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2011年2月13日 - 2011年2月19日

2011年2月18日 (金)

「スポーツ庁」は本当に必要か

 民主党政権は「スポーツ庁」なるものを設置しようとしています。スポーツ、日本ではどちらかと言えば「体育」の側面が強いように思われるのですが、従前は健康維持のためのものは厚生労働省の範囲に属し、所謂「体育」の範囲に属するものは文部科学省の範囲に属してきました。こうした従来の行政を一本化すると言うのは合理性があるように見えない事もありません。
 しかし、「メダルを量産したい」という本音が見え隠れしています。オリンピックのメダルが尊いものであることは認めますが、それを得るために中国やかつての社会主義国のように国民の資本投下する意味が果たしてあるのでしょうか。少なくとも、ただちに今の日本に必要とは思えません。中国のように、体育によって国民をカタにはめるつもりでもあれば別ですが。
 そもそも、民主党は従来から公務員を叩き、役所を減らせと主張してこられました。そのために、例えば厚生労働省などは再度分割の話がありましたが曖昧になり、今やパンク状態にあるそうです。あまりにも広い範囲を扱っているのですから仕方がないと言えますが、年金に詳しい大臣が労働法に関してほとんど何も知らないと言うこともありました。アメリカですら福祉関係と労働関係は異なる省庁が置かれているくらいなのですが。厚生省と労働省に再度分割すると言うような話ならば分かります。その必要性も差し迫ったものがあります。そうした現状を放置する一方で、わざわざスポーツ庁を設置するというのは、ダブル・スタンダードではないかと思います。何とかの一つ覚えのように連呼している「ムダな公務員を減らせ」というスローガンとも明らかに矛盾している。
 いつも疑問に感じているところなのですが、どうしてスポーツだけを優遇しなければならないのでしょうか。かつては中学校でも、「男子は運動部にいないと内申書で不利になる」などと言われていたものです。義務教育の授業時間の増加策で、音楽や美術に比べて体育の時間は大幅に増やされている。そして、武道の必修化もはじまります。私は事故が多い事、日本文化や儀礼を身につけさせるためには他の方法がいくらでもあって武道に限定する必要がない事、他の選択肢が用意されていない事などから武道の必修化には反対です。
 スポーツ庁の設置は自民党政権時代から議論がされてきましたが、一方で音楽庁や演劇庁が設置されると言う話は聞いた事がありません。これらは文部科学省や文化庁で対応がされています。スポーツをする権利を擁護するならば、音楽や演劇に親しむ権利もある筈だ。どうしてスポーツだけ「特別扱いする」のでしょうか。選択肢の一つとしてスポーツに親しむ権利を認めるだけならともかく、省庁まで新たに設置して特別扱いする以上、もっと合理的な説明がされるべきです。

2011年2月16日 (水)

エジプト革命に思う

 これはもう動乱ではない。革命である。
 長期政権を誇ったムバラク大統領がついに辞任に追い込まれ、エジプトの政治は新たな段階に入った。それでも、事実上過労死したナセル大統領やイスラム原理主義勢力に暗殺されたサダト大統領ら前任者たちに比べると、何とか天寿を全うできそうなだけマシかも知れない。
 結局、ムバラク前大統領はアメリカや中国に擦り寄って援助を得ることはできたが、もっぱらそれを私腹を肥やすために使ってしまった。エジプトは相変わらず貧困国を脱しきれず、特に一般国民の教育程度は低い。最低限文字が読めなければ労働者として使い物にならないのだが、そうした義務教育すら充実させなかった。
 もろちん、エジプトにも同情すべき点がないわけではない。ナセル中佐のエジプト革命の前も後も、エジプトは中東戦争でイスラエルに負け続けていた。ナセル大統領が心臓発作で急死した後を引き継いだサダト大統領は第四次中東戦争でイスラエルに一矢報いたものの、これ以上戦争状態を続けてもイスラエルを圧倒できないとして、イスラエルを国家として承認しエジプト・イスラエル和平条約を締結した。しかし、これによってアラブ諸国からは裏切り者扱いされ、サダト政権の汚職と腐敗も相俟ってイスラム原理主義勢力に暗殺されることになってしまった。現在もエジプトはイスラエルとは緊張関係にあることに変わりはなく、国内のイスラム原理主義勢力によるテロも度々起きている。こうした状況のもとで大統領職を引き継いだムバラク前大統領にとっては、強権的な統治しか選択肢はなかったのかもしれない。ただ、それを30年続けた結果、晩節を汚すことになってしまった。
 非常事態を利用して権威主義的な独裁体制を敷いていた国は多いが、難しいのはその幕引きである。蒋経国総統から李登輝総統に連なる台湾の無血民主化は、世界的に見て例外的なものであったということを改めて実感させられる。
 今後エジプトはどうなるのか。予測は簡単ではない。
 しかし、今の国際的な経済の流れや、エジプト国内の教育水準から見て、ムバラク大統領が退陣したことで劇的に経済が上向くとは思われない。もともとは経済的不満が爆発して革命に至ったわけだから、国民は失望する。今のエジプトの野党勢力はイスラム原理主義派である。もともとイスラム勢力が持っている貧困層互助機能に加え、国民の教育程度が低いのだから甘い言葉で吊るのはそう難しいことではない。「国民生活が悪いのはイスラムの教えに背いているからだ」と言えば足りる。何しろ、日本でも「構造改革が足りなかったから今の不況になった」と言われて信じ込んでいる国民はまだまだ多いのだ。
 イスラム原理主義勢力が政権を握れば、更に苛酷な人権抑圧が行われることはイランやアフガニスタンの例を見ても容易に予測できる。エジプトをそうした国にしたくなければ、西側諸国としてはエジプトに対する支援が必要だろう。特に、勤勉な労働者を育てることで中産階級を作り、貧困を撲滅するため、近代的な義務教育制度の整備を支援することが必要不可欠と思われる。

2011年2月14日 (月)

ローカル・コミュニティについて考える

 昨今、ローカル・コミュニティの復活が叫ばれていますが、最近はそもそも地域の人たちが「集まる」機会そのものが少なくなっていますから、近所にどんな人が住んでいるのかすら、実はよく知らないと言うことは珍しい事ではありません。
 去る2月3日(節分・春節)に豊善院において、節分の星供養が行われました。かつて豊善院では虫封じなどの行事も行われていたそうですが、近年は廃れていました。昨年、新しい住職が赴任されてから、徐々にかつての祭礼が復活しつつあります。こうした祭礼を行う場合、かつてほどではないでしょうが地域住民が集まり、顔を合わせ、話すことになります。
 ローカル・コミュニティの復活という問題を考えたとき、こうした旧来はコミュニティの核になっていた施設や行事を復活させるというのも一つの選択肢ではないかと思いました。もちろん、原野を切り拓いて作られた新興住宅地にはもともと寺社仏閣もなければ伝統祭礼もありませんし、また住民の宗教も多様化していることを考えるとただちに一般化できるものではありませんが。

2011年2月13日 (日)

地方議会の行政監視機能

 行政(首長)に対して議会が監視する。この役割が十分に果たされているかと問われるといささか疑問である。首長の不祥事は後を絶たず、議会がもう少ししっかり監視していればもっと早期に対処できたと思われる事案も多いからだ。
 しかし、それでは議員が首長に対する監視を強めたらどうなるか。緊張関係が生まれる。と同時に、首長は自分を監視している議員を快くは思うまい。対抗関係にある相手の言い分を冷静に聞く度量を持っている政治家はそもそも多くない。そうすると、議会に対して「説得」するのではなく、強権を発動することで議会を黙らせ、自己中心・好き勝手・やりたい放題の行政をやりたいと考える首長も出てこよう。こうなると、議員が首長に「諫言」するには、相当な覚悟がいることになる。
 では、首長に対して諫言できる議会・議員を住民が望んでいるのかと言うと、どうもそうは言い難い。多くの住民は地方議員に自分達と行政とのパイプ役を望んでいる。その仕事ができなければ地方議員失格だとすら言われる。このため、住民の中には議員が行政に対してチェック機能を果たそうとすること自体を忌避する向きすらある。すなわち、自分達が推している議員が首長に刃向かって、その結果自分達が冷遇されたらどうしてくれるという理屈である。一理はあるが、これでは議員に首長を監視しろと言われてもかなり難しい。監視の任を果たそうとすれば、住民の意向即ち民意に背くことになるからである。一方で、一般論としては「首長を監視すべきだ」と言われる。
 住民が議員に首長を監視してもらいたければ、それに伴う首長の報復は一定程度甘受してもらう必要がある。それができなければ、議員は「有権者の意向に従い」、首長に迎合するかわりに住民の要望を通してもらうということをやらざるを得なくなり、チェック体制が有名無実名になることは避けられそうにない。
 地方議会を立法府と考えるか、行政府に対する監視機関と考えるか、それとも行政府と住民とのパイプ役と考えるか、立場によっても重視するものは変わってこよう。理想的には立法府(ルールを動かすことで行政監視体制を副次的に動かせる)としての機能が重視されるべきだろうが、町を歩くとパイプ役としての機能を求めている有権者が圧倒的に多い。パイプ役を果たそうとすれば、監視の手はどうしても緩めざるを得ない。地方議会のジレンマはこれからも続きそうだ。

 地方自治法を改正して制度そのものを変えるのであれば、議会から行政監視機構を事実上分離し、司法機関類似の行政監視機関に委ねるか、或いは議員定数を削減して別途行政監視を専門とする議員を設けるということなどが考えられる。前者はEU圏を中心にオンブズマンの制度として確立されている。後者は中華民国(台湾)の五権憲法(行政・立法・司法・監察・考試)において、監察委員を立法委員や国民大会代表と並ぶ「民意代表」として選挙で選出していたことがある。
 「地域主権」や「道州制」という言葉が乱れ飛び、地方自治制度そのものの見直しの声がある中で、制度設計については従来の枠組みに捉われず柔軟な検討がされてよい。(もっとも今の流れでは、首長のみを民選として地方議会は経費削減名目で廃止し、ボランティアの「参事会員」を置いてパイプ役をさせるという案が支持を集めそうではある)

愛知ポップカルチャーフェスタinモリコロパーク

 私は漫画やアニメが好きです。さすがに痛車やコスプレ衣装は持っていませんが、「ラブひな」や「魔法先生ネギま!」や「フルーツバスケット」は台湾中文版やアメリカ英語版も持っており、海外に出ると書店に行くのを楽しみにしています。
 今回のイベントではコスプレ(アニメやゲームに登場するキャラクターの仮装をすること)、痛車(車にキャラクターの絵を描いた「痛い車」の略)の展示の他、ゲーム「アイドルマスター」に出演している声優イベントも行われていました。ポップカルチャーやサブカルチャーの楽しみ方は幅広いものがあります。例えば、漫画からキャラクターのコスプレに行ったり、キャラクターを演じている声優が単なる声の出演という範囲を超えてアーチストとしても魅力的であったりするのはその一例でしょう。ちなみに私の場合、「ラブひな」を読み始めてからその台湾版を手に入れ、それを中国語に訳している柳生十兵衞さん(台湾人の方です)と親しくなって柳生十兵衞さんが訳している他の漫画を読んだり(例えば「さよなら絶望先生」)、ヒロインの成瀬川なる役を演じた堀江由衣さんのファンになって他の出演作品を観たりライブを鑑賞したりしています。
 愛好家という視点から離れてみても、モリコロパークやリニモの活性化について、こうしたイベントを行っていくことはひとつの選択肢であるように思います。
 集客力について考えると、どんな人を呼ぶかとか、その作品の人気にもよるのでしょうが、オタクの間で人気のある作品であればかなりのものがあるようです。私は出演された声優の浅倉杏美さんのデビュー以来のファンなのですが(ただし、アイドルマスターはやったことがありません)、イベント会場となっていた国際児童記念館に行ってみたら既に整理券配布は終了していました。国際児童記念館は万博の開催前からある施設で、中学時代は吹奏楽部のコンサートや練習で使い、昨年には青年会議所の例会でも使った事があり、万博の最中にももちろん行きましたが、これほど人が集まっているのを見たのははじめてのことでした。
 勿論、問題もあります。まず、イベントがまだ十分に定着したものではないということです。一過性のものになってしまっては、定期的な集客は見込めません。コミックマーケットではありませんが、「この時にここに行けば何かしら楽しめる」というものには未だなっていない。
 また、イベントに集客力はあっても、ただちにリニモの利用者増加につながるのかというと、残念ながら簡単に利用者増加につながるとは言えないと考えます。私は往復ともにリニモを使いましたが、目立って乗客が多いわけではありませんでした(普段より少しは多いかなとは思いましたが)。一方、愛・地球博記念公園駅のホームから見下ろすと、公園の駐車場はほぼ満車でした。ところどころに痛車が見えるのはご愛敬ですが、愛知県は東京や大阪に比べると鉄道が貧弱で、車中心の移動が定着しています。公共交通機関の利用を呼び掛けたとしても、切り替えは簡単ではありません。この点は、現在持ち上がっている大規模商業施設の建設において同様の問題点として指摘する事ができます。
 今日はリニモの駅で「ぽぷかる」に際してリニモの利用証明書を配布していました。これがあると、大観覧車が割引になったそうです。これは主催者の判断になりますが、例えばイベントの一部を参観するのにリニモを利用している事を条件にするなどの策も考えられるのではないでしょうか。「ぽぷかる」の場合、主催者は愛知県でしたから、県の決断によってはそれも可能ではないかと思います。
 私が会場にいたのは30分程度でしたが、様々な事を考えさせられた一日でした。

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