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2011年8月21日 - 2011年8月27日

2011年8月27日 (土)

呉世勲ソウル市長の辞職に思う

                  

 ソウル市の呉世勲市長が辞任を表明しました。ソウル市内の学校給食費無料化をめぐる問題で、無料化を議決した議会を「福祉ポピュリズムである」と批判して対立し、住民投票に活路を見出しましたが、住民投票そのものが成立せず、その責任を取って市長を辞職することになりました。

 ソウル市では李明博大統領の与党である保守系のハンナラ党の呉市長に対して、議会は野党である革新系の民主党が優勢であり、今回の住民投票はばら撒きを優先する議会に対して市長が住民投票を使って歯止めをかけようとして失敗したという見方ができます。何やら、我が国でも良く似た風景を見たように思うのは気のせいでしょうか。

 呉市長の辞職によってソウル市長選挙は補欠選挙と言うことになりますが、与党のハンナラ党にとっては厳しいものとなるでしょう。同時に、2012年に行われる大韓民国大統領選挙と国会議員選挙においても、保守系にとって厳しい戦いになることが予想されています。韓国では、保守系が日米等自由主義諸国との関係を重視してきたのに対して、革新系は盧武鉉前大統領らに代表されるように反日反米思想が強く、北朝鮮に対しては土下座外交を続けていました。韓国大統領選挙は、我が国の国家安全保障にも大きな影響があるのです。

 また、先に憲法裁判所において、在外韓国人に参政権を付与しないのは憲法違反であると言う判決が出た事により、2012年の大統領選挙・国会議員選挙から、在外韓国人も投票に参加できるよう調整が進められています。簡単に言えば、在日韓国人が韓国の選挙に参加できるようになると言うことです。在日韓国人の母国選挙への参加が、今まで兎角に「反日」を掲げなければ当選できなかった選挙にどのような影響を与えるのか、注目して行きたいと思っています。

 それにしても、「福祉」というものは、なかなか掲げられると正面切って反対はできないものです。呉市長の「福祉ポピュリズム」という指摘は、なかなか的確な表現であると思います。そして、現実に給付されるようになると、それを切るのは容易なことではない。例え、端緒がばら撒きであったとしても、給付がされるようになれば、それを止めることは非常に難しいことなのです。まして、韓国は日本以上の「格差社会」であり、もらえるものはもらいたいという考えもまた強いものがあるように思われます。

 としても、韓国は日本以上に財政面の問題が多く、特に安全保障上多大な支出を必要とする国ですから、与党側としては大々的な「ばら撒き」は防ぎたいところであったと思います。一方、野党側は対北朝鮮政策で韓国の軍備拡張は北朝鮮を刺激すると慎重であり、「軍備を削って福祉に」というような発想に親和性が強いわけです。

 色々な福祉を導入することはそれほど難しいことではありません。福祉の推進について、正面切って反対する者はまずいないからです。しかし、その福祉政策を持続させることは容易なことではありませんし、場合によっては特定の福祉政策が他の福祉分野はもとより国家や自治体の政策全般を多いに拘束してしまう事になります。今回の給食無償化によって、老人福祉や障害者福祉が後退することになれば、それは得策とは言えないわけです(当然、老人福祉を優先させたばら撒きをすれば、教育を含む将来世代に対する投資の後退を招くであろうことは簡単に想像できる事ですから)。あまりこのような言い方はしたくありませんが、福祉に依存することで福祉制度を維持する体力そのものが失われけてしまう懸念もある。

 他国の国民の意思表示をとやかく言うつもりはありませんが、子供手当や高校授業料の無償化と言う一連の民主党の「福祉ばら撒き政策」が日本政治の混乱を招いたことに思いを致す時、私は呉市長の「福祉ポピュリズム」に対する懸念のほうが、理性的であり正論ではないかと思えてなりません。

2011年8月26日 (金)

菅総理が今日退陣表明

 菅総理は、今日正式に退陣表明するそうです。率直に言って、政権末期にはとにかく首相の地位に留まりたいという事が見え見えの「悪あがき」が目立ちました。そして、与党を含む議会多数派が事実上首相を支持していないという異常事態にも関わらず、菅総理を合法的に辞めさせられないと言う問題も浮き彫りになりました(内閣不信任案の再提出を認めないと言うのは慣習ですから、慣習を変えれば少なくとも不信任案再提出は可能となりますが)。

 月末には新総理が選出されるということですが、もし菅総理が「歴史に名を残す」ことを考えるような名誉心があれば、2011年8月末には首相ではなくなっていたかも知れませんが、震災対策でもっと違った対応が取れたのではないかと思います。震災発生直後に必要だったのは政府による命令であり、総理がヘリコプターで上空から視察することではなかった筈です。としても、日本人は何故か視察に行ったりしないと「現場を知らない」と非難するものですから、ああいう視察も人気取りのためには仕方がなかった面はあるのですが、人気にこだわらないで震災対応していたらどうなったか。一時は国民に罵倒されたかも知れませんが、後代にずっと評価されたのではないでしょうか。

暴力団を利用しない

 司会者として活躍していた島田紳助氏が突如芸能界引退を発表して大騒ぎになっています。当初は暴力団関係者とメールのやり取りをしていたことが許されない事であると説明していましたが、この程度で引退と言うのは酷な処置であり、島田氏の番組に出演していた北村晴男弁護士も同様の指摘をされています。ところが、日が経つにつれて島田氏のテレビ番組における発言を問題視して右翼団体の抗議活動を受けた際、抗議活動をやめさせるために暴力団幹部に依頼したという報道がなされるようになりました。これが事実だとすれば、島田氏は暴力団を利用したことになります。

 暴力団の存在に関しては、法的に処理できない問題を処理する組織として必要だとか、果ては終戦直後の闇市で暴れまわる朝鮮人と戦ったことから存在を肯定する意見もないわけではありませんが、やはり法的倫理的には「あってはならない」ものであり、そうした組織を利用した者も社会的制裁を受けて当然であると言えましょう。むしろ、暴力団を肯定するような論があること自体、法の支配とは程遠い状態であることを自白してしまっていると言えます。法律番組の司会者がトラブル解決にあたって法律ではなく暴力団を頼ってしまったと言うのはそれ自体が何かの冗談かと思えてくるほどです。

 先進国ではイタリアでマフィアが暗躍しており、強硬姿勢で取り締まりをしていた判事を車ごと爆破するような事件を起こしています。イタリア政界とマフィアの深いつながりも指摘されており、これがイタリア政治に対する他の先進諸国の不信の一因となっています。

 台湾でも「黒道」と呼ばれる暴力団が力を持ち、暴力団構成員が地方議員はおろか国会議員にまでなっています。皮肉なことに、民主化の進む過程で「票集め」に力のある暴力団が政治的な影響力を持ってしまい、遂には暴力団の身内から政治家まで出すようになってしまったというのです。それでも、暴力団出身議員でも海外留学の経験があったり、修士号を持っていたりするのは、学歴社会の台湾らしいと言えるのですが。数々の暴力沙汰で「台湾のハマコー」と呼ばれた羅福助元立法委員に至っては台湾最大の暴力団である天同盟の盟主でした。感覚的には山口組の組長あたりが代議士になるようなものでしょうか。最近では、さすがに暴力団関係者が議員になるのはまずいということで、一時期に比べれば暴力団関係者の「政界進出」は後退したようですが、2004年の総統選挙における陳水扁総統銃撃事件や2010年の統一地方選挙における連勝文(連戦元副総統の長男)国民党中央常務委員銃撃事件ではともに暴力団の存在が囁かれており、票集めに暴力団を使っていると言う話が絶えないところから見ると、まだ「道半ば」と言えるでしょう。

 イタリアや台湾はともかくとして、先進国では一般的に暴力団と関連することは致命的なスキャンダルとなります。暴力団を利用することをどこかで是認するような社会は、健全な社会とは言えません。

 なお、暴力団構成員のかなりの数がまともな教育を受けられない階層や、被差別民や在日外国人等のマイノリティーであるという話もあります。暴力団の取り締まりは結構ですが、同時に闇社会に落ちないと生きていけない人々がいることにも目を向け、教育や職業訓練等を通して公共政策面で暴力団員の供給を断つことが求められているように思われます(逆の見方をすれば、相変わらず暴力団に人材が供給されているということは、社会的弱者の救済が不十分であるとも言えるわけです)。

 内容的には賛否両論あるにせよ、才能がある人物であっただけに、このようなスキャンダルを原因とする引退と言うのはまことに残念です。

2011年8月25日 (木)

旧村単位地名存続問題について

 私の手元には1873年の地租改正の時に発行された「地券」があります。そこには「尾張国愛知郡長久手村大字長湫字打越101番地」というかつての地番が記載されています。この地番は区画整理後に整理され、現在では別のところが打越101番地になりました。大字も住所から消えました。

 現在の長久手町の版図は、もともとからひとつの村落であったわけでなく、いくつかの村落が合併してできたものです。このため、大字というかたちでかつての村の名前が住所に残っている地域があります。長湫や岩作などは、もともとはひとつの村の名前であったわけです。

 区画整理や開発が進んだことにより、伝統的な多くの地名が消えました。例えば、私の自宅の周辺は打越に統一されましたし、隣のブロックは作田と久保山でまとめられました。区画整理が終わったところは、大字も消えました。

 長久手町の市制施行にあたり、長久手町の東部から旧村の名称を残してほしいと言う要望が出ています。今のところ、町長選挙各候補者のマニフェストやホームページを見ても、特に触れられていません。この点について、効率化を望む新住民にしてみればノスタルジーから旧村の名称を残すことなどはどうでもいいことであり(新住民にとっては長湫であろうが岩作であろうが先祖伝来の地名と言うわけではありませんから、旧住民と思い入れが異なるのは当然と言えましょう)、一方で旧村の名称を残すことを真っ向から否定すれば、旧住民の支持を失う事になりかねない。態度をはっきりさせることができないという気持ちも、分からないではありません。しかし、町長になれば議会とともに、遠からず結論を出さなければならない事柄のひとつです。

 私自身は血統的には旧住民であり、地番が変更された際には、明治以来百年以上使ってきた住所が変わってしまうことに寂しさを覚えた反面、「長湫」という伝統はあるが電話等で住所を伝える時には説明の難しい漢字を使わなくともよくなり、色々なところでかなり楽になったという記憶もあります(かつては、「湫」の字がワープロの辞書になく、外字で作っていました)。

 効率化を重視すると言う観点からすれば「長久手市岩作◎◎-1」「長久手市前熊××-2」よりは「長久手市◎◎-1」「長久手市××-2」に帰結するでしょうが、旧住民の旧村名に対する愛着を完全に無視すると言うわけにもいきません。そうした場合、公共施設や交差点等に旧村名を冠するなどの措置が取られてもよいのではないかと思います。

 かつての自然発生的な集落の名残である「分会」の単位は、現在でも祭礼などの際に使われており、完全に消滅したわけではありません。今の地形からはちょっと想像できないのですが、長湫三分会である塚田地区と、四分会である打越地区の間にはかつてはちょっとした山があって、集落としても別れていたのだそうです。恐らく、警固祭などの祭礼は引き続き旧村を単位として行われていくでしょうから、「長湫」「岩作」といった単語が完全に消滅することはないのではないかと思います。住所としては使われなくなっても、何らかの形で使用を継続する道を考えると言うのも伝統的な地名・地域概念を後代に残す有効な方法ではないでしょうか。

2011年8月24日 (水)

長久手町長選挙告示

 昨日、長久手町長選挙が告示されました。

 立候補したのは

 

 大島 令子 (59) 新 無所属 元衆議院議員

 吉田 一平 (65) 新 無所属 (自民党・公明党推薦) 元社会福祉法人理事長

 鎌田 進  (36) 新 無所属 元会社員

 

 の3名の方々です。

 5日間という短い期間ですが、公正な選挙運動と投票が行われることを期待したいと思います。

 今回の町長選挙は、市制施行を控えて最後の町長選挙であると同時に初代市長を選ぶ選挙ともなるわけです。私自身は初代市長として長久手の方向性をどのようなものとするのかを最大の判断基準として検討し一票を投じたいと考えています。

 大多数の町民が、候補者のどのような点を評価し、どのような政策を期待して票を投じるのか、長久手町民の「欲するところ」にもまた注目したいところです。何と言っても、政治家は結局のところ有権者の写し鏡ですから。もし、選ばれた新町長が町の財政を破綻させたり、住民の人権を侵害したり、町政を混乱させたとしても、それを選んだのは町民であり、破滅に至ったとしても自業自得と言う事になります。

 政治に無関心でいると、おおむねいい結果を生まないことは歴史の教えるところです。選ぶ側としても、十分な吟味をして一票を投じたいものです。

 最後になりますが、3名の候補者の方々と関係者におかれましては、体調に留意され、町民の希望に応え選挙戦を戦い抜かれることをお祈りいたします。

2011年8月23日 (火)

カダフィ王朝の崩壊

                   Muammar al-Gaddafi-09122003.jpg

 リビアで反政府勢力が遂に首都を占領しました。カダフィ大佐の身柄はまだ拘束されていないようですが、後継者と目されていた息子は既に逮捕されているようです。首都陥落と皇太子の逮捕により、カダフィ王朝の崩壊はほぼ確実ではないかと思われます。既に、アメリカや中国は反政府勢力によって樹立される政府を承認する意向を示しており、EU諸国も続くことでしょう。もっとも、カダフィ政権が領土の一部だけ確保して抵抗を続ける可能性も全く排除はできませんから、内戦の継続という「最悪の事態」に陥ることも考慮はしておく必要があります。

 カダフィ大佐は二十代にして革命を起こし、腐敗した王朝を打倒して指導者の座に就きました。それから半世紀近くが経ってみると、息子に「帝位」を継承させようとするなど封建王朝と化してしまったのは皮肉です。リビアだけではありません。エジプトでも革命によって「旧勢力」を打倒した「改革派」であった筈のムバラク前大統領が息子に権力を譲ろうとしていましたし、シリアでも同様です。イラクのフセイン政権でも、二男のクサイが後継者になる筈でした。チャウセスク時代のルーマニアでも世襲が画策されていましたし、北朝鮮では「三代将軍」が誕生しています。中国の習近平副主席が近い将来国家主席に就任すると言われており、習副主席は国務院副総理を父に持つ二世政治家です。タイに至っては汚職によって国を追い出された前首相の娘が、前首相の娘と言う事で選挙を勝ち抜いて首相に就任しました。タイの場合は選挙の洗礼を受けていますので独裁政権とは異なるものの、世襲政治家の強さを見せつけています。

 確かに、アメリカにもイギリスにも世襲政治家と言うのは多いのですが、発展途上国となるとその影響力は絶大です。独裁国家は言うに及ばず、民主的な選挙の行われている国ですら、世襲政治家は大きな影響力を持っています。そして、しばしば身内のために国法を曲げる。政治の私物化と言えます。

 我が国にも世襲政治家は実に多く、大きな影響力を持っています。気を付けなければならないのは、今は民主的に選挙が行われているが、将来そうした制度が機能しなくなった時、世襲政治家を輩出してきた有力家系によって「君主制」に移行すると言う歴史的な経験から導き出される法則です。近現代史を読めば、多くの国で君主制が崩壊して共和制や民主政に移行していますが、古代や中世においてはその逆、つまり民主政や共和制から君主制に移行した例も多いのです。

 例えば、ルネサンス期のイタリアでは、多くの都市国家が存在し、それらの都市国家では市民による共和制が普通でした。しかし、元首や市長などを有力家系が独占して行くうちに選挙が「有名無実」と化して行く。「あの元市長の息子が立候補したのだから、その人で決まり」というような具合です。そして、より強力なリーダーシップを求めるうちに、共和制や民主政と言う「合意形成に時間がかかり、選挙のプロセスにコストもかかる」制度から、一人の指導者によって即決できる君主制に移行して行きました。君主は必ずしも天から降りてくるのではなく、有力市民からの「転身」も珍しいことではないというのが歴史的事実です。典型的なのは、フィレンツェ共和国からトスカーナ大公国に移行した際、フィレンツェ共和国の有力家系であったメディチ家が君主の地位に就いた例です。確かにメディチ家は共和政時代に地域文化のパトロンとなり、今もフイレンツェを歩けばその栄華を偲ぶことができます。フィレンツェ市民が強力なリーダーを求めた時、君主として相応しい「家系」に見えたのも無理はないと思うのですが、同時に市民は自由を失う事になり、更にパトロンとしては優秀でも政治家・行政家としては必ずしも有能であることを担保するものでもなく、トスカーナ大公国の衰亡はその後は歴史書を読めば分かります。

 リビアにおけるカダフィ王朝は終焉を迎えそうですが、不幸なのは国民です。かつて、「改革者」として歓呼をもって迎えた指導者から、長きに渡って拘束され・弾圧されることになろうとは思わなかったでしょう。新たに就任するであろう指導者が、新たな「王朝」を作らないことを、今は祈るしかありません。

2011年8月21日 (日)

与那国島への陸上自衛隊配備について

 陸上自衛隊の部隊が与那国島に配備されることになりました。今後、基地のための用地を取得し、4年後までに隊舎等を整備するとの事です。

 対中関係における南西諸島の価値を考えれば、この配備は必要なものと言えましょう。何も、我が国が中国を占領しようと言うものでもなければ、中国に軍事的圧力をかけようというものでもありません。我が国にはそのような力はないし、中国を侵略する必要性そのものもありません。ただ、中国が対外膨張路線を歩み続ける以上、中国に対等な話し合いを求めるのであれば、我が国も相応の備えをしておく必要があります。

 中国政府は不快感を示すかも知れませんが、冷静な対応をするでしょう。むしろ、日本国内の「基地があるから戦争が起きる」というような安直なスローガンに踊らされ、基地誘致派と反基地派の間で内部対立が起きるのを静かに待つのではないかと思います。

 基地問題は自治体では従前から、迷惑施設であると言う問題や雇用を含む経済の観点で語られてきました。しかし、これからは国際関係や国際法を踏まえた論議をしていく必要があります。そうしなければ、基地問題が地域エゴや政治闘争の道具、或いは中央政府から経済政策を引き出す道具となってしまい、地域や国の安定や安全と言う重大な問題が置き去りにされ続けることになります。我が国の国際的な信用力・発言力の低下は、決して中央政府の政治家や役人だけに責任があるわけではありません。

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