エジプト大統領選挙
ムバラク政権崩壊後も混迷の続くエジプト大統領選挙は第一回投票で当選者が決まらず、上位2名の決選投票に持ち込まれた。しかし、どちらが勝っても前途は多難と言うしかない見通しである。
エジプト革命で成立したナセル政権はサダト、ムバラクと引き継がれる中で腐敗し、エジプトかつて革命派が追い出した筈のファラオがやっていたことと大して変わらないことをやる国になってしまった。この点は、中国も同じようなところがあるが、いずれにせよ皮肉としか言いようがない。
チュニジアにはじまる「アラブの春」は、エジプトでも革命に発展し、30年に渡って君臨していたムバラク政権は崩壊した。その原動力となったのは若者とりわけ学生であった。インターネットを使いこなし、欧米の民主主義を知る層である。彼らは自国の改革のために命がけで立ちあがった。そして、革命は成功した。
しかし、ムバラク政権崩壊後のエジプトでは「イスラム法による統治」を主張するイスラム原理主義勢力が台頭し、議会での多数派を形成するに至る。これに危機感を抱く旧政権と近かったエジプト財界は、ムバラク政権の元高官を支援する。結果として、決選投票はこの二大勢力の間で行われることになった。
皮肉な話だ。イスラム原理主義勢力の主張する「イスラム法による統治」では、自由や民主主義は存在しない概念と言っていい。実際にはエジプト国民がイスラム法による統治を望んでいるというわけでもなく、イスラム勢力は言うなれば「福祉のばら撒き」で国民の支持を得て勢力を拡大したと言うのが実態である。もともとイスラム教はその組織の中で福祉団体的要素を創成期から持っており、中世のイスラーム社会は同時期の中国やヨーロッパに比べて弱者に対して実に手厚い保護がなされていた。これは現代のイスラム団体にも受け継がれており、パレスチナでヒズボラが支持を集めていることもそのあたりに要因がある。しかし、国民というものは福祉を受けることに満足しても、その福祉を与えている者が何を企んでいるのかについては思い至らない者が多い。
また、エジプトは古代ローマ帝国時代にはアレキサンドリアの総主教座があり、アラブ・イスラームによって征服された後もキリスト教の信仰は守られ続けてきた。現在にも多くのコプトと呼ばれるキリスト教徒が住んでいる。千数百年に渡って「二級市民」扱いこそされてきたものの、世俗統治のもとでは信仰を守ることや財産も保障されてきた。しかし、原理主義勢力が政権を握れば、「異教徒抹殺」というような過激な方向にも進みかねない。
一方で、旧政権で甘い汁を吸ってきたエジプト財界側も、富を独占できる制度を変える気はなく、この点で「民主主義は早すぎる」と主張している。そして、政治を安定させてこそ経済は伸びると言っているが、実際のところ第二次大戦後にエジプトに対して行われた有形無形の国際社会の援助は大部分が彼らの懐に消えた。自由や民主が保障される社会になれば、不利益を被るのは目に見えており、彼らはそれを恐れている。
こうして見ると、結果的にどちらが勝ってもエジプト国民が自由と民主を享受できる日は遠そうだ。学生たちは、言わば言いように使い捨てられた感すらある。