« 弾道ミサイル防衛措置に部隊配備先自治体の同意は必要か | トップページ | 自民党の生活保護削減案 »

2012年4月 1日 (日)

フォークランド紛争から30年

              イギリスの国旗     アルゼンチンの国旗 

 1982年4月1日の夜にアルゼンチン軍が英領フォークランド諸島(アルゼンチンはマルビナス諸島と主張)に侵攻し(サウス・ジョージア島には1982年3月19日侵攻)、フォークランド紛争は本格的な武力衝突となった。フォークランド紛争直前のイギリスは不況続きで軍の縮小が行われ、フォークランド諸島の主権をアルゼンチンに譲渡することが検討されるなど、かなり「弱腰」な姿勢を示していた。それをアルゼンチンに「付け込まれた」というのが紛争の端緒である。

 アルゼンチンが武力紛争と言う思い切った手段に出たのは、人口も少なく、交通の要衝でもなく、当時としては目立った資源もなく、本国からも地球を半周しなければならないほど隔絶した島をイギリスが武力で取り戻すメリットは何もないから、まさか反撃してはこないだろうと考えていたためだった。もし、フォークランド=マルビナス諸島を実効支配しているのが日本だったらアルゼンチンの思い通りになっただろうが、当時のイギリス首相は「鉄の女」の異名を持つマーガレット・サッチャーであった。反撃に尻込みする閣僚たちに向かって「この内閣には男は一人もいないのですか!」と言い放ったエピソードはよく知られている。

 サッチャー首相が一転して強硬な態度に出たのは、香港やジブラルタルなど同様の問題を抱えており、フォークランド諸島でのアルゼンチンのやり方を容認すれば同じ事が波及するという危機感を抱いたためで、ついでに言えばイギリス人は伝統的に戦争とサッカーには熱心である。

 かくして、イギリス艦隊は地球を半周してフォークランド諸島に到着してアルゼンチン軍を撃破して主権を奪回した。縮小されたとは言ってもイギリス軍は近代的な兵器や情報システムを持っていたのに対して、徴兵主体のアルゼンチン軍は装備も旧式で士気も低く、こうしたところが勝敗の分かれ目になったと言われる。もっとも、補給能力の低いアルゼンチンが本土からかなり離れたフォークランド諸島で戦ったことがアルゼンチンに不利に働いた感はあり、もしよりアルゼンチン本土に近いところで戦いが行われていたらどうなったか分からない。

 フォークランド紛争後、イギリスはフォークランド諸島に防空部隊と艦艇を定期的に派遣して防備を行う事になった。ある意味では、サッチャー政権初期にアルゼンチンに主権を譲渡するような態度を示してしまったことが、戦争とその後の継続的な部隊派遣というツケになってしまったと言える。何より、赤字を理由にしてイギリス軍の大幅縮小・外洋遠征能力の削減を行ったことが、アルゼンチンに付け入る隙を与えたわけで、同じような理由で国の機能を削っている日本の行く末が思いやられる。

 ちなみに、紛争後にこの海域からは海底資源が発見され、島の重要度は高まっている。一方で、喉元過ぎれば何とやらはイギリスも同じのようで、イギリスは航空母艦を事実上全廃、揚陸艦も早期退役させて海外売却と、フォークランド紛争前の軍備削減と同じようなことをしている。紛争から三十年を経て、再び該当地域で緊張が高まっていると言うのは、歴史は繰り返すと言うべきか。

« 弾道ミサイル防衛措置に部隊配備先自治体の同意は必要か | トップページ | 自民党の生活保護削減案 »