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2011年9月11日 - 2011年9月17日

2011年9月17日 (土)

スポーツ庁設置を急ぐ必要はない

 中川文部科学大臣が、スポーツ庁設置を前向きに検討すると表明しました。政治家の「前向きに検討する」という言葉は所謂「玉虫色」の言葉ですからただちに信用はできませんが、この件に関しては前向きに検討する必要そのものが低いように思われます。

 スポーツ振興は悪事ではありませんが、私は音楽や絵画等の芸術を差し置いて、スポーツだけを特別扱いすることにかねてより疑問を呈してきました。国民に対しては、多様な選択肢が提供されていい筈です。色々と理由づけはしていますが、結局のところ、本音はメダルが欲しいのではないかと思えてなりません。

 今朝、被災地で復興事業よりも先にサッカー場を建設しようとしている自治体の話が報道されていました。国でも地方でも、何を優先させるべきか分かっていない人が多いと感じているのは私だけではないでしょう。

 ちなみに、スポーツはかつて国民を衆愚化し統制する方法として使われ、今も社会主義国では常套手段として用いられています。国際試合での日本チームの勝利が、結果的に失政の鬱憤を晴らす効果を生じている事に思いを致す時、公権力のスポーツ振興は、国民の自由と独立を確保する観点からも、大いに疑って見た方がよいと感じます。

 中央政府で復興事業を統括する「復興院」を設置するならばともかく、スポーツ庁の設置を急ぐ必要は全くないと思います。

2011年9月16日 (金)

エルトゥールル号事件から121年

               

                     フリゲイト「エルトゥールル」

 9月16日は、1890年にエルトゥールル号事件の発生した日で、今年で121年にあたります。

 オスマン帝国から日本に対して派遣されたフリゲイトで「エルトゥールル」は、帰路に和歌山県串本沖で台風のため遭難し、16日深夜に沈没しました。座礁して船体に亀裂を生じ、それが機関部に海水を流入させ、水蒸気爆発を引き起こした結果、587名が殉職しました。生存者69名が地元民の努力もあって助かり、日本海軍のコルベット「金剛」と「比叡」によってトルコに送り返されています。このことは、トルコではよく知られていたそうですが、日本でも最近になってよく知られるようになり、日本とトルコの友好の歴史の一ページ目として記憶されています。

 調べてみると、このとき遠洋航海のため「比叡」に乗り組んでいたのが少尉候補生時代の秋山真之でした。NHKドラマ「坂の上の雲」では原作にないエピソードが盛り込まれることも多い(例えば日清戦争で日本軍が清国で略奪を働くところなど)ので、エルトゥールル号事件のエピソードがあるのではないかと期待していましたが、残念ながらこの話は取り上げられませんでした。

 当時、日本とトルコはともにアジアに残された数少ない独立国であり、ロシアの南下政策に悩むという点で共通の利害関係を有していました。日露戦争においてトルコ政府が日本に好意的な態度を取り続けた事はよく知られています。第一次・第二次世界大戦においては敵同士として戦う事になりましたが、実際にトルコ軍と戦火を交えることはありませんでしたし、むしろ第二次世界大戦ではトルコは心情的には日本に味方したかったものの、「世界大戦に巻き込まれるな」というムスタファ・ケマル大統領の遺訓があって、ギリギリまで中立を保ち続け、日本と断交したのは1945年6月に入ってからでした。トルコは国連やOECDの原加盟国であり、その後も日本の国連加盟やOECD加盟に助力してくれています。

 トルコは朝鮮戦争においても国連軍の一員として6000名からなる部隊を派遣して朝鮮半島で戦い、多くのトルコ兵が命を落としています。北朝鮮を三十八度線で食い止めることができ、朝鮮半島の赤化を防げたことは我が国の安全を確保できたということとイコールであり、その点においてもトルコの献身を忘れるべきではありません。現在も、ワシントンDCのにある朝鮮戦争戦没者慰霊碑には、参戦国としてトルコの国名が刻まれ、記憶を今に留めています。慰霊碑に刻まれた「FREEDOM IS NOT FREE」(自由はタダではない)という言葉を今も覚えています。なお、朝鮮戦争での後方基地は占領下の日本であり、トルコの国立軍事博物館によると、やはりトルコ軍も日本で骨休めしていたようです。

 現在の世界情勢において、トルコがアメリカ・ヨーロッパと中東・イスラーム諸国との間で交渉ルートとして一定の地位を占め、国際社会での発言権を増しているのに対して、日本の凋落ぶりはあまりにも対称的と言えます。しかしながら、それでもなおトルコをはじめ中東世俗主義国の間では、我が国に対する期待は依然としてあります。

 エルトゥールル号事件のあと、遭難者を送り返すにあたり、日本が国費で軍艦を用いて送還したことについて、実は多くの批判もありました。国費の無駄遣いであると言うのです。「民間にできることは民間に」という考え方に立てば民間船舶を用いて旅費程度を負担してやればよかったわけですし、ロシアに至ってはタダで送還してもいいとまで申し入れてきていました。しかし、トルコの海軍軍人を同じ海軍である日本海軍が自らの軍艦で送還したことに大きな意味があったように思います。

 最後になりますが、殉職したオスマン・トルコ帝国海軍の将兵の御冥福をお祈り申し上げます。

 コルベット「金剛」

 コルベット「比叡」

2011年9月15日 (木)

貧困大国アメリカ

 アメリカの国勢調査局が、2010年の米国の貧困者が4618万人であったと発表しました。2009年は4356万9000人でしたから、262万人ほど増えた事になります。この数字は、統計を公表し始めた1959年以降最多ということです。貧困者の割合も上昇し、15.1パーセントになっています。

 日本の貧困問題と一概に比較はできませんが、アメリカの場合生活保護のハードルが日本よりもかなり緩く、加えて教会を代表する宗教勢力が相当な規模の慈善活動を行っています。日本は長らく「アメリカでは」を理由として「改革」を進めて来ました。一方で、アメリカ社会のセーフティーネットについてどれだけ学んでいるかは率直に言って疑問です。

 例えば、宗教法人は日本では原則として非課税です。そして、宗教に帰依している統計を積み重ねると日本の人口を大幅にオーバーしてしまう。宗教の信者が重複してカウントしているためであると言われていますが、それだけ「宗教が盛ん」な筈の日本で、宗教団体の慈善活動は注意して探さないとなかなか見つけることができません。しかも、その慈善活動を行っている宗教団体は、仏教系や神道系よりも圧倒的に少数派の筈のキリスト教系であることが珍しくない。戦後、慈善活動を期待してアメリカのように「非課税」にしたわけですが、現実はセーフティーネットを担うには程遠い状態であると言わざるを得ません。

 寄付文化にしても同様です。我が国でもアメリカほどではないにしろ、若き億万長者が次々と生まれました。最近ではさすがに目立つことは減っていますが、少し前までは会社を買い、豪邸に住み、豪遊している姿がよく報道されていたものです。翻って、彼らがネーミングライツではなく純粋に市民社会への寄付としてカーネギーホールまでとは言わないまでも建物でも建てたかと言うと、そうした話もほとんど聞きません。

 まだまだ「アメリカのように」という声は朝野を問わず根強いものがありますが、アメリカの貧困に思いを致す時、そう単純なものではないと考えます。もし、アメリカと同じ制度を導入したとすれば、我が国の状態は間違いなくアメリカの現状以下となるでしょう。我が国は長らくアメリカの「後追い」を続けてきました。貧困だけでなく、非正規労働即ち「派遣」や「偽装請負」などの問題についても、八十年代には既にアメリカで顕在化しており、九十年代にはそうした惨状を分析した研究結果が出ていたのです。日本の現状は、そうした分析結果に耳を傾けることなく、利益至上主義と思い込みによって「改革」が行われ、それを国民が支持した結果であり、ある意味では自業自得と言えます。

2011年9月13日 (火)

鉢呂吉雄前経済産業大臣失言事件

 鉢呂前経済産業大臣が失言によって辞職に追い込まれました。何やら、高支持率で出発できた野田内閣の「トカゲのしっぽ切り」に見えないこともありません。

 鉢呂前大臣の失言と言っても問題になったのは二つあります。ひとつは「福島は死の町」という発言であり、もうひとつは福島の視察から戻った際に新聞記者に対して「放射能を付けてやる」という発言をしたものです。

 このうち、前者については避難区域を形容したものであり、報道される避難区域の映像を見ていると、そう言えないこともありません。津波によってなぎ倒され瓦礫の山と化した区域も悲惨なものですが、目に見えない放射能によって人が住めば危険に晒される地域もまた、不気味な恐ろしさがあります。前後の文脈から考えると、いささか重箱の隅をつつく感がありますが、公言することが適切であったのかどうかは別問題でしょう。

 むしろ、問題なのは「放射能を付けてやる」という趣旨の発言です。福島入りしただけで鉢呂前大臣が放射能まみれになっているわけもなく、そんなことならば私も放射能に汚染されていなければならなくなります。風評被害に悩まされる国民が多い中、閣僚として余りにも配慮を欠く発言であったと言えます。

 何よりも、この「放射能をつけてやる」発言は、小学生が「便所」と言ってタッチし、タッチされた者を馬鹿にして遊ぶ嫌がらせと同じレベルです。呆れるほかないものでした。政治家である以前に、人間として余りにも幼稚です。辞職に追い込まれるのは仕方がないと言わざるを得ません。

2011年9月11日 (日)

911同時多発テロ事件から10年

                  

 今日は911同時多発テロ発生から10年にあたります。あの日、私は台北にいました。翌日の台湾の新聞は軒並み「真珠湾だ」という見出しを掲げていた記憶があります。アメリカと違って、日台間の航空便は正常に運行はされていましたが、台湾入国時と出国時では警備体制がまるで違っており、出国時に中正国際空港の警備は厳重なものになっていました。

 事件後ただちに「テロとの戦い」がはじまり、それは今も続いています。そして、終戦の目処は全く立っていません。かつての、国と国との戦いの場合は、相手国の首都を制圧したり焼け野原にすれば終わったものでした。内戦でも、革命派が中央政府の首都を制圧してしまえば大抵は決着が着いたものです。しかし、「テロとの戦い」はそのようなものにはなりませんでした。カブールを落としても、バグダッドを落しても、戦争は終わっていません。

                      Osama bin Laden portrait.jpg

 911テロの首謀者であるウサマ・ビン・ラディン容疑者は、最近になってアメリカ軍により殺害されました。潜伏していた自宅からは「憎むべき」アメリカやヨーロッパのポルノが大量に出て来たことで失笑を買いましたが、それで容疑者の権威が失墜したわけでもありません。ビン・ラディン容疑者は死にましたが、新たなテロリストが育っています。親玉を殺しても、直ぐに新たな親玉が出てくると言うことになるでしょう。

 テロ組織「アルカーイダ」にしても、その姿はテロリストのネットワークに近いもののようで、中央指導部があったわけでもないようです。その証拠に、「親玉」であり「オーナー」であった筈のビン・ラディン容疑者を殺しても、組織が壊滅したわけではありません。勝手に「アルカーイダ」と名乗っているテロ組織もあるようで、ひょっとすると晩年のビン・ラディン容疑者も組織の全体など把握していなかったのではないか。そして、「アルカーイダ」がテロ組織のブランドになっていることに鑑みれば、誰かが「アルカーイダ」を名乗り続けるのではないかと思います。

 首謀者のウサマ・ビン・ラディン容疑者もテロとの戦いを主導したブッシュ前大統領も、ここまで長期化することを想定していたのか。ビン・ラディン容疑者は「キリスト教の不信心者に対するジハード(聖戦)」であると位置づけ、ブッシュ前大統領もアメリカ軍を「クルーセイダー(十字軍)」と称したことがありました。ひょっとすると、彼らは意図せず互いに「文明の衝突」を作り出し、長期戦を覚悟していたのかも知れません。双方の権力維持にとって、「文明の衝突」と「長期戦」は有効なものであったからです。

 我が国も「テロとの戦い」に加わっています。武力による我が国への脅威は、断固として排除しなければなりません。もし、我が国と国民への脅威に対して日本政府が何もしないとしたら、国家を構成する意味そのものがなくなってしまいます。しかし、テロに対する戦いは、単純にテロリストをあぶり出して叩くだけでは意味がありません。新たなテロリストが生まれてくるからです。

 何故、テロリストが生まれるのか。多くの場合は現状に対する不満です。貧困地帯では、自らの境遇への不満がテロリストを生み出している。パレスチナのテロリストが典型例で、土地を奪われ難民キャンプで生まれながらの失業者では、現状を打破する方法としてテロに目が行くのは当然と言えましょう。

 では、裕福ならばいいのかというと、そうではない。911テロで実際に旅客機を操縦してビルに突入したのは、何れもエリートでした。イスラーム社会のエリートではなく、欧米社会においてもエリートに位置づけられる人々です。彼らがテロに走ったのは、欧米社会のマイノリティとしてアイデンテイティをイスラームに求め、更にその中でもより過激な方法で自己主張しようとしたとか、或いは虐げられる多くの同胞を見ていてエリートとして看過できなかったと言われています。

 貧困や差別が直接的間接的にテロの大きな温床となっているのは疑いようがないことであり、テロとの戦いを行うならば、武力闘争は別にして、根っこから断つことにも力を入れていく必要があります。

 同時に、多文化共生と言うのは簡単なものではないことを認識する必要があります。安価な労働者として受け入れられた人々の中からもテロリストが生まれています。「郷に入れば郷に従え」というのは多数派の理屈でしかありません。残念ながら、田舎に行けばいくほど、この考え方が危険な問題を生み出すことを自覚していない人が多い。例えば、日本社会において「◎◎町に住むなら町内会に入って神社の祭りを手伝え」というのは、一神教徒としては原則的に受け入れられる話ではないわけです。では、多数派の側が少数派の特殊事情を考慮するかと言うと、大抵は考慮しない。「みんな同じ」とか「和の精神」を根本から覆すことになるわけですから。

 同化させるのは簡単ではなく、一方で許容するのも簡単ではありません。多くの場合は対話ができ、双方が寛容の精神と打算があれば妥協は可能なのですが、原則論にこだわる限り、解決は非常に難しい。一方だけが寛容であっても困難です。

 「国際化時代」とは、非常に複雑な問題が国と国との間だけでなく、地域住民の間や個々人の間で起きると言う事なのです。そのことを自覚せず、国際化を推進すると言うのは狂気の沙汰ですし、逆に人的物的移動が著しい時代に鎖国するというのも妥当ではありません。政府関係者にしろ自治体関係者にしろ、或いは企業にしろ、微妙なかじ取りが求められます。そして、そのかじ取りを行うためには広い視野と冷静な判断力、それに理論と説得の能力が必要です。少なくとも「黙っていれば場の空気で何となくまとまるものだ」という日本人の大好きなやり方では対処できないことは確かで、仮にそのような考え方の持ち主を指導者に戴くならば構成員はその不利益を受けても自業自得と言うべきです。

 911テロは決して現代日本にとって遠い国の話でもなければ、過去の話でもありません。「民営化」「減税」「政権交代」というように、ワンフレーズだけで解決の道筋が見えたように錯覚できる話ですらない。非常に分かり難い問題です。しかし、分かり難い問題だからこそ、指導的立場にある者が逃げてしまっては話になりません。また、今後指導的立場に就く者は、こうした問題に突然対処しなければならなくなることも覚悟しておく必要がありましょう。

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