、起きる可能性があるとしても対処方法がなかったことなどからいたずらに庶民の不安を煽るとして、学会の「権威」が政府の意を受けて押さえこんでしまっていたという話が残っている。

 どの時代にも権力に媚び諂う者や良心よりも権力の手先となる道を選ぶ者がいるものだ。結果的に関東大震災は十万人以上の死者を出すという日本史上稀に見る大惨事となった。だが、我々は本当にその反省をしているのだろうか。

 確かに、「防災の日」となり防災訓練などが盛んにおこなわれるようになった。しかし、原子力村の問題を見ても分かる通り、日本人のメンタリティに起因する構造的な問題が改善されているとは言い難い。見落とされがちだが、被害を拡大させる要因をむ放置する方向に仕向ける為政者と学者についても、検証されねばならないのではないか。

 中国の諺に苛酷な政治は虎よりも怖いと言うものがある。天災も怖いが、天災を人災にしてしまう政策はもっと恐ろしいものだ。その前では、庶民の自己防衛も蟷螂の斧となる。

2012年8月31日 (金)

ロンドン・パラリンピック開会

               ファイル:Paralympic flag.png

 閉幕したロンドン・オリンピックに引き続いてロンドン・パラリンピックが開会した。障害を持つ選手たちの活躍に期待したい。

 1994年に愛知県で国体が開かれた時、同時にパラリンピック相当の競技会も行われ、盲人野球は愛知青少年公園が競技場として使われた。その際に入退場演奏を行う吹奏楽部の部員として参加したことがある。愛知万博会場を経て現在はモリコロパークとなり当時の面影はほとんどないが、私にとっては懐かしい場所だ。

 吹奏楽部の担当は選手の入退場と表彰式の演奏だった上、私はマネージャーだったから裏方仕事の必要な開会の前と閉会のあとは忙しかったがそれ以外は暇であったため、競技をじっくり見物することができた。

 見えていない筈の選手が正確にボールを投げ、打ち、走るのである。盲人野球とは言っても必ずしも全盲の選手ばかりではなかったのだが、それでも音と感覚を頼りにゲームを進めていく姿は驚きであった。挨拶に立った盲人団体の代表が「車の運転と飛行機の操縦以外はできる」とジョークを飛ばしたのも納得できる活躍だった。

 音が頼り故、応援と言っても大声を挙げることも拍手することも許されない。観客は静粛にすることを求められるが、それでもなお白熱した競技が行われていた。私にとって、障害者の可能性を見せられたはじめての機会であったと言えるかもしれない。

 公的年金制度に障害年金の制度が置かれていることでもわかるが、障害と言うものは誰がいつなるのかわからないものだ。そして、障害となる因子は多くの人々が持っている。それだけに、障害者の問題は他人事ではなく自分自身の問題なのだ。

 パラリンピックは障害者が世界の大舞台で活躍できる機会であり、障害者の持つ可能性を知らしめる場である。一般的な健常者の競技とは違う難しさがある。例えば盲人野球などは視覚を失って聴覚が研ぎ澄まされたものであるからこそできる競技であり、健常者には逆に難しいものも多々ある。オリンピックは「体育」の延長として文部科学省管轄であるに対して、パラリンピックは「福祉」「障害」問題の延長として厚生労働省管轄である。としても、オリンピックとは「ルール」が多少異なるだけで、本質的に競技に挑むアスリートに違いはない。

 参加者特に日本選手団の活躍を期待したい。

2012年8月29日 (水)

日本大使公用車襲撃事件

 丹羽大使の乗った外交官ナンバーの車が北京市内で何者かに襲われ、強引に停車させられた上で車に飾っていた国旗が奪われると言う事件が起きた。前代未聞の不祥事である。

 外交官の身の安全は国際法で保障されている。この義務は接受国つまり今回のケースでは中国政府にある。ヒラの外交官であっても外交官特権で安全を保証しなければならず危害が加えられたと言う事になれば大事になるのが普通なのだが、外交使節団長として最高位の身分である特命全権大使が襲われたのだから、これは日本国や天皇が襲われたのと同じことであり、憂慮すべき事態と言わなければならない。

 ただし、これまでも中国では大使館や領事館が暴徒に襲撃されると言う事件が度々発生しているが、これについても中国政府の対応が甘すぎると言う指摘が以前からあった。外交官の身の安全と同じく、大使館や領事館などの在外公館や外交官の居宅も国際法で安全を保障すべき責務を接受国は負わされているのである(ただし、大使館・公使館と領事館では起源や任務が異なることもあってか、領事館の方が若干保護が緩い)。また、国家の代表機関である以上単なる安全だけではなく尊厳も守られなければならないことになっており、我が国が中国大使館前での中国政府に対する抗議活動を極度に制限しているのも、そのあたりの義務があるからである。

 恐ろしい事に、それでもなお中国国内では愛国的英雄的行為と称える人が少なからずいるというのだ。中国には「愛国無罪」という言葉があるが、これでは愛国心の名のもとに国際法や国際秩序を破壊することも辞さないと言う事になる。これは近代国家国民のやることではない。中国国民が日本人や日本政府を恨むことは自由であり、恨みの声を上げるのも自由だ。しかし、いくら日本が嫌いでもやっていいことと悪い事がある。

 この襲撃事件は中国国内でもとりわけ警備警戒の厳重な首都北京で起きている。首都でこのような暴挙を行う事を止められないのだとしたら、中国政府は首都ですら統制を喪っていると言う事になるし、見過ごしていたとすれば言い逃れのしようがない。何れにせよ、日本の尊厳が大きく傷つけられたのだから、日本としても断固たる対応が必要であろう。政府首脳が単に「遺憾の意」を示すだけでは不十分だ。

 同時に、中国で大使が襲われたからと言って、同じことを中国の外交官にしていいということではないし、一般の中国人に対して暴行暴言を行うと言う事もあってはならないことである。この点、日本国民も自制する必要がある。両国国民とも、低いレベルで罵り合いと恨みの炎を燃やすだけでは何の解決にもならない。

2012年8月27日 (月)

ニール・アームストロング船長死去

                    Apollo 11 insignia.png

 1969年7月20日にアポロ11号によって人類最初の月着陸を成し遂げたニール・アームストロング船長が8月25日に死去した。アームストロング船長の名は、人類史に永遠に刻まれるに違いない。

 ただし、アームストロング船長の場合、コロンブスやリンドバーグとは異なるところがある。後者はいずれも「冒険」として実質的には個人技によって歴史に名を残したが、アームストロング船長の場合は能力人徳はともかくとしてあくまでもNASAの月着陸ミッションの一員であり、登山で言うところの最後の登頂メンバーに選ばれたことによる面が強い。月着陸ミッションは言うまでもなく巨大な組織によって行われたものであり、アームストロング船長の個人技ではなかった。未知の世界に足跡を残すという事蹟も、既に四十年前から巨大組織の一員でなければなし得ないものになっていた。アームストロング船長も、自身が脚光を浴びることに抵抗感を感じており、月着陸後はあまり表には出ない生涯を送っている。

 これから人類が火星などの他の天体に足跡を記す日が来るかも知れない。その時に、常にニール・アームストロングという名前は思い出されるだろう。同時に、その飛行士もアームストロング船長と同じく、巨大組織の一員として足跡を残すことになるであろう。

 突出した個人の力で未知の世界が切り開かれる時代ではない時代を最初に歩んだ男であったと言えるかも知れない。

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