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2012年4月1日 - 2012年4月7日

2012年4月 7日 (土)

「男たちの大和」

                  

 4月7日は、1945年に沖縄特攻作戦で戦艦大和が沈没した日である。戦艦大和を取りあげた作品は多いが、中でも秀逸なのが逸見じゅんの「男たちの大和」である。数年前には松山ケンイチ主演で映画化されたので、ご覧になった方も多いだろう。

 私は中学1年か2年の頃に原作を読んでいる。当時からこの作品には、他の作品と違ったものを感じていたのだが、当時の私にはそれは分からなかった。それが分かるようになったのは、二十歳を過ぎた頃である。

 「男たちの大和」は下士官兵に焦点を当てた作品なのだ。戦後、士官・士官相当官経験者はフイクション・ノンフイクション問わず多くの作品を残しているが、下士官・兵経験者は士官に比べて圧倒的に多数派であったにもかかわらず、ほとんど書き残していない。これは、士官がインテリであったのに対して、下士官兵はおおむね農家の次男以下の人々で、高等教育を受けていなかったためであろう。「書き遺すこと」という行為自体、思いつかなかったのかもしれない。また、職務自体が組織全体を見渡せると言う性質のものでもなく、断片的な経験ではその人物がその艦艇の中でどんな位置付けの仕事をしていたのか、それすら分からないことになる。しかし、彼らが何も考えていなかったわけではないし、何も後世に伝えたいと思うものがなかったわけではなかった。作者は、「大和」と関わった多くの元下士官兵にインタビューを行い、作品をまとめ上げている。

 映画版は原作のエピソードをカットしたり短縮したりして「寄せ集めた」感が強いが、映画の時間の中に納めるには仕方がなかっただろう。まして、原作の「男たちの大和」には特定の主人公が設定されているわけではない。一応、機銃員であった内田貢という下士官出身者の周辺の記述は多いが、これは内田元兵曹が生還者であり多くのエピソードを口述できたためだろう。

 当時の中産階級以下の階級で軍隊や戦争はどのような位置付けであったのか、当時の中産階級以下の層であった下士官兵のエピソードを読み込むことで、その一端がおぼろげながら分かってくる。どうしても私が感じてしまうのは、貧困国の悲しさだ。徴兵された人々はもとより、志願した人々のエピソードにも「家が小作農で食っていく道がなかった」「子だくさんで家に居場所がなかった」「金がなくて高等教育を受けられなかった」というようなものばかりだ。「憂国の情」だとか「軍人の勇ましさに対する憧れ」などはほとんどないと言ってもいい。はやり、軍隊といえども経済社会を構成する一つの機関であり、その経済社会の状態と無縁ではいられないのだろう。

 大和を中心とする第二艦隊特攻作戦については当時から現在に至るまで多くの批判と謎が残されているが、私が疑問に感じているのが戦死者の特進の問題である。

 特攻作戦の戦死者は原則的に二階級特進であり、下士官・兵については三階級特進や四階級特進と言う規定もあった。これは単に戦死者の名誉のためだけでなく、遺族にとっても重大問題だった。何故ならば、戦死者に対する恩給は階級によって決められるからである。これは、職位が低くとも平均標準報酬額が高ければ遺族年金も高くなると言う現在の遺族厚生年金のシステムとは全く異なるものだ。

 四階級特進であれば、仮に実戦部隊の最下級である二等水兵でも二等兵曹に昇進できる。当時の官公庁の身分制度は現在のキャリアに当たる高等官とノン・キャリアにあたる判任官があり、士官は高等官、下士官は判任官であった。ここまでが「官吏」というカテゴリーに入る。一方で、兵は官吏には含まれなかった。兵の位置付けを軍以外の官公庁に当てはめると「雇員」や「雇人」という身分に相当し、これは「臨時雇い」に近い性質のものである。「兵は一千五厘のはがきで引っ張れる」という話があったくらいだから、当時の当事者の認識もまさに「臨時雇い」であったわけだ(実際には召集令状がはがきで送付されることはなかったのだが)。四階級特進制度によって、最末端の兵でも官吏たる下士官に昇進できるようにしたわけである。戦死者に対する遺族恩給について、通常の戦死と特攻による戦死で区分けして、特攻死を優遇する制度で、どうせ死ぬなら自発的に特攻に行かせようと言う制度設計の恐ろしい意図が読み取れる。

 第二艦隊の沖縄突入作戦は、作戦立案時から水上部隊による特攻作戦であることは認識されていた。第二艦隊の伊藤司令長官以下兵の末端に至るまで、特攻作戦であるという認識を抱いて出撃して行った。ということは、戦死者は最低でも二階級特進の栄典が与えられ、遺族には特進後の等級に基づく遺族給付がなされてしかるべきところである。ところが、そうはならなかった。

 「男たちの大和」の単行本の末尾には、大和乗組員と第二艦隊司令部職員等として大和に乗り組んでいた戦死者の膨大な名簿が収録されている。これを見るだけも大和での犠牲者数の多さを実感させられる。一人ひとりの名前を目で追う度に、一人ひとりの人生があったことを思い起こさない者はいないであろう。

 大和乗り組みの筆頭には艦長として戦死した有賀幸作大佐の名が記されている。有賀館長は二階級特進して海軍中将となっている。一方、その他の戦死者は一階級特進に留められている。下級士官から下士官兵は基本的に特進の措置は取られているが、全て一階級特進である。

 何故、「特攻作戦」にもかかわらずこのような差異が取られたのだろうか。作戦が失敗したからか。大和沈没の直前に伊藤司令長官は作戦中止を命じたという説があるが、そのためなのか。伊藤司令長官の戦死後に先任指揮官として指揮権を引き継いだ古村第二水雷戦隊司令官が撤退を命じたからか。納得できる答えには未だ辿り付けていない。

                戦艦大和

2012年4月 5日 (木)

アメリカ大統領選挙で候補者出揃う

 11月に行われるアメリカ大統領選挙に向けて、共和党の候補者としてロムニー元マサチューセッツ州知事が指名を獲得することが確実な情勢となった。アメリカの大統領選挙は二大政党の対決であり、第三党の候補者が当選したケースは過去に一回しかなく、近年は選挙人の獲得すらほとんどない。よって、共和党のロムニー候補と現職のオバマ大統領の事実上の一騎打ちとなる。

 オバマ大統領は初の黒人大統領として、2008年の大統領選挙で当選した時は歴史的な出来事であると言われたものだ。日本でも大統領就任式がテレビ中継され、深夜にもかかわらず多くの日本国民が新たな時代に興奮した。

 しかし、オバマ政権はメイン政策であった公的健康保険制度の創設が共和党多数の議会と保険会社のロビー活動によって骨抜きにされ、大統領選挙でオバマを支持していた中間層以下の層からは失望の声が上がっている。

 一方で、先の中間選挙から力を持ってきているのがティーパーティーと呼ばれる草の根の保守派だ。日本でも片山さつき参議院議員などネオ・リベラリズム勢力が「日本版ティーパーティー」などと自称していたことがあったが、アメリカのティーパーティーはキリスト教的保守主義的な価値観に政府の介入を伝統的に懐疑的に見る考え方が組み合わさったもので、必ずしも日本で言うところの保守とイコールではない。特にキリスト教保守派の中には「神の国」が実現されるためには前提条件として「ハルマゲドン」が必要であり、早くハルマゲドンを起こしてくれるよう政府や議会に要望する活動まで行われている。彼らの言う「神の国」が実現される日には、神道勢力に近い日本の保守派などは「異教徒」「偶像崇拝者」として地獄の火の中に投げ込まれることになるだろう。日本的な発想でアメリカで保守派が復権してきていると考えるのは明らかに間違いだ。

 そして、共和党には比較的リベラルな立場の者から、異教徒との戦いを辞さないような過激な勢力まで含まれており、この点でひとくちに共和党支持者・党員と言っても、特定の候補者が共和党支持層をまとめ上げるのは容易なことではない。加えて、ロムニー候補自身が伝統的なアメリカのキリスト教保守派から見れば異端異教とされるモルモン教の信者である。その拒否反応はカトリックであったことで反発を受けたケネディー大統領の比ではない。加えて、人工中絶や避妊、婚前交渉などの賛否をめぐる根深い対立もある。日本人はアメリカ人は性に寛容だと思いがちだが、実はそうではない。

 利益対立であれば妥協点を見出す余地もあるだろうが、宗教的信条の差異を背後にしている共和党の党内対立の解消は容易なことではない。こうした点も考慮すると、目立った得点があるわけではないが、大統領選挙は現職のオバマ大統領に有利と言えるのではなかろうか。

2012年4月 3日 (火)

自民党の生活保護削減案

 自民党が生活保護を10パーセント削減することを次期総選挙の公約に盛り込む意向であることが明らかになった。民主党政権がばら撒きをしたことが生活保護激増の原因であるとして、「自助」を促すことを大義名分としている。

 まことに、自民党は過去の反省が全くないようだ。そもそも、生活保護受給者が激増したのは民主党政権になってからではなく、自民党政権の黄金時代であった小泉時代である。加えて、非正規労働者を増やし、中小企業への配分を減らし、中間層以下から吸い上げる政策を実施したのもワーキング・プアと呼ばれる下層階級を増やしたのもまさしく自民党であった。黄金時代の自民党は「新自由主義」を掲げ「自己責任」を喧伝し、「努力不足」の名の元に弱者を切り捨てていた。その前歴を全く反省していないようだ。悪い冗談にしか聞こえない。

 雇用状況・労働条件の改善を行わなければ、技術習得などさせたところで何の役に立つのか。過去も現在も、生活保護受給者に職業訓練は行われているが、ミスマッチも相俟って改善の役にはほとんど立っていない。失業者全般の教育訓練も似たような状況で閑古鳥が鳴いている。

 「働ける世代」だからと言っても、ミスマッチはいかんともし難い。原発で人員不足だからと言って、未経験者を強制的に割り当てて働かせるような社会主義国のような真似ができるわけもない。少なくとも、現状の生活保護以下のレベルにしかならない最低賃金制度は改められるべきだ。飢え死にしないレベルであれば足ると言う発想は、人たるに値する生活を保障すべきとした最低賃金制度の理念とは明らかに乖離している。

 かつて、ワーキングプアが問題になった時、政権与党の椅子にあった自民党は「飢え死にせず生きていられるだけまし」「発展途上国に比べれば豊かな生活」だと言い放っていた。最後の砦である生活保護制度を機能不全に陥らせれば、貧困層は犯罪に手を染めて生きるような道を選択する者が増えるであろうし、国に対する信頼は更に失墜する。生活保護費を減らしたところで、新自由主義と言う過去の自民党の政策の延長では改善は絶望的だ。それを自覚していない自民党首脳にも、最早呆れるほかない。

 無論、不正受給は厳格に取り締まられるべきだが、生活保護受給者を締め上げるだけでは解決策になるまい。過ちは、繰り返される。

2012年4月 1日 (日)

フォークランド紛争から30年

              イギリスの国旗     アルゼンチンの国旗 

 1982年4月1日の夜にアルゼンチン軍が英領フォークランド諸島(アルゼンチンはマルビナス諸島と主張)に侵攻し(サウス・ジョージア島には1982年3月19日侵攻)、フォークランド紛争は本格的な武力衝突となった。フォークランド紛争直前のイギリスは不況続きで軍の縮小が行われ、フォークランド諸島の主権をアルゼンチンに譲渡することが検討されるなど、かなり「弱腰」な姿勢を示していた。それをアルゼンチンに「付け込まれた」というのが紛争の端緒である。

 アルゼンチンが武力紛争と言う思い切った手段に出たのは、人口も少なく、交通の要衝でもなく、当時としては目立った資源もなく、本国からも地球を半周しなければならないほど隔絶した島をイギリスが武力で取り戻すメリットは何もないから、まさか反撃してはこないだろうと考えていたためだった。もし、フォークランド=マルビナス諸島を実効支配しているのが日本だったらアルゼンチンの思い通りになっただろうが、当時のイギリス首相は「鉄の女」の異名を持つマーガレット・サッチャーであった。反撃に尻込みする閣僚たちに向かって「この内閣には男は一人もいないのですか!」と言い放ったエピソードはよく知られている。

 サッチャー首相が一転して強硬な態度に出たのは、香港やジブラルタルなど同様の問題を抱えており、フォークランド諸島でのアルゼンチンのやり方を容認すれば同じ事が波及するという危機感を抱いたためで、ついでに言えばイギリス人は伝統的に戦争とサッカーには熱心である。

 かくして、イギリス艦隊は地球を半周してフォークランド諸島に到着してアルゼンチン軍を撃破して主権を奪回した。縮小されたとは言ってもイギリス軍は近代的な兵器や情報システムを持っていたのに対して、徴兵主体のアルゼンチン軍は装備も旧式で士気も低く、こうしたところが勝敗の分かれ目になったと言われる。もっとも、補給能力の低いアルゼンチンが本土からかなり離れたフォークランド諸島で戦ったことがアルゼンチンに不利に働いた感はあり、もしよりアルゼンチン本土に近いところで戦いが行われていたらどうなったか分からない。

 フォークランド紛争後、イギリスはフォークランド諸島に防空部隊と艦艇を定期的に派遣して防備を行う事になった。ある意味では、サッチャー政権初期にアルゼンチンに主権を譲渡するような態度を示してしまったことが、戦争とその後の継続的な部隊派遣というツケになってしまったと言える。何より、赤字を理由にしてイギリス軍の大幅縮小・外洋遠征能力の削減を行ったことが、アルゼンチンに付け入る隙を与えたわけで、同じような理由で国の機能を削っている日本の行く末が思いやられる。

 ちなみに、紛争後にこの海域からは海底資源が発見され、島の重要度は高まっている。一方で、喉元過ぎれば何とやらはイギリスも同じのようで、イギリスは航空母艦を事実上全廃、揚陸艦も早期退役させて海外売却と、フォークランド紛争前の軍備削減と同じようなことをしている。紛争から三十年を経て、再び該当地域で緊張が高まっていると言うのは、歴史は繰り返すと言うべきか。

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