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2011年1月23日 - 2011年1月29日

2011年1月29日 (土)

山内砂川さんの黄綬褒章受章祝賀会に思う

 昨年の秋の褒章において黄綬褒章を受賞された山内砂川さんの祝賀会に出席してきました。山内さんは終戦直後14歳で修業に入ってから六十年余、一貫して陶芸特にろくろの技術を磨いてきた方で、私の母方の親族にあたります。もっとも、親族と言っても祖母の従兄弟にあたりますから、共通の祖先は120年くらい遡ることになりますが。
 黄綬褒章は「第一線で業務に精励している者で、他の模範となるような技術や事績を有する者」に授与されるものです。
 最近は「この道一筋」という生き方が国策上も軽視されてきた傾向にあり、それが我が国経済の凋落を招いていると日々感じているだけに、このように半世紀以上も一筋に取り組まれていることに改めて敬意を表する次第です。
 「技術立国」と呼ばれてきた我が国の技術は、陶芸のような伝統分野から航空機や自動車など最先端のものまで、「この道一筋」という技術者に支えられてきました。多くは中学か高校を卒業した十代のうちに生産現場に入り、何十年も仕事に従事する中で経験を積む。そうした中で磨かれた技術が、高品質の製品を世に送り出してきたわけです。
 生産の現場で磨かれた技術・経験は、単に図面などの指示に基づいて正確にものを作り上げるだけでなく、製品の問題点を指摘したり、作業工程の効率化を図ったり、或いは不良品の素早い発見などにもつながってきました。一見「単純労働」に見えても、実はその労働の中身は単純なものではなかった。ところが、ここ二十数年を見ていると、そうした「この道一筋」という技術者は養成されなくなってきているように思います。
 労働の規制緩和もあって、製造業への派遣が解禁された。これ以前から既に請負と言う形での製造現場の非正規化はあったのですが、これが拡大されることになりました。また、「即戦力」が新入社員にも要求されるようになり、一方で企業は高いコストと長い時間をかけて人を育てなくなってしまいました。他にも色々な要因がありますが、「この道一筋」という技術者が生産現場から消えてしまった。その結果、どうなったか。
 同じように製品の組み立てをしている場合でも、正規雇用の熟練労働者、この道一筋の技術者であれば、問題点を指摘する事もできたし、不良品ではないかと判断すれば生産ラインを止めることもできたわけです。ところが、期間工や派遣工などはそうしたことができない。同じような仕事をしていても、判断は長年の経験や技術がなければできるものではありません。また、文句をつけるということは、ある程度身分が保障されていなければできるものではない。日本企業は、コスト削減と引き換えにして、そうしたノウハウも失ってしまった。自動車のリコールが多発するようになったことひとつ取っても、そうした傾向と無関係ではないように思われます。
 では、どうしてこのようなことになってしまったのでしょうか。ひとつは、1990年代初頭に財界が「これからは幹部となる少数の社員以外は非正規化することで柔軟な人材運用とコスト削減を行う」という姿勢を打ち出したことにあります。幹部となる社員は大企業の場合通常は大学の新卒者です。一方、従来企業特に製造業の中堅となってきた高卒社員の採用は抑制されるようになりました。一方で、この時期は大学の新設・学部増設が相次ぎ、大学進学が容易になった。採用抑制と進学枠の増加が相俟って、「この道一筋」という人材の供給が急激に細るようになってしまったわけです。
 ちなみに、現在まで続く「大学生の就職難・就職氷河期」はこうした傾向の裏返しに生じていると言えます。企業の幹部候補生となる大学新卒者の採用枠は増やせないのに対して、大学生は激増してしまったためです。大学を卒業しても、それに相応しいポストが大学生の増加に併せて増えるわけではないからです。
 最近は、更に高度な人材を取りたいと、大企業を中心として外国人の採用枠を増やすなどの対応が取られています。一方で、「この道一筋」という人材の養成はあまり見直されているとは言えない。このままでは、我が国は中間層は更に没落していくことになるのではないでしょうか。そして、強みを失った我が国に企業は魅力を感じなくなる。日本という国土に対して然したる愛着のない外国人幹部の増えた企業なら、尚更日本に執着はしないでしょう。資本や企業の海外脱出がより加速されることになるでしょう。
 現在、「教育改革」と称して、高度な人材を育てるために教育資本を集中投下する動きが全国で見られます。一方で、外国人留学生への優遇措置も拡大している。しかし、本当に我が国にとって重要なのは「中間層」を復活させ、人的基盤としてしっかり再構築することではないでしょうか。その点で「この道一筋」という人材の養成は、見直されるべきだと思います。もちろん、徒弟奉公などの悪弊を復活させるべきではありませんが。

2011年1月25日 (火)

愛知高速交通対名古屋鉄道事件について

東部丘陵線(リニモ)を運営する愛知高速交通元社員の横領事件で、愛知高速交通はこの元社員と、出向元である名古屋鉄道を相手に約7500万円の損害賠償を求める訴訟を名古屋地裁に起こしています。

 巨額の横領を見抜けなかった愛知高速交通とバックにいる愛知県と長久手町の監視体制については再検討の必要が大いにあります。日本の監査体制は先進諸国に比べると緩いと言われ続けており、監査役の存在についても有名無実だと指摘されるようになった久しい。執行機関に対してチェック機関が異議申し立てをする文化そのものが日本には根付いているとは言い難いですし、異議申し立てをした場合に嫌がらせをされたり、人情に欠けるなどと言われる事も珍しくありません。我が国においては、チェック機関を執行機関から独立させると言う事はまだまだ道半ばであると言えましょう。

 今回の事件で珍しいのでは、出向先である愛知高速交通が出向元であり大企業である名古屋鉄道を相手に訴訟を起こした点です。契約上出向元に責任があるとしていても、実際のところ出向先と出向元の力関係上、出向先が出向元を相手取って訴訟を行うと言う事は簡単なことではありません。愛知高速交通のバックに長久手町がいるからこそ、訴訟に踏み切れた側面が強い。ついでに言えば、訴訟を行わなければ長久手町民が承知しないのではないかと思われます。

 いずれにせよ、横領や背任をいかに見抜くか、見抜いた後にいかに対処するのか、従前のようなムラ社会的ぬるま湯体制では最早やっていけないということだけは、自治体関係者も企業関係者も自覚した方がよいと思います。まず、「異議申し立て」を行う権利をしっかり認めることが第一歩となりますが、これは簡単ではない。異議申し立てをしたことが和を乱すとか、生意気だと言うような人々は未だに多いからです。しかし、勇気を持っておかしいことはおかしい、できないことはできないと言わなければ、私たちに未来はありません。

住みよい長久手を!

 長久手は長久手に住む約5万の住民のものです。その住民にとって何が一番大切か。それは、長久手が住みよい長久手であり続けるということではないかと思います。

 住民が住みよいまちを目指すのは当たり前のことです。地方分権、地域主権、市町村合併、広域連合、道州制、都構想、地方議会不要論、減税、議員定数の削減、議員報酬の削減、議会内閣制など地方自治に関しては議論百出の感があります。其々の意見については肯定できる点もあれば否定できる点もある。しかし、その先にどのような「まち」の未来を作ろうとしているのか、曖昧模糊の点が多いのが現実ではないでしょうか。個々の政策ももちろん大切です。しかし、何のための政策なのかを見失ってはならないと思います。政策は、目的達成のための手段です。

 現在の長久手は十分に住みよい部類に入る自治体ではありますが、それを維持し、更に住民の満足度を高めていくためには不断の努力が必要です。私は、現在のみならず将来に渡って住みよい長久手を作りたい。これが基本方針であり、政策はこの目的達成のために提案していきたいと思います。

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