« 2012年6月10日 - 2012年6月16日 | トップページ | 2012年6月24日 - 2012年6月30日 »

2012年6月17日 - 2012年6月23日

2012年6月23日 (土)

沖縄戦慰霊の日

                    

 6月23日は沖縄戦が終わったとされる慰霊の日である。沖縄の基地負担の問題と関連させて「沖縄の悲劇」として伝えられることも多い。

 沖縄からの基地撤去は国際情勢を見ていれば現実的ではない(沖縄を中華人民共和国に回収させるつもりならば別だが)が、第二次世界大戦での沖縄の悲劇は誰しもがみとめるところである。実際に「日本本土」が戦場になってしまった沖縄戦から、後世の我々が学ぶべき教訓は多い。

 そうした努力をしないのならば、我々は戦争を「後悔」しているだけで「反省」していないことになる。悲劇を「反省」しないとき、同じような新たな悲劇が生まれるものである。

2012年6月21日 (木)

エジプト大統領選挙

                

 エジプト大統領選挙は決選投票の結果、イスラム原理主義勢力ムスリム同胞団の推す候補者が勝利した。ムスリム同胞団はイスラム原理主義勢力の中では穏健派ではあるが、それでもイスラム法にもとづいてエジプトを再編すべきだと説いている。ムスリム同胞団が多数を占める議会は選挙の無効によって解散されているものの、議会選挙が行われれば相応の勢力を再び議会に持つことは確実視されている。

 難しいのは、エジプトが決してイスラム教徒だけの国ではないと言う事だ。無視できない数のコプト教徒という正教の一派であるキリスト教徒が暮らしている。エジプトは古代の多神教時代を経てローマ帝国の元でキリスト教化され、ローマ帝国東西分裂後は東ローマ帝国に属した。この東ローマ帝国を破ってエジプトに侵入してきたのがアラブ・イスラーム勢力であり、以後エジプトのキリスト教徒は「庇護民」としての二等市民の地位に甘んじることを余儀なくされてきた。としても、経済界でも相応の力を持ち、長年に渡り信仰を守ることは認められてきた。しかし、原理主義的なイスラム勢力が政権を握れば、彼らに認められてきた権利すら剥奪されるおそれなしとしない。確かに伝統的にイスラム教は他宗教特にキリスト教やユダヤ教に対しては、彼らがムスリムにしたよりははるかに寛容であったし、今も基本的には寛容である。しかしながら、イスラム教を国教とし異教徒が国内に住むことを認めていないサウジアラビアのような国もある。

 エジプトはヨーロッパから近いこともあり、観光が盛んであるが、イスラム原理主義勢力が支配する国がヨーロッパの観光客にとって居心地がよかろうはずもない。観光産業の推進どころか、古代エジプトの遺産も「唾棄すべき多神教時代の残滓」として、破壊の対象にされかねない。バーミヤンの大仏がタリバンによって破壊されたことを思い返せば、エジプトの遺産とて将来的に無傷であると言い切ることはできないであろう。

 ただし、イスラム勢力の政権掌握が懸念されていたイスラムによる統治の方向に進まず、諸外国の懸念を裏切って国家の飛躍に結び付いた例もある。トルコではイスラムを掲げる政党である公正発展党が与党であるが、この党はイスラム色が強すぎるとして国内外に懸念を持たれながら与党になった。しかし、その後はイスラム色を強制するような政策は取らず、ヨーロッパ世界とイスラム世界の橋渡し役を買って出ることで国際的な地位を飛躍的に高めている。経済的にも順調だ。しかし、トルコ革命後国民の教育レベルを高めてきたトルコと、初等教育すらまともに施せない状態であるエジプトでは、当面は比較にもなるまい。加えて、エジプトは富が一部の特権階級に集中しているから、国民全体のレベルアップとなると容易なことではない。イスラム原理主義勢力の政権掌握によって西欧型民主主義実現の機会は遠のいたと見られているが、仮にエジプトの現状のまま西欧型の民主主義を移植したとしても、ポピュリズムとばら撒きと腐敗の蔓延するフィリピンのようにでもなるのが落ちであっただろう。

 中東の大国であるエジプトの新大統領には、国内の混乱の収拾と、革命の原動力となってきた富の偏在と貧困への対処が求められている。その手腕に注目しつつ、この古い国の行く末を見守りたい。

2012年6月19日 (火)

ギリシア総選挙

                Julius Caesar Coustou Louvre MR1798.jpg

 あなた方は偉大な先祖のお陰で、何をやっても最後には許される。

 

                       アテネ市民に対して   ガイウス・ユリウス・カエサル

                                                  (紀元前100年~紀元前44年3月15日)

 新内閣の組閣もままならず再選挙となったギリシアでは、EU残留と緊縮策を支持するグループが過半数を確保できる情勢となり、ともかくもギリシアのEU離脱というシナリオは消えた。ギリシア発の世界恐慌もささやかれてきただけに、胸をなでおろした市場関係者も多いのではないか。

 それにしても、ギリシア人は流れる血は入れ替わってきたにせよ古代ギリシア時代から伝統的に各個の独自色が強く、団結とは無縁の人々であったが、今回の危機でもそれが実証されることとなった。オリンピックの時には確かにポリスと呼ばれる各都市国家は休戦していたが、裏を返せばそれ以外の時は戦争ばかりやっていたということである。長いギリシアの歴史を見ても、ギリシア中が団結できたのは紀元前492年にペルシアに攻め込まれたペルシア戦争と、1882年の独立戦争の僅か二回くらいしかない。

 一方で、古くからヨーロッパ文明の母胎とされてきたところでもあるから、何をやらかしても最後は「偉大な先祖」のお陰で許されてきたという歴史もある。それを2000年前に皮肉ったのはカエサルだが、彼が現代に生きていたとしても同じような皮肉を言ったことだろう。EU離脱がささやかれても、ヨーロッパは最後にはギリシアを救済するだろうと言われたものだ。

 ただし、ギリシアの前途は相変わらず多難だ。EUに残留できるとしても緊縮策でギリシア国民の生活は更に逼迫することが見込まれている。職もなく、年金も減らされ、どうやって生きていけばいいのかと頭を抱えている国民は多かろう。そして、緊縮策の上では新たな産業を興せる見込みもなければ、ギリシア伝統の観光業が更に活性化する見込みもない。八方ふさがりというところだ。ギリシア国民としては最早止まるも死、進むも死という心境だろう。ギリシアが国を立て直すのは容易なことではない。 

2012年6月17日 (日)

割増賃金の支払いが何故「非常識」扱いなのか

 兵庫県姫路市が職員に支払っていた時間外・休日労働に関する割増賃金が高額すぎるとして「市職員の常識は市民の非常識」というタイトルの記事が産経新聞に掲載された。その理由は、民間労働者の賃金が減少傾向にある中で青天井に支給するのはおかしいのだという。

 そもそも、「時間外・休日」に労働させることは「違法」なのであって、労使協定の締結など適正な手続きを踏み割増賃金を支払う事で違法性が失われるに過ぎない。残業代が「青天井」というのも変な話で、国や自治体の人件費にも上限があって「青天井」ではない。ただし、民間であろうが官公庁であろうが予算や人件費の制約があろうがなかろうが支払い義務を負う事になるから、自治体で不払い残業が行われている場合には自治体は不払い分の「債務」を負っていることになるし、労働者から請求された場合は支払の義務がある。

 姫路市の件で異常なのは残業代が年300万円を越えている者が10人もいることで、一体どのような人員配置で働かせているのかと首をかしげたくなる。公務員削減で長時間労働が恒常化しているという指摘があるが、基本給に匹敵するような残業代が発生するほどとなると、健康状態などが心配される。使用者としては、割増賃金を払うだけで全てが免責されるわけではないのは言うまでもない。

 恐ろしいのは、時間外・休日労働に関して「民間は割増賃金を支払わないのに公務員が受け取るのはおかしい」という理屈が広く見られることだ。官公庁が堂々と違法行為をやるようになったら世も末である。割増賃金不払いの方が非常識ではないのか。

« 2012年6月10日 - 2012年6月16日 | トップページ | 2012年6月24日 - 2012年6月30日 »