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2012年3月11日 - 2012年3月17日

2012年3月17日 (土)

さよなら100系&300系

 東海道・山陽新幹線で活躍した100系と300系がともに引退を迎えた。100系も300系もよく乗った列車だけに、一抹の寂しさを禁じえない。

 もともと東海道新幹線は長らく0系ばかりが走っており、古くなった0系を新しい0系で更新すると言う事を続けていた。ある意味、「国鉄」時代らしい話だが、それだけに「キツネ目」の100系は斬新に見えたものだ。私は1987年に家族旅行で広島、1996年に高校の修学旅行で博多から乗った。大学入学後は新幹線に乗る機会が増え、今や新幹線に乗ることは珍しくもなんともなくなってしまったが、当時は新幹線に乗る機会はほとんどなかったから、乗ること自体が楽しかったものだ。

 100系と言えば、バブル時代に「シンデレラ・エクスプレス」としてJR東海のCMにも登場し、あの時代の顔であった感がある。100系自体、個室を備え乗り心地はその後の新幹線よりも高いレベルのもので、山陽新幹線に追い出された上で引退に追い込まれたのはスピードを出せないことと省エネの問題だそうだ。最早「列車に乗って旅を楽しむ」という時代ではなくなってきたのだろう。最後に乗ったのは昨年に神戸から名古屋に戻る途中の新神戸と新大阪間であったが、自由席まで全てグリーン車の座席が移植されており、引退前にしても乗り心地は良かった。

 300系は登場当時「のぞみ型車両」と呼ばれていた。1998年に大学入学した後は京都と名古屋を新幹線で移動する機会が増えたが、当時の「のぞみ」は全席指定。自由席で乗れる「ひかり」に300系が来ると一寸得をした気分になったものである。ただし、顔つきは見なれた0系100系と比べてかなり「異様」に見えた。「鉄仮面」と呼ばれたのも頷ける話である。

 東海道・山陽新幹線には個室も食堂車も、今はもう見られない。東海道・山陽新幹線は「ビジネス特急」となり、速さと正確さと安さが重要になってきている(私はその方向性によるサービスに満足しているが)。その点で、東北新幹線は色々な車両が走っていて楽しいが、迷う事も多い。

 なお、100系も300系も走る姿はもう見られないが、名古屋の「新幹線・リニア館」に行けば0系も含めてかつての雄姿を見ることができる。

 戦後の日本が生みだした「新幹線」は着実に歩みを進めている。次はどのような方針で新型車両が登場してくるのであろうか。 

2012年3月15日 (木)

公務員を採用せず

 政府は公務員採用を大幅に削減する方針を決定した。野田総理は公務員志望の学生に対して財政難だから我慢してくれと言う。公務員志望の学生はたまるまい。中高年のために、まさに若者が将来を奪われようとしている。公務員を減らすことを至上命題にしている野田政権だが、このようなことをやっても国家に益はないであろう。

 まず、若い世代を採用しないと言う事は、将来の人材も失われるということである。我が国の官公庁は「外部登用」という制度は全くの非主流であり(例が全くないと言うわけではない)、外部人材を登用するノウハウもない。大企業から一時的に出向を受け入れるくらいがせいぜいである(その出向が何をもたらすかは推して知るべし)。例えば、幹部自衛官にしても公募幹部として外部の専門家を登用する道は非常に限定されていてほとんど例がないし、将官となれば防衛大学校OBの独断場だ。

 将来の人材活性化の策として新卒採用をせず外部から経験者を入れると言う方法は、日本の場合大してあてにならない。もともと日本では「この道一筋」が尊ばれる気風もあるのだろう。したがって、新規採用を減らすことは、そのまま公務員組織の老化と硬直化を招く。組織の中で人を育てると言う事を国家自ら放棄するのだから、これはもう国の将来を放棄したのと同じ事である。

 次に、新規採用を民間が抑制している現在、公務員まで大きく採用を抑制すれば、「玉突き現象」が起こる。最終的には、貧困層を更に増やすことになる。パイは限られているからだ。若年者の貧困問題も年金不安も、突き詰めれば若い世代に対して労働条件が悪化していることに原因がある。そして、その悪化は景気の動向だけでなく、政策的に誘導された面が間違いなくある。またしても「自己責任」で切り捨てようと言う意図が見え見えだ。

 また、公務員の採用を減らしたとしても、それで官公庁の行う仕事が減るわけではない。結局、民間企業に下請け孫請けで請け負わせることになる。かかる仕事では、公務員は絶対的な「職員様」として民間受託業者の上に君臨し、民間企業はいつ受託が終了するかもわからないビジネスゆえ、非正規労働者をかき集めてつぎ込む。かくして、いつの間にやら公務由来のワーキングプアが増えていく。守秘義務や責任は公務員と同等のものを負わされる一方、民間の水準から見ても低い待遇の職場に有能な人材が集まる訳もない(仮に紛れ込んだとしても、将来に全く繋がらない使い捨て扱いを受けるのだから、嫌になるのは当たり前だろう)。かき集められる労働者は組織の中で大事にされるわけでも育てられるわけでもないから、人材は育たない。結局、長い目で見ると国民に対してなされるサービスの質は間違いなく低下する。そして、コストは思ったほど減らないか、むしろ公的扶助などを通して増えることになる。かくして、甘い汁を吸うのは受託業者の幹部ということになる。

 政府が目先の数字を見せつけて選挙を有利にしようと画策するのは民主党政権にはじまったことではなく、小泉政権からその傾向は強かったが、民主党政権になってからますますその動きが加速している。政府がこのような有様では、民間においても長期的な戦略や人材育成など考えもしなくなるだろう。公務員を極端に優遇せよとは言わないが、公的サービスの提供と言う面だけ見ても、公務員の頭数を減らすだけでは社会にとって有益な改善とはならない。

 政府は、日本から人材を喪わせたくて仕方がないようだ。

2012年3月13日 (火)

台湾代表献花できず

                          中華民国の国旗

 3月11日に行われた政府主催の東日本大震災犠牲者追悼式典で、台湾代表が献花できなかったことが判明した。台湾は東日本大震災が起きるや独立派・統一派という政治的立場を越え、朝野を挙げて日本に対する支援を表明し、義捐金だけでも200億円が寄せられている。にもかかわらず、その後の日本政府による台湾に対する態度は非礼極まりないものだ。

 いち早く内政部が中心となって組織した救援隊は日本政府の受入表明が遅れて台北に足止めされ、何故か中国と韓国の救援隊が現地入りした後に受入表明がなされて日本に向かっている。感謝広告も台湾では何故か行われなかった。そして今回の献花問題である。発覚後に「そんなつもりではなかった」と「遺憾の意」を表明するのも同じだ。ここまで続くと親中政権による「台湾排除」が本音なのではないかと思えてくる。

 台湾と日本はともに地震国であり、従来も相互に助け合ってきた。にもかかわらず、一連の日本政府の態度は台湾との紐帯など不要だと言わんばかりである。中国政府への遠慮ではないかと言われているが、そんなことをして中国政府が日本に対して厚情を示すとでも考えているのだろうか。むしろ、対日政策で与し易しと見られるであろう。そもそも、中国とてそんなことで「差をつける」ことを大して歓迎すまい。

2012年3月11日 (日)

東日本大震災から一年

 景気のいい東京や名古屋に引っ越せばいい。なんで引っ越せないんですか?

             2007年6月23日 NHKの番組に出演して

             八代 尚宏 (国際基督教大学教授 当時内閣府経済財政諮問会議議員)

 本日、2012年3月11日は東日本大震災から一年になる日である。犠牲者の冥福を祈りたいと思う。

 震災から1年が過ぎたが、今なお数十万人が避難生活を送り、復興の目途もなかなか立たない。福島原発事故の処理のように、何十年間も当該地域を封鎖せざるを得ないような事態すら続いている。震災は終わって復興に進みつつあるのではない。今なお震災は続いていると思わなければならない。

 日本全国が震災と円高による不況のただ中にある現在、悲観的な見方をすれば被災地・被災民に対する支援と同情もいつまで続くか分からない。人間は誰しも自分の身は可愛いものであるし、何より自身の経済的基盤がなければ弱者に手を差し伸べることは難しかろう。日本経済全体を発展させ、十分に被災地に金が回るようにし、被災地が経済的に自立できるような措置を講じなければ、不十分な金をだらだらと被災地につぎ込み続けることになるであろう。

 既に、稼得能力のある人々は被災地を離れつつある。企業倒産縮小が相次いで失業者が増加しているが、被災地で好景気となっている土建業にマッチングさせるのは簡単ではない。失業者に対して「原発で働け」というような暴言がネット上では珍しくないが、選択肢は決して多くない。若い世代が被災地を離れる傾向があるのは当然と言えよう。結果として、被災地には土地にしがみつかざるをえない人々即ち高齢者と一次と二次産業の一部だけが残ることになる。これらの層は救貧と公共事業に依存せざるを得ない。これでは、被災地の経済的自立など夢でしかないし、むしろ国内の他地域から復興名目で金を集めてはつぎ込む悪循環を招くことになることは必至だ。

 構造改革を振りかざし、「仕事がなければ引越せばいい」と言い放っていた経済学者は多かったが、実態を調べれば不可能であることは経済学の学位など持っていない私でも簡単に分かる。技能や技術や専門知識があれば、他の地域に移っても仕事はできる。しかし、農業は土地が変われば全く手法は変わってくるし、第二次産業の中小企業においては特殊な技術を持っているものは全体から見ればごく僅かでしかない。必然的に、人間関係の中で仕事をもらってくることになる。彼らが「顔」に異様に拘るのは、このあたりに原因がある。顔がなければ仕事は来ないし、仕事の循環の中に入ることすらできないからだ。別の地域に移ると言う事は、こうした絆が全て失われることを意味する。彼らにとって、それは仕事の入ってくるルートを喪うことであり、枯死を意味するのである。無論、私はともすれば談合や不正の温床になってきたこうした構造を全面肯定はしていない。しかしながら、他に生きる道を与えないまま放置しておくことにこそ責任があり、生きるためにはそうせざるを得ないのである。

 さすがに震災以降は公然と「仕事がなければ他の地域に行け」と言い放つ学者は少なくなったが、それは彼らが今までの経済政策を反省しているのではなく、単に「絆」「地域」という風潮の中で、そのようなことを言えば反発を食らうからにほかならない。彼らが従前の政策や姿勢を反省した形跡はほとんど見られない。TPPや特区などが今後どんどん表に出てこれば、再び彼らの論理がまかり通ることになるだろう。そうなれば、被災地に住み続けていること自体が自己責任となり、苦しみは自業自得であると言い放たれることになるであろう。そうした道につながる政策を推進すると主張している政党や政治家が支持を集めているのは驚くべきことだ。

 被災地に行くことだけが復興に携わることではない。ましてや、瓦礫を片付け泥をかき出すだけが支援ではない。個々人が日常生活も含めて「できること」をしていくことが重要ではないか。その中には、日本経済を向上させることも含まれる。いや、むしろそれこそが震災の爪痕から被災者を救う道となる。ただし、トリクルダウンというのは幻想に過ぎないから、配分には公共が適宜介入する必要がある。

 まだまだ、先は長い。

 

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