« 2012年7月 | トップページ | 2012年9月 »

2012年8月

2012年8月31日 (金)

ロンドン・パラリンピック開会

               ファイル:Paralympic flag.png

 閉幕したロンドン・オリンピックに引き続いてロンドン・パラリンピックが開会した。障害を持つ選手たちの活躍に期待したい。

 1994年に愛知県で国体が開かれた時、同時にパラリンピック相当の競技会も行われ、盲人野球は愛知青少年公園が競技場として使われた。その際に入退場演奏を行う吹奏楽部の部員として参加したことがある。愛知万博会場を経て現在はモリコロパークとなり当時の面影はほとんどないが、私にとっては懐かしい場所だ。

 吹奏楽部の担当は選手の入退場と表彰式の演奏だった上、私はマネージャーだったから裏方仕事の必要な開会の前と閉会のあとは忙しかったがそれ以外は暇であったため、競技をじっくり見物することができた。

 見えていない筈の選手が正確にボールを投げ、打ち、走るのである。盲人野球とは言っても必ずしも全盲の選手ばかりではなかったのだが、それでも音と感覚を頼りにゲームを進めていく姿は驚きであった。挨拶に立った盲人団体の代表が「車の運転と飛行機の操縦以外はできる」とジョークを飛ばしたのも納得できる活躍だった。

 音が頼り故、応援と言っても大声を挙げることも拍手することも許されない。観客は静粛にすることを求められるが、それでもなお白熱した競技が行われていた。私にとって、障害者の可能性を見せられたはじめての機会であったと言えるかもしれない。

 公的年金制度に障害年金の制度が置かれていることでもわかるが、障害と言うものは誰がいつなるのかわからないものだ。そして、障害となる因子は多くの人々が持っている。それだけに、障害者の問題は他人事ではなく自分自身の問題なのだ。

 パラリンピックは障害者が世界の大舞台で活躍できる機会であり、障害者の持つ可能性を知らしめる場である。一般的な健常者の競技とは違う難しさがある。例えば盲人野球などは視覚を失って聴覚が研ぎ澄まされたものであるからこそできる競技であり、健常者には逆に難しいものも多々ある。オリンピックは「体育」の延長として文部科学省管轄であるに対して、パラリンピックは「福祉」「障害」問題の延長として厚生労働省管轄である。としても、オリンピックとは「ルール」が多少異なるだけで、本質的に競技に挑むアスリートに違いはない。

 参加者特に日本選手団の活躍を期待したい。

2012年8月29日 (水)

日本大使公用車襲撃事件

 丹羽大使の乗った外交官ナンバーの車が北京市内で何者かに襲われ、強引に停車させられた上で車に飾っていた国旗が奪われると言う事件が起きた。前代未聞の不祥事である。

 外交官の身の安全は国際法で保障されている。この義務は接受国つまり今回のケースでは中国政府にある。ヒラの外交官であっても外交官特権で安全を保証しなければならず危害が加えられたと言う事になれば大事になるのが普通なのだが、外交使節団長として最高位の身分である特命全権大使が襲われたのだから、これは日本国や天皇が襲われたのと同じことであり、憂慮すべき事態と言わなければならない。

 ただし、これまでも中国では大使館や領事館が暴徒に襲撃されると言う事件が度々発生しているが、これについても中国政府の対応が甘すぎると言う指摘が以前からあった。外交官の身の安全と同じく、大使館や領事館などの在外公館や外交官の居宅も国際法で安全を保障すべき責務を接受国は負わされているのである(ただし、大使館・公使館と領事館では起源や任務が異なることもあってか、領事館の方が若干保護が緩い)。また、国家の代表機関である以上単なる安全だけではなく尊厳も守られなければならないことになっており、我が国が中国大使館前での中国政府に対する抗議活動を極度に制限しているのも、そのあたりの義務があるからである。

 恐ろしい事に、それでもなお中国国内では愛国的英雄的行為と称える人が少なからずいるというのだ。中国には「愛国無罪」という言葉があるが、これでは愛国心の名のもとに国際法や国際秩序を破壊することも辞さないと言う事になる。これは近代国家国民のやることではない。中国国民が日本人や日本政府を恨むことは自由であり、恨みの声を上げるのも自由だ。しかし、いくら日本が嫌いでもやっていいことと悪い事がある。

 この襲撃事件は中国国内でもとりわけ警備警戒の厳重な首都北京で起きている。首都でこのような暴挙を行う事を止められないのだとしたら、中国政府は首都ですら統制を喪っていると言う事になるし、見過ごしていたとすれば言い逃れのしようがない。何れにせよ、日本の尊厳が大きく傷つけられたのだから、日本としても断固たる対応が必要であろう。政府首脳が単に「遺憾の意」を示すだけでは不十分だ。

 同時に、中国で大使が襲われたからと言って、同じことを中国の外交官にしていいということではないし、一般の中国人に対して暴行暴言を行うと言う事もあってはならないことである。この点、日本国民も自制する必要がある。両国国民とも、低いレベルで罵り合いと恨みの炎を燃やすだけでは何の解決にもならない。

2012年8月27日 (月)

ニール・アームストロング船長死去

                    Apollo 11 insignia.png

 1969年7月20日にアポロ11号によって人類最初の月着陸を成し遂げたニール・アームストロング船長が8月25日に死去した。アームストロング船長の名は、人類史に永遠に刻まれるに違いない。

 ただし、アームストロング船長の場合、コロンブスやリンドバーグとは異なるところがある。後者はいずれも「冒険」として実質的には個人技によって歴史に名を残したが、アームストロング船長の場合は能力人徳はともかくとしてあくまでもNASAの月着陸ミッションの一員であり、登山で言うところの最後の登頂メンバーに選ばれたことによる面が強い。月着陸ミッションは言うまでもなく巨大な組織によって行われたものであり、アームストロング船長の個人技ではなかった。未知の世界に足跡を残すという事蹟も、既に四十年前から巨大組織の一員でなければなし得ないものになっていた。アームストロング船長も、自身が脚光を浴びることに抵抗感を感じており、月着陸後はあまり表には出ない生涯を送っている。

 これから人類が火星などの他の天体に足跡を記す日が来るかも知れない。その時に、常にニール・アームストロングという名前は思い出されるだろう。同時に、その飛行士もアームストロング船長と同じく、巨大組織の一員として足跡を残すことになるであろう。

 突出した個人の力で未知の世界が切り開かれる時代ではない時代を最初に歩んだ男であったと言えるかも知れない。

2012年8月25日 (土)

金正日の料理人

 金正日の料理人であった藤本健治氏が金正恩総書記の招きに応じて平壌を訪問し、無事に帰ってきたことが話題となっている。公開された写真はいささか不自然なところがないわけではないが、謎の多い金正恩にあそこまで近づけたというのは、やはり幼少の金正恩に身近に接していた人物であったからだろう。

 一時は北朝鮮に渡航したまま生きて帰れないのではないかと言われていたが、さすがにそれはあり得ない。あれだけ知名度のある人物を拘束してしまったら、いくら「本人がもう日本に帰りたくないと言っている」というお決まりの文句で糊塗したとしても、誤魔化すことはできまい。むしろ、歓迎して返してやった方が北朝鮮指導部のイメージアップにつながる。この点では、金正恩の企みは成功していると言えるだろう。

 同時に、金正恩は西側で生活した経験もあるから、明らかに「メディア」の立ち位置をよく知っている。メディアか帰国した藤本氏を大々的に取り上げるであろうことも計算済みであったと思われる。そこで、自分の若妻を表に出したのではないか。「夫婦同伴」は西側諸国では普通に見られるが、北朝鮮では金正日が誰と結婚しているのか最後まで明らかにされることはなかった。十年ほど前の北朝鮮関係の書籍にも、「正男」は確認されていても「正恩」は記されていない。

 いずれにせよ、金正恩総書記と言う人物が君主の「威」や「恩」と言った古典的な手法の他に、メディアも意識した戦術を取っていることは確かである。90年代初頭には「バカ息子」と言われた金正日ですら独裁者として死んだのだから、正恩体制も意外に長くのではないかとの懸念は誰もが抱いているのではないか。

 金正恩が国内統制に成功しているとすれば、まだ若いことだしかなりの時間が与えられたことになる。そして、金正恩は西側を知っている。難しいこととは思うが、金正恩が見習うべきは父でも祖父でもなく台湾の蒋経国総統であろう。

2012年8月23日 (木)

最低賃金と生活保護の「逆転現象」を存続させるな

 最低賃金と生活保護の「逆転現象」は改善されたものの、未だに東京、神奈川、大阪等6都道府県で続いている。最低賃金の引き上げで賃金支払いが苦しくなると言う使用者側の強硬な反対があり、抜本的な改革が見送られた。

 「飢え死にしなければ満足すべき」という理屈の元で生活保護の引き下げを求める意見もあるが、それでは我が国は先進国としての地位を返上せねばなるまい。一方で、この逆転現象では就労意欲が阻害されるのみならず、働いている者がバカを見ることになる。生活保護を出すのは自治体でも、財源は税金だ。最低賃金で働いている者は、自分より裕福な生活をしている者の面倒まで見ているということになる。これでは公正とは言えない。

 最低賃金の引き上げに反対する意見に全く理がないわけではないが、低いままに留めているということは、一種のダンピングを許容していると言う事になる。特に首都たる東京や近隣の神奈川でダンピングを許容すると言う事は、賃金支払いで地方の方がむしろ苦境に立たされて不利になるということになる。これでは、低賃金で人を使い捨てにできる東京一極集中はますます進むことになるのではないか。

 最低賃金で保障されているのは死なない程度のカロリーを摂取できるということくらいであって、言うまでもなくこの賃金で「人たるに値する生活」を送るのは難しい。最低賃金を引き上げたとしても、富裕層に対する減税策のように貯蓄や海外送金に回るものではない。専ら、その地域での消費にまわることになる。

 労働者に対する配分が減り続けた結果、我が国の経済は停滞の一途を辿ってきた。自民党政権時代はもとより、民主党政権に至っても改善されることはなかった。内需は落ち込む一方だ。その起爆剤として、最低賃金の引き上げは有効な策である。

 「企業が大事」という理屈に立ち続ける限り、労働者の搾取は許容されることになるし、その延長線上では社会保険制度や労働保護法制の廃止・解体すら正当化できる事になる。実際、小泉政権やみんなの党に群がっている識者や財界人の中にはそうした思想の持ち主も多い。しかし、企業と言えども搾取対象の労働者を食いつぶしてしまえば、あとは滅びるよりほかはない。今回、使用者側の一方的な理屈に屈して改革ができなかったのは残念だ。

2012年8月21日 (火)

シャープの経営合理化

 業績不振のシャープが経営合理化策を発表した。5000人を削減するとともに、国内外の大胆に工場を閉鎖・譲渡する。これにより、あの「世界の亀山モデル」を生み出した亀山工場もシャープの手を離れることになる。当然、閉鎖も考えられる。

 大企業を誘致すれば地元に雇用が生まれると言う幻想の元、多くの自治体が企業誘致に血道を挙げ、今も奔走している。しかし、それで地元の望む結果が出たと言う話は聞いたことがない。地域の期待する「雇用」は、漠然としているとしても正規雇用であることは疑いない。しかし、実際に企業進出で大規模な正規雇用が突如として発生することはあり得ない。

 そもそも、企業側としては税金が安く、低コストの労働者を雇え、インフラを整備してもらえることが期待できるから進出するのである。つまり、リスクもコストも高い正規労働者を雇うわけがない。そもそも、地元にいる人は単なる「地元民」であり、労働能力が保障されているわけではない。これで正規雇用で雇用する等と言う事をすれば、その経営者は無能の誹りを免れないであろう。

 亀山市においても、確かにシャープは進出してきた。しかし、税制上の優遇措置を取っていたため税収は増えず、むしろインフラ整備で投資を余儀なくされる。地元の雇用も増えなかった。管理部門など正規労働者としての役職に就く者は、転勤でやってきたからである。地元民がありつけたのは期間工や派遣と言った非正規の職でしかなかった。それも、企業の息のかかった派遣会社等が連れてくる外国人を含む外部の非正規労働者との価格競争に晒される。こぼれ落ちた人々は失業者や生活保護受給者となり、その負担は地域に重くのしかかってくる。

 そして、テレビ部門における激烈な国際競争の結果、シャープを含む日本勢は敗退した。一時は「世界の亀山モデル」と言われたものだが、シャープとして工場を維持する理由はないのであろう。正規労働者はそれでも転勤等で雇用を確保するよう会社も努力するが、非正規については契約が切れれば終わりだ。

 大企業誘致は田舎に行くほど声が大きいように思われるが、彼らが企業誘致後の地域の姿をバラ色にしか考えていないとすれば能天気と言うしかない。企業城下町となりすそ野も広がり末長く栄えるなどと言う事は、最早夢物語だ。これからの地域振興は、労働制度の知識なしでは将来は見通せないが、この分野に精通した人材は決して多くない。

 残念ながら、名古屋市のり河村市長や大阪市の橋下市長など、大企業誘致を進めてトリクルダウン効果によって地域振興を謀る勢力はまだまだ健在だ。地域の住民をことごとく非正規の使い捨て労働者にするならばそれもまた宜しかろうが、そんなことを地域社会が受け入れるとは思えない。分かっていて推進しているならば、これはもう万死に値する。

 シャープの経営合理化は、他の企業や分野においても「他人事」ではないと言える。特に、震災後の復興名目での優遇を目当てに東北にやってくる企業には、注意しなければならないのではないか。

2012年8月19日 (日)

「中京維新の会」?

 愛知県の大村知事が「中京維新の会」を立ち上げると言う報道があった。大村知事は否定しているようだが、「大阪維新の会」を意識したものであることは確実で、いささか「維新」のインフレという感がある。

 一足飛びに経済状況が好転するわけはないのだが、この10年余りの日本国民は甘い言葉に飛びついては騙されるというパターンを繰り返してきた。「民営化」も「政権交代」も、国民に激痛を与え続けてきたのみならず日本そのもののクオリティを落とし続けているのだが、にもかかわらずその路線を更に推し進めることを公言している橋下市長に熱烈に支持を送る国民が少なくない。是非はともかくそれが事実なのだから、勝つために民主党も自民党も橋下大阪市長に近づくのに懸命である。

 もともと、大村知事も名古屋市の河村市長も橋下市長には近い思想・手法の持ち主であり、道州制云々では連携していたし、支持する人もおおむね似たような思考パターンであることが多い。としても、橋下市長の方が国民へのPR能力と言う点では抜きんでており、これに便乗したいと言う気持ちになるのも「勝つこと」を考えればわからなくはない。政策的にも近いから、節操がないと言い切ることもできない。しかし、どうしても「安直」の感は免れない。

 それにしても、大村知事は「日本一愛知の会」という地域政党を既に率いているわけだが、そちらはどうするつもりなのだろうか。

2012年8月17日 (金)

中国活動家尖閣諸島上陸事件

 

                   

 中国の活動家が尖閣諸島の魚釣島に上陸し、待機していた日本の警察・海保・入管関係者によって逮捕されると言う事件が起きた。上陸を阻止しようとした日本の巡視船は中国の活動船によって体当たりされ、傷だらけになった姿が確認されている。2年前の事件を思い出した者は多かったのではないか。

 そして、日本政府の態度もまた二年前の菅内閣が行った対応を思い起こさせる。どうやら被疑者の取調べは行うものの、中国政府の要求通り帰国させることになるらしい。あまりにも、情けない対応だ。二年前に中国政府にひたすら恭順の意を示したことが、今回の事件を含む日本の領土への諸外国の浸食を招くことになったという反省がない。

 今回注目すべきは、中国政府の外交担当者のみならず商務担当者も同じような対日発言をしているという点である。これは、中国に進出している日本企業を人質に取っていると言う事を雄弁に物語る態度ではないか。自民党政権時代から日本の財界は中国を刺激しないように政府与党に求め続けてきた結果と言えよう。

 民主党政権は発足以来、日本の安全を破壊する外交政策を取り続けてきた。日本の国際的影響力と安全は最悪の状態に陥っていると言える。もっとも、現在この事件に対する強硬策を主張している自民党にしても、政権与党時代には中国政府を刺激することを避け続けてきた。尖閣諸島近辺を中国の調査船が闊歩しているのを長らく咎めなかったのは自民党政権である。

 日本は衰退と解体の道を歩んでいると考えているのは私だけではあるまい。

2012年8月15日 (水)

終戦記念日

 今年もまた8月15日がやってきた。終戦の日である。私はこの時期になると「日本のいちばん長い日」を読むことが近年習慣になってきた。終戦の裏に秘められた政府や軍関係者の人間ドラマは、ある意味日本的なものが良くも悪くも出たものだからである。

 戦争が終わって六十年余が過ぎたが、我が国は未だに「敗戦国」という位置付けから脱却できていないように感じるのは私だけではないだろう。国際的な争い事があると、二言目には「戦争で悪いことをしたのだからお前が引け」と言われ続け、現に言われているのである。最近ではさすがに政府も即思考停止になることは少なくなっているものの、戦争のことを持ちだされて主張を引っ込め或いは譲歩を強いられる例は珍しいものではない。この結果、竹島と北方領土は奪われ、尖閣諸島も危ない状態になっている。領土のみならず、日本国内においても日本国民の権利の浸食が始まっており、このままでは近い将来日本国民であるメリットは喪われることになるのではないか。

 もっとも、武力と愛国心を振りかざして対外拡張政策を進め、自国民の優位性を吹聴している中国や韓国の姿は、残念ながら大日本帝国の映し鏡と言える。つまり、彼らは大日本帝国と言う失敗を隣国として最も身近に感じていながら、大日本帝国の失敗から学んでいないのである。我が国も戦争を「後悔」しているものの、同じ失敗を繰り返さないような学習となると甚だ疑問であり、本当に「反省」しているとは言い難い。もっとも、終戦直後に日本が朝野一体となって「反省」しようとしたところ、連合国から「反省すると言う事は、次は勝つ気だろうから反省させてはいけない」と横やりが入っている。

 日本が「いつか来た道」を歩んでいると言うのは戦後一貫して左翼の言い分であったが、少なくとも雇用・労働の分野に関しては当たっていると言える。非正規雇用と低賃金労働者の増加、若者世代の不安はそう差があるわけではない。そこから一足飛びに新天地を求めたり、「維新」のような大規模な体制の変更を求めたりしたことが、日本の破綻につながった。しかし、貧困層や低賃金労働者の増加という中産階級の破綻を示す状態は、あまり深く考えずに先導されやすい傾向を憂慮せざるを得ない。

 戦争を「反省」することこそ、戦争に対して強い国家国民を作ることにつながる。何故、我が国が戦争に活路を求めたのか、社会経済状態も含めて見直す必要がある。単に戦争を「後悔」しているだけでは、残念ながらわが国の未来は暗い。

 戦没英霊に対し、謹んで哀悼の意を捧げたいと思う。

2012年8月13日 (月)

ロンドンオリンピック閉幕

 ロンドンオリンピックが閉幕した。日本は金メダルの数こそ北京オリンピックを下回る7個にとどまったものの、銀メダル14個と銅メダル17個を獲得し、合計メダル数38個となった。

 この38個というメダル数だが、どの程度凄いのかと言うと、2004年のアテネオリンピックの37個を上回り、一度の大会で獲得したメダル数として過去最高である。また、日本が1928年にサンモリッツオリンピックで初参加して以来冬季オリンピックで獲得したメダルの「総数」が37個である。

 下馬評の高かったジュードーが振るわなかったのは残念であるが、レスリングでは多くの金メダルを獲得し、ボクシングや卓球など従来はあまり日本選手が活躍できなかった分野でもメダルを得ている。ジュードーが「世界競技」になって「柔道」を生みだした日本の手を離れつつあることを実感させられずにはいられない大会ではあったが、一方で新たな分野で日本が活躍できることも明らかになった。「お家芸」も時が経てば変わるものなのだろう。

 外国人選手との「体格差」を埋めるのは簡単ではないが、射撃やアーチェリーなどは体格の差を技術で埋めることが可能な競技であり、競技をはじめるのが遅い選手や年配の選手でもメダルを獲得した実績がある。更に幅広く選手団を送れる国になるよう期待したい。

 私としては「ルール」を考えさせられた大会であった。日本は必死にルール内で頑張るが、欧米諸国はルールそのものを狙っている。これはオリンピックだけの問題ではない。

2012年8月11日 (土)

韓国大統領の竹島訪問

 韓国の李大統領が竹島を訪問し、自国領であると高らかに宣言した。韓国では政権末期になると毎度のように「反日」が叫ばれるが、現実主義をもって発足した李政権もその例外ではなかったようだ。

 もっとも、竹島問題は日本側にも大きな責任がある。長らく韓国政府をまともに批判せず、問題そのものがないような態度を取り続けてきたことだ。「弱腰外交」「土下座外交」を続けていれば、相手国が「勘違い」するようになることはもっともである。北方領土や尖閣でも、同じような状態になりつつある。玄葉外相は駐韓大使を一時帰国させる意向を示しているが、不快感の表明はもっと早くに行うべきであった。それでも、具体的な行動に出た事については評価しても良い。

 中国大使に関しても交代させる可能性が出てきているが、こちらは定例人事異動に関連させて「更迭」にはしないという。とんでもない話だ。こうした態度を取り続けることは、相手国に誤ったメッセージを送ることになる。竹島の実効支配を喪失しているという事実を、日本政府はもっと厳粛に受け止めるべきだ。竹島を喪えば対馬が危なく、対馬を喪えば九州あたりもどうなるか分からない。

2012年8月 9日 (木)

いじめっ子をぶちのめせ?

 奔放な言動をもって鳴る橋下大阪市長が、いじめ対策について「いじめっ子をぶちのめせ」と提案している。無論、腐っても法律家のはしくれではある以上、子分の区長のように「殺害」までは容認していないようで、あくまでも厳罰を持って臨むということらしい。確かに自殺者まで出ている以上、いじめを行った側を厳罰に処するのは正義に叶っているように見えるだろう。しかし、これは実は稚拙な手段である。

 まず、「いじめ」はどのような組織でも起こり得るものだし、人間関係上完全に零にするのは難しい。つまり、露見した場合はいじめた側にとって運が悪かったと言う事になるが、「厳罰」が待っているとなれば、むしろ組織は全力で隠蔽することになるだろう。これは、一連のいじめ騒動で学校や教育委員会や自治体が取ってきた態度を見ていれば明らかだ。

 次に、いじめる側の陰湿なやり方に思いを致す時、彼らがむざむざ厳罰になるような真似をするとは思われない。例えば、いじめられる側をじめているように「見せかけ」ておいて、上からの「厳罰」によって傷め付けるという手を使う可能性は十分にある。私自身の経験で言えば、小中学校でいじめを行っていた首謀者はどちらかと言えば成績優秀者であり、クラスの多数をまとめ上げ、いじめられる側を「悪者」に仕立てていたものであった。つまり、厳罰化はその事実認定や手続きによって、十分に攻守が逆転してしまい、本来ならば救済されるべき側が悪者として傷め付けられることになる危険性を孕んでいるものと言える。

 また、「恨みの連鎖」は一方当事者を「ぶちのめす」だけで断ち切れるものでもない。そもそも、市長がそんな品格に欠ける言動をすることも好ましくない。ご再考をお勧めしたい。

2012年8月 7日 (火)

疑問符の付く広島の平和宣言

 昨日8月6日は、1945年に広島に原爆が投下された日である。広島では平和を祈る式典が行われ、多くの国内外の人々が戦争と核兵器の惨禍を思わずにはいられない一日であったろう。

 しかしながら、平和宣言をはじめとする広島から発信されるアピールには、いささか疑問を感ぜざるを得ないものが目立つ。既に昔から、核兵器や戦争に関しては兎角にアメリカを非難しアメリカと同盟観にある日本を非難する一方、日本を火の海にすると公言していた北朝鮮や中国、旧ソ連の軍拡に関しては批判を手控えていたことが指摘されていた。今夏については、広島と福島を同視し、原子力そのものを悪と捉えている感すらある。

 確かに、広島で起きたことは悲劇であったし、現在福島で起きていることは悲劇であることに間違いはない。しかし、広島と福島の惨禍は全く異なるものだ。福島で起きたのは天災と災害対応が後手に回った結果引き起こされたものであり、人災の面が強いにせよ政府も東電も福島の人々を皆殺しにしようと欲したわけではない。これに対して広島への原爆投下ははじめから都市と住民を抹殺することを意図して行われており、違いは明らかだ。

 戦争放棄や平和を唱えるだけで平和を維持することができないのは歴史が証明しているところだが、原子力の全面放棄を叫んでみたところで日本国民が石器時代に戻るわけにはいかない。代替エネルギーが電力需要を賄えるようになるまでは相当長期間かかるであろし、火力発電についてはCO2排出の問題がある。かといって電気を使わない生活を強要すれば産業と国民生活の破綻を招くのは必至だ。平和を叫ぶだけで平和が生まれるどころかむしろ独裁国家に付け入らせる隙を与えて来たように、原子力の全面放棄論もまた同様の結果を招来するのではないか。

 

 

2012年8月 5日 (日)

オリンピック・ジョーク

 地上でオリンピックが盛り上がっているのを見て、悪魔が神様にオリンピック種目で勝負を挑んだ。

 「我が天国チームに勝てるわけなかろう。メダリストや有名選手はみんな天国にいるのだからな」

 「おいおい、審判がみんな地獄にいることを忘れてるんじゃないか?」

2012年8月 3日 (金)

日本、メダルラッシュ

                 Olympic flag.svg

 ロンドン・オリンピックの競技結果が日々伝えられているが、日本は自国発祥の競技である柔道で特に厳しい状態になっている。金メダルの獲得も日本選手団で今のところ2個に留まっている。しかし、銀と銅を併せたメダル獲得数は17個で、これは中国の32個、米国の31個に及ばないまでも世界第三位の成績である。有利とされる開催国のイギリスが14個、ソビエトの衣鉢を受け継ぐロシアが13個に留まっていることを考えれば日本選手団は大いに健闘しており、これはメダルラッシュと考えてよいのではないか。

 日本のメダル獲得順位は1964年の東京オリンピックと1968年のメキシコシティオリンピックの3位が最高で、直近の北京オリンピックでは8位だった。獲得順位だけで見れば、上々と言えよう。もっとも、ロンドンオリンピックは現在も継続中であり、同率4位の独仏がともに15個であることも考えると、今後の競技結果次第でどうなるか分からないことは言うまでもないが。

 

2012年8月 1日 (水)

中印軍拡競争

 ロンドンオリンピックであまり大きなニュースにはなっていないが、中印の空母がともに試験を進めている。中国の空母は9回目の試験航行を終えて基地のある大連に戻り、インドの空母は発着艦試験を成功させた。どちらも、実戦配備に向けて着実に歩んでいると言える。

 実は、中印の空母は兄弟のような関係にある。インドの空母は旧ソ連のキエフ級空母の4番艦を購入して改造したもの、中国の空母も旧ソ連のクズネツフ級空母の2番艦をスクラップにすると偽って購入し、中国まで運んで復旧工事をしたものだ。もともとの航空機の運用能力は新しい分だけ中国のもののほうが高そうだが、インドはロシアのノウハウを取り入れてエンジンや航空機の運用設備を整備できたのに対して、中国は未完成の艦をスクラップにすると偽って中国まで曳航し、意図的に壊されていた機関などを修復しなければならなかった。航空機の運用設備についてもノウハウはないから、手さぐりと考えられる。そうなると、恐らくはインドの空母の方が今のところ戦闘能力は高いのではないかと考えられる。

 いずれの空母もアメリカの空母に比べれば取るに足らない能力でしかないが、その他の国が空母を持たない中では、頭一つ飛び抜けた戦力を持つことになる。少なくとも、空母の展開した海域に睨みを利かせるには十分だろう。中国が一隻と言えども空母を押し出してきた場合、日本としては航空自衛隊の笠の外ではアメリカの介入をますます期待しなければならなくなる。

 中国もインドも、ロシア艦改造空母の次には国産空母が控えている。中国の空母もインドの空母も資料によれば1980年代から「登場する」と言われ続けてきたが、三十年余経ってようやく造船所にその姿が見えてきたところだから、実戦配備まではまだまだ道のりは長そうだ。しかし、登場すれば周辺諸国としては力関係が大きく崩れることになるから無視するわけにはいかない。

 対抗して空母保有を行わないという選択をした場合、日本としては、アメリカの介入や、かつてのソ連が軍拡で自滅したように、中国やインドが経済的に行き詰まり、空母建造・保有を放棄してくれることを期待するくらいしか手がないと言う事になる。中印ともに経済は好調と言える一方、アメリカは極東重視とは言ったところで介入してくれるかどうか難しいところがある。19世紀ほどではないにせよ、アメリカには伝統的な孤立主義思想があるし、介入するとしても自国の国益が最優先される。ますます、我が国の周辺のパワーバランスを保つのは難しいことになりそうだ。

« 2012年7月 | トップページ | 2012年9月 »