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2011年12月25日 - 2011年12月31日

2011年12月31日 (土)

2011年を振り返る

 間もなく、2011年も終わります。今年は日本国内を見ても、世界全体を見ても、ともに混迷を極めた年であったと思います。国内では政権の迷走と大震災、世界的に見ても災害と政情不安の目立った一年でした。楽観的な見通しが立たない以上、2012年もこの傾向が続くのではないかと言わざるを得ません。

 この閉塞感に対して劇的な転換を求める声もあり、そうした声に乗っている人たちも多いのですが、実際に転換が行われた時に一般市民の幸福が保障されているかと言うと、全くそのようなことはありません。ナチスにしろボリシェビキにしろ中国共産党にしろ、不安を養分にして成長してきた勢力がその後何をやったかに思いを致す時、ポピュリズムに乗ることはかえって傷口を広げることになります。今、必要なことは地道な努力と、その地道な努力をする者を支える制度作りではないでしょうか。

 ともかくも、今年一年ありがとうございました。

 来年の皆様のご多幸と、万事如意をお祈り申し上げます。

           平成23年12月31日

                     水野 勝康 拝

2011年12月29日 (木)

金正日ジョーク

                  

 金正日将軍様が天国の門の前にやってきた。出迎えたのは天国の門の鍵を持った聖ペテロ。

 「ああ、金正日か。あんたは地獄行きだ。地獄」

 当然のごとく金正日が地獄へ去ってしばらく経ったあと、今度はやせ衰えた鬼達が天国の門の前にやってきた。

 「一体、地獄での仕事はどうされたのですか?」

 首をかしげるペテロに、鬼達は泣きながら言った。

  「私たちが、地獄からの亡命者の第一弾です」

2011年12月27日 (火)

優先順位、間違ってませんか?

                  ジャイアントパンダ(中国四川省成都の成都大熊猫繁育研究基地)

 野田総理が中国政府にパンダのレンタルを依頼し、中国政府は「被災地に対する温情」をもってパンダのつがいを仙台の動物園に「貸して下さる」ことになりました。もちろん、タダではない。日本が金を払って借りてくるわけです。マスコミのインタビューでは当然ながら歓迎する声ばかり伝えられていますが、本当に仙台にパンダが必要なのか、甚だ疑問です。

 パンダが中国にとって「外交の道具」であり借りることは中国に借りを作ることになると言う意見は別にして、パンダそのものはレンタルで、借りてくるには相応の費用がかかります。費用一切を日本が負担し、もし死んだりしたような場合には賠償もしなければなりません。「赤字財政」「金がない」と言うこの時期に、わざわざパンダを借りてくる必要があるのか、甚だ疑問です。

 イルミネーションや町興しイベントなど、東北から伝えられてくる報道を観ていますと、本当に公費でこのようなことが必要なのか、優先順位を間違っているのではないかと思う事が多々あります。いくら「夢」を与えるイベントを行ったところで、経済が根本的に上向くわけでもないし、仮設住宅の被災住民に新たな家が建つわけでもありません。派手なことをすれば注目はされるでしょう。政治家は人気商売だから飛びつくのは当たり前ですし、町興しクラブのようなものは元々お祭り騒ぎが好きな人たちです。しかし、多くはどう見ても一過性のものです。「宴のあと」に残るのは、支出だけではありませんか。必要なのは地道な経済振興と人材育成と生活再建ではないでしょうか(マスコミは面白くないでしょうが)。

2011年12月25日 (日)

サンタクロースは何処の人?

                   

             ミラのニコラオス(270年頃~345年または352年12月6日)

 毎年12月24日の夜には北米防空司令部がサンタクロースの橇を探知すべく全力を挙げているそうです。もっとも、その推定速度はマッハ10で、仮に探知できたとしても現在の兵器では迎撃するのは不可能との事。いやはや、一般市民の家庭に煙突からこっそり忍び込む技術と言い、サンタクロースの技術を欲しがる国やテロリストは多そうです。

 さて、このサンタクロースですが、何処の人なのでしょうか。最近ではフィンランドという話がありますがさにあらず。モデルになったミラのニコラオスという司教又は大主教は小アジア、現在のトルコの出身です。伝説によれば、弱い人たちにこっそり施しを行っており、これが現在のクリスマス・プレゼントの起源になっているそうです。

 出身地はトルコですが、血統的にはギリシア系だったと思われます。と言うのも、トルコ系民族が小アジアに侵入してくるのはニコラウスの生きた時代からずっと後の話で、当時の小アジアはギリシア人の植民活動で開発され、その後ローマ帝国の一部となっていましたから。この時代のキリスト教はまだ正教とカトリックが分離する前でしたので、ニコラウスも正教とカトリックの双方で崇拝されているそうです。ただし、ニコラウスが大主教として活躍したのはシリアのミラで、そこの地名を取って「ミラのニコラウス」と呼ばれています。いやはや、当時の地中海世界は衰えつつあったとは言えローマ帝国の支配下にありましたから、後代と比べて人の移動は割合と自由だったようですね。

 ちなみに、小アジアのギリシア人キリスト教徒はその後のイスラム帝国の支配下でもズィンミー(庇護民)・二級市民としてではあったものの温存されてきました。最終的に小アジアからギリシア人がいなくなったのは1923年のローザンヌ条約で、トルコ領に居住するキリスト教徒をギリシア人と認定してギリシアに追放することになった時です。同時にギリシア領に住むイスラム教徒はトルコ人としてトルコへ追放の対象となりました。例外はありましたが、トルコ人とギリシア人は宗教によって区分けされたわけです。もし、ミラのニコラウスが1923年当時小アジアで生きていたとしたら、恐らくはギリシアへの追放の対象になったものと思われます。

 が、実は例外と言うものがありまして、現在に至るまでトルコでもギリシア人のコミュニティは存続を許されています。イスタンブールにあるコンスタンティノープル・全地総主教座がその代表格で、正教を信じるギリシア人がトルコ共和国建国後も総主教をつとめています。この総主教の身分はトルコ政府の宗教委員会の委員も務める国家公務員で、国籍はもちろんトルコです。そして、トルコ領内には例外的に存続を許された正教のコミュニティがあり、その総数はトルコ全土で4000人程度と言われています。つまり、追放を免れていたらトルコ国籍になっていたかも知れない。

 国家や民族の「区分け」というのは厳密のように見えて、結構乱暴だったり曖昧だったりするわけです。

 現在の赤い服に白い髭の「サンタクロース」が登場したのは19世紀から20世紀初頭のようで、そう古い話ではないそうです。カトリックの聖職者は殉教を意味する赤い服を着ますが、正教の聖職者は従順を意味する黒い服を着ます。まあ、サンタクロースが黒い服だったら、いささか見栄えに欠けることになっていたでしょうが。

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