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2012年3月

2012年3月31日 (土)

弾道ミサイル防衛措置に部隊配備先自治体の同意は必要か

 増税論議、地方主権(日本解体?)など日本政治が混迷を極める一方でも国際情勢は動いている。我が国はグローバルと言いながら、国内の権力闘争が優先されて国際情勢に目を向ける余裕が失われつつあるようだ。それでも、イージス艦を展開させるとともに、首都圏及び沖縄にPAC3部隊を配備することを命じている。

 PAC3はイージス艦で迎撃できなかった弾道ミサイルを撃ち落とす地上部隊で、言わば「最後の砦」である。湾岸戦争の際にイラクがスカッドやアル・フセインをイスラエルに撃ちこんだ際、イスラエルが迎撃に用いたのがPAC3の前のモデルであるPAC2であった。確かに迎撃には成功したのだが、撃ち落とせずにイスラエル国内に落下したものも多く、時のイスラエル首相が「イスラエルがこのまま黙ってイラクのやりたい放題を容認し続けるとは思うな(=パトリオットで迎撃できないならば、イスラエルは湾岸戦争に賛成してイラクのミサイル基地を空爆するぞ。それが嫌ならアメリカがミサイル基地を叩け)」という趣旨の電話をアメリカ大統領にかけたエピソードがある。それでも、「ないよりまし」であることだけは確かだし、現在展開しているPAC3は湾岸戦争の頃に比べればかなり進歩している。はっきりしているのは、配備しなければ弾道ミサイルを阻止できる可能性は絶対にないと言う事だ。

 大阪市の橋下市長が「大阪に配備されないのはおかしい」と主張しているが、この主張は「自分の地域を特別扱いしろ」と言っているのと同義で、国政に出てからこの方がやろうとしていることが今から垣間見えてしまうのは他地域の人間としてはいささか恐ろしい。一方で沖縄県の仲井間知事は「PAC3部隊を配備するなら地元に説明しろ」と述べている。沖縄はともすれば軍事アレルギーが出やすい土地柄だが、地元自治体や市民団体が「同意しない」ことを理由として部隊展開しなければどうなるか。沖縄県民が文字通り「地獄の火の中に投げ込まれる」ことを政府は座視しなければならなくなるかも知れない。今回はとりあえず配備先の自治体に対して田中防衛大臣が説明して了承を得られたが、異論が出たら防衛大臣はどうするつもりだったのだろうか。

 そもそも、弾道ミサイル防衛措置に地元自治体の同意は原則的に必要ないと考えるべきだ。本来ならば地方政治も国際情勢に左右されることが珍しくない時代である以上地方政治家といえども国際情勢に対する判断力があってしかるべきところだが、地方の有権者はそんなことを望んでいない。望んでいたとしても、どぶ板活動に劣後する価値しか認めていない。配備と引き換えに補助金等の条件闘争の手段にされる可能性も高い。かかる現状では、地元自治体の同意など得ようとするだけ時間の無駄であるし、そうした手続きの瑕疵を狙う国もあるだろう。情報漏洩の懸念も高まる。撃ち落とされる心配のない地域を狙うのは加害国としては当り前であろう。

 無論、私有地を勝手に接収して配備するとか、地元住民を勝手に使役するというような真似は許されないが、弾道ミサイル防衛のための部隊配備に関しては、政府側の裁量権を広く認めるべきだ。配備自治体の同意は不要と解すべきである。

2012年3月29日 (木)

看護師試験問題にルビ

 小宮山厚生労働大臣は外国人が看護師試験に合格しやすくするため、来年度の試験問題から問題文の漢字にルビを振るなどの対策を取ることを明らかにした。さすがに母国語での受験を認めるには至っていないが、それでもかなりの優遇措置である。日本語の読み書きに不安がある看護師で、本当に大丈夫なのか。

 それにしても、日本人看護師に対する対応とは何と言う違いであろう。日本人看護師は不足しているわけではない。有資格者が他国に流れているわけでもなければ、看護師となる希望者が少ないわけでもない。キャリア・システムが整備されていないため「資格」ならぬ「死資」と化している例が多いのだ。その割合は看護師と准看護師を併せると五割近くに及ぶのである。

 まず、日本人看護師の活用にこそ目を向けるべきではないか。ついでに言えば、人材養成や昇進昇級の制度を整備しないままで日本人看護師の穴を外国人看護師で埋めたところで、行き着く先は離職である。

 今や小手先の対応はあらゆる分野に及んでいるが、こうしたツケはいずれそうした為政者を選択した国民自身が払う事になるのではないか。

2012年3月27日 (火)

フリーターを増やすことも辞さない野田総理

 野田総理は学生に対して、公務員採用を大幅に減らすことについて理解するよう求め、アルバイトやインターンシップをするように勧めた。全く、無責任極まりない話だ。安倍内閣の頃に「負け組」を「待ち組」に言い変えようとしていたのと大差ない。

 日本では昔も今も、新卒の段階が一番市場価値が高い。この段階で学生からアルバイトに移行したり、インターンシップなど就職しない「夢追い」を選択した場合非常にリスクが高いのは90年代以降の若者が陥った泥沼で証明されている。この「夢追い」には芸術家など従前の「夢を追う若者」以外にも、司法試験をはじめとする資格試験や大学院へ進学しての研究者志望者も含まれる。夢から覚めた時、多くの者に残っているのは奨学金と言う名の返すあてのない借金と喪われた若さだけだ。これでは、公務員を目指すことも「夢追い」になりかねない。公務員の枠が空いたらアルバイトをしつつ待機していた者を優先的に採用するわけでもなかろうから、「飛ばされる」世代には永遠にチャンスはないことになる。

 公務員を削減したところで民間の正規雇用が増えるわけではない。増えているのは非正規雇用だ。国が率先して正規雇用の枠を減らして平然としていれば、民間とて尚更非正規雇用として使い捨てることに良心の呵責は感じなくなる。野田総理はご自身が松下政経塾卒塾後はフリーターをしながら政治家を目指していたから問題ではないと思っているのかもしれないが、政治家を目指して成功できる者などほんの一握りだ。自身の例外的とも言える「成功体験」を若者に押し付けられては迷惑極まりない。野田総理はフリーターを増やすことも辞さず、非正規雇用は問題でもないと考えているのではないか。

2012年3月25日 (日)

「TPPはビートルズ」という意味不明な理屈

 野田総理が「TPPはビートルズ。アメリカがション・レノンなら日本はポール・マッカートニー」という意味不明な例えをした。もし、本当にTPPをそのようなものだと考えているのだとしたら、まことに恐ろしい事である。

 TPPは簡単に言えば「アメリカのアメリカによるアメリカのためのルール」が参加国共通の貿易ルールにされるという条約だ。過去も現在も、覇権国がルールを作る場合、ほぼ間違いなく自国に有利なルールを作る。そして、従属している国が不利益を受けることになる。それでも従属する理由は軍事力で脅されているか、従属する別のメリットがあるかのどちらかだ。日本の場合、別段アメリカに軍事力で脅されているわけではないから、後者の理由になるだろう。

 TPPが無秩序な市場競争に歯止めをかける組織ならば、「調和」という点からビートルズにもなるだろう。しかし、実際のTPPはそのような意図で制度設計されていない。アメリカが日本を「食う」という意図で進められている。TPPによってアメリカで雇用を生み出すと言う事は、日本で減らすと言う事だ。パイが拡大しているわけではないし、労働者への配分は一貫して減少傾向にあるからである。これは「調和」ではなく闘争を拡大するものだ。音楽グループとはむしろ正反対とさえ言える。

 たしかに、東アジアの安定のため、安全保障上で日米は調和して行く必要がある。しかし、我が国の経済はもとより社会システムまでアメリカにあわせる必要性そのものがない。中国の脅威が増す中で安全保障上アメリカのいいなりになるしかないというのは一面では真理であるが、アメリカの属国になる方が中国の属国になるよりマシだというのはあまりにも極論だ。

 今まで「自由競争」「市場主義」が正しく、政府など公共の介入するものは「社会主義」であるという宣伝がされてきた。しかし、それが推進されて二十年近くになるが、これが多数の国民を幸せにしたのか。日本を強国にしたのか。むしろ逆である。中間所得者層は下層階級に転落し、雇用の不安定化は長期的な視野に立った人材を養成する力を組織から奪い、日本全体がその場限りの評価を求めた対応をするようになってしまった。これでは日本製品にリコールが多発し信用を失っていくのは当たり前だ。そろそろ、スローガンを疑う事が日本国民にとって必要ではないか。

2012年3月23日 (金)

自衛隊に対する好印象

 世論調査で自衛隊に対する好印象を抱いている人が9割になることが分かった。東日本大震災では陸海空自衛隊は苛酷な環境の中で任務を遂行したことは国民に勇気と感動を与えた。これでは、評価が低くなる方がおかしいと言うべきだろう。

 自衛隊はその存在そのもので我が国と国民を守っている。同時に、世界各地で災害が起きれば救援のために出動しているし、平和維持活動の実績も積んできた。ソマリア沖では現在も水上部隊と航空部隊が行動中である。単に日本のシーレーンを守るだけでなく、国際交易の安全を守る一翼をも担っている。

 ただし、そうした危険任務に対して使用者側である日本政府が物心ともに報いているかと言うと、そうとも言い難い。被災地派遣では相当数「過労死」の疑いのある自衛官が出ているし、被災地派遣以外にもイラク派兵やインド洋・ソマリア沖派兵で自殺者が続出している。これは見過ごされるべきではない。

2012年3月22日 (木)

おめでとう!高橋先生(笑)

 同志社大学文学部社会学科産業関係学専攻の同期である高橋先生から、常勤講師のポストに内定したとの連絡が入った。彼はここ数年非常勤講師として教鞭を取ってきたが、四月からは常勤の講師として教育を行いつつ研究に従事することになる。

 大学卒業後私が実務家の道を志向したのに対して、彼は研究者の道を歩んだ。と、言っても、我々が同志社を卒業した10年前に産業関係学専攻には大学院がなかったため、外様として外の大学に出ざるを得ず、九州大学から一橋大学へ移り、十年に渡って難行苦行を重ねてきた。高収入とは言わなくても多少の収入が期待できる実務の世界に比べて、研究者の世界は金銭的に非常に厳しい。非常勤講師というアルバイトはあったが、コマ数が少なければ準備にかける手間暇に比べ収入はたかが知れている。

 苦しい思いをしつつ、研究を続けても研究ポストに就くのは難しい。コネがある人でも大変なのだが、コネも何もなく公募で採用されたのだから、これは彼の研究と教育姿勢が評価されたと素直に喜びたい。決して華やかな研究ではないが今後の日本社会のためには必要な研究であるし、彼は大学時代から後輩の指導にも熱心であった。大学教員は研究者であると同時に教育者でもあるが、教育のレベルは研究者としてのレベルと必ずしも一致するものではなく、研究者としては超一流でも教育内容が悲惨なことになっている大学教員は珍しくない。そんな中でも、教育にかける情熱は見事で、非常勤講師先の学生に理解させるために様々な工夫を重ねている。

 今までも地道に研究を積み重ねていたが、安定した研究環境を活用して、より研究を充実させて行って欲しい。簡単な道ではないだろうが、今後が楽しみだ。また、相当な熱意で講義に臨むであろうから、学生諸君もこの機会を存分に生かして学んでもらいたいものだ。

2012年3月21日 (水)

北朝鮮が自称「人工衛星」打ち上げ予定

                           朝鮮民主主義人民共和国の国章

 北朝鮮が人工衛星の打ち上げを表明した。打ち上げに外国の関係者を査察に入れてもいいとまで言っている。宇宙の平和利用ならば宥恕する余地がないわけではないが、北朝鮮は今までウソばかりついてきた国だから、簡単に信用できない。

 記憶に新しいのは「光明星一号」と称する「飛翔体」の打ち上げ実験だ。北朝鮮はこれが「人工衛星」であり「金日成将軍の歌」を流しながら飛行していると発表したが、北朝鮮当局以外にこの衛星を追跡できた国や機関があったわけでもなく、「金日成将軍の歌」を受信することもできなかった。あのスプートニク1号すら動きを捉えたフイルムが残っているのに、光明星一号では何も残っていない。人工衛星だという北朝鮮の説明は非常に疑わしいもので、弾道ミサイルの発射実験だったと言うのが先進諸国の見方である。

 もっとも、日本政府は北朝鮮との溝を作ることを警戒してか、こういう物体を「ミサイル」と呼ばず「飛翔体」という、何やら中学校の運動会あたりで聞いたスローガンを彷彿とさせるような名前で呼んでいる。

 打ちあげるとすれば「テポドン2号」か「テポドン3号」と思われるが、本当に人工衛星であると考える余地が全くないわけではない。ただ、何れにせよロケット技術と弾道ミサイル技術は双子のようなもので根の部分は共通している。北朝鮮がロケット技術を進歩させると言う事は、ミサイル技術を進歩させていると言う事でもある。今や「極東の狂犬」と言うべき北朝鮮が、かかる技術を進歩させることを許容するのは我が国の安全上非常に危険だ。

 政府は弾道弾を追跡・迎撃できるイージス艦を配備するとともに、通過すると予想される地域にPAC3部隊を展開させることを表明した。恐らく、実弾を撃つことはないだろうが、準備をしておくことは我が国の姿勢を示すうえで重要である。イスラエルならばバビロン作戦のように攻撃隊を発進させて発射基地を核施設もろともピンポイント攻撃で破壊することも選択肢に入れるだろうが、我が国ではそれは不可能だ。法的にはともかく、空母を持たないため日本の陸上基地を発進した攻撃隊は基地に戻るまで燃料が持たない。イージス艦とPAC3は今できる最も堅実な備えと言える。間違っても「近隣諸国を刺激しないように」という理由で展開を控えるようなことはしないほうがいい。

2012年3月19日 (月)

韓国よ、悪いところを真似してどうする

 韓国の古里原原子力発電所で電源が12分間喪失していた問題で、関係者は「福島原発事故から1年になり原発の安全への関心が集まっていたから」という理由で隠蔽していたことが明らかになった。内外に問題視されたくないという姿勢が見え見えで、隣国の原発事故から何を学んだのだろうか。東電の悪いところを真似してどうするつもりだったのか。

 東日本大震災発生直後から現在に至るまで、政府と東電は情報を隠蔽し、明らかになる度に「お詫び」し「隠すつもりはなかった」と言い続けてきた。従来も原発・原子力行政はあまり情報が明らかになることもなく「安全だ」ということだけが喧伝されてきたゆえに、国民の不信は一気に高まり現在に至っている。問題発生後ただちに公表したところで問題がなくなると言うわけではなく放射能が消えるわけでもないのだが、少なくとも隠蔽していたことが明るみになれば不信と不満の拡大再生産となるのは必至で、そうした際の多大な信頼喪失よりはまだ痛手を負わずに済む。

 日本政府に強い影響力を持つソフトバンクの孫正義社長は韓国に出かけて「日本の原発は危険だが韓国の原発は安全だ」と発言していたが、一体何の根拠があったのだろうか。韓国の原発も問題を抱えていることが明らかになったし、何より日韓ともに「隠蔽体質」であることに実は違いはないのではないか。

 日韓を含めて伝統的に民主主義をもったことのない東洋の国は、欧米諸国に比べて「民はよらしむべし、しらしむべからず」という体質が強いように思われる。しかし、国民とていつも賢明な判断をするであるとは到底言えないものの愚民というわけではない。まして、その国民が主権者として政策決定権を持っているのである。とにかく隠蔽しておいて、発覚すると国民に不信と不満だけ与えるような伝統的なやり方は、最早限界にきているのではないか。

2012年3月17日 (土)

さよなら100系&300系

 東海道・山陽新幹線で活躍した100系と300系がともに引退を迎えた。100系も300系もよく乗った列車だけに、一抹の寂しさを禁じえない。

 もともと東海道新幹線は長らく0系ばかりが走っており、古くなった0系を新しい0系で更新すると言う事を続けていた。ある意味、「国鉄」時代らしい話だが、それだけに「キツネ目」の100系は斬新に見えたものだ。私は1987年に家族旅行で広島、1996年に高校の修学旅行で博多から乗った。大学入学後は新幹線に乗る機会が増え、今や新幹線に乗ることは珍しくもなんともなくなってしまったが、当時は新幹線に乗る機会はほとんどなかったから、乗ること自体が楽しかったものだ。

 100系と言えば、バブル時代に「シンデレラ・エクスプレス」としてJR東海のCMにも登場し、あの時代の顔であった感がある。100系自体、個室を備え乗り心地はその後の新幹線よりも高いレベルのもので、山陽新幹線に追い出された上で引退に追い込まれたのはスピードを出せないことと省エネの問題だそうだ。最早「列車に乗って旅を楽しむ」という時代ではなくなってきたのだろう。最後に乗ったのは昨年に神戸から名古屋に戻る途中の新神戸と新大阪間であったが、自由席まで全てグリーン車の座席が移植されており、引退前にしても乗り心地は良かった。

 300系は登場当時「のぞみ型車両」と呼ばれていた。1998年に大学入学した後は京都と名古屋を新幹線で移動する機会が増えたが、当時の「のぞみ」は全席指定。自由席で乗れる「ひかり」に300系が来ると一寸得をした気分になったものである。ただし、顔つきは見なれた0系100系と比べてかなり「異様」に見えた。「鉄仮面」と呼ばれたのも頷ける話である。

 東海道・山陽新幹線には個室も食堂車も、今はもう見られない。東海道・山陽新幹線は「ビジネス特急」となり、速さと正確さと安さが重要になってきている(私はその方向性によるサービスに満足しているが)。その点で、東北新幹線は色々な車両が走っていて楽しいが、迷う事も多い。

 なお、100系も300系も走る姿はもう見られないが、名古屋の「新幹線・リニア館」に行けば0系も含めてかつての雄姿を見ることができる。

 戦後の日本が生みだした「新幹線」は着実に歩みを進めている。次はどのような方針で新型車両が登場してくるのであろうか。 

2012年3月15日 (木)

公務員を採用せず

 政府は公務員採用を大幅に削減する方針を決定した。野田総理は公務員志望の学生に対して財政難だから我慢してくれと言う。公務員志望の学生はたまるまい。中高年のために、まさに若者が将来を奪われようとしている。公務員を減らすことを至上命題にしている野田政権だが、このようなことをやっても国家に益はないであろう。

 まず、若い世代を採用しないと言う事は、将来の人材も失われるということである。我が国の官公庁は「外部登用」という制度は全くの非主流であり(例が全くないと言うわけではない)、外部人材を登用するノウハウもない。大企業から一時的に出向を受け入れるくらいがせいぜいである(その出向が何をもたらすかは推して知るべし)。例えば、幹部自衛官にしても公募幹部として外部の専門家を登用する道は非常に限定されていてほとんど例がないし、将官となれば防衛大学校OBの独断場だ。

 将来の人材活性化の策として新卒採用をせず外部から経験者を入れると言う方法は、日本の場合大してあてにならない。もともと日本では「この道一筋」が尊ばれる気風もあるのだろう。したがって、新規採用を減らすことは、そのまま公務員組織の老化と硬直化を招く。組織の中で人を育てると言う事を国家自ら放棄するのだから、これはもう国の将来を放棄したのと同じ事である。

 次に、新規採用を民間が抑制している現在、公務員まで大きく採用を抑制すれば、「玉突き現象」が起こる。最終的には、貧困層を更に増やすことになる。パイは限られているからだ。若年者の貧困問題も年金不安も、突き詰めれば若い世代に対して労働条件が悪化していることに原因がある。そして、その悪化は景気の動向だけでなく、政策的に誘導された面が間違いなくある。またしても「自己責任」で切り捨てようと言う意図が見え見えだ。

 また、公務員の採用を減らしたとしても、それで官公庁の行う仕事が減るわけではない。結局、民間企業に下請け孫請けで請け負わせることになる。かかる仕事では、公務員は絶対的な「職員様」として民間受託業者の上に君臨し、民間企業はいつ受託が終了するかもわからないビジネスゆえ、非正規労働者をかき集めてつぎ込む。かくして、いつの間にやら公務由来のワーキングプアが増えていく。守秘義務や責任は公務員と同等のものを負わされる一方、民間の水準から見ても低い待遇の職場に有能な人材が集まる訳もない(仮に紛れ込んだとしても、将来に全く繋がらない使い捨て扱いを受けるのだから、嫌になるのは当たり前だろう)。かき集められる労働者は組織の中で大事にされるわけでも育てられるわけでもないから、人材は育たない。結局、長い目で見ると国民に対してなされるサービスの質は間違いなく低下する。そして、コストは思ったほど減らないか、むしろ公的扶助などを通して増えることになる。かくして、甘い汁を吸うのは受託業者の幹部ということになる。

 政府が目先の数字を見せつけて選挙を有利にしようと画策するのは民主党政権にはじまったことではなく、小泉政権からその傾向は強かったが、民主党政権になってからますますその動きが加速している。政府がこのような有様では、民間においても長期的な戦略や人材育成など考えもしなくなるだろう。公務員を極端に優遇せよとは言わないが、公的サービスの提供と言う面だけ見ても、公務員の頭数を減らすだけでは社会にとって有益な改善とはならない。

 政府は、日本から人材を喪わせたくて仕方がないようだ。

2012年3月13日 (火)

台湾代表献花できず

                          中華民国の国旗

 3月11日に行われた政府主催の東日本大震災犠牲者追悼式典で、台湾代表が献花できなかったことが判明した。台湾は東日本大震災が起きるや独立派・統一派という政治的立場を越え、朝野を挙げて日本に対する支援を表明し、義捐金だけでも200億円が寄せられている。にもかかわらず、その後の日本政府による台湾に対する態度は非礼極まりないものだ。

 いち早く内政部が中心となって組織した救援隊は日本政府の受入表明が遅れて台北に足止めされ、何故か中国と韓国の救援隊が現地入りした後に受入表明がなされて日本に向かっている。感謝広告も台湾では何故か行われなかった。そして今回の献花問題である。発覚後に「そんなつもりではなかった」と「遺憾の意」を表明するのも同じだ。ここまで続くと親中政権による「台湾排除」が本音なのではないかと思えてくる。

 台湾と日本はともに地震国であり、従来も相互に助け合ってきた。にもかかわらず、一連の日本政府の態度は台湾との紐帯など不要だと言わんばかりである。中国政府への遠慮ではないかと言われているが、そんなことをして中国政府が日本に対して厚情を示すとでも考えているのだろうか。むしろ、対日政策で与し易しと見られるであろう。そもそも、中国とてそんなことで「差をつける」ことを大して歓迎すまい。

2012年3月11日 (日)

東日本大震災から一年

 景気のいい東京や名古屋に引っ越せばいい。なんで引っ越せないんですか?

             2007年6月23日 NHKの番組に出演して

             八代 尚宏 (国際基督教大学教授 当時内閣府経済財政諮問会議議員)

 本日、2012年3月11日は東日本大震災から一年になる日である。犠牲者の冥福を祈りたいと思う。

 震災から1年が過ぎたが、今なお数十万人が避難生活を送り、復興の目途もなかなか立たない。福島原発事故の処理のように、何十年間も当該地域を封鎖せざるを得ないような事態すら続いている。震災は終わって復興に進みつつあるのではない。今なお震災は続いていると思わなければならない。

 日本全国が震災と円高による不況のただ中にある現在、悲観的な見方をすれば被災地・被災民に対する支援と同情もいつまで続くか分からない。人間は誰しも自分の身は可愛いものであるし、何より自身の経済的基盤がなければ弱者に手を差し伸べることは難しかろう。日本経済全体を発展させ、十分に被災地に金が回るようにし、被災地が経済的に自立できるような措置を講じなければ、不十分な金をだらだらと被災地につぎ込み続けることになるであろう。

 既に、稼得能力のある人々は被災地を離れつつある。企業倒産縮小が相次いで失業者が増加しているが、被災地で好景気となっている土建業にマッチングさせるのは簡単ではない。失業者に対して「原発で働け」というような暴言がネット上では珍しくないが、選択肢は決して多くない。若い世代が被災地を離れる傾向があるのは当然と言えよう。結果として、被災地には土地にしがみつかざるをえない人々即ち高齢者と一次と二次産業の一部だけが残ることになる。これらの層は救貧と公共事業に依存せざるを得ない。これでは、被災地の経済的自立など夢でしかないし、むしろ国内の他地域から復興名目で金を集めてはつぎ込む悪循環を招くことになることは必至だ。

 構造改革を振りかざし、「仕事がなければ引越せばいい」と言い放っていた経済学者は多かったが、実態を調べれば不可能であることは経済学の学位など持っていない私でも簡単に分かる。技能や技術や専門知識があれば、他の地域に移っても仕事はできる。しかし、農業は土地が変われば全く手法は変わってくるし、第二次産業の中小企業においては特殊な技術を持っているものは全体から見ればごく僅かでしかない。必然的に、人間関係の中で仕事をもらってくることになる。彼らが「顔」に異様に拘るのは、このあたりに原因がある。顔がなければ仕事は来ないし、仕事の循環の中に入ることすらできないからだ。別の地域に移ると言う事は、こうした絆が全て失われることを意味する。彼らにとって、それは仕事の入ってくるルートを喪うことであり、枯死を意味するのである。無論、私はともすれば談合や不正の温床になってきたこうした構造を全面肯定はしていない。しかしながら、他に生きる道を与えないまま放置しておくことにこそ責任があり、生きるためにはそうせざるを得ないのである。

 さすがに震災以降は公然と「仕事がなければ他の地域に行け」と言い放つ学者は少なくなったが、それは彼らが今までの経済政策を反省しているのではなく、単に「絆」「地域」という風潮の中で、そのようなことを言えば反発を食らうからにほかならない。彼らが従前の政策や姿勢を反省した形跡はほとんど見られない。TPPや特区などが今後どんどん表に出てこれば、再び彼らの論理がまかり通ることになるだろう。そうなれば、被災地に住み続けていること自体が自己責任となり、苦しみは自業自得であると言い放たれることになるであろう。そうした道につながる政策を推進すると主張している政党や政治家が支持を集めているのは驚くべきことだ。

 被災地に行くことだけが復興に携わることではない。ましてや、瓦礫を片付け泥をかき出すだけが支援ではない。個々人が日常生活も含めて「できること」をしていくことが重要ではないか。その中には、日本経済を向上させることも含まれる。いや、むしろそれこそが震災の爪痕から被災者を救う道となる。ただし、トリクルダウンというのは幻想に過ぎないから、配分には公共が適宜介入する必要がある。

 まだまだ、先は長い。

 

2012年3月 9日 (金)

競り下げで何が起こるのか

 民主党は行政改革として、「競り下げ」という手法を用いようとしている。これは、入札において最低価格が出た後、再度それより低い価格での入札を求めると言うものだ。これによって、更に入札の価格を下げコスト削減になると主張されている。

 既に、自治体の指定管理者制度では、再落札の際に前回落札よりも低い金額で落札される例が相次いでいる。前回の落札価格がひとつの「基準」となるから、落札を狙う企業は前回落札価格より低い価格で入札するし、継続落札を狙う従前の受託企業もより低い金額を提示せざるを得ない。

 表面上の数字だけ見れば、落札価格が低くなることで支出を減らすことができる。しかしながら、社会にとっていいことばかりなのかというと、実はそうではない。

 落札価格が低くなると言う事は、企業側の利益は確実に減る。しかし、そのような中でも民間企業は営利団体であるから赤字を出すような真似はできない。そこで、真っ先に削られるのが人件費ということになる。或いは、更に下請けに出すことによって自社において労働者を抱え込むことを避け、リスクを回避しようとする。このあたりは、自由放任の経済下では当然の動きと言えよう。

 必然的に、労働者の待遇は切り下げられる。切り下げられても雇用が確保されていればいい方で、あらかじめ労働契約を受託終了までとし、再受託を機に従前の労働者との契約を終了させた上で新たに安く使える労働者を雇い入れているケースも珍しくない。

 つまり、落札が行われるごとに労働者への配分がより低くなるよう動いているわけだが、それでも指定管理者制度では契約年単位で行われていたことであった。しかし、「競り下げ」が行われると、これが一気に行われることになる。

 本来ならば、仕事を発注する役所側は受託企業において労働条件が確保されていることを最低限の入札条件とすべきであるが、そのようなことをすれば受託企業側の「うまみ」は減る。官公署の仕事は「誰でも」受託できるわけではない。ゆえに、役所と受託企業側の間に何があるかは、時代劇でも見ていれば簡単に想像できる。何の制約もなければ、役所側が受託企業の労働条件に目をつぶるようになるのは推して知るべしであろう。

 官公署の契約は、単なる債権債務契約ではない。経済活性化のための方策と言う面もある。その面を軽視することは、間違いなく労働者にまわる金を減らす方向に動くことになる。結果は、役所が生み出す貧困、ワーキングプアだ。皮肉なことだが、自治体からの受託企業で働く労働者がその賃金だけでは最低限の生活すらままならず、発注元の自治体に生活保護を申請したところ認められたと言う笑えない話もある。

 入札価格を下げると言うのは行政改革の大義名分であるが、それによって新たに支出が必要となることを民主党の担当者は理解しているのか。価格を下げよう下げようとすれば、企業としても生き残りのためにますます悪事に手を染めねばならなくなる。労働条件悪化のみならず、安全や衛生の保全も怪しいものだ。受託を希望する企業に対して労働条件や安全確保を義務付けるだけでなく、中立の第三者による労務監査を義務化することにより実効性を確保する措置が必要であろう。

2012年3月 7日 (水)

プーチン首相が大統領に返り咲き

                        

 ロシア大統領選挙は下馬評通り、第一回投票で前大統領であるウラジーミル・プーチン首相が過半数の得票を獲得して順当に当選した。今回からロシア大統領の任期は従前の4年から6年に延長され、大統領はますます「ツァーリ」に近いものになりつつある。

 モスクワなど大都市部では知識人を中心にプーチン首相に対する批判の声も強く、得票も伸び悩んだ。しかし、ロシアの多数はナショナリズムも相俟って「強いロシア」を望んでいる。何しろ、あのスターリン時代すら「懐かしい」と思う者が多いのだ。プーチン首相が大統領に復帰して強権的な政治を推し進めたとしても、ロシア国民の大多数は「頼もしいリーダーシップ」と好意的に取るであろう。それで自由を奪われたとしても、大阪府民や名古屋市民のように歓声を挙げて喜ぶに違いない。

 既に、反プーチンデモを行った者が大量に逮捕されている。ロシアの歴史で「粛清」は伝統行事だが、これから本格的に反対派の粛清に乗り出して行くに違いない。

 プーチン首相と言えば柔道家としても有名である。しかし、彼が日本発祥のスポーツの愛好家であるからと言って、好意的な対日政策など期待しない方が賢明と言うものだ。国内の不満を逸らすには外に敵を作るのは常道だし、日本はいい「金づる」である。柔道着姿を披露することでそれを糊塗できるのなら安いものであろう。

 橋下市長や河村市長を礼賛する日本人は、最早ロシア人を笑ってもいられない。これからロシアで起きることは、我々の現状を映し出す鏡となるのではないか。

2012年3月 5日 (月)

祖父江中学校バレンタイン事件

 愛知県稲沢市の市立祖父江中学校において、生徒が学校内にバレンタインチョコを持ち込んだことを理由として、一部の部活動を一週間ほど停止されていたということが明らかになった。「勉強に不用な物は持ち込まない」という校則が理由なのだそうだが、時代錯誤も甚だしい。

 社会性を身に付けていくためには、学生時代のイベントは必要だ。学校も含めて、組織と言うものは公的な繋がりだけで成り立っているわけではない。実際、社会に出て組織の中で意見を通したり問題を解決したりできるかどうかは、公的なルートより私的なルートを活用できるかで決まることが多い。ここでの「土地勘」を身に付けることができずに社会に出ると言う事は、ペーパードライバーが大阪市内を走るより危ないことになる。愛知県はかつて管理教育のメッカと言われ、日本国内でもとりわけ従順な人間を作ることに血道を挙げていた土地柄であるが、そうした人間が今や社会に出て一番馬鹿を見ている。

 バレンタインデーにおける菓子の授受も、人間関係を円滑にする一種のツールであって、そうしたものまで「勉強に関係がないもの」として否定することはいささか短絡的であろう。

 部活内で交換していたところから考えると、異性への告白を伴う「本命チョコ」はほとんどなかったのではないかと思われるが、それでも全くなかったわけでもなかろう。思春期において異性との交際方法を段階的に身に付けていくことは重要だ。恋愛結婚中心となった我が国においては恋愛がなければ結婚は原則的に成立しない。思春期にそのような機会を得なかった者が、私も含めて未婚男性として世に溢れ、結果として少子化を加速させている。西欧某国のように学校側が率先して恋愛の機会を作れとは言わないし、中学生が学校内でひそかに情を通じるようなことになっては困るが、恋愛の端緒となる機会を潰すような真似はしないほうが宜しかろう。

 また、「校則」があるとしても、一度決めたら金科玉条の如く守るべきものではない。確かに、学校も組織である以上、職場における就業規則のように一定の決まりは必要だ。しかし、チョコレートを持ち込んだところで何か問題が起きるわけでもない。覚せい剤や大麻を持ち込んだようなケースとは根本的に異なる。解釈も問題であり、今回の場合は、「不必要に対象を拡大した不合理な解釈」が行われたと言える。

 懲戒という名目であろうがなかろうが、部活を停止するという処罰をする以上は当然事前に明示された根拠があって、不服申し立て等も含めた適正な手続きで行われている必要があるが、その点も怪しいものだ。何しろ、懲戒を受けるべき筋合いのない学生まで部活そのものが停止になったため部活ができなかった。実質的には連帯責任を取らされたわけである。

 日本人の「法感情」「法意識」という問題について、考えさせられる事件ではあった。

 菓子類の持ち込みが禁止されていたとしても、バレンタインデーやホワイトデーは大抵の場合「違法性阻却事由」とても言うべき状態にして黙認されていることが一般的であるように感じる。大抵の場合担任教員や部活の顧問も受け取ったりお返しをしたりしているから、生徒を処罰し始めたら教員も懲戒処分を行わなければならなくなってしまう。それでは日教組でなくてもユニオンに駆け込む者が続出することになるであろう。

 もし、祖父江中学校でチョコレートを受け取っていた教職員がいたとしたら、当局はいかなる処罰をするのであろうか。

2012年3月 3日 (土)

日本人にとっての「議事録」

 東日本大震災に関連する政府の会議でほとんどまともに議事録が作成されていなかったことが問題となっている。マスコミは政府与党を「記録作成への意識が低い」と叩いているが、彼らとて本当に記録作成への熱意があるか、実のところ怪しいものだ。

 何故「記録」を残すのか。根本的な問題が問われなければならない。一般的には、後から参考にするために記録を残すのである。したがって、議事録は議事進行と論議のプロセスが残るものでなければならない。しかし、こうした議事録を作ると、困る人たちが出てくる。

 何も、会議の内容が機密に値するわけではない。意味不明の発言をする者、論旨が混乱した発言をする者、簡単に言い分を変える者にとっては、会議の発言が発言内容通り「残る」ことは大きな問題なのだ。それでも議事録を作るとなると、そうした出席者の「顔を立てる」かたちで発言内容や論旨の運びの改竄が求められる。実際、私も作成したむ議事録の「改竄」を要求されたことは一度や二度ではない。そのような議事録ばかり残ることになると、これは「記録の正確性」として欠けることになるし、そのような記録が会議のプロセスを残すものではない以上、役に立たないことになるから、議事録を残そうと言う意欲も失われよう。

 政府に限らず、日本の会議の議事録はともすれば「発言者の顔を立て」「円満解決」したようなものに改ざんされていることが多い。そのような体質が根底にある以上、記録を残すと言う意識が低くなるのも当然である。無論、私はそのような体質は後から「振り返る」ことができなくなるから悪しきものであると考えている。

 今回の事件を機に、記録を正確に残すことの重要性が認識されることを祈りたい。

2012年3月 1日 (木)

返済の難しい奨学金

 学生時代の奨学金を返済することができず、独立行政法人日本学生支援機構から返済を求める訴訟を起こされる例が相次いでいる。卒業しても就職先が見つからず、見つかったとしても低賃金、不安定雇用では、なかなか返済できる資力はあるまい。奨学金を返すのが大変だと言う話は私が大学を卒業する十数年程前から聞かれていたが、奨学金返済要求は年々厳しくなっている。

 教育も経済学的に言えば「投資」である。高等教育を受けることで、高い収入と安定した仕事を得られる傾向があるのは日本に限ったことではない。しかし、高等教育への進学者が増えたのに対して、従来高等教育修了者に対して用意されていた椅子はむしろ少なくなる傾向がある。これは不況に原因を求めるだけで説明は十分ではない。財界は90年代初頭に既に正規労働者を削減して非正規雇用に置き換える意向を明確にしており、それは実現された。非正規雇用に置き換えられるのは一般的なワーカーに留まらない。むしろ、専門職についても組織でそれほど日常的に必要とされなければ、非正規で置き換えられる。

 競争試験で選抜される公務員は、地縁血縁を持たない若者にも門戸を開いていた公務員は大幅に削減されてしまい、試験によって就職することは容易なことではない。従前、公務員試験や教員採用試験は年齢が高く民間企業ではなかなか採用されない若者や一度失敗した若者にも試験と言う公平な方法によるチャンスを与えてくれていたものだが、その椅子は年々少なくなっている。

 加えて、官民を問わず高年齢になった労働者の雇用を守ることが求められ、これが結果として若者のチャンスをも奪っている。これでは、高等教育を受けながら職にあぶれる若者が増え、奨学金と言う借金返済の目処が立たなくなるというのも当然であろう。

 奨学金返済に行き詰まる若者は日本だけの話ではない。アメリカでも既に同様の問題が生じている。日本以上の「学歴社会」であるアメリカでは、どのレベルの高等教育を受けたかでその後の人生が決まってしまうが、最近では高等教育を受けた者が増えたこともあって、例えばビジネススクールでもトップ20くらいのところを出ていないと大手企業の経営部門への就職は難しいと言う。いずれにせよ、労働者がなかなか投下した資本を回収できない傾向は同じだ。高校に、大学に進んだ結果、かえってワーキング・プアに転落していく姿は「ワーキング・プア アメリカの下層社会」で詳細に記述されている。

 これでは、若者は学ぶことについて努力をしなくなるであろう。特に、中堅以下の高校になると、教員も進学を勧められなくなるのではないか。同時に、我が国はますます高度な一部の知的階層と、そうでない階層の差を生じさせることになる。知的階層は自らの力で生き抜けるであろうが、そうでない階層が生き残るには「絆」を大切にする必要がある。しかし、これももろ刃の剣だ。中国の「会」や「幇」を見ても分かるが、生存のために団結した結果、かえってタテヨコのしがらみから抜け出せなくなり公平や公正が脇に追いやられるようになる危険性は高い。その中で新たな搾取構造が生まれるのは歴史の教えるところで、貧困層がとめどなく転落して行くレールは既に施設されていると言うしかない。

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