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2011年2月20日 - 2011年2月26日

2011年2月26日 (土)

祝・ご結婚

 今日は小中学時代の同級生の結婚式の二次会に出席させていただきました。幸せそうな新郎新婦の表情を拝見していますと、私の方も何となく幸福な気分にしていただきました。この場をお借りして、改めて祝福させていただきます。
 さて、新郎新婦は職場結婚で、職場の旅行会で親しくなり、交際を重ねて結婚されたそうです。かつては、こうした新郎新婦の出会いは左程珍しいことではありませんでしたが、現在は少なくなっていると言われています。それと同時に、結婚できない若者が激増している。これは無関係ではありません。この問題について考えてみましょう。

 親しくなったのは職場の旅行会ということでしたが、かつて男女を結び付けたこうした職場内でのイベントは減っています。これには、いくつかの原因があります。まず、企業側に体力がなくなってきたということがある。こうした職場内のイベントは大なり小なり企業側が必要経費を支出していたものですが、経費節減と言う事でそうしたことができなくなりました。住宅手当や通勤手当すら削減の対象にされるご時世です。
 次に、職場内のイベントが半強制のようなものになっていた場合、そこでの事故やハラスメントを使用者責任として認める裁判所の判決が出るようになりました。上司が若い女子社員に対してお酌を強要するのが典型事例ですが、経営者側にとって、リスクを抱え込むことになってしまったわけです。
 また、労働者側の趣味や趣向が多様化するに従って、職場内のイベントを楽しんでいるのは一部の労働者だけになり(特に年長者や上司)、それ以外の労働者にとっては「苦痛」「付き合いで仕方がなく」参加するものになってしまいました。
 こうした帰結として、職場内イベントは減っているわけです。これが同時に、職場内での交際のきっかけをも失わせることになっていきました。

 続いて、職場結婚の前提となる職場恋愛について考えてみましょう。
 実は、セクハラとして申し立てられるケースには、加害者とされる側が恋愛だと思い込んでいたり、中には端緒は双方とも恋愛だと思っていたということが多いのです。かつては、多少の性的嫌がらせは特に女子社員は甘受すべきだと言われていたものですが、最近はそう甘くありません。ついでに言えば、セクハラは典型的にイメージされる「年上の男性上司が年下の女性部下に対して行う」という図式のみではなくなりました。その逆もあれば、同性同士ということもある。部下から上司に対してなされるケースすらあります。
 セクハラを防止する方法として、職場内での恋愛を抑制するというのは、経営者側としてはセクハラ対策として取り得る選択肢のひとつであることは間違いありません。労働者側も、いつ被害者になったり加害者になったりするか分からないとなれば、慎重にならざるを得ないでしょう。さすがに職場恋愛をすることを職務専念義務違反として懲戒処分の対象にするという就業規則は聞いた事がありませんが、セクハラの抑制や仕事の効率化を追求していけば、そのようなことになる可能性も全くないとは言い切れません。
 
 職場結婚のメリットとしては、かつては男性正社員の働きぶりや出世の可能性などを女子社員が吟味して結婚できるということがありました。言うまでもなく、現在は男女ともに雇用の非正規化が進んでいます。女性はともかく男性の非正規労働者は恋愛や結婚の相手として対象外にされがちですし、そうした男性の側は異性に対して消極的な行動を取りがちです。周囲から負け組扱いされていれば、そのような心境にもなりましょう。また、優しい男性の場合、自分と結婚などしてしまったら相手が不幸になると考えていることも多い。
 また、非正規労働者はもとより正規雇用の労働者にしても、昇給やベースアップの機会がなく、賃金が抑制されるとともに、家族手当を含む各種手当も削減される傾向にあります。家庭を持つことによるメリットは少なくなる一方、デメリットが際立つようになってしまいました。

 一方、「男女共同参画」の掛け声の下、女性の就労は増加傾向にあります。しかし、女性の場合は男性以上に二極化が進んでおり、フルタイムの長時間労働を求められる正規雇用の労働者と、低賃金の非正規労働者の格差は開いている。また、育児休業や育児中の時短など、一見すると制度は整えられているように見えますが、実際に利用できないケースが珍しくありません。ワーク・ライフ・バランスというのも、掛け声だけになっている感があります。経営者側としてはあまり不利益な事はしたくないわけですし、罰則などがないか、あっても緩いかそもそも適用される事がほとんどないことが、それに拍車をかけています。
 
 私は、非婚・少子化対策としては、新たな制度を導入する以前に、現在制度として存在しているものを実効性あるものにすることこそ、まず先決だと考えています。いくら実効性のほとんどない新しい制度を作っても、それで現状が変わるわけではありませんし、制度が複雑になる分利用もし難い。そして、制度を作った事で行政府も立法府も自己満足に陥る。この負のスパイラルを変える必要があります。
 ただし、企業に負担を求める事は国際競争力を低下させるので労働者側が負担不利益を甘受すべしという、所謂「親亀あっての子亀」という主張も根強いものがありますので、変えていくのはそう簡単ではありませんし、時間もかかるでしょう。

 かかる現状のもとでは、少なくとも我々の親の世代では当たり前にできたことができなくなり、結婚生活は従前以上に大変な事が多くなっていくものと思います。
 新郎新婦のご健闘を願ってやみません。
 そうした現状を変えていくことが、私に課せられた仕事であるという思いを新たにした一日でした。

2011年2月25日 (金)

移民受け入れで滅ぶ地域社会と日本

 民主党にも自民党にも移民受け入れに賛成しているグループがいる。これで経団連が本格的に移民解禁を要求し始めたら、段階的に実現する可能性は極めて高いのではないか。
 財界としては、安く労働者を使えるのだから悪い話ではない。しかし、その移民受け入れについての負担は多くの場合地元自治体が負う事になる。移民は使い捨てが前提になっているのが普通(企業の負担で手厚い保護がされるのなら、企業としてはそもそも移民を入れるメリットはない)だが、職を失ったからと言ってただちに送還すると言うわけにはいかない。結局、生活保護等で自治体が面倒を見ることになる。
 日本語の能力が低かったり、日本文化への理解がない者に対しては、これまた自治体が負担して教育しなければならなくなる。子供たちの教育についても同様だ。にもかかわらず、「減税」で自治体のできることはどんどん減っていく。河村市長や大村知事は減税をすれば企業が愛知に来てくれて経済が活性化すると言い張っているが、これらの企業がかかる負担をする覚悟があるのかと言えば、ないだろう。負担がないことが誘致のアピールポイントだから、負担などする気は起きないだろうし、河村市長や大村知事が負担させるとは口が裂けても言えまい。
 大手企業の誘致は一見すると聞こえがいいが、その実はインフラを整備しなければならない。例えば上下水道などは、企業の繁忙期の需要をまかなえるようなレベルのものを整備する必要がある。そして、誘致合戦では減税などの企業の負担を求める事はできないから、その分は自治体の負担となる。
 ちなみに、大企業を誘致したからと言ってその地域で「正規雇用」は増えない。正規労働者は転勤によって来たり、去る。工場がある地域だからと言って、企業側に地元住民採用の義務はない。非正規労働者も全国規模で集められるのが普通だから、地元住民は実は非正規労働者となることすら容易ではない。結果、地元に残るのは負担だけだ。既に三重県亀山市など失敗例は山ほどあるのだが、この冷徹な事実に気が付いていない自治体関係者・地方政治家・地元住民は多い。
 こんな状態で移民を受け入れた場合にどうなるかは明白だ。我が国の中に新たなマイノリティー集団が生まれ、職を奪われる既存の日本人との間で感情的な憎しみが生まれる。あとは、フランスやドイツと同じ道を歩むことになるだろう。
 既に大手企業は外国人留学生を積極的に採用している。これは、海外脱出シフトを敷くとともに、日本政府に対して移民受け入れを迫っている姿勢と見てよいと思われるが、安易に受け入れ方向に進まない事を希望したい。

2011年2月24日 (木)

政府専用機は本当に不要なのか

 政府は政府専用機の引退を決めました。同型機を保有する日本航空に整備を委託していたのですが、日本航空が経営再建のため同型機を引退させることになり、今後整備を委託する事が出来なくなるためです。
 政府専用機はアメリカのいわゆる「エアフォース・ワン」ほどではありませんが、相応の通信手段を備えています。一方で、内閣総理大臣の専用機というわけでもないので、天皇陛下が利用される場合はそちらが優先されるのだそうです。
 政府首脳が場所から場所を移動するだけならチャーター機や定期便を使用してもさしたる支障はないでしょう。しかし、突発的な事態が生じたときに、ただちにチャーター機を飛ばせるのでしょうか。仮に日本政府が「金は出す」と言っても、航空会社が拒否した場合はどうするのか。実際、イラン・イラク戦争等過去の国際紛争では、日本国民救出のためにチャーター機を飛ばそうとしましたが、組合も反対し結局は飛ばせなかったというのは有名な話です。
 政府与党は自由競争が大好きですから、将来的には国際競争に敗れて日本航空も全日空も消滅したり、或いは他国に拠点を移してしまうかもしれない。そうなったとき、自国の大手の航空会社がなくなることになりますが、他国の会社に要人移動だけでなく、危急の際のフライトも本当に任せてしまって大丈夫なのでしょうか。国によっては有事の際に民間の航空機や船舶を徴発できる制度を持っており、例えばイギリスはフォークランド紛争の際にクイーン・エリザベス2世号まで徴発して軍の指揮下に編入して人員や物資の輸送にあたらせ、そうしたことがフォークランド諸島奪回の原動力となったと言われています。しかし、我が国にはそうした制度はない。
 更に、チャーター機や定期便として運行される機体から、搭乗した政府首脳が緊急時に指揮命令が行えるのでしょうか。仮にヨーロッパへフライトする場合、十数時間かかります。その間は指揮不能ということになるのではないでしょうか。首相がフライト中は、首相職務代理者にでも全権限を委ねておける制度なら話は分かりますが、日本はそのような制度を採用してはいません。
 コストは重要ですが、その反面で危機管理に対する能力が低下することになる。これは無視できません。今までそのような事態にならなかったのは、単に幸運だったからと言うべきでしょう。無論、従来の政府専用機は中途半端の感が否めないところが能力上も運用上もありました。むしろ、こうした面を改善し新しい政府専用機を導入して、現在の機体を退役させるならともかくとして、安ければいいという理由で民間機を使うと言う発想には賛成できません。

 なお、長久手町長は現在セルシオに乗っているそうですが、コストと環境の事を考えたらハイブリッド車にしてしまったほうがよいと思います。特別な通信機器を積んでいるわけでもないのですから、これはすぐにでもできるでしょう。

「長久手市」になるべきか。

 長久手町は23日、「長久手市」として来年1月4日に新市移行することを決めました。昨年10月の国勢調査の町速報値で人口5万2399人となり、市制施行要件の一つである5万人以上を満たしたことによるものです。加藤梅雄町長は前々から市制施行への熱意を持っておられました。町議会6月定例会に議案を提出し、今年11月には国の官報で告示される見込みだそうです。
 もっとも、長久手町が「決めた」と言っても行政府が提案する事を決定したに過ぎません。町議会は今年の4月24日の選挙で全面改選され、新たに選出された議員が6月の定例会で審議し決することになります。現時点では、あくまでも「見込み」ということになります。
 手続きが順調に進めば来年1月に市になる事ができます。市になった場合、リニモ沿線の開発や活性化には資すると考えられます。リニモを活用するためには、名古屋市にリニモと地下鉄で通勤する中所得以上のホワイトカラー層を呼び込む事が重要となりますが、この点で市というブランド力は無視できません。一方で、市になる具体的なメリットが現在の住民なかんずく原住民にはないという意見も根強い上「市になれば議員の給料が上がる」「市になれば議会定数が増える」とか、果ては「市になると市庁舎が建設されて税金が上がる」という根拠不明の理由で批判する声すらあります(いずれも、市になるに際してそんな「義務」は生じません)。「市になるから職員や議員を減らすべきだ」という意見に至っては、もう何の関連性もない暴論と言えましょう。
 いずれにせよ、町民の理解は十分とは言えません。上記のような話があちこちで聞かれるのは正確な情報が不足し、また検討が不足している証左と言えます。また、市制施行のメリット・デメリットに関して、行政側はもっぱらメリットばかりを喧伝しており、デメリットはもっぱら「反町長派」が喧伝していますから、本当に冷静な検討がされたかどうか極めて疑わしい。この点で、議会は行政から一定の距離がある一方、情報は一般住民より入りやすい立場にある筈ですから、多角的な検討をなすことのできる立場にあり、その義務があると思います。

2011年2月23日 (水)

名古屋市営地下鉄と携帯電話

 ソフトバンクの孫正義社長が、名古屋市営地下鉄内でもメールなどの携帯電話を使用できるようにして欲しいと問題提起されています。私は孫氏のやり方や国家観は率直に言って好きではないのですが、今回の問題提起に関しては評価してよいと思います。名古屋市営地下鉄の規制はあまりにも合理性を欠いていると言わざるを得ないからです。
 現在の名古屋市営地下鉄の車両では「電源を切るのが原則」になってしまっています。まともに守っている人はほとんどいないのですが、たまに中日新聞の投稿欄に「電源を切るのがマナーなのに切っていない人がいて不快だ」という投書が載る事があります。
 確かに、地下鉄の車両内で大声で話を続ける者がいれば周囲の迷惑でしょう。しかし、最近はメールやツイッターなど周囲に迷惑をかけない使い方をする比重が高くなっています。地下鉄内での使用を解禁しても、メール機能やインターネット機能であれば、問題はないのではないでしょうか。また、通話しなくても着信履歴が残っていれば後でかけ直せる。しかし、電波そのものがシャットアウトされてしまっていますので、今は「所在不明」になってしまうわけです。
 東京や大阪では会話は控えるよう呼びかけられていますが、電波をジャミングするなどという対応までは取られていません。海外では通話はごく普通に行われており、日本とりわけ名古屋市営地下鉄の規制は異常であると言えます。
 携帯の電波が医療機器を誤作動させると言われているのが一応の「大義名分」になっているようですが、この件については今のところ世界中で一件も実害は報告されていません。もし、携帯電話の電波が有害で、それで飛行機が墜ちるのなら、テロリストが放って置く筈はありませんが、テロリストが携帯電話を使ってテロを画策したと言う話も聞いた事がありません。2001年の911テロの時には、乗客が機内から携帯電話を使って当局への通報や家族への別れをしていますが、そのためにジェット機がツインタワーに衝突したと言う事でもないようです。これだけ携帯電話が普及しているにもかかわらず、一件も実害が報告されていないとなると、医療機器の誤作動とか飛行機が堕ちるというのは、もう「都市伝説」と言うしかないのではないでしょうか。
 名古屋市営地下鉄での携帯電波解禁は検討されても良いのではないかと思います。

2011年2月22日 (火)

看護師の質で妥協するな

 日本がインドネシア並びにフィリピンと締結したEPA(経済連携協定Economic Partnership Agreement)に基づき、看護師の受け入れがはじまっていますが、日本語が大きな壁となり、今のところ合格者は3名しか出ていません。厚生労働省は今回の看護師資格試験から日本語能力のレベルを落とし、今後は現在3年である在留期間を延ばすことも検討しています。しかし、私はこのやり方には反対致します。

 看護師の受け入れは国政レベルの話ではあります。しかし、地域社会を見てください。看護師の役割はとても大きいものがあります。病院だけでなく、介護施設でも大勢の看護師が働いています。看護師の質の問題は、地域社会における住民の健康に直結した問題であります。ですから、地方政治を目指す者としても無関心でいるわけにはいかないのです。

 現在の流れである日本語能力を妥協することに私が反対する理由は、第一には医療過誤増加に対する懸念です。確かに、医学には「剖検」や「外科的侵襲」など医療には明治時代にドイツ語から訳された日本人ですら馴染みのない言葉が沢山あります。しかし、どんな業界でも専門用語はあるものです。もし、日本語能力を妥協し、看護師としての能力はあっても日本語能力の低い者に日本で看護師の仕事をさせたらどうなるか。言葉による伝達の際のミスが重大な医療過誤を生じさせる危険性は高いのではないかと思います。   

 医療現場を見ていると、相互で確認しあったりして医療過誤防止に努めているようですが、これは日本語で相当程度専門的な話ができる事が前提であり、言葉が分からない者と相互確認などするのは極めて難しいのではないでしょうか。

 第二に、看護師は感情労働者としての側面が無視できないという点です。医療や介護の労働者は、単に医療や介護の技術を売って金を稼ぐ商売ではありません。技術ももろちん重要ですが、コミュニケーションの能力もまた重要です。私自身が入院した時の事を思い返してみると、医師よりも接する機会の多い看護師がどのような人かで、不安になったり楽になったりしたものです。これを感情労働と呼び、典型的な感情労働者はキャバクラ嬢ですが、看護師も「感情労働者」としての側面を有しているわけです。この点だけ見ても、コミュニケーション能力は大変重要です。日本語のコミュニケーション能力が不足しているということになると、患者とのコミュニケーションが円滑に行われなくなり、患者が不安を感じる事は増えるのではないかと考えられます。

 地域医療や介護の現場で接する相手は圧倒的に高齢者です。発音が不自由になっていたり、方言が多いと、日本人ですら相手が何を言っているのか分かり難い事があります。高齢者本人は穏やかに話しているつもりでも、方言を交えて話していると、激怒しているように聞こえる事もある。それに対応しなければならないのですから、一般人以上の日本語コミュニケーション能力がむしろ必要とすら言えるけです。

 第三に、日本は「看護師不足」ではないということです。確かに、医療現場では看護師不足を嘆く声は珍しくない。しかし、同志社大学大学院の中田喜文教授の調査によれば、看護師の有資格者の半数は看護師として就労していないという結果が出ています。正看護師で就労しているのは有資格者の約6割、准看護師に至っては約4割でしかありません。    

 女性の就労はM字曲線を描くと言われ、結婚して出産する期間は離職することがよく見られます。しかし、有資格者の半数が就労していないということは、これだけでは説明できません。では、何が原因なのか。

 民間病院の看護師の場合ですが、キャリアアップや昇進昇給の制度が未整備である事が挙げられます。つまり、看護師になって現場で仕事を覚え、技術を身に付け、後輩への指導を任され、責任ある仕事をしているのに、昇進や昇給の制度がないため、それほど待遇が向上しないまま負担だけ増えていくと言うのが常態化しています。このため、負担に耐えられなくなったところで離職してしまうと言うわけです。

 外国人看護師を無理して入れるよりも、まずは活用されていない看護師に目を向けるべきではないでしょうか。ブランクがあっても、多少の再教育の機会を設ければ、看護師としての再就職に有効であると言う調査結果も出ています。その上で、看護師をめぐる状態が改善する必要があります。

 もし、改善策を講じなければ、外国人看護師とて日本人看護師と同じ道を歩むことになるでしょう。看護師不足を改善することにはなりません。人口減少社会を迎え、不足分を埋めるため外国人労働者の受け入れは必然であると喧伝されていますが、日本には活用されていない豊富な労働力がまだまだ存在しており(しかも、看護師などは相当高度な教育を受けた専門職と言えます)、外国人を受け入れるよりも先ずは国内労働力の有効活用を考えるべきではないでしょうか。

 経済自由化の中での人的移動は、移民問題と抱き合わせになっているデリケートな問題です。貿易自由化とかグローバリズムで利益を受ける人たちは大勢いるわけですが、一方で負担も増えます。そして、その負担は最終的に地域社会や地方自治体が負うことになります。既に、豊田市では受け入れた外国人労働者の子女を義務教育で教育する際、日本語が分からない者のためにポルトガル語の教員を雇わなければならない事態になっています。

 豊田市で問題になっているのは主に日系ブラジル人ですが、例えばインドネシア人は基本的にはイスラム教徒です。イスラム教徒にも色々ありますが、厳格な人々の中には豚肉などのハラーム食材を料理した器具や盛り付けた皿で食事をすることを許さないと考える者もいます。こうなると、学校給食ひとつを取っても、「特別扱い」が求められる事になる。既に、フランスの一部の自治体ではイスラム教徒からの要求に屈して、学校給食の食材として豚肉を使わなくなっています。住民の側に、そうした負担増に耐える覚悟が共有されているとはとても思えません。

 移民は、一度受け入れてしまったら、追い返すことはできないものです。今回のEPAにおける看護師受け入れは、移民受け入れの第一歩であると言われています。財界は外国人労働者の受け入れを要求していますし、民主党でも自民党でも移民受け入れに賛成している国会議員は多数派ではないにしろ、かなりの数になっています。しかし、その社会的な負担を誰が負担するのかと言えば、結局は地域社会や地方自治体になります。そして、まだ地方にはその覚悟ができているとは思われません。

 外国人労働者の受け入れが国際法上の義務であるわけではありません。どうするかは、完全に国の政策次第です。国の政策次第ですから、受け入れる事も可能です。EPAにおける看護師受け入れは、その第一歩と言われている。しかし、日本政府が地方の負担を無視して外国人労働者の受け入れを推進していると言わざるを得ません。

 また、インドネシアやフィリピンという、決して国民の教育水準が高いとは言えない国の看護師を日本が引っ張ることになりますから、当然これらの国では看護師不足になるでしょう。国費を投じて育てた看護師を日本に引き抜かれるとなれば、いくら「市場主義」や「グローバリズム」を振りかざしたとしても、一般民衆は納得しないのではないでしょうか。まして、日本では看護師は不足しているどころか余っていると言えるでしょう隊にあるのですから、日本は傲慢だと恨みを買いかねません。

 現状において、看護師の質特に日本語能力について妥協することは、日本語や日本文化に無理解な者でも日本は外国人労働者として受け入れると言う一里塚になりかねないものです。仮に百歩譲って看護師が緊急に必要だとしても、質について妥協するということは問題外であると考えます。

2011年2月20日 (日)

調査捕鯨の中止から考える

 シーシェパードという事実上のテロリストが勝利を収めたと言うべきでしょう。これは「日本は脅せば屈する」という誤ったメッセージを国際社会に発信したのと同じ事で、これが先例となり、捕鯨のみならず様々な局面で日本が劣勢に立たされることが予想されます。
 民主党政権は、戦後同盟の基軸としてきた対米関係を最悪なものにする一方、能天気な平和主義を掲げて中国や北朝鮮に融和の姿勢を見せました。結果、周辺諸国は怖い怖いアメリカが日本の為に容易に介入はしてこないと取った。その結果が尖閣諸島沖での事件であり、ロシアの北方領土実効支配の強化です。
 国際法は私たちが一般的に接するような成文法ではありません。基本的には慣習法であり、慣習の積み重ねです。そして、その慣習とは、事実の蓄積に他なりません。「日本が調査捕鯨で引いた」という事実が積み重ねられて行けば、調査捕鯨も「悪」という方向で既成事実化されかねないのです。
 現在の日本政治では、地方制度の問題が注目されています。既成政党と地域政党という争点もあります。しかし、地域政党が既成政党を事実上否定するようなかたちで力を持とうとするのであれば、当然ながら外交や安全保障に対しても一定の見解を示すべきでしょう。残念ながら、地域政党を見ていると国政レベルの既成政党以上に外交や安全保障に関して考えていないのではないかと思われてなりません。こうした地域政党が力を持つということになると、ますます外交や安全保障が置き去りにされていくのではないか。そんな危機感を感じています。
 外交・安全保障は国の専権事項だとよく言われています。国際法上も外交の主体は国家であり、NGOや個人はもとより地方自治体すら権利義務の主体となりません。この点で、昨年愛知県で行われたCOP10で新聞等が「これからは個人の時代」とか「NGOが主体」というようなことを書いていましたが、COP10が外交交渉であるという基本的な部分を全く理解していなかったのではないかと言わざるを得ません。しかしながら、政治力をもって間接的であるにせよ影響力を及ぼすことに思いを致す時、地方であっても外交・安全保障や国際法を知らぬ存ぜぬであってはならないと私は考えます。

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