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2012年1月8日 - 2012年1月14日

2012年1月14日 (土)

野田改造内閣

 野田総理は内閣改造を行い、岡田元幹事長を副総理として入閣させるなど、社会保障と税の一体改革すなわち増税に向けた布陣を整えた。そして、新政権発足時と同様に「適材適所」と胸を張った。確かに、松原拉致問題担当相などは長年この問題に取り組んできただけに、適任と言えよう。しかし、田中防衛相は参議院の外交防衛委員長という経験はあるものの、田中真紀子元外相の夫と言うことを抜きにしてもどうも存在感の薄い人物で、率直に言って意外の感が強かった。しかも防衛大臣の主任務は沖縄の振興ではなく日本の国防と東亜の安定であるべきで、正直不安ではある。

 「無知」を誇った一川前防衛相やさながら泥棒に泥棒の番をさせるるかの印象を持たれていた山岡消費者担当相を引き合いに出すまでもなく、自民党政権時代から「適材適所」で発足した内閣が閣僚の無知や経験不足を曝け出すことは毎度のことであった。民主党政権は多少目に余るが、民主党のみ非難するのはいささか片手落ちと言うべきであろう。

 そもそも、省庁再編で閣僚と官庁が削減・統合された結果、各省庁は広い範囲を扱わねばならないことになっている。例えば厚生労働省関係では、年金と労働を同時に扱わねばならないが、双方に精通している人材を探すのは極めて困難であるし、年金問題や労働問題は注目はされている分野だが難しいこともあって有権者はあまり理解しようとしない。私も年金問題を話したら「難しすぎて上から目線に見える」と言われたことがある。その有権者に迎合しなければ政治家は当選できない以上、専門性を持つこと自体非常に難しいように思われてならない。

 しかも、野党的立場から政策提言してきた人物が、官庁のトップとして適性があるかもまた別問題である。営業マンとして優秀な人を営業課長にしたら役に立たなかったということはどの会社でもあることだろう。そうすると、任命は無論適材適所になるように知恵を絞ることは当然であるにせよ、閣僚任命の場合でも人材のミスマッチは避けられまい。

 そう考えると、不適格な閣僚は早目に交代させ、多少思考錯誤しながら政権運営に必要なチームとして内閣を構成して行くと言う方法の方が、必要な人材を適所に配置できるのではないかと思われる。内閣総理大臣に必要なのは無知蒙昧な閣僚がいることについて任命責任を問われるのを恐れて庇い続けることよりも、むしろ適性なき閣僚をすみやかに交代させる勇気を持つことではないだろうか。

 自治体のトップも同じで、任命した副市長をある程度働かせてみて適性なしと判断すれば、配置転換する勇気を市長は持つべきであろう。野党や議会も、単に任命責任を追及して失点を狙うよりも、問題点を指摘し、その人物をより活用できるポストに転換できるよう指摘することのほうが組織の健全化を謀る上では進歩的と言えまいか。

2012年1月13日 (金)

NHK大河ドラマ「平清盛」

 NHK大河ドラマの「平清盛」の表現が「汚い」という趣旨の発言を兵庫県知事がしたことで物議を醸している。私も第一回放映を観たが、確かに綺麗なものではなかった。しかし、歴史的に見て平清盛の活躍した平安時代末期は政情不安に汚職、災害の頻発した「混迷の時代」であり、京の都も死人が溢れ路上に遺体が放置されていたそうである。大河ドラマは必ずしも歴史に忠実に描かれてきたわけではないが、少なくとも「混迷の時代」であることはよく描き出していた。逆に言えば、混迷の時代だったからこそ家柄よりも実力・腕力にものを言わせて平清盛は位人心を極めたわけで、時代背景の描き方としては「汚く見える」ことは決して間違ったものではないように思われる。

 時代劇がその人物や時代に対して間違ったイメージを植え付けてしまうことは珍しいことではない。暴君であった徳川光圀は「水戸黄門」のお陰で勧善懲悪の英雄にされてしまったし、赤穂浪士にしても同じことだ。最近流行りの韓国ドラマも問題で、李氏朝鮮をはじめとする歴代朝鮮王朝が美しく、豊かで平和な独立国として描かれてしまったことで、そうした平和な国を無茶苦茶にした倭奴(日本)は酷い奴であるということになり、日帝三十六年の恨みを更に深いものにする効果すら生んでいる。

 私は仙台の仕事を引き受けるようになってから愛知と仙台を頻繁に行き来しているが、飛行機を使う時も新幹線を使う時も仙台駅を必ず経由する。仙台駅でイベントが開かれていることも多いが、そこでオーケストラが演奏していたのは「独眼竜政宗」のオープニングテーマ曲であった。放映時も放映後二十年以上過ぎても、大河ドラマで作られたイメージは大きいものがあり、観光客誘致など仙台は未だにその恩恵を受け続けているように思われる。大河ドラマが町興しとリンクするようになったのは「独眼竜政宗」以来のことであり、私も「武田信玄」が放映された時には山梨県と長野県を訪れたものだ。

 平清盛は現在の国際貿易港である神戸港の原点を築いた人物であり、町興しを期待するのは自治体関係者である兵庫県知事としては無理からぬところもあったろう。アテが外れると言う思いもあったのではないか。

2012年1月11日 (水)

台湾人留学生殺害被疑者自殺事件

 東京で台湾人留学生二人を殺害したとして手配されていた被疑者が、愛知県で任意同行中に隠し持っていたナイフで自殺すると言う事件が発生した。被疑者は指名手配されており逮捕も可能な状態ではあったようだが、刑事法の原則は任意であるから、任意同行を求めその際に簡単な確認しかしなかったということで警察の不手際だと主張するのは酷というものであろう。

 確かに捜査機関は被疑者を裸にして肛門の中まで調べることがある。もっぱら、逮捕されて警察署か拘置所に連行された後のことだが、理由としては自殺防止や危険な品を持ち込ませないためだと説明されている。しかし、目的は正当であっても極度に羞恥心を害するような検査は許されるべきではなく、特に被疑者段階の者に行うのは人権侵害ではないかと言う意見も根強い。ましてや、指名手配されていたとは言え逮捕前の任意の検査であった。もし、自殺防止のため任意同行の段階でただちに路上で被疑者を丸裸にして調べることを容認するとなると、警察の業務が著しく遅滞するばかりでなく、被疑者の人権を著しく侵害することになるのは否定できまい。

 今回の事件では、自動車で連行中に突然ナイフを取り出して首に突き刺しているが、任意同行中に少しでも動いたらただちに取り押さえるとか手錠をかけるとかするのは酷な話である。そうした権限を警察に付与することが、捜査機関が「合法的」に被疑者に対して暴力を振るう機会を与えることにもなりかねない。

 そうすると、任意同行時点でいかにすみやかに危険物を見つけ出し取り上げることが重要になるが、これは強制のできるものではない。警察はコンテストまで行って任意同行や任意の事情聴取の「腕」を競っているが、今後はそうした危険物を確保するテクニックもまた必要になるのではなかろうか。

 いずれにせよ、自殺防止は重要であるものの、日本の刑事司法における人権侵害としてかなりの数が「自殺防止」を大義名分として行われ、それを指摘されて改善されてきたことに思いを致す時、自殺を防止できなかったという結果のみをもって警察の責任と断じるのは酷というものであろう。

2012年1月 9日 (月)

戸塚ヨットスクール事件

 愛知県美浜町にある戸塚ヨットスクールにおいて、9日午前に入所していた男性がヨットスクールにおける苦しさを理由に飛び降り自殺するという事件が起きた。戸塚ヨットスクールでは判明しているだけで近年毎年のように自殺者が出ており、この団体が本当に健全なのか否か、疑いの目を向けてみる余地は大いにありそうである。

 校長の戸塚宏元受刑者はヨット訓練によって多くの登校拒否や引きこもりを指導してきたと言われているが、体罰肯定論者として名高い戸塚元受刑者の指導にのもと1980年代には死亡・行方不明・傷害致死と言った事件が起きている。この一連の事件によって戸塚校長は懲役6年の実刑判決を受けて服役したわけだが、事件そのものを起こした反省はしておらず、出所後も同じようなビジネスを続けているところから見て、懲役刑と言う罰では反省させるには至っていないようだ。

 戸塚元受刑者は脳幹を鍛えればうつ病や癌などあらゆる病気が治ると主張していたようだが、少なくともこの「脳幹論」は国内外の病院や研究機関で追試は全くなされていない。もし、メンタル面に問題のある受講生に対して適切な治療を受けさせないまま彼らの言うところの「脳幹論」に基づく「スパルタ教育」を行っていけば、病状がより悪化して自殺に至るのは何の不思議もないことである。まじないで病が治ると言ってまじない以外に適切な治療を行わなければ罪に問われるのと同じことで、ここまで自殺が頻発する以上、この戸塚ヨットスクールという組織に問題があると考えるのは自然なことであろう。

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