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2012年4月29日 - 2012年5月5日

2012年5月 5日 (土)

「法的に問題がないこと」と「労務管理上問題がないこと」はイコールではない

 4月29日に関越自動車道で起きたバス事故において、事故発生当初から使用者が協調し続けているのが「違法なことはしていない」ということである。実際には、伝えられるところでは事故を起こしたバス会社は過去に何度も違法行為によって摘発を受けているので、違法行為はなかったと主張していても、多くの国民が疑いの目を向けているところではあるだろうし、実際に今回事故を起こした運転手は禁止されている「日雇い」形式の雇用である等、違法行為が多かったと言う話もちらほらと出てきてはいる。

 こうした使用者側の弁明で注意しなければならないのは、「法的に問題がないこと」と「労務管理上問題がないこと」はイコールではないということだ。法的な基準はあくまでも最低限度のものと言うのが一般的で、現実にはこの最低基準だけでは問題を処理できないことが珍しくない。例えば、賃金は最低賃金が定められているが、最低賃金だけで労働者にモチベーションを与えることは困難である。一方で、不眠不休の連続24時間勤務と言うのは法的には可能であるが、大抵の場合このようなことをすれば安全や効率という面で恐ろしい事になるから、大抵の使用者は災害などの特殊な場合を除いてまずそのような命令は出さないであろう。

 事故原因はこれから究明されることであり、その中では運転手の勤務状況についても事故原因として調査されることになるだろうが、法的な問題があったかなかったかだけでなく、労務管理上も適正なものと言えるものであったかが調査されなければならない。もっとも、労務管理が適正か否かという問題に関しては、かなりの部分が使用者のフリーハンドに委ねられていることも事実であり、司法がどこまで切り込めるかは現時点では何とも言えない。 

2012年5月 3日 (木)

憲法記念日

                   

 権利の保障が確保されることなく、権力分立が定められていないすべての社会は、憲法をもつものではない。

                                  フランス人権宣言第16条より

 今日は憲法記念日である。改憲派・護憲派ともに、様々な行事が催される。最近では自民党が憲法改正案を発表し、大阪維新の会やみんなの党も憲法改正を前提とした政策を打ち出すようになった。政権与党である民主党は改憲派と護憲派が入り乱れている状況だが、今の政治の多数派は改憲派になりつつあるように思われる。

 私も改憲には賛成の立場だが、今の改憲派の言い分を聞いていると、「憲法」をどれだけ理解しているのかと怪しくなるのも事実だ。すなわち、憲法を単なる国家の最高法規としか理解していない者が多すぎる。また、人権思想への理解が乏しいため、ともすれば人権保障を後退させようとしているのではないかと言わざるを得ない論も多い。

 確かに現行の「日本国憲法」はGHQが起草して日本政府に押し付けたものである。しかし、それをもってただちに憲法の規定まで反日的と考えるのは誤りだ。第9条は日本が再度力を持つことを恐れたことで盛り込まれた規定であろうが、他の人権に関する諸規定はやはり近代的意味の憲法を持つ上で必要なものではなかったか。

 西欧的な人権思想は日本も含む東洋の国家の伝統の中で醸成されてきたものではない。人権思想自体が、東洋諸国では存在しない概念であったとさえ言える。この点で、「憲法に日本の伝統が書かれていない」とか「日本の伝統思想に根差した憲法を作るべきだ」という主張は、そもそも近代立憲主義としての意味の憲法を全く理解していないと言う事になる。東アジアの民主主義国である台湾にしろ韓国にしろ、人権思想は結局のところ西欧から概念自体を導入せざるを得なかった。これは我が国も同じである。かといって、人権思想を捨てて封建思想にでも戻ったらどのようなことになるかは火を見るより明らかだ。

 最近発表された改憲推進各党の案を見ても、どうも理解した上で起草されているとは言い難いところが散見される。改憲派の前途に不安を感じている改憲派は私だけではなかろう。

2012年5月 1日 (火)

メーデー

 5月1日はメーデーである。日本では平日になっているが、世界のうち約80箇国では休日だ。メーデーを祝日にすべきだという意見は以前からあるが、日本には別途勤労感謝の日があるので必要性に乏しいとも言われ、祝日にはなっていない。このため、連合を中心としてほとんどの労働組合は5月1日前後の休日に大会を行う事が多いようだ。としても、未組織労働者の多い我が国ではメーデーと言われても自覚することはそもそも多くない。

 今年は5月1日と2日が平日になっているため、ゴールデンウイークは前後に別れてしまった。往々にしてこのような年は多く、「長期休暇」とは必ずしも言えない。しかも、盆正月とゴールデンウイークでは移動に時間とコストが平常よりかかるため、遠隔地の場合一日がかりの移動となる。これでは、休暇に時間とお金をかけるよりは家でゴロゴロという者が増えるのは道理であるし、余暇休暇を活用した消費は増えない。つまりは、金が回らない。メーデーを休日にすると、4月29日の昭和の日から5月5日の子供の日まで固定した休みが確保できるようになるため、休暇の予定も立てやすくなる。

 としても、これ以上祝日を増やすことに対する批判はある。我が国は先進諸国の中では祝日が非常に多い。つまり、これ以上祝日を増やすことはなまけている証拠だと言うのである。しかしながら、祝日が多い一方で我が国の年次有給休暇の消化率は非常に低く、付与日数自体もそもそも少ない。周囲が休まなければ強制的に休みにしてしまうという祝日のシステムは、我が国の労働慣行にむしろ適合したものと言えないだろうか。

 もっとも、私は年次有給休暇の取得率が低いことを肯定はしていない。祝日として休むのと、年次有給休暇として休むのでは、同じ休みであっても内容が異なる。まとまった休みとして見る場合でも、随意で取得できる年次有給休暇と比べて、長期祝日の休暇は休みが固まるため、色々な意味で不利だ。例えば、交通機関の運賃は空の便を中心として跳ね上がるし、新幹線も格安チケット等が使えなくなる。行楽地は人がごみのようだ。一方、他人と違う時に休みを取れば、こうしたコストの負担は回避できる。

 何より、年次有給休暇の場合は「有給」であって、賃金が支払われるのに対して、祝日の場合は使用者側に賃金支払いの義務はない。月給制の正規労働者の場合はあまり意識されないだろうが、非正規を中心とした時給労働者の場合、祝日が増えると言う事は働く日が減ることになり、したがって賃金も支払われない。この点で年次有給休暇の取得よりも祝日を増やすことで休みを増やすと言うのは、非正規労働者にとっては死活問題になりかねない。

 ただし、現実問題として企業側と言うのも狡猾なところがあって、年次有給休暇を使わせない、或いは行使した労働者を実質的に不利益に取り扱う事は横行しているし、権利発生の直前に契約期間を終了させるなどして義務を免れる例は枚挙にいとまがない。

 いずれにせよ、時給制の非正規労働者が増えている今日、祝日・時短問題はバブル時代のように単純な思考ではいかなくなっていることは確かである。

2012年4月30日 (月)

アンサンブル・フォレスト第15回定期演奏会

 私の中学校時代の恩師である森先生の主催する「アンサンブル・フォレスト」の定期演奏会が昨日行われた。久しぶりに生演奏を聴くことができたのだが、理屈抜きで音楽と言うものはいいものだ。

 ひとつでもできる楽器があれば、人生の楽しみが増えることだけは間違いない。プロシア王国のフリードリヒ大王は在位中ハプスブルク帝国相手に戦争ばかりしていた印象しかないが、この人物はフルートを生涯の趣味とし、作曲も手がけている。大抵の楽器の場合、ソロと合奏と両方が楽しめるので、一人でもできないことはないのである。さすがに、トライアングルやカスタネットでは難しいが。

 無論、音楽は鑑賞するだけでも立派に人生を通して味わうことのできる楽しみとなる。

 アンサンブル・フォレストはもともと森先生の教え子中心のブラスバンドであったが、最近では社会人も多く加入して幅が広がっている。音楽を楽しむのに年齢や性別、地位や身分は関係ない。音楽を楽しむ人が一人でも増えることを今後も楽しみにしたい。

 私自身は中学時代は吹奏楽部に属していた。ただし、吹奏楽がやりたかったから入ったわけではなく、文化系の部活が美術と吹奏楽しかなかったためである。音楽鑑賞は好きだが、実技は全く駄目。したがって、今に至るまでまともに演奏できた楽器はひとつもなかった。しかし、これが幸いしてかマネージャーにされて、これが現在の人事・労務管理分野に関心を抱く下地となったのだから人生はどうなるか分からない。加えて、演奏が全くできなくても音楽の世界を楽しむことはできるということを自分自身で立証する結果となった。

アンサンブル・フォレストのホームページ

http://www.geocities.jp/u_f1993/index.html

2012年4月29日 (日)

天皇皇后両陛下が葬儀の簡素化を希望

 天皇皇后両陛下が葬儀と陵墓の簡素化を希望された。国民の間では一般的になっている火葬とすることも併せて希望されていると伝えられている。死してもなお国民とともに歩まれたいと言う大御心を示されたものと受け止めたい。

 大抵の場合、君主と言うものは陵墓と葬儀は盛大にやりたがるものだ。秦の始皇帝がいい例だが、巨大な陵墓と盛大な葬儀は君主の地位と権力のバロメーターとなる。死に行く者にとっての虚栄心を満たせると言うだけでなく、継承者にとっても先代君主の葬儀は後継者としてのお披露目の場である。いきおい、権力を示すために盛大にやりたくなるし、墓所もそれなりのものが欲しくなる。秦の始皇帝陵、ピラミッド、ウェストミンスター寺院、メディチ家の君主の礼拝堂など例には事欠かない。世界遺産のかなりの数が、この手のものである。

 しかし、国力が上り調子の大国であればともかく、いや、上り調子であった筈の大国ですら、豪勢な陵墓と盛大な葬儀で逆に国費をつぎ込み過ぎ、君主の葬列が国家そのものの葬送の行列と化してしまったと言う例も多い。典型的なのが秦の始皇帝陵で、世界最大級の陵墓と世代な葬儀を行うため、秦の国力は疲弊し、始皇帝の死後あっさりと滅亡してしまった。だからこそ、始皇帝陵の周辺からは兵馬俑や銅車馬に代表される驚くべき文化財が次々と出土しており、陵墓本体の地下にはとんでもない物が眠っていることはほぼ確実と見られるまでになっている。始皇帝陵を発掘できないのは、地下に何もないと見られているからではなく、とてつもないものが山のように出土することが確実と見られているためで、これを適切に発掘して保存する体制も技術も整っていないためだ。無論、我が国にはこんな真似ごとができるだけの国力はない。

 立憲君主である天皇陛下としては、最早国家と皇室財産に負担をかける盛大な葬儀も巨大な陵墓も不用と考えておられるのだろう。無論、国家元首であり世界で唯一のEmperorである陛下の葬儀は儀礼上国葬となるだろうが、それもできるだけ簡素にということになる。国民とともに歩まれた陛下は、その人生を省みて、最期まで国民とともにありたいということなのではないか。

 かつて、仁徳天皇は国民が疲弊していることを知って租税を減らし宮殿の修復も後回しとした。後醍醐天皇も民が飢えていることを知ると食事を簡素にしたものにして浮いた分を民に分け与えたと言う。父君である昭和天皇も、自身の地位が危うくなってでも国家国民を最後の破滅から救おうと戦争を終結させた。両陛下の意向は、決して天皇制の伝統から逸脱したものではなく、むしろ民草を慈しむ伝統に沿ったものであり、仁政であり名君の言行と言えないだろうか。

 異論も出るだろうが、天皇皇后の埋葬は江戸時代までは圧倒的に火葬が主流であり、火葬土葬を含めても陵墓は質素なものであった。諸外国の君主の墓所が軒並み観光地化されてしまっているのに対して、我が国ではそのようなことはない。あまりにも簡素・質素で、目を引くような大きさも巨大な建物も彫刻もステンドグラスもないのである。歴代天皇は、簡素な墓所で静かに眠っている。

 私は両陛下の意向を尊重すべきだと思う。このような君主を持ったことを、私は国民として誇りに思いたい。

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