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2012年5月13日 - 2012年5月19日

2012年5月19日 (土)

アメリカ大統領選挙と同性婚

                     

 もし男が女と寝るように男と寝るなら、ふたりは忌みきらうべきことをしたのである。彼らは必ず殺されなければならない。

                        ヘブライ語聖書 レビ記20:13

 オバマ大統領が同性婚に対する支持を表明する一方、ロムニー候補が同性愛者を忌み嫌い高校時代にはゲイ学生の髪を切るという行為をしていたことが暴露されるなど、大統領選挙を控えて両候補のこの面での考え方が見えてきたと言える。今のところ選挙情勢を大きく変えるほどの影響は生じていないようだが、同性愛者に対する対応は長らくアメリカでひとつの争点になってきた問題である。

 もともと、アメリカは保守的な思想が主流であり、同性愛者は変態扱いされればいい方で、多くの州では刑事罰をもって臨まれてきた。しかしながら、同性愛を禁止する刑事法が合衆国憲法に違反するという意見が示されたこともあって、20世紀も半ばを過ぎてからこうした法律は徐々に姿を消している(一方で、議論もなく規制を廃止しても大して意味がないと思われたのか、獣姦に関する禁止規定が意外にも各地で残っている)。としても、こうした動きは主に都市部から出てきている。

 アメリカと言う国は日本人が思っている以上に田舎だ。私がワシントンDCを訪れた時、郊外に足を延ばしてみたが、地下鉄で少し走るだけで田舎の風景が広がっているのには驚いた。ワシントンはメリーランド州とバージニア州に挟まれた小さな土地で、私が足を延ばしたのはバージニア州の方だったが、ここは植民地時代以来伝統的な南部の農村地域である。

 アメリカの田舎でまず目立つのは大きな教会だ。地域コミュニティの中心になっていると言う点では、かつての我が国の神社と氏子集団を思わせるところがあるが、神道はそれが国家神道になっても明確な教義や聖典を持たなかったのに比べ、キリスト教は聖書と言う聖典を持っている。そして、保守的な地域では聖書の保守的な解釈が行われ、「神の意志」をもって保守的な思想が正当化される。日常的にコミュニティの中心として教会が使われ地域住民が顔を合わせているのだから、キリスト教による裏付けを持った保守思想を地域社会に対して浸透させるには大して障害はなかろう。

 キリスト教保守派の思想では、同性愛は死に値する罪であり、少なくとも天国は確実に約束されていない。ロムニー候補としては、さすがに同性愛者に対する暴力沙汰が暴露されるのは困るのだろうが、同性愛者のカップルに公的な立場を与えないことを約束することによって、キリスト教保守派票を固めたいところだろう。キリスト教保守色の強い農村特に南部の農村はかねてより共和党の地盤である。

 一方で、オバマ大統領の思惑も明らかだ。同性婚の推進と言う立場を取ることによって、都市部中心の高学歴・リベラル派の票を取り込むことを狙っている。おおむね、都市化した高学歴層はアメリカでも同性愛など性的マイノリティーに対して寛容であるのに対して、農村部では我が国の農村部と同じく独身者は白眼視されるし、あまり自分の頭では考えない傾向にある(だからこそ、生活規範に神の名で回答を出してくれている聖書と言うものは便利な存在だ)。同性愛者に対する対応だけで明確な色分けをすることはもちろんできないが、日本ではあまり考えられない選挙の争点であり、アメリカ社会と宗教思想の問題を垣間見せてくれる。

 さすがに、オバマ大統領が再選されたからと言って日本にも同性婚の法制化を求めてくることはないだろうし、ロムニー候補が当選したら同性愛者をトーラー(律法)の規定通り死刑に処すということもあり得ない。しかし、日本の自称「保守」はこうした背後関係をあまり考えずに共和党を支持する傾向があるし、リベラル派も同様だ。

 また、アメリカで「保守」「共和党」と一口に言っても、中国や北朝鮮に対して強硬な姿勢を示し日本との同盟関係を重視している勢力ばかりではない。19世紀のモンロー主義を復活させ、アメリカはアジアどころか世界から完全に手を引き、対日関係でも日米安保条約を破棄して米軍基地を全廃すべきだという勢力もある。これから本選挙に向けて、じっくり両党の大統領候補の言動を見ていく必要があるのではないか。

2012年5月17日 (木)

上に政策あれば下に対策あり

 上に政策あれば下に対策あり

                   中国の諺より

 福山で発生したホテルプリンスの火災は宿泊客多数が犠牲となる痛ましいものとなった。このホテルは防火対策をめぐりかねてより当局から再三に渡る指導を受けながら「金がない」などと言い続けて今回の惨事を引き起こしている。危険を放置していた経営者の責任は厳しく問われなければならない。

 私が唖然とするのは同じように惨事を招いた陸援隊の事件との類似性だ。いずれも、処罰規定が甘いか全くないことを奇貨として、安全対策を怠っていた。大惨事を引き起こしてからはマスコミをはじめとする「世間」は一斉に彼らを叩いている。しかし、事故を起こすまではどうだったのか。

 格安バスについては「規制緩和」「価格革命」「庶民の味方」と持ち上げていたのはマスコミであったし、そうした企業の商品を選択していたのは消費者である。安全性や労働基準を問題視する声は「社会主義的」「規制緩和に反する」などと言われて「守旧派」扱いされていたのが実情であった。所謂ラブホテルについては、風紀を害するとして市民派は反対し、マスコミも行政もこれに乗った。しかし、住宅事情の劣悪な伝統を持つ我が国では歌垣まで遡らずとも江戸時代の待合に見られるように、居宅外にてしかるべく枕を交わす施設を必要としており、行政も規制の一方で抜け穴を多数用意していた。劣悪な安全性のホテルであっても生き残ってきた背景としては、新規出店を規制したことによる一種の既得権益化であり、新築できないことにより施設を使い続けなければならず、そうした事情を考慮してか行政も甘い対応しかしてこなかったことが大きい(こうした経営者と行政がひそかに情を通じこれを利用して双方が利を得ていると言う指摘がかねてよりなされている)。

 中国の諺に「上に対策あれば下に対策あり」というものがある。上はタテマエで政策を作るから、庶民は生き残るために対策を立てて抜け穴を作り、それで社会がなあなあになっているというものだ。まさに、今回の火災事故はこれと同じである。

 大惨事が起きて右往左往したところで、喉元過ぎれば熱さを忘れてしまうのが世の常である。しかし、被害者になりたくなければ、まずは前提になっているものを疑ってみることから始める必要がありそうだ。

2012年5月15日 (火)

陸援隊事件

 4月29日に関越自動車道で起きたバス事故において、使用者である陸援隊に山のような労働基準法違反が報じられている。事故との直接の因果関係は今後の捜査を待たねばならないが、少なからぬ交通関係の事故が労務管理上の問題に因をなしていることを思う時、杜撰な労務管理が事故を引き起こしたと見られるのも致し方ない。

 バス運転手やトラック運転手などの運送業界の問題はかねてより指摘されてきたところだが、捜査機関は余りにも無力であった。労働基準監督官はこの分野の取り締まりの専門家の筈であり特別司法警察職員として捜査権を認められているが、実際に発動された例はほとんど聞かない。検察官も労働基準法違反事件で起訴すると言う権限はあるが、実際には起訴猶予になることすら稀である。無論、検察官は労働法の知識を余り持っているとは言えないが、勉強して取り締まるのも彼らの仕事の筈だ。

 捜査機関がこの有様では、端的に言って「悪い事でもやったもの勝ち」と考える連中が跋扈するようになるのは自然のことではないか。社会保険料の強制徴収の問題もそうだが、捜査機関が野放しにしているのは異常だ。「労働基準法を守っていては仕事にならない」「社会保険料を納めたら会社がつぶれる」というのは毎度の逃げ口上だが、これでは真面目な事業主が市場競争で不利になる。捜査機関が間接的に悪事を許容してしまっているのだから、これはもう怠慢だ。

 今回の事故は痛ましいものであったが、この企業と経営者と運転手だけを悪者にして処罰すればそれで済むと言うものではない。無責任な悪人にやりたい放題を行う事を許容してきた司法機関・捜査機関も深く反省すべきである。

2012年5月13日 (日)

プーチン大統領就任

                   Vladimir Putin 12015.jpg

 5月7日にサンクトペテルブルグモスクワで即位式就任式が行われ、プーチン元大統領がツァーリに即位大統領に就任した。今期からロシア大統領の任期は6年に延長されているので、2期つとめるとすれば2024年まで大統領に君臨すると見られている。

 2000年にエルツィン大統領の後任として大統領に就任、しソ連崩壊後に混迷を極めたロシアの立て直しに手腕を発揮した。このため、国民の人気は高かったが、ロシア大統領は2期8年までと憲法で定められているため2008年の大統領選挙には出馬できず、メドベージェフ前大統領を「身代わり」に立てて自身は首相に就任した。今回は憲法の規定をクリアするとともに改正して大統領の任期を4年から6年に伸ばしており長期政権を視野に入れたものであることは疑いようがない。

 プーチン大統領の強権的な手法はロシア国内外で問題視され続けてきたが、一方で「強いロシア」を復活させたという点で、ロシア国民の自尊心を満足させた。この「強いロシア」は中央集権と財閥に支えられた体制であることを見落とすわけにはいかない。ロシアがソ連崩壊後の地方分権で混迷を極めた反省なのか、或いは権力を一手に握りたいのかはともかく、中央集権国家が偉大な「君主」を持った時は大変効率的な運営を行う事になる。言うまでもなく、中国は中央集権国家だし、韓国も中央に権力が集中している。北朝鮮に至っては「君主」以外は全員が奴隷の国と言える。こうした国に「分権思考」で日本が対抗して行けるのか、ますます我が国の将来は不透明なものとなったと言えるのではないか。

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