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2012年5月27日 - 2012年6月2日

2012年6月 1日 (金)

エジプト大統領選挙

                     エジプトの国旗

 ムバラク政権崩壊後も混迷の続くエジプト大統領選挙は第一回投票で当選者が決まらず、上位2名の決選投票に持ち込まれた。しかし、どちらが勝っても前途は多難と言うしかない見通しである。

 エジプト革命で成立したナセル政権はサダト、ムバラクと引き継がれる中で腐敗し、エジプトかつて革命派が追い出した筈のファラオがやっていたことと大して変わらないことをやる国になってしまった。この点は、中国も同じようなところがあるが、いずれにせよ皮肉としか言いようがない。

 チュニジアにはじまる「アラブの春」は、エジプトでも革命に発展し、30年に渡って君臨していたムバラク政権は崩壊した。その原動力となったのは若者とりわけ学生であった。インターネットを使いこなし、欧米の民主主義を知る層である。彼らは自国の改革のために命がけで立ちあがった。そして、革命は成功した。

 しかし、ムバラク政権崩壊後のエジプトでは「イスラム法による統治」を主張するイスラム原理主義勢力が台頭し、議会での多数派を形成するに至る。これに危機感を抱く旧政権と近かったエジプト財界は、ムバラク政権の元高官を支援する。結果として、決選投票はこの二大勢力の間で行われることになった。

 皮肉な話だ。イスラム原理主義勢力の主張する「イスラム法による統治」では、自由や民主主義は存在しない概念と言っていい。実際にはエジプト国民がイスラム法による統治を望んでいるというわけでもなく、イスラム勢力は言うなれば「福祉のばら撒き」で国民の支持を得て勢力を拡大したと言うのが実態である。もともとイスラム教はその組織の中で福祉団体的要素を創成期から持っており、中世のイスラーム社会は同時期の中国やヨーロッパに比べて弱者に対して実に手厚い保護がなされていた。これは現代のイスラム団体にも受け継がれており、パレスチナでヒズボラが支持を集めていることもそのあたりに要因がある。しかし、国民というものは福祉を受けることに満足しても、その福祉を与えている者が何を企んでいるのかについては思い至らない者が多い。

 また、エジプトは古代ローマ帝国時代にはアレキサンドリアの総主教座があり、アラブ・イスラームによって征服された後もキリスト教の信仰は守られ続けてきた。現在にも多くのコプトと呼ばれるキリスト教徒が住んでいる。千数百年に渡って「二級市民」扱いこそされてきたものの、世俗統治のもとでは信仰を守ることや財産も保障されてきた。しかし、原理主義勢力が政権を握れば、「異教徒抹殺」というような過激な方向にも進みかねない。

 一方で、旧政権で甘い汁を吸ってきたエジプト財界側も、富を独占できる制度を変える気はなく、この点で「民主主義は早すぎる」と主張している。そして、政治を安定させてこそ経済は伸びると言っているが、実際のところ第二次大戦後にエジプトに対して行われた有形無形の国際社会の援助は大部分が彼らの懐に消えた。自由や民主が保障される社会になれば、不利益を被るのは目に見えており、彼らはそれを恐れている。

 こうして見ると、結果的にどちらが勝ってもエジプト国民が自由と民主を享受できる日は遠そうだ。学生たちは、言わば言いように使い捨てられた感すらある。

2012年5月31日 (木)

社会政策学会

 昨年に引き続き、社会政策学会に行くことができた。駒沢大学で行われた今回も、友人の発表を聴くのがメインであったが、学会の資料を取り寄せるとなかなか興味深い発表が行われている。例えば、「公務ワーキングプア」や「派遣」について取り上げるものもあった。時間の制約はあったが、なかなか勉強になった一日だった。

 「社会政策」に相応しく政策的な話をメインにしている発表もあれば、統計データを羅列しただけのような発表もあり、そうしたところは学者それぞれの個性であると言える。ともすれば思考や行動が画一化されがちなサラリーマン社会とは対極にあるが、そのサラリーマン社会を熱心に分析しているのがこれらの学者なのだから、奇妙と言えば奇妙と言えるかも知れない。

 私としては、友人のは発表を聞いて今後の彼の学究に期待するとともに、取り組んでいる労働条件審査に関するいくつかのネタを仕入れることができたのが収穫だった。

2012年5月29日 (火)

「コンスタンティノープルの陥落」

            

 

 今日、5月29日は、1453年にローマ帝国の首都であったコンスタンティノープルが陥落した日である。

 このローマ帝国は「東ローマ帝国」「ビザンチン帝国」と呼ばれることが一般的だが、国号は最後まで「ローマ帝国」であり、国民はギリシア系が殆どになっていたが、あくまでも「ローマ市民」であった。

 この陥落の顛末を生き生きと描いているのが塩野七生の「コンスタンティノープルの陥落」である。無論、小説であるから、歴史研究者からは、一部に誇張や事実誤認があるとも指摘されている。しかし、読みやすく、物語には強くひきつけられるものがあり、私にとっては同じ塩野七生の著作である「ローマ人の物語」とともに愛読書になっている。

 私はイスタンブールを訪れた際、本書を携帯して、実際に戦闘の現場となった場所、物語に登場する場所を巡った。このため、本はかなりボロボロになっている。

 ローマ市内にあるフォロ・ロマーノを含む古代ローマの都心地域を歩いたときに感じたのと同じだが、「思ったより狭い範囲に様々な施設が集中している」ということである。

 イスタンブールは現在もトルコ共和国第一の都市であり、またローマ帝国滅亡後もオスマン帝国の首都として、トルコ共和国政府がアンカラに成立するまで使われていた。このため、ローマ帝国時代の建物などはほとんど残されていない。

 そんな中で、よく保存されているのが大聖堂「アヤ・ソフィア」である。ここはローマ帝国時代、国教であった正教(いわゆる「ギリシア正教)の総本山であり、かつてはここが世界のキリスト教の中心であった。オスマン帝国になってからは「アヤ・ソフィア・ジャーミィ」というイスラムの礼拝所に改造され、毎週の金曜礼拝には隣接するトプカプ宮殿からスルタンも礼拝に訪れる格式の高いモスクであった。トルコ革命後はムスタファ・ケマル・アタチュルクによって無宗教の博物館とされ、現在もキリスト教の聖堂であった面影を強くとどめている。内部に、漆喰で塗りつぶされたキリスト教時代のモザイクが再発見されて展示されているのは有名な話だが、十字架を削り取った跡なども見ることができる。

 東ローマ帝国側が金角湾を封鎖した時に使用した鎖は一部がトルコの軍事博物館に展示されている。この封鎖を破るためにスルタンであるメフメト2世が行ったのが有名な「艦隊の陸越え」である。艦隊を陸上を経由して封鎖された金角湾内に送り込み、不利であった海上戦闘を有利な方向に展開させた奇策であった。

 余談になるが、メフメト2世の「女色男色を問わない乱行」は史実であったようで、作中でも少年を愛でるBLまがいのシーンがある。少年愛はメフメト2世に限らずサラディンなどイスラムの世俗君主には広く見られた嗜好であったそうだ。もっとも、今のイスラムの君主からは考えられない趣味ではあるが。

2012年5月27日 (日)

変わりゆく国立大学

 久しぶりに大阪大学で行われている労働法プロジェクトに参加することができた。このプロジェクトは大阪大学の小嶌先生が主催されている勉強会で、毎月一回土曜日の午後に3時間半程度かけて判例や労働法の動向について解説が行われる。大阪大学にいた頃は毎回楽しみに参加したものだが、大学を離れてからはなかなか大阪まで行く時間を取ることができず、ようやく参加することができた。

 久しぶりに大阪大学に行ってみて驚いたのは、随分キャンパスの雰囲気が変わった事である。何と言っても、垢ぬけてきた。確かに、「国立大学」らしい古びた建物も随分残っているのだが、同時に美しいキャンパスに改造しようとしているようで、赤レンガ調の敷石にしたり、ランチでも楽しめそうな芝生を作ったりしている。学生募集のためのイメージアップかどうか分からないが、私立大学の真似をしているという印象が強かった。「国費」を投じられてきたがゆえに無駄遣いは許されないと言われてきたものだが、イメージアップも今や「無駄遣い」扱いはされないということか。学生募集に有利と言われてきた旧帝国大学であっても、学問と研究の上にあぐらをかいているというわけにはいかないようだ。

 それにしても、悲哀を感じるのは大学と言う場を離れてしまうと入ってくる情報の質が格段に落ちると言う事。かつては年金一つを取っても社会保障制度や労働制度と関連して制度そのものの来し方行く末を考えることができたが、今やそのような環境にはない。一日ごとに学んできた「貯金」を使い果たしている気分だ。実務にかかりきりになっていると制度の問題点に目を向けて考えている余裕がなくなるのは労務管理や労働法の分野でも同じことで、ケースごとに処理して行くことは上手くなるが、自分自身の知的レベルは明らかに下がったなと感じる。

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