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2011年10月16日 - 2011年10月22日

2011年10月21日 (金)

カダフィ大佐が死亡

                     Muammar al-Gaddafi-09122003.jpg

 独裁政権が崩壊したリビアで、出身地近くまで逃走して最後の抵抗を続けていた元独裁者のカダフィ大佐が国民評議会に追い詰められ死亡したと言う報道がありました。「アラブの春」と呼ばれる一連の革命において、リビアではカダフィ大佐が当初から強硬姿勢で、国際法で禁止されている傭兵を使って自国民を殺害し、反政府勢力を空爆するなどの残虐行為が行われてきました。ニュースでは、大佐の死亡に歓喜するリビア国民の様子が映し出されています。

 カダフィ大佐の遺体はモスクに安置されていると言う報道もあり、これが事実だとすれば大佐は既に死亡しておりその後はそれなりの取り扱いをされているということになりますが、そもそも本当に死亡しているのか現時点ではよくわからないところがあります。死亡の状況についても、銃撃戦で殺害されたという報道もあれば、生きたまま拘束後国民評議会によって銃殺されたという報道もあります。詳細はまだ分かりません。大佐はムスリムですから、少なくとも生きて虜囚の辱めを受けないため自決するようなことはなかったことだけは確かであると思われます。

 暫定政権である国民評議会は、カダフィ大佐を拘束して裁判を行う予定でした。その裁判が本当に「報復」でないものになったかと言われると極めて怪しいものがありますが、少なくとも独裁政権の悪事の一端は解明できたかもしれません。しかし、これで多くの謎が闇に消えた事になります。

 一方で、拘束後射殺したとかなぶり殺しにしたということになると、革命勢力の手は早くも血まみれになったということになります。適正な手続きなしに人殺しをしてきた独裁者と同じことをしているのであれば、独裁者と何処が違うのかと言う事になる。かつて、カダフィ大佐も「革命派」として登場してきただけに、今の革命派が独裁政権となり、同じ事になるのではないかという危惧が頭から離れません。独裁政権を倒すからこそ、少なくとも政権掌握後はクリーンハンズでなければならないのではないでしょうか。

2011年10月19日 (水)

仙台にパンダは必要か

                   

 仙台市の奥山恵美子市長が、中国の程永華駐日大使に対して、パンダのカップルを貸し出してくれるよう要請したことを明らかにしました。外務省もこの動きを後押しし、野田総理と胡錦濤主席の会談のテーマとして取り上げる方向で調整するようです。

 子供に夢を与えることが目的ということですが、パンダはタダではありません。飼育費用を別にして、毎年レンタル料がかかり、更に死亡でもすれば賠償金も払わなければなりません。パンダは国際取引が認められていないための「レンタル方式」ですが、中国にとっては事実上の「パンダ・ビジネス」になっています。このため、レンタル料が捻出できないとして、パンダのレンタルを打ち切った国すらあります。ところが、日本へのレンタルについては、何故かこれがいつの間にか「中国の善意」にすり替わってしまうのです。

 高額のレンタル料を払ってまで、今被災地にパンダが必要なのか。私は疑問に感じます。東北地方は震災によってもともと悪かった経済が更に冷え込み、原発事故はいつ終息するかも分からない。ようやく仮設住宅に入れたと言う人も多く、本格的な復興にはまだまだ長い時間がかかります。パンダを優先させて一般市民は仮設住宅で凍えていろと言うのでは本末転倒です。

 鳩山内閣菅内閣の時代に比べれば、野田内閣発足後の日中関係は冷え込んでいると言えます。中国のパンダ外交に乗ることで、状況を変えようと考えていたとしても不思議はありません。今やパンダのレンタルは「ビジネス」意外の何物でもありませんが、表面的には「日本政府が中国政府にお願い」をして、中国政府が「中日友好のため、格別の温情をもって」貸して下さるものということになっています。つまり、この点で日本は中国に「借り」をつくることになってしまいます。

 確かに、パンダは「珍獣」ですから、動物園の客集めの動物としてはこの上ない存在です。「客寄せパンダ」という言葉もあるくらいですが、これでは動物園を「野生動物の展示施設」ではなく「見世物小屋」の延長であることを動物園自身が認めてしまうことではないでしょうか。大体、パンダを「レンタル」方式としているのは、研究目的以外には基本的にパンダを中国国外に持ち出すことが国際条約で認められていないことに対する苦肉の策で、研究を目的とせず「見世物」にすることがはじめから明白な今回のパンダ・レンタルは、被災地云々以前に希少動物保護の観点からもなされるべきではないのではないでしょうか。

 仙台は私にとっても縁のある土地ですから、一時の「人気取り」と「中国の国家戦略」に乗って、軽率な判断をしてしまわないよう祈っています。もっとも、こうした「夢」を売られると、現実主義的な対応が住民にウケないのは簡単に予測できることで、「子供に夢を」とか「地域に夢を」と言われて実際に夢を見ている人たちに冷静な判断は難しいかも知れません。政治家の側としても、こうした「夢事業」に反対すれば、有権者から白い目で見られることでしょう。しかし、夢想に耽ったツケに思いを致す時、行政府立法府で政策決定に携わる立場の方々には賢明な選択をしていただきたいと思います。

2011年10月17日 (月)

反格差デモ

 ニューヨークに端を発した反格差デモが世界中に広がっています。この動きを「怠け者だから負け組になる」とか「格差は仕方がない。働けよ」と批判する向きもありますが、本人の努力云々以前に構造的な問題として負け組を大量生産するシステムが「自由経済」「市場主義」の名のもと推進されてきた事実がありますから、従前のような逃げ口上で不満を宥められるとも思われません。

 「格差解消=社会主義」という安直な発想も未だに根強いものがありますが、少なくとも今回の反格差デモで社会主義体制への移行を要求しているとか社会主義革命を起こそうとしているわけではないようです。あくまでも、資本主義体制の枠内で貧困や格差の縮小を要求していると見るべきでしょう。

 気を付けなければならないのは、反貧困や格差解消という動きを「ならず者の暴動」扱いしてまともな対応をしてこなかった国が、二十世紀半ばには共産匪賊に乗っ取られてしまったり、ファシズムの台頭を招いたという歴史的事実です。むしろ、福祉国家へ移行した国の方が、経済も含めて生き残る事が出来たのです。人々の不満は鬱積すれば、より過激な解決策を求める方向に移行するという傾向がありますし、いつの時代にも大衆を煽りたてて野望を実現しようとする指導者には事欠かない。大阪や愛知で独裁者的傾向を示す首長が人気を集めているのも、大阪も愛知も経済的に行き詰まりを見せているという状況と無縁ではないでしょう。

 無論、今回のデモには実際にならず者が過激派が入り込んで暴れまわっているところもありますし、暴徒化したところもあります。そういった暴力的な手段が肯定されるべきではありません。

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