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2012年1月15日 - 2012年1月21日

2012年1月21日 (土)

尾張名古屋共和国

                 名古屋市旗   愛知県旗

 名古屋市の河村市長が「名古屋市の周辺地域を併合し『尾張名古屋共和国』として独立」と言えば、愛知県の大村知事も「愛知県を独立させよう」などと言い出した。どちらが国家元首になるつもりなのかは知らないが、国際法上は「尾張名古屋共和国」の建国については何の問題もない。大阪の橋下市長も「大阪の独立」と言っているが、これも可能である。

 近代的な主権国家の要素は「統治機構(政府)・一定の領土・国民」である。イスラエル建国の場合には政府を一から作り、領土と国民を定義づけなければならなかったが、自治体が新国家として独立する場合、国家の要素は既にもっていることが一般的である。名古屋市役所が尾張名古屋共和国政府となり、名古屋市域が尾張名古屋共和国の領土となり、名古屋市民が尾張名古屋国民になるだけのことだ。なお、モンテビテオ条約ではこれに加えて国家としての外交当事者能力を要求しているか、一応の渉外業務ができている現状に鑑みれば、満たすのは難しくはなかろう。

 独立に際しては、別段国民投票や議会の議決を必要とするわけではない。手続き上は、河村市長が日本からの独立と建国を宣言すれば足りる。かつては放送局を占拠して短波放送で全世界に向けて宣言したものだが、今やインターネットという便利なものがあるから、世界への発信は非常に楽になったと言える。

 尾張名古屋共和国として独立した場合、日本国政府と別段の定めがなければ、現在の名古屋市とその周辺自治体の住民は日本国籍を喪失し、尾張名古屋共和国国籍となる。国際法上の原則として、住民は土地に従属して国籍が移動することになるためで、日本国が二重国籍を認めていない以上、私も含めて日本国籍を自動的に喪失するものと考えるしかない。もちろん、今まで使ってきたパスポートは使えなくなる。

 このような国籍の変化は、恐らくは近代国際法が生まれたヨーロッパにおいて、国の領域が封建諸侯の婚姻や相続によって変遷を繰り返したためであると考えられる。ヨーロッパでは支配階層である封建諸侯を含む貴族階級は国境を跨いで婚姻することが一般的であり、移動することが一般的であったのに対して、被支配階層である住民は基本的に農民であり土地に付着して移動しないものであって、土地と一緒に渡すしかなかったのであろう。無論、難民は生まれている。そして、独立や領土の割譲において、別段の定めがなされることは珍しくない。日本が朝鮮半島を併合した時には原則に従って大韓帝国国民は自動的に日本国民となったが、台湾を併合した時には台湾住民は清王朝との国籍の選択が認められた。よって、尾張名古屋共和国と日本国との間で、話し合いがまとまれば、国籍選択の機会を与えることは可能である。

 名古屋市議会では「日本国の法律の未整備」云々が議論になったようだが、まことに勉強不足な話だ。独立に際して元の国の国内法がどうなっていようが、独立国の側としては知ったことではない。国家は領土の喪失を嫌うから、領土の分離規定などそもそも存在していないことが普通であり、むしろ独立を絶対に許さない規定を置いているところの方が多い。台湾は今でもアフガニスタンやモンゴルの一部まで含めた大陸を含めてむ領土と言う事になっているし、中国は「反国家分裂法」によって「神聖な領土」は絶対に分かつことがないと定めている。

 独立と言うと、大抵は「独立戦争」とセットになっている。元の国は一般的に領土の喪失を嫌うし、独立に反対する勢力が大抵存在しているからだ。イギリスからアメリカでも独立戦争を戦い抜き、更に国内の王党派を追い出して最終的に独立を勝ち取った。つまり、独立を妨げる勢力を実力で排除することが必要になると言う事で、この点名古屋市は軍隊を保有しているわけでもないから、日本政府が独立を認めず実力で独立を潰そうとした場合、実力で独立を勝ち取ることは容易なことではないだろう。

 元の国が独立を認める場合、独立戦争で負けたからだとは限らない。平穏に独立が果たされた場合も珍しくない。例えば、チェコとスロバキアの分離は「円満な離婚」に例えられ、両国の緊密な関係は続いているばかりでなく、ひとつの国であったときにもチェコ人とスロバキア人の関係は良好になっているとさえ言われている(欧州統合によってそもそも国境や国籍の持つ意味が低下してきたこともあるのだろうが)。

 「厄介払いができた」と喜んで独立を承認する場合もある。例えば、イスラム教徒が多数を占めるマラヤ連邦(マレーシア)から華人が多数を占めるシンガポールは追放同然に独立を余儀なくされた。中央から見て河村市長や橋下市長は危険視されているから、案外喜んで独立が承認されるかも知れない。

 国家が独立する場合に難しいのは、元の国に独立を認めさせることと、もうひとつは独立した主権国家として他国の承認を受ける事である。確かに、「政府・領土・国民」の要件を満たしただけで国家として成立すると言う意見もある。これは宣言的効果説と呼ばれ、ヨーロッパの国際法では伝統的には通説とされている。これに対して、他国の承認を受ける必要があると言う意見もあり、これは創造的効果説と呼ばれている。ただし、何か国の承認を受けたら独立国だと言う要件がないため、何処で自称国家から主権国家になるのかは曖昧なままである。ただ、現実問題として何処の国からも承認されず、国交もないと言う事になると、独立国と言い張るのはかなり難しい。創造的効果説ならそもそも主権国家ではないということになるし、宣言的効果説に立ったとしても、承認されていない国からは独立国として扱いを受けられない。実質的に「国家」扱いはされないということになる。

 なお、国家承認と似たような考え方として政府承認というものがあるが、これは先行する国家を崩壊させるなどして新国家を成立させた場合になされるものである。

 しかし、めでたく独立を果たせたとしても、独立国としてやっていくことは容易なことではない。特に、尾張名古屋共和国の場合、その後の国家運営は極めて難しいものになるのではないかと思われる。

 河村市長は商売によって繁栄させたいという意向を示しているが、残念ながら名古屋は日本国内においては主要都市の地位を占めているが、国際的に見ればそれほど重要な都市と言うわけではない。商売で反映する国や都市は、貿易の中継点であるか、或いは窓口になっていることが必要だ。イスタンブールや開封やベネチアやマッカは前者の例であり、杭州や敦煌は後者の例だ。東アジアの国際貿易港である香港、神戸、横浜などは鎖国状態の国への窓口として例外的に解放された港湾を起源としており、言わばもともとある種の先発の独占企業であった。ブランドもあるし、信用もある。翻って、名古屋にはこのような蓄積は全くない。わざわざ、名古屋を経由しなくても日本との交易は可能である。こうなると、商業の拠点とするのは非常に難しいということになる。日本と言う国家の庇護とブランド力を失って、名古屋ブランドで世界と勝負するのはかなり難しいのではないか。

 独立国となれば、必然的に外交も独力で行う必要がある。無論、協定で他国に委託することもできるが、そうなれば委託先の国の意向を無視することは難しくなる(外交当事者能力を要求する立場からは、そもそも独立国ではないと判断される場合すらある)。中央への反骨から独立する以上、尾張名古屋共和国にとって外交や防衛を他国に委託するということになると、独立の大義を失うということになりかねない。しかし、外交を行う専門家はもともと日本には数が少ないから、外務省から引き抜くのは難しそうだ。尾張名古屋共和国出身者の中には郷土愛から郷里に戻って祖国の外交官になろうという人も出てくるかも知れないが、それだけで必要な人員を確保することは到底無理だろう。一般市民で国際法の素養を持っている者自体が非常に少ないから、新たに登用しても使い物になるかどうかわからない。、何しろ、「商売」で食っていくことを目指し、更に「税金を安くする」ことを至上命題とする以上、有利な立場を獲得するためにも各国との交渉は必要だから大使か公使を常駐させねばならないし、自国民・企業を保護するためには領事も常駐させる必要がある。そうしたことができなければ、尾張名古屋共和国国民と企業が外国で「まともな扱い」を受けるのは期待できないと言う事になる。国の衰退につながることだけは違う余地がない。

 また、河村市長は市長に権力を集中する一方、議会は少数のボランティア議員で十分だと主張している。現状でも行政府の暴走を止めるには議会側はあまりにも無力だ。それでも日本国内の自治体である現在は国の法律と中央政府と言う歯止めがあるが、独立してしまえばそうした歯止めは一切ないということになる。むしろ、そうした歯止めに不満があるからこそ、独立と言う言葉が出て来たのだろう。しかし、行政府なかんずく最高指導者の権力と権威だけが突出し、バランスを取る機関が有名無実ということになると、これは現在の北朝鮮の行政府と立法府の関係に近い。権力分立というシステムを持たなければ、いくら減税路線を歩もうが民主主義国にはならない。河村市長の「減税こそが民主主義の根本原則」という理屈が正しいのであれば、税金のないサウジアラビア王国などは「理想の民主主義国家」だということになるが、権力は国王に集中しており、かの国を民主主義国に分類する者は誰もいない。尾張名古屋共和国の国民が独裁者を許容しているとしても、国際社会から見ればそれは民主主義国ではないということになる。

 「お山の大将」を志向して独立を言い出したのだとすれば、余りにも幼稚なことだ。そもそも、国家存立の根本的な意義を理解しているのか疑わしい。近代立憲主義から言えば、国家は国民の人権を保障するための機関であり装置である。国家のために国家があるわけではないし、まして権力者の野望を満足させるために存在するのではない。独立云々という言葉を冗談でも口にするのなら、相応の「国家観」を示してもらいたいものだ。

2012年1月19日 (木)

議員定数削減と人材育成

 税と社会保障の一体改革で国民の理解を得るためとして、国会議員の定数削減議論が大詰めを迎えている。民主党も自民党も「大枠」としては議員定数の削減に合意しており、あとは各論である。俗な言い方をすれば、両党ともに自らが主導権を握って議員定数を削減したと言う「実績」を作りあげ、相手側を「守旧派」「改革に反対した」と位置づけることで、自らの権力拡大・選挙での優位を確保しようとしているように思われてならない。

 国民も議員は特権階級だと言う意識が強いため、総じて削減に賛成している。議員定数削減は今や国民の多数意見となっている。そこで、この多数意見に対して疑問を呈してみたい。

 我が国は憲法上議院内閣制を採用している。議院内閣制においては、政府は国会の多数派をもって組織され、立法府と行政府は主要部分においてかなりの部分が重複する。実際、過去も現在も閣僚の大半は多数党の議員が占めるのが普通であり、副大臣や政務官も同様だ。

 2009年に発足した民主党政権では「政治主導」が強調されたが、その結果として3年余に及ぶ政治と行政の混乱を招いている。しかし、万年野党が与党になった場合に経験不足で混乱を招くのは別段日本だけの話ではない。台湾でも民進党が政権を握った時には政治は大混乱したし、韓国でも長年左翼勢力であった金大中大統領と盧武鉉大統領の時代は大いに迷走した。長年野にあった政治家たち、特に台湾も韓国も大統領制であるから尚更だが、行政と政治を運営する経験不足を露呈したのである。

 「勉強して政治家になれ」と口で言うのは実に簡単だ。しかし、どんな世界でも経験は少なからず必要であり、土地勘を身に付けなければ役立つことはできない。つまり、「即戦力」というのは一般的な職業の世界と同様に、政治や行政においても幻想でしかない。このことは、歴史が証明している。

 議院内閣制国家において、議会は単なる立法府ではない。行政府に人材を供給する場である。つまり、人材を育てる場でもある。議員定数を削減すると言う事は、このプールされる人材が与野党ともに減少することを意味する。特に小選挙区制の比重が高まると、議会の多数派は選挙によって大きく入れ替わることになる。2005年総選挙と2009年総選挙で大量に新人が当選して議員が大きく入れ替わったことを思い返してみればよい。つまり、今日の少数野党は明日の巨大与党として政権運営しなければならない可能性があると言う事である。議院内閣制では行政府にも人材を割かなければならない以上(むしろ、行政府の方に比重を持たせることが一般的である)、議会運営は素人同然の未経験者があたることになる。これでは混乱するのは当たり前だ。議院内閣制国家であるイギリスにしろドイツにしろ、議員定数は人口に比して日本以上に多い。この効果として、人材を養成し議会にプールしておいて行政府に供出する仕組みが出来上がっている。

 一方、大統領制国家の場合はどうか。オバマ大統領は上院議員出身であり、歴代大統領にも議員歴を持つ者は珍しくないが、最近では州知事としてひとつの組織のトップとしての経験を持つ者が選ばれる傾向が強い。クリントン大統領にしろブッシュ大統領にしろ、ともに下院議員選挙には挑戦したものの落選しており、議員経験を持たないまま州知事から大統領になっている。議員経験を経て閣僚になる者もいるが、議員と閣僚を兼務できないこともあって、立法府と行政府は完全に分離しているし、立法府としては行政府に人材を供給する機関と言う色彩は極めて薄い。

 ただし、アメリカの人材移動は極めて活発である。地方政界と中央政界の間だけでなく、財界や学界、更に法曹三者との人材移動もある。議員にならなくても「政治家」として政治に参加できるし、落選したり下野しても食うところを探すのは比較的にしても容易だ。アメリカではエリート層の就く職業そのものが人材供給源になっている。アメリカは徹底した学歴社会であり、「学歴がある=他の分野でも使える」と考えられている。実際には素人を登用して手痛い目にも度々遭っているのだが、それでもこの慣行は建国以来あまり変わっていない。失敗から学ぶ能力もあるだろうということを含めて制度が維持されていると考えるしかないが、実際に失敗を生かす方法は総じて見事である。翻って、我が国では同じ失敗は幾度となく繰り返される。

 また、確かにアメリカの議員数は日本より少ないが、アメリカは選挙によって選出される公職が中央地方を問わず非常に多い。一般的に知られているのは教育委員の公選だが、裁判官や検察官も選挙で選ばれる地域も多く、中には公開処刑の延長として死刑執行の立会人を選挙で選んでいる地域すらある。

 一方の日本では人材移動は簡単ではないし、経営者にしろ学者にしろ、一度辞めて政治の世界に挑戦した後元の職に戻ることは容易なことではない。判事や検事も含めて職業公務員出身者の場合、まず不可能だ。これでは、新規参入は制約されざるを得なくなる。学者から文部大臣となり、参議院議員を経て最高裁判所長官になった田中耕太郎判事は例外中の例外である。日本の最高裁判所の歴史は半世紀以上にのぼるが、田中長官を除いて国会議員・地方議員経験者が最高裁判事になったケースは皆無であり(下級裁判所の裁判官もないのではないかと思われる)、最高裁判事経験者が政治家になったケースもまた皆無だ。

 一方で、職業公務員には政治家と言うリスクを冒さなくても高度な政策立案などに携わるチャンスが大きくなるから、優秀な人材が集まる。我が国の政治家が低レベルな義理人情の切った張ったをやっていても行政運営ができたのは官僚機構によるところが大きい。

 最近は「官僚不信」によって「政治主導」が叫ばれることが多くなった。私も、硬直化した官僚機構よりも民意の洗礼を受ける政治家が主導権を持つことに賛成であるが、与野党ともにどのようにして政治主導を担う人材を養成するのかというビジョンは持っていないのではないか。選挙に当選するためにどぶ板を命令することが「人材育成」とは到底思われない。圧力団体や地域ボスとの縁を結び彼らの意見を行政に伝えることはできようが、広い視野や思考力を磨く機会を得ているかと言うと疑問である。それでも陣笠議員野党議員として議会での経験を通して勉強して行く余地は残されているが、議員数の削減を行えばそれも難しくなる。

 人材はただちに登用して役に立つケースの方が例外であり、しかも適所があるからといって使える適材が常にいるとは限らない。また、適材がいても適所が塞がっていれば活用することはできない。使われない適材が流出することは、間違いなく組織の衰退につながる。人材を育てプールしておくシステムを持つことは一見すると無駄飯を食わせているように思われるが、人材育成と活用という視点で見ればむしろ合理的なシステムであると言える。

 古代に遡れば、春秋戦国時代の諸侯は食客という人材をプールしておく機関を持っていた。始皇帝の中国統一を支えた宰相として名高い李斯も当初は秦の相国であった呂不韋の食客であり、そこから抜擢されて活躍した。ちなみに、李斯は秦の出身ではなく秦のライバル国であった楚の出身だが、門閥政治のまかり通る楚では倉庫番という下級役人にとどまり、秦に流れて能力を発揮した。適所がなければ人材は簡単に失われるし、それによって取り返しのつかない事態を招く好例であろう。

 適材適所という考え方は、実は地縁血縁がまかり通る世界の住人ほど理解するのが難しいものである。何故ならば、能力はその能力を発揮するようなポストを与えなければ発揮されないし、従前能力を発揮するようなポストに恵まれなかった者の能力を計るのは簡単ではない。限られた情報で判断してポストを与えるのは非常に難しいし登用する側にとっても勇気が必要である。ただし、ミスマッチは非常に多いから、掘り出し物は意外に多い。ルネサンス期のイタリアにしろ、春秋戦国時代の中国にしろ、この手の掘り出し物として出て来た人材を活用できたか否かによって優劣がついている。一方、地縁血縁による登用となると属性は一言で分かるから、難しいことを考えなくとも安心することができる。この安心の味を一度覚えてしまうと、そこから脱却するのは容易なことではない。

 もし、議員を削減し議会を「人材をプールする場ではない」と位置づけるとすれば、何処で人材を育てていくつもりなのか。議員数の多寡だけでなく、行政府に対する人材供給の観点からも議論が必要ではないかと思われる。

2012年1月17日 (火)

蔡英文主席の敗北宣言

                蔡英文

 今回の台湾総統選挙は中国大陸でも注目を集めた。中国政府は「親中派の馬総統が再選されたので、台湾は中国に飲み込まれるのを歓迎している」と言いたいようだが、そうは問屋が降ろさない。投票日から二日経ってもなお大陸では総統選挙への注目が続いているようだ。民主的な選挙をこれほど「身近」に感じると言う機会は今までになく、大陸人民に一種のカルチャーショックを与えているようである。

 中国政府が「国家を分裂させる売国奴・漢奸」として扱っている民進党の蔡主席の評価も変わってきている。「台湾には反対を唱える声が必要」「泣いても構わない。だが、気落ちする必要はない」と語った敗北宣言に好感を抱いた大陸のネットユーザーは少なくないようだ。そもそも、中国では「負けた」政治家が敗戦の弁を述べることはできない。そもそも選挙がない上に、胡耀邦総書記や趙紫陽総書記など、失脚した政治家はひっそりと消えていければいい方で、劉少奇主席や彭徳懐元帥のように「なぶり殺し」にされて悲惨な末路を迎えた者も珍しくないのだ。「敗北宣言」ができるということ自体、大陸人民にとっては驚きであったろう。

 蔡主席は総統選挙敗北の責任を取って民進党主席を辞任することを既に発表している。しかし、陳水扁政権末期にボロボロになった民進党を立て直して総統選挙で健闘したことは評価されるであろう。民進党初期のメンバーである陳水扁元総統は獄中にあり、謝長廷元行政院長や蘇貞昌元行政院長は今回の立法委員選挙で落選している。陳水扁政権を支えた呂秀蓮前副総統、游錫堃元行政院長、張俊雄蓮舫前大臣の親戚である陳唐山元総統府秘書長らも第一線を退きつつある。そろそろ、民進党も世代交代の時期を迎えるであろうが、蔡主席はまだ若い上に陳水扁政権で要職も経験している。次の総統選挙の総統候補になるかはともかくとして、直轄市長などでまだまだ出番はあるのではないか。

 結果的に、今回の総統選挙は馬総統と蔡主席のどちらが勝っても台湾の勝利であり、大陸の敗北になっていたと言えそうである。

2012年1月15日 (日)

台湾総統選挙・立法委員選挙開票結果

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 14日に投開票が行われた台湾総統選挙では、国民党主席で現職の馬英九総統が民進党主席蔡英文元行政副院長と親民党主席の宋楚瑜元台湾省長を破り、再選を果たした。得票は馬総統が689万票に対して蔡主席は609万票で、民進党がボロボロの状態で臨んだ2007年の総統選挙よりは復調したものの、現状維持派の多い台湾住民は着実な実績を挙げて来た馬総統に引き続き台湾の舵取りを託したと言える。2000年総統選挙で無所属ながら当選した陳水扁総統に肉薄した宋主席は39万票を獲得したにとどまり、往時の勢いを知る者にとっては信じられない凋落となった(既に2006年の台北市長選挙でも泡沫候補並みの得票ではあったが)。

 同時に行われた立法委員選挙では国民党は議席を大幅に減らしたものの64議席を獲得して過半数を維持した。民進党は40議席、親民党は3議席、2007年の選挙で全滅した台湾団結連盟も3議席を獲得した。立法委員選挙でも、馬政権と国民党は一定の評価はされたものの、「揺り戻し」と「牽制」は働いたように思われる。

 馬政権の成立と続投を支持していたのは中国だが、皮肉なのは馬総統が中台の交流を推進した結果、今回の総統選挙・立法委員選挙は、これまでになく大陸の住民が「総統選挙」と「立法委員選挙」に接する機会となった。この結果、自由と民主の定着した台湾の状況を大陸の住民が羨ましがる状況が生まれた。馬総統に「大陸反攻」を要求するネットの書き込みは御愛嬌としても、「同じ民族」「台湾解放」を教え込まれた大陸の若い世代の間には、「何故同じ民族なのに我々には自由も民主もないのか」「解放してもらいたいのは我々の方だ」という共産党政権への疑問の声が出始めている。

 中国政府は台湾を今の中国のようにすることを目標にしているが、今や大陸で「社会主義の勝利」を信じている者など皆無であり、むしろ大陸沿岸部の富裕層・インテリ層は「中国の台湾化」を望んでいる。中国政府が台湾政治に介入しようとすればするほど、結果的に自らの馬脚を現すと言う構図は実のところ1996年の総統選挙の時から本質的には変わっていない。大陸の一般市民に台湾との違いを見せつける結果となったことで、中国政府は独裁政権に対する不満の種を自らばら撒いたとすら言える。勿論、大陸の人々が全て台湾化を望んでいるわけもない。中国の田舎では地域ボスが党官僚と結んでやりたい放題をしているが、民主化や自由化が進めばこのヤクザとほとんど変わらない地域ボスや党官僚も消えていくことになる。今の中国政府・中国共産党幹部そのものが地域ボスと同様に民主化で「改革の対象」にされるべき存在だから、「中国の台湾化」の阻止に必死になることだけは確かだ。

 個人的に嫌な気持ちになったのは、日本で「総統は蔡主席、小選挙区は民進党、比例区は台湾団結連盟」に投票を呼び掛けるキャンペーンを行った者がいることだ。もし、中国から「小選挙区は民主党、比例区は民主党」などというキャンペーンがされたら間違いなく激怒しそうな人たちが同じことをしていたのだから呆れる。台湾の未来を決めるのは日本国民でもないし中国国民でもなく、台湾の国民である。

 これで、焦点は行政院長人事を含む新政権の布陣に移ることになりそうだ。現在の呉敦義行政院長の続投はあり得ない。と、言うのも呉行政院長は馬総統のランニング・メイトとして副総統に当選してしまったからだ。かつては副総統は行政院長と兼務することができたが、憲法改正によって兼務が認められなくなった。李登輝総統の副総統として当選した連戦行政院長が副総統兼行政院長として兼務した最後である。行政実務を担当するのは行政院長であるから、新たな行政院長にどのような人物を充てるかによって、今後の馬政権の動きも見えてくることになる。

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